味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

心掛けの善い立派な人は、日々に成長する。『易経』

2009-12-25 16:37:56 | ブログ

タイトル----心掛けの善い立派な人は、日々に成長する。『易経』 第330号 21.12.25(金)

〈君子は豹変し、小人は面(おもて)を革(あらた)む。〉(新釈漢文大系・今井宇三郎著『易経』明治書院)参照。

 通訳「有徳の君子と言われる人は、豹の斑紋が季節により美しく変わるように、君子の旧悪を日々に善に変化していく。これに反して小人は顔面だけ革(あらた)め悦んで、上の人の意に従う態度をとる。」(前掲書)参照。

 この「君子豹変」という句は『易経』の「革」の卦にある言葉ですが、この前に「大人虎変」という言葉もあります。何れも同じ意味であると解釈していいと思います。これは、もともとはよい方への変化を言った言葉であるが、今は前言を平気で翻すなど、悪い方を言う場合が多いようです。

 私の詩吟道の師匠であった竹下一雄先生と何時も懇談したものですが、その際、私に対して「大丈夫、逢わざること三日---」と大きな声で叫びました。それを聞いてすかさず私が、「当(まさ)に剋目してみんとす」と続けたことがありました。その時、若造の貴方がどうしてこれを知っているのか、と聞いたことがありました。分けがわからないまま、日々漢籍を読んでいる時のことでした。

 有徳の君子である大丈夫たる者は、三日も会わない内に、日々の精進が著しく飛躍進歩しているということで、「君子豹変」するということだと思います。それは、要は学ぶか学ばないかが原点であり、理解だけでなく自覚し、日々に活かすことだと思う。

 このように自らが書籍で学び研鑽し、人との交わりによっても貪欲に吸収して行くところを修行として位置づけることによって、人間の器も比例し大きく「君子豹変」して行くだろうと思います。人は年齢に関係なく、変化発展して行くということなのです。

 それは今日的な学校教育の範疇では、大きな成果は期待できない。何故かと言うと、ただ勉強が出来る人、知識がある人、偏差値の高い人が、良い大学から良い会社へ就職すると言う一元的なコ-ス線上にあるからです。そこでは、人格の陶冶とか精神を練り、心魂を鍛えるという人間本来の魅力は、戦後教育から外されたままで、今日の学校教育では活かされていないからです。

 ここで敢えて提起したいことは、『南洲翁遺訓』はじめ漢籍を繙いて欲しいということです。生活文化が大方便利になるにつれて、人間が本来具有している知的な面もそういうものに覆われ、芽が出なくなっていると思われてならないのです。

 「心掛けの善い立派な人は、日々に成長する」という確信のもと、より幸せを求めて勇気を振るい自らの人生に挑みたいものです。