味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

新渡戸稲造著『武士道』の紹介。----10

2009-12-26 15:44:20 | ブログ

タイトル----新渡戸稲造著『武士道』の紹介。----10 第331号 21.12.26(土)

 第七章 誠          P66から

〈私は今武士道の信実観を語りつつあるものなることを承知している。しかしながら我が国民の商業道徳について数言を費やすことは不当ではあるまい。これについては外国の書籍、新聞に多くの不平を聞いている。締まりのない商業道徳はじつにわが国民の名声上最悪の汚点であった。しかしながらこれを悪口し、もしくはこれがために全国民を早急に非難する前に、それを冷静に研究しようではないか。しからば吾人は将来に対する慰藉(いしゃ)をもって報いられるであろう。

 人生におけるすべての大なる職業中、商業ほど武士と遠く離れたるはなかった。商人は職業の階級中、士農工商と称して、最下位に置かれた。武士は土地より所得を得、かつ自分でやる気さえあれば素人農業に従事することさえできた。しかしながら帳場と算盤は嫌悪せられた。吾人はこの社会的取極めの智慧を知っている。モンテスキュ-は、貴族を商業より遠ざくることは権力者の手への富の集積を予防するものとして、賞讃すべき社会政策たることを明らかにした。権力と富との分離は、富の分配を均等に近からしめる。

 ディル教授はその著『西帝国最後の世紀におけるロ-マ社会』において、ロ-マ帝国衰亡の一原因は、貴族の商業に従事するを許し、その結果として少数元老の家族による富と権力の独占が生じたことにあると論じて、吾人の記憶を新たにするところがあった。------ある職業に汚名を付すれば、これに従事する者はその道徳をこれに準ぜしめる。ヒュ-・ブラックの言うごとく、「正常の良心はこれに対してなされる要求の高さにまで上り、またこれに対して期待せられる職業も道徳の掟なしには行われえざることは、付言するを要しない。〉P68

 これを、今日の日本にあてはめてみよう。

 「権力と富との分離は、富の分配を均等に近からしめる。」という文言は、我々庶民にとって魅力的な言葉である。が実際問題として庶民には、富の分配どころか、益々格差が大きくなって行くように思えてならない。

 続いてディル教授が言う「ロ-マ帝国衰亡の一原因は-----少数元老の家族による富と権力の独占が生じたことにある」というくだりは、日本という国家を預かった一部特権階級の為政者たちの、さらにはそれに準じる政治家たちの姿と二重写しに見えてならないのである。

 政治は国民のためのものである、と言って声高に叫んだ民主党が政権交代により運営するようになったが、100ケ日過ぎた今、政治家という人種は、国民のためよりか、自分の事を優先するために詭弁を弄しているという事が明らかになった。

 鳩山総理は、秘書が法律違反をした時は政治家が責任をとるべきだ、と過去に発言している。内閣官房機密費についても透明性を確保せよ、と過去に迫ったことがある。ところが政権を担当する当事者になった途端、平気で前言を翻していると同様の状態である。

 前政権と現政権を比較した時、国家の正常な運営ということを基準に論じた場合、現政権はとんでもない方向へ日本を牽引して行く危険性があるように思えてならないのである。

 『武士道』を学ぶということは歴史を学ぶことであり、これらを如何に今日的に応用・活用するかが大事なことであると思うのである。