平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2006年3月19日 祈りの力

2007年04月05日 16時32分19秒 | Weblog
     祈りの力

 キリストを信じる者は祈る者であるといわれる。逆に祈るということは神を信じるということである、といってよい。
 今の日本の状態は嘆かわしいことばかりだ。将来が危ぶまれるということが語られるようになって久しい。どうしたら日本をよい方向に導くことができるのだろうか。教育が悪かった、教育を考えなおさなければならない、とあれこれ審議されている。しかし、教育のどこが悪かったのか、はっきりした根拠が示されているとは思われない。
 私たちが神から命を与えられて生まれた人間であることを自覚していないところから、すべての間違いが起り始めたのではないかと考える。神が与えて下さった尊い命とその愛のおかげで日々の生活が営まれていることを忘れているところから、混乱が生じると思われる。
 つまり、人間に対する神の呼びかけを聴こうとせず、自分中心に人生を歩もうとして、神に向かって祈ることを忘れてしまっているからではないだろうか。3月15日(水)の夜の祈祷会で、O兄がそのことについてよい奨励をして下さった。
 祈る時、自分の思う願いごとは何でも祈りなさい。どんなことでも神は聴いて下さる。けれども人間の側から呼びかけるだけでなく、神が私たちに何を求めておられるか、神のみ心を探り聴こうとする姿勢を人間が備えなければならないとねんごろに説明してくださった。このことが、祈る生活の中で大切であると強調された。陥り易い私たちの弱点を指摘して頂いたのであった。
 祈りを忘れた日本人が、神の前にへりくだってみ言を聴こうとし、また人々の心や苦しみを尋ねて知ろうとして歩むなら、人間はお互い信頼し合い、落着いた喜びに満ちた人生が蘇ってくるのではないだろうか。
 斎藤剛毅先生(現福岡女学院学長)が訳されたフォーサイスの「祈りの精神」(原文は「祈りの力」)を思い出して、新たに自分の毎日の生活を反省させられた夕べであった。感謝しつつ。


松村 師