平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2018年4月29日 心に留めおかれる

2018年05月08日 23時08分35秒 | Weblog
心に留めおかれる

 朝、目覚めたときに、ふと、自分は誰それのことを考えていたのか、と気づくことがある。教会にずっと来ていない人のことや心配ごとを抱えている人のことなどである。そして、時間が少したって朝食をする頃には、もう、そのことを忘れているのである。
 神様は、そのように、私に今、考えなければならない人のことを教えてくださる。にもかかわらず、私は、その人のことをずっと気にしたままの状態にはあらずで、またもや忘れていくのである。しかし、何かのことで、その人のことをまた思い出す。神様が、今、しなければならないことを何らかの形で、教えてくださったり、示してくださることがあるが、私たちは、それをずっと、心に留め置くことができない。
 おそらく、本人やその家族、いわゆる当事者だけが、ずっとずっと心にかけるのであろう。心に留め置く、それは、私たちキリスト者は、祈りという言葉で表現できるだろうか。祈ってください、と私も言い、祈っていますと人からも言われる。それは、麗しい関係である。しかし、ずっと祈り続けることも、ずっと関わり続けることも容易ではない。
 キリスト教の神様は、インマヌエルの神様だと言われる。「神、我らと共にいます」という意味であるが、このことを人は望んでいる。誰もが、自分を忘れ、離れていったとしても、神様だけは、このどうしようもない自分とずっと一緒にいてくださる、そのことをどこまでも信じるのが信仰である。


平良主任牧師

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