晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の盃状穴(25) 番外編 6/14

2013-06-15 | 歴史・民俗

2013.6.14(火)晴れ時々曇り   京都帝釈天(南丹市八木町)の盃状穴

 一般に子供のいたずらと思われている盃状穴だが、わたしは子供のいたずらだとは思わない。
 (1)実際に穿ってみると、子供が短時間に穿てるものでないことが解る。なぜ短時間にこだわるかと言えば、いたずらであれば大人に見つからない間に仕上げなければならないからだ。
実験的に比較的柔らかそうな砂岩を選んで穿ってみたが、数時間かかってもうっすらと疵がつくぐらいで、荒掘りだけでもと思い鏨を使ってみたら石が割れてしまった。

 (2)子供のいたずらなら、見つかった場合に大人に叱られるだろう。従って誰にも見つかるおおっぴらな場所で穿つことは難しいだろう。それにいたずらであれば社寺の石造物に限らないで、石のあるところどこでもいいはずだ。

 (3)子供いたずら説の根拠は草搗き遊びだと思われる。ヨモギなどの草を盃状穴などの窪みでトントン搗いて遊ぶことはどこでも行われていたようだ。子供たちが寄って小石でトントン搗いていれば、それを見た大人は穴を穿っていたという風に見たとしてもおかしくない。

 帝釈天参道入り口の盃状穴が民家の近くにあったとしてもそれが子供のいたずらという理由にはならない。盃状穴が社寺の石造物に多いというのはやはり祈りの一形態として民衆の間に存在した民俗的習慣だろう。それだからこそ街中でコツコツ穿っている姿は誰にでも認知されていたと思われる。
 八木の船枝で盃状穴を穿つ習慣が存在したとして、参道の入り口に存在し、本堂付近に存在しないのはどうしてだろう。
 想像するしかないのだが、盃状穴を穿つには時間も労力もかかるので当時の多忙な人々が遠い本堂まで通って穿つことは困難だろうと思うのである。要するに手近で間に合わせたということではないだろうか。
 もうひとつ、盃状穴はお産を控えた女性が安産の祈りを込めたものではないかと考えている。もともと盃状穴は性穴と見なされており、韓国、ヨーロッパなどで男子出産や子供の健康などを祈るものとしての報告もある。(盃状穴考)
そういう視点で京都帝釈天参道の盃状穴を見る場合、妊婦は麓の石灯籠で祈ることは出来ても高くて遠い本堂に通うことは出来なかったのではないかとも考えられる。
ところが参道のちょうど中間にある薬師堂は安産のに御利益があるとされているようだが、ここには盃状穴は見つからない。つづくP1040486



参道の中程にある薬師堂、安産に御利益があると言われ、お礼参りのお供えも見受けられるが、残念ながら盃状穴は見当たらない。

【今日のじょん】連日の暑さでじょんも参っているが、庭の花や芝も参っている。芝は直接谷の水を常時流しているが、その周囲だけが緑になっている。13日のことだがレンズ雲が現れた。荒天の兆しというのだが、今日も雨は降らない。
P1040623P1040618



連日給水の芝生広場、レンズ雲の群れが現れた。
【晴徨雨読】228日目 (2007.5.12) 倉敷~高梁 
二日酔いで倉敷の街を彷徨する。おしゃれな景観保存地区の中に倉敷考古館がある。建物は江戸時代の米倉だそうで、これだけでも歴史的価値がありそうだ。展示物は石器、土器、埴輪と時代別に所狭しと並べられており、説明文など手書きでなんともアットホームだ。聞けばここは民間の博物館で、公の補助など一切無いそうだ。展示物は公の博物館に負けないものも沢山あり、どの階も必見に値する。
倉敷で一押しのスポットだ。Img_5405
Img_5395



後日じょんのび村で発見された土師器の一部が甑の取っ手であることがこの写真で解った。  

 

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上林の盃状穴(24) 番外編 6/13

2013-06-14 | 歴史・民俗

2013.6.13(木)快晴 上林の盃状穴(23)は2013.6.7

 雨水が地輪に穴を穿ったと仮定して、それが大小不均一になる理由としてもう一つ考えられることは、石灯籠自体が傾いていて、水滴の量が一方に偏ったということが考えられる。特に今回の場合参道に向かって左側が大きく、右に行くほど小さく不鮮明になっている場合、左に傾いていたらそうなるのではと考えてしまう。
 一見当然のような考え方なのだが、その場合灯籠の円柱部分、これを竿(さお)と呼ぶそうであるが、左の穴が竿から離れ、右側が竿にくっついて穿たれるはずである。
 京都帝釈天の石灯籠の場合、竿の周囲に均一に穿たれており石灯籠が傾いて不均一な大きさの穴が開いたとは考えられない。
 このように現地に行けないものだから様々な想像を巡らせているのだが、雨水により穴が作られたとは考えられなくなってきた。それは単純な理由である。もし雨水によって地輪に穴が出来るということがあるならば、今までに見てきた多くの石灯籠にもその痕跡は見られるはずだからである。石灯籠の地輪部分は特に注意して観察しているので見落とすことはあり得ないのだが、とにかく発見したのは今回が初めてなのである。
 というような情況で、やはりこの盃状穴は巷間言われている雨水によるものではなく、人為的に穿たれたものだろうと考える。ただし、雨水が落ちるかどうかの実験は次回訪問時に行ってみたい。P1040576



参道側から見た盃状穴、この辺りが最も不鮮明。

2.なぜ、京都帝釈天に無くて、遠く離れた参道の入り口に存在するのか?
 まだ盃状穴に対する調査件数が少なくて一概に言えないのだが、現在言えることは盃状穴は街中の施設に多いということだ。解りやすく言えば民家の近くの神社等ということになる。
 これは近世に穿たれたいわゆる二義的盃状穴といわれるものに関して言えることだが、文献に現れる盃状穴も同様の傾向があるようだ。
 このことは「子供のいたずら説」のひとつの根拠となるかもしれない。
「子供いたずら説」は一般に言われる盃状穴の成因理由として最も多いもので、その存在をご存じの神職、住職などのほとんどがこの説を信じておられる。
今回の京都帝釈天の盃状穴が初めての雨水説であった。つづく

【作業日誌 6/13】
ドッグランどネット底部処理、デッキ手すり作成

【今日のじょん】最近のじょんの楽しみは、仕事終了後のウッドデッキでのビヤガーデン。といってもじょんがビール飲むわけでなく、少々の竹輪をもらうだけなんだが、結構嬉しいみたい。要するに人間どもがビール飲んで楽しんでいるのだが、この時間谷からの涼風があり、次々と咲く花や育ってくる樹々を眺めて飲むビールは格別である。P1040619



じょんは竹輪が好きなんだな。

【晴徨雨読】227日目(2007.5.11)高松~倉敷
高松城には多くのサヌカイトが使われている。佐賀県のカンカン石に始まって中国四国で沢山の伝説に残るサヌカイトにあってきた。なぜか親しみを感じ、破片を拾ってきた。玉野では玉比咩神社の立石に驚く。瀬戸内は磐座の宝庫と言ったところだが当時は関心も無く通り過ぎてしまった。Img_5351
   



石垣に無造作に使われているサヌカイト
Img_5367



この磐座は何かあるぞ。

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ドッグランど奮戦記(6) 6/12

2013-06-12 | 日記・エッセイ・コラム

2013.6.12(水)晴れ ドッグランど奮戦記(5)は2013.5.30

 気象庁が梅雨入り宣言したとたんに晴天が続き、稲作農家は水不足でえらいことになっている。高をくくっていたじょんのびの樹木や草花も朝夕の水やりが日課となっている。大丈夫そうに見えた芝たちも妙に枯れて茶色く、あやしげになってきた。今日から常時給水を始めている。
 ドッグランどもあやべっ知やタウンタウンに紹介されててんやわんやの状態が続いたが、この暑さで来じょんがなく正直ほっとしている。とにかく未完成でワンコがどこからでも飛び出すことが難点だ。なにかと計画はあるんだけど、とりあえずワンコが飛び出さないように無粋なネットを張ることにする。
 裾の部分を残して今日までに張り終えて、デッキの未完部分もなんとか他の柵などで押さえてちょっと一安心。ネットの裾の部分は未だに方針が決まらない。ここの部分は草刈りが必要なのだ。ナイロンのネットでは今までにどれだけソーチップで破ったことか。固定しないで、持ち上げられるようにするか、草刈りをナイロンコードにするか何かと迷っているところである。

当初のドタバタで完全に写真も撮れていないし、お名前なども聞けていないのだがご紹介しておこう。

8日(土)の来じょん犬
P1040589

ハナちゃん、リリーちゃん9才、ラムちゃん6才

フレンチブルドッグのハイジちゃん5才も写真撮るからねっと言って厨房に入ったらもう出られなくって、その後のわんこたちもゴメンナサイ。また来てください、必ず紹介するから。

9日(日)の来じょん犬
アメリカンコッカーのスパイク、ピッチ、フリーくんっ遠くからようこそ。ピッチのボールだったっけ、谷から出てきました。保管しておきますのでまた来てください。P1040595
P1040616



その後ミルクちゃんクッキーちゃんやったっけ、間違ったらゴメンナサイ。
P1040597



10日(月)の来じょん犬
 柴のコテツくん、お父さんがべったりなんだって、男前ですな~。
P1040605



犬生イロイロ、会社もイロイロ、じょんのびに来るわんこたちはきっと幸せもんだぞ。

【今日のじょん】出る幕無し。

【晴徨雨読】226日目(2007.5.10)美馬~高松
吉野川から瀬戸内側に越える山脈は、四国の脊梁山脈ではなく前衛の山脈と言えるだろうが、予想以上に山深い。高所集落が多い四国の山々の中でこの地域も充分な高所集落がある。心細くなるほどに誰も通らない峠道を、嫌と言うほど上ったらそこにマチュピチュのように集落が開ける。なんとも不思議な世界だ。Img_5318
Img_5324
  



山上の小学校、まだまだ序の口。相栗峠手前の集落。 
 

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じょんのびアラカルト ’13.6

2013-06-11 | 日記・エッセイ・コラム

2013.6.11(火)曇り

 3日間お休みをいただいた。繁忙といえば繁忙なんだが、とにかくパソコンの前に座ったら強烈な睡魔に襲われることだ。今日はこのまま寝てしまおうとなると、ずんずん書かなきゃいけない記事が溜まってくる。3日前の記事を書くとなるとこれはストレスである、こんなストレスで身体壊していたら何のこっちゃわからない。というわけでストレスの溜まりそうな記事の書き溜めはやめることにした。雨読も盃状穴も書きかけなんだが、じょんのびの様子をお知らせすることも大切なので久々にじょんのびアラカルトをご紹介する。

(1)開店5周年記念
 6月1日はじょんのび開店5周年となる。例年の通りコーヒーチケットの割引など行ったが、今年は特にドッグランどのオープンと重なったので、情報紙などで紹介していただいた。これが功を奏して連日ワンコ連れのお客様が来じょんされ、大わらわとなっている。P1040607

 


牧野さんから届いたお祝いの花。

 それは予定通りにドッグランの整備が進まず、未だ柵が出来ていないからだ。とりあえずでも柵を作り上げようと、ネットを張り終えたのが今日である。まだネットの底部の固定とデッキの柵2個所が未完成だが、あと2日ぐらいで何とかできそうである。犬を走らせてあげようと来られたお客様、申し訳ない。次は大丈夫。P1040612




とりあえず周囲のネット張り終了。

(2)収穫の夏
 タマネギもジャガイモも既に試食をしていたのだが、本日すべて収穫する。
タマネギは赤白とも上出来、初めて大きな玉が収穫できた。中尾さんの苗が良かったのもあるが、2月の追肥が効いたのかとも思われる。
 逆にジャガイモは、従来の使い回しの種芋がよろしくないかと、新たに種芋を購入したのだが、収量が少ない。いろんな人が芋が小さいと言っておられるので、気候の加減かなとも思うが、連作、施肥、芽かきの具合などが悪かったかなと思っている。秋の収穫分には気合いを入れてやってみよう。
 夏野菜は順調で、明日辺りキュウリが収穫できそう
P1040611



収穫は嬉しいけれど、できが悪いとがっかりする。特に芋類は掘ってみないと解らない。

(3)妙な蜂の巣
 一昨年だか、木小屋の付近に異常にスズメバチが多く、蜂激取れという誘引剤をつるして、数十匹を捕獲した。昨年はさほど多くなくて、駆除が効いたのかなと思っていたら、先日木小屋の天井に妙なものを発見した。
 とっくりを逆さにした形で、何とも言いがたい芸術的な模様がついている。
 トックリバチという土バチの一種かなあと思っていたのだが、気になるのでネットで調べてみると、なんとまあコガタスズメバチの初期の巣だって。働き蜂をいくらやっつけても、女王蜂が生き残ってたんじゃどうしようもない。
 この巣は女王蜂が一匹で作り上げ、やがて働き蜂が150~200匹生まれるとの情報だ。働き蜂が生まれると彼らが例の球形の巣に作り上げるそうだ。やっつけるなら今しかない、だけど巣には女王蜂がいるそうだ、それに場所もやりにくいところだ。うーむ困った。P1040610



最も取りにくいところに作るのは蜂の知恵だろうか。


(4)来じょん犬特集
 来じょんされたワンコを写真に撮って紹介してあげようと意気込んでいたが、一気に来られては、とても写真を撮ってる暇が無い。写真に撮ってもどこの誰だか憶えてられない。というわけで来じょん名簿を作ることにした。要するに自分で記入してもらうわけだ。
 あと犬種の図鑑も必要だねえ、いろんな種類のワンコが来るわけだから、、。
 今日までの写真は明日公開予定。写真撮れなかった方、名前忘れた方ゴメンナサイ。

【今日のじょん】ドッグランどが出来て生活のリズムが一番変わったのはじょんである。とにかく大好きなわんこが次々と来るんだから、興奮しまくり。朝夕はそこいら中臭いを嗅いで大忙し、ポンポコ練習も気が散るばかりでまるでだめ。
 そのうち慣れっこになって、マック隊長のようにどっしりしてくれればいいのだが。P1040601


 
余裕があれば一緒に遊べる。

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上林の盃状穴(23) 番外編 6/7

2013-06-09 | 歴史・民俗

2013.6.7(金)晴れ 

考察(1) 
 京都帝釈天の盃状穴についてこの時点での考察をしておきたい。もちろん今後も調査や聞き取りをして確かめたい事柄は数多くあり、その結果によって考察した事柄も変化するわけだが、その変化こそが歴史や民俗を探究する醍醐味であると思っている。従って歴史や民俗学に結論や結果はあり得ないものである。重要なのは、限りなく結論に至る、その道程なのである。

1.参道入り口、石灯籠の地輪に見られる穴は盃状穴だろうか。
 二義的盃状穴と思われるのだが、即断できない情況である。
 最大のものは屋敷側で直径約8cm、その付近には盃状穴らしき形状のものがいくつかあるが、道路側に至ってはかなり掘りが浅く不鮮明なものが多い。従って正確な個数を把握するのが難しいが、一応19個が数えられる。
 石灯籠の材質は確かなことは言えないが、砂岩のように思われる。石段などによく見られる凝灰岩質のものよりは硬いようだ。
 一般に言われるように雨だれの痕という説には疑問を感じる。笠の部分が地輪よりも大きく、雨だれは地輪よりも外に落ちると考えられるからだ。
P1040504

笠の縁から水滴が落ちれば地輪の上には垂れることはない。


 ただ笠と地輪が現在と別のものであって、傷んだために取り替えられたということがあれば話は別である。目視する限り、石灯籠の各パーツは同様の石材で作られており、経年の様子も同様で途中で取り替えられた様子は無い。
 しかし石灯籠の写真を何度も見ている内に、雨だれが笠の縁から垂れるとは限らないのではという考えも出てきた。家の屋根などは雨水が壁面の方に入ってこないように何かと工夫してある。ところが石灯籠ではそんな気遣いは不要で、何の細工もなさそうだ。つまり笠の縁から水平に石が切ってあるだけだ。これだと雨水は笠の縁から直接落下するよりも少し内側から落ちるのではないだろうか。だとすると、この地輪の穴は言われているように雨だれの痕かもしれない。
河牟奈備神社の鳥居台石の見事な穴が、実は雨だれ痕であったことが思い出される。(2013.1.27参照)
 石灯籠の管理者西村さんが笠と地輪の大きさの相違を納得してくれなかったらその場で水をかけて実験してみようと思っていた。いずれにしても次回実際に水をかけて実験してみたい、そうしないと先に進まないからだ。

 つぎに穴の大きさがまちまちであることについて考えてみたい。
 当初まちまちであるから盃状穴だという風に考えていた。雨だれ痕なら均一の形状になると考えたからだ。ところが石灯籠の上に民家や小屋の屋根の庇があったらどうだろう。現実に今では西村家の屋根が上部にある。樋があるのでほとんど雨はかからない状態になっているが、過去には屋根は麦わら屋根か板屋根で樋は無いだろう。そしてその屋根の庇から落ちる水が、石灯籠の真ん中ではなくて、参道に向かって左側に落ちていたとすると、左側に落ちるあまだれは断然多いものとなり、大きな穴を穿つ結果となるだろう。P1040574

参道に向かって左側は大きな径の穴となっている。

P1040573
参道に向かって右側は小さく浅く不鮮明なものが多い。

 雨だれが石に穴を開ける年数というのはどのようなものだろう。数十年で開くのか、数百年かかるのか、これは調べようが無い。
 案外短い期間で開くのではないかと思っている。例えば河牟奈備神社の鳥居の穴を考えてみよう。神社は古いものだが創建時から鳥居があったとは思えない。鳥居自体は人工のものだから、移転や取り替えがあっただろうし、極小さな一点に水滴を落とすことが出来る年数はそう長くはないと思うのである。つづく

【晴徨雨読】225日目(2007.5.9)大歩危~美馬
西祖谷山村鉾神社にある鋳掛屋から取り返した銅鐸、吉野川の甌穴、池田町の庚申塔、三加茂町木地屋文書など妙なものばかり見てきた。すべて本文に写真掲載しているので省略するが、掲載していない面白い写真を紹介しよう。
Img_5275


池田町庚申塔の付近
Img_5305
  
三加茂町歴史資料館の外に無造作に置かれていた磐座。
館内説明では弥生時代祭祀跡と言われている。矢筈岳、桟敷峠というのも気になる。



Img_5292

 

三加茂町歴史資料館にあった羽口の資料、南面の山には銅山があり、引地地名がある。




【作業日誌 6/7】ドッグランど、柵作り

【今日のじょん】健康診断のため早起きして散歩に行くと、空気が違うが、景色も違う。じょんが気にしているのは子供たちの登校だ。毎朝7時にスタートしているようだ。こちとらまだ寝てるぞ。上林小学校の徒歩通学としては一番遠い地区である。P1040586




※6月8,9、10日は繁忙のため記事の掲載をお休みします。

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上林の盃状穴(22) 番外編 6/6

2013-06-07 | 歴史・民俗

2013.6.6(木)晴れ

 京都帝釈天登り口にある石灯籠の穴については、盃状穴であることは間違いないと思われるので、今回は大きさや個数などを調査するとともに、聞き取りなど出来たらというぐらいに思ってきた。参道入り口とはいえ、個人の家の敷地内にあるので、気兼ねしながら測っていると、その家のご主人が帰ってこられた。
「珍しいものがあるので見せてもらってます」
「ああ、よく見に来られて紙に写し取って帰られたりしますよ」
「それは石柱の方でしょ、そちらではなくて石灯籠の台にある穴のことなんですけど、、」
「えっそれは雨だれの作った穴ですよ」
 西村さんとおっしゃるこのご主人は、聡明な方だった。怪訝そうにしているわたしの顔を見て、「雨だれの落ちる場所じゃないねえ、それに穴の大きさがまちまちじゃ」
P1040575

 
皆が見に来るのは向こう側の石柱らしい。

P1040574
わたしの興味はこの盃状穴。


 鋭い観察眼である。「そうなんですよ、これは盃状穴というもののようです」と説明すると納得された様子で、この石灯籠のいきさつなどお話いただく。
 この石灯籠は西村家で世話をされていて、昔は夜になるとろうそくを点けていたそうだ。やがて電気を点けるようになって、今ではその電気も灯らなくなっているそうだ。
「子供が草搗き遊びなどしていたことはありませんか」と聞いたが、記憶には無いそうだ。女の子ならしていたかもしれないのだが。
 ロクロヶ谷のことも聞いたら、知っておられた。ロクロヶ谷は帝釈天登り口から桂川を500mほど遡ったところにある新庄発電所から千谷(せんたに)峠に向かう谷の支流だということだ。
「木地屋といって木の椀を作っていたと思われる谷なんですけど、移動しながら生活していたので何も残っていないと思います」
「土が無くなったら移動するわけか」
なるほど一般的にはロクロと言えば茶碗を成形する道具である。
「ロクロと言っても茶碗ではなく、木でお椀を作るのです、木が無くなれば移動するのです」
P1040579
ロクロヶ谷は新庄発電所の右手の道を入って行く。

「ところで、帝釈天に奉納してある鉄の塊はいったいなんでしょう」と先ほど撮った写真を見せて聞いてみる。
「いつのものだかなんだか解らないけど、空襲の際の爆弾の破片というはなしもあるようだが」
 なるほど、爆弾の破片なら納得できる。それにしてもあんなに分厚いものなのだろうか、この辺りで空襲はあったのだろうかなどと疑問も湧いてくる。
「爆弾の破片を奉納するというのも解らないではないですが、鎖で厳重に留めてあるというのはどういうことでしょうねえ」P1040559

この厚さの爆弾なら相当大きいものだろう。

 「よく解らないけど、福寿寺の住職なら歴史のことをよくご存じだし、書いたものもあるかもしれないよ」と教えていただいた。
 これは幸いと思ったのだが、あいにく時間が足りない、日を改めて訪問することにする。つづく

【晴徨雨読】224日目(2007.5.8)大豊町~大歩危
大歩危は高校生一人旅の時に訪れている。高知から電車で訪れ、また電車で帰っている。これが妙な旅で大歩危の景色のことなど何も憶えていないのだ。憶えているのはホームのベンチで寝っ転がって電車を待っているとおまわりさんが来て、「こんなところで野宿してもらったら困る」というのだ。こちとらそんな気はさらさら無く電車を待っているだけなんだが、そんな職務質問されるんだから相当遅い時間なんだろう。そして高知城を訪れて、足摺岬に行っている。高知に泊まった記憶は無いのだ。いったいどこで夜を明かしたのだろう。
 最も今回の旅はしっかりしたもので祖谷渓を始めいろんな所を巡っている。Img_5184


高知の高地性集落は半端じゃない。

Img_5210

祖谷渓に向かう平家屋敷はどうやら本物らしい。



【作業日誌 6/6】
ドッグランどネット張り、支柱立て

【今日のじょん】ドッグランどプレオープンしてから、臭い嗅ぎで大変。
「そんなもんいちいち嗅いでたらこれからきりがないで」P1040581

   
 
 

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上林の盃状穴(21) 番外編 6/5

2013-06-06 | 歴史・民俗

2013.6.5(水)快晴 京都帝釈天(南丹市)

 境内の盃状穴を探しながら、前回訪問の際解らなかった謎の物体を再度観察する。その物体は本堂の右手の側壁の中程にある灯明の棚と思われるところに置いてある。ご丁寧に鎖で壁に固定してあるので、大切なもの、貴重なものと思われるが、どう見てもガラクタなのである。P1040562

こういう感じで鎮座してござる。
 



P1040557

測ってみるとこのとおり。

P1040558



剥離した部分もあり、錆が発生し、どうやら鉄のようだ。

 今回はスケールも用意したので大きさを測るが、長さが20cmあまりの円筒状の物体の一部のようである。裏面はどうかと触ってみるとずっしりと重く、底の部分には錆が発生している。石造物かと思っていたが、これは明らかに鉄である。薄く剥がれた板状の破片もあり、こちらはかなり腐食している。裏面は予想通り筒状になっており、大筒(大砲)のような鉄製品の破片のようにも思える。
本堂裏手の同様の棚には奉納された猿の人形などが飾られており、この鉄塊も奉納されたもののようだ。奉納者の氏名が書かれていたと思われる木板が上部にあるのだが、字が消えていて判読できない。
P1040569P1040563



奉納された猿の人形と、庚申の酒の案内板。

 この鉄塊の向かい側に社があり、石灯籠が立っている。このあたりにも盃状穴が無かろうかと後ろに回ってみると、庚申の酒という看板がある。申年の申の日に壺に入れた酒を地中に埋め、12年後の申年、申の日に取り出して?むという庚申信仰の名残だという。平成16年に取り出されて振る舞われたということだが、新たなものが埋まっているかは解らない。これ以上探索しても新たな発見はなさそうなので、山を下りる。つづく

【晴徨雨読】223日目(2007.5.7)高知市~大豊町
 GWも荒天も過ぎ去りやっと自転車に乗れる、そのことがとても嬉しい。自転車でなければ絶対に訪れないだろう旧関川家住宅などに立ち寄る。大豊町では昨年秋本栖湖から下部に向かう峠で出会った女性に紹介された緑の時計台という廃校の宿舎に泊まる(2006.11.27参照)。ここは民間なので四万十町の森の巣箱のような設備は整っていないが、良い宿である。
Img_5154

おしゃれでしょ。

 大豊町の「昭和レトロお宝屋敷おおとよ」も自転車ならではで偶然見つけたスポットなのだが、下手な資料館よりよっぽど面白い所だった。
Img_5166



かわとーに似たヘンなおじさんがレトロ館のおやじ。

【今日のじょん】ミルクちゃんにぶっ倒されたつなぎ棒を補修する。下部に岩盤があって掘り進められない。マック隊長なんか来たら、また倒されそうだがそのときまた考えよう。とにかくじょんでは試しようが無いのだ。P1040585
   
 

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上林の盃状穴(20) 番外編 6/4

2013-06-05 | 歴史・民俗

2013.6.4(火)快晴 上林の盃状穴(19)は2013.5.27

 前回京都帝釈天(南丹市八木町船枝)を訪れ、盃状穴らしきものを発見したのだが、用具が無くて詳しく調べることが出来なかった。今日はまたしても快晴の日となり、再度登って確かめることとした。盃状穴調査三種の神器(携帯バケツ、スケール、ブラシ)を忘れずに持って、できる限り聞き取りもする覚悟で登り始める。
 ほとんど舗装されているので車でも登れそうだが、なにかとウオッチングしながら行きたいので、徒歩で登る。2回目だからかあっと言う間に帝釈天の石段下に着く。ここには前回土にまみれて確認できなかった盃状穴候補がある。
 佐手に手水鉢があるのでひしゃくで水を汲んで穴の周囲を洗浄するが間に合わない。用意したバケツで汲んでザブザブと洗う。濁った水が澄んでくると穴が全容を表す。
P1040554
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石段下の左方の石盤に穴がある。苔と土を落とすと円形かと思っていたのが実は径3cmあまりの四角形であることが解る。底部は水洗いしないと様子が分からない。

 丸い穴だと思っていたのが、実は四角だった。そして穴の中にでべそのようにある膨らみが、実は小石が穴の中に挟まっているようだ。明らかに穴のある石材とは違う色をしている。木ぎれで石をこじ出そうとするが、びくともしない。マイナスドライバーでもなければ取り出せない。次回から四種の神器としよう。盃状穴であれば石がはまり込むということはない、なにしろ盃状なのだからすぐに取り出せる。
P1040555
P1040571



水洗いすると底がどうなっているか解ってくる。どうやら小石が挟まっているようだ。となりに古い台座があり四角の穴があいている、どうやらこの類いらしい。

 ということで石段下の穴は盃状穴ではなかった。では、何かというとすぐそばにヒントがあった。現在は石灯籠になっているが、かつては木の柄が立ててあって提灯でもぶら下げてあったのだろうか四角い穴の残った台石が残されている。おそらくこういった工作物の痕跡のようだ。
 本堂の周囲や社務所の周囲など再度石造物を中心に観察するが盃状穴らしきものは見当たらなかった。本堂周辺には盃状穴は無いものと結論づけていいだろう。本堂の後ろに奥の院への登り口がある、こちらにはどのような建物があるのか解らないが、未だ訪問していないので解らない。つづく

【晴徨雨読】222日目(2007.5.6)高知滞在

連休も明けたので出発しようと思ったら、朝から猛烈な雨である。高知市も飽きたのだがやむなく連泊することにして、バスで県立歴史民俗資料館などに行く。県立の立派な施設だが中身はつまらないものだった。高知に戻り、くろしお鉄道で温泉に行く。電車、バスの旅が時間的にも経費の面でもいかに非効率か、逆に言えば自転車の旅がいかに効率的であるかをつくづく思い知らされた1日であった。Img_5130

