平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2008年3月30日 教会における自由と責任

2008年07月08日 22時54分05秒 | Weblog
    教会における自由と責任

 教会において、自由を考えるときには、イエス・キリストによっていただいている自由である。だから、平尾教会員になると、これこれのことをしなければならない、というものはない。ただ、自由であるけれども、それが群れである以上、ルールが必要になるのは、どの社会でも同じこと。

 ただし、教会では、教会出席も献金も奉仕も自由である。教会の約束なるものを作り、礼拝、献金、奉仕、家庭礼拝など、これだけは努力しましょう、と謳っている教会もある。しかし、最終的には、個々人は、神様との約束に生きているのである。

 多くの教会は、年一度でも礼拝に出席するか、献金を一度でもすれば、現在会員である。現在会員は、総会において、選挙権や議決権を有するということだけのことだが、毎週礼拝に出席し、毎週献金をした者と、一回しか来られなかった者、或いは、一度しか献金できなかった者との扱いが同じである。

 これは、一般社会では、考えられない。これは何故かというと、形で、信仰をはかってはならないということなのだろう。しかし、「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのだ」と聖書にもある。思うに、教会でのことは、力ある者、持てる者が行うのではなく、心ある者が行っているのである。

 つまり、キリスト者の礼拝も奉仕もすべては、神様を畏れ、神様に感謝し、イエス・キリストの福音宣教のために行っているという思いから発しているのである。


平良師

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