復活者イエスとの出会い
4⽉16⽇のイースターの⽇には、私は東京の品川バプテスト教会で説教する機会が与えられた。そこでは、平尾教会では何度もそうしてきたように、「マルコ福⾳書」末尾の16章のうち、とくに7節の、復活者イエスには「ガリラヤで会えるだろう」との「若者」(「天使」のことであろう)の⾔葉に注⽬した。そしてさらに8節の、「婦⼈たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そしてだれにも何も⾔わなかった。恐ろしかったからである」との奇妙な終結部にも注⽬した。
それが奇妙であることは、⻄暦70年頃に書かれたとされる「マルコ福⾳書」よりも20年ほど後の90年頃に成⽴したとされる「マタイ福⾳書」における並⾏箇所の、28章8~9節の記述と⽐較すれば⼀⽬瞭然である。マルコはそれによって、「復活したイエスを描かないで描く」という、まったく「逆説的な」⼿法を導⼊している。そこにあるのは、世界の⽂学史上初めてマルコが創出したこの「福⾳書」という⽂学類型のなかで、彼が描き出した「ガリラヤにおける」イエスの⾔葉と振る舞いとを⼈は繰り返して通読することによって、「復活者イエス」に出会っていくのだ、とのマルコの主張である。
伝統的な「伝記」がその⼈の⽣涯全般を描き出すのに対して、その⽣涯のほんの⼀部分にのみ集中してそれを伝記的に描くのが「福⾳書」なのだが、そのような⽂学類型は、「マルコ福⾳書」以前には皆無だった。そしてそこで描かれた「ガリラヤのイエス」は、福⾳書の通読によって、今や「復活のイエス・キリスト」として、読者である私たちの⼼において、私たちに出会っていくのである。「復活のイエス」とのこのような「出会い」理解は、7節で「⼗字架のイエス」がどのように表現されているかに注⽬することからも読み取れる、と私はさらに展開した。
なぜならばそこでは、70年頃に成⽴したマルコ福⾳書に先⽴って50年代に執筆されたパウロ書簡のなかの独特な⽤法が踏襲されているからである。すなわち、「⼗字架につけられた」の部分を現在完了形の分詞によって表現する「⼗字架につけられたままのイエス」というパウロ独⾃の⽤法を、マルコもまた採⽤しているのである。そのようなイエス像は、⼗字架につけられ、降ろされ、埋葬された、という実際の歴史的な経過には逆らっている。
それゆえにそのイエスは、パウロの⼼のなかで出会ってくれたイエスでしかない。超⾃然的な、しかし実体的なイエスの「復活体」をいたずらに強調するよりも、私の⼼において出会ってくださるこのイエスを受け⽌めていくことのほうが⼤切なのではないか、そう私は主張した。説教後に品川教会の99歳のご婦⼈が、「よ~くわかりました」と⾔ってくださったが、皆さんはどうであろうか。
⻘野 師