県立歴史民俗資料館の内部の写真は撮影禁止だったのだろうか一枚も無い。内容的にも面白くなかったからだろうか。写真は四万十川上流域の古民家を移築したもの。




【今日のじょん】昨日のことだが、コロ助が来じょんした。子犬だけに妙に元気で、また妙に人なつっこい。まあ、じょんには無い性格だが、犬って成長が早いなあ。
P1040549



マーブルの時もそうだったんだが、帰ろうとすると嫌がるのである。ドッグランどが楽しくて帰るのが嫌なのか、それとも何か他のことをうったえているのか解らないが、、、。P1040551

  

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雨読 秋山記行 6/3

2013-06-04 | 雨読

2013.6.3(月)快晴

 中尾さんにお借りした秋山シリーズの一冊である。「北越雪譜」の鈴木牧之の自筆の草稿を現代人にも読みやすくして発行された平凡社の東洋文庫の一つである。他に「菅江真澄遊覧記」なども読んでいるところだが、実にうまく編集されており、読みやすく親しみやすくて気に入っている。特に歴史や民俗を学ぼう、調べようとしている者にとっては現代の学者によって書かれた書物を読むよりも、中世、近世に実際に自分の目で見て書かれている紀行文などが、百聞は一見にしかずの諺どおり直接的に理解できて面白い。難点は古文が理解しにくいというところだが、この東洋文庫は注釈なども充実していて、解りやすい。
P1040580

 



最近忘れっぽくなってきたので、気になる個所にはポストイットを貼ることにしている。この数が多いほど面白い本ということだ。


 「秋山記行・夜職草」鈴木牧之 平凡社東洋文庫 1985年6月初版第11刷 借本
 秋山郷に関する本をいくつか読んだが、本書がかつての秋山郷について最もよく理解できる。それは現実に見聞きしたことが書かれているので当然である。
 牧之が旅した頃(文政期)の秋山郷についていくつかの事柄を紹介して雨読の稿を濁したい。
 御器について
 御器、五器については雨読「秋山物語」(2013.5.22)の中で既に書いたところであるが本書を読み終わると少し様子が変わってきた。新しいことが解ったということだが、何かに注目して読書するということは興味深いことである。
 御器とはいわゆる椀のことだが、本書に次のように書かれている。

 
椀・親椀をてヽと云い、次ぎを小しる椀と云ふ。祝儀などに酒を右の椀にて?、盃などは更になし。

 つまり牧之が訪れた時の秋山では御器とは言っていないのだ。
 ところが同じく本書の後半に秋山言葉の類という一項があった。

一、火口(ほくち)を、ほっちと唱(となう)。茶碗を、石五器と云ふ所もあり。

 これはどのように考えればいいのだろうか。つづく

【晴徨雨読】221日目(2007.5.5)高知市滞在
高知城や城下町を訪れる。GWまっただ中ということでもの凄い人出だ。軽そうなツアー客がほとんどでどっちらけというところだ。高知城は改修の最中で石垣を解体しており、石垣に関する勉強の出来る絶好のチャンスだ。熊本城、松江城、大洲城など巡ってきた後だけに、それなりの基礎知識もあり、ためになる見学だった。

Img_5065


 

野面(のづら)積みというのは華麗さはないが素朴で単純、質実剛健という感がして最も好きな石積みだ。

 高知城はそれより40年ほど前に訪れている。高校生の一人旅だったのだが、当時としては珍しかったのだろうか、年上のお兄さんお姉さんによく声をかけられた。
高知城では渡部さんという女子大生のお姉さんに声をかけられ、一緒に城内を廻った。なんとなく胸のときめく想いであったが、今回の旅ではこのような想いは一度も無かった。歳はとりたくないものだ。

【作業日誌 6/3】
ドッグランど、用材ペンキ塗り

【今日のじょん】赤の他犬
じょんの妹か、はたまた姪かとドキドキする2日間だったが、ミルクちゃんの元里親団体さんに問い合わせると、四国の生まれとかで、赤の他人ならず赤の他犬であった。それにしてもよく似ていたなあ、昨日は書いてないのだが、おしりの毛のはえ具合などじょんと一緒なのだ。送ってもらった子犬の時の写真などそっくりである。結果はちょっぴり残念だったけど、今日に至る境遇も似かよっており、ミルクちゃんも良い方のお家で幸せに暮らせて良かった。Photo

 


左がミルクちゃんだが