タイトル----努めて見聞を広め、博識を誇らないようにしよう。『礼記』 第292号 21.12.5(土)
〈博聞強識にして譲り、善行に敦(あつ)くして怠らず、之を君子と謂う。〉(新釈漢文大系・竹内照夫著『礼記』明治書院)
通訳「見聞を広め物事を知り、そして記憶し、博識を誇ることなく、謙譲であり、また善い事を熱心に行い、かつ、怠ることがない。こうした人を君子という。」(前掲書)参照。
〈君子は人の歓を盡さず、人の忠を竭さず、以て交わりをまったくす。〉(前掲書)
通訳「君子は、また人との交際において、相手に過度の歓待をさせず、過度の親切をかけさせぬように配慮し、そうやって交際を長く保つのである。」(前掲書)参照。
凡人である私どもには、とても出来そうにない事のようであるが、歴史に名高い君子と言われる人々が成し得たことであっても、そこに、実践するぞという気概と、日々のたゆまぬ積み重ねが功を奏すると思うのである。
先ずは始めることである。そしてやりだしたら諦めないことである。性急に結果を求めず、楽しみながら継続するところに、本人が想像だにしない成果が、取り組みの量に比例して答えが出てくると信じている。
世の中めまぐるしく展開している。昨日のテレビ報道によると、秋葉原で活躍している若い女の子たちが、舞台で歌い、踊り、飛び跳ねている情熱的な舞台芸術をアメリカにも輸出するのだとして、紹介する場面があった。受け入れる側が、それらをよしとしてくれるのであれば、有難いことである。そのことが経済効果にもなるのだとプロディ-スした人は話していた。
でも考えさせられた。失礼かも知れないが、10代の女の子たちが、どの程度の勉強をし、どの程度の教養があるのだろうか。物珍しく、経済効果に繋がるからとして、外国を飛び回った時、彼女らの将来に、現在の輝かしいアイドル時代の幸せの延長が保障されるのであろうかと、老婆心ながら思うことだった。
ただ華やかでありたい、金儲けがしたい、テレビに出られればいい、という短絡的思考と、じっくりと腰を据えて、遠い将来を展望して取り組むのとでは、結果は五十歩百歩ではあるまい。
未知の世界に挑むなら、今回紹介した〈見聞を広め物事を知り、そして記憶し--〉という人間の奥義をこそ広めるべきではないのかと思ったのである。
先に、映像文化におだてられ、そして映像文化に翻弄された女が覚醒剤に手をつけ、映像によって処罰されたと同様の結果が、アメリカに華々しく進出した事後、褒賞の報酬としてくるのではないかと、他人事ながら危惧した次第である。
〈博識を誇ることなく、謙譲であり〉とあるように、優雅さと謙虚さの無さを誇り過ぎた後の代償は決して少なしとはしない、と思うのである。そこに大人の、賢明な指導者が要求されるのであろうと思われてならない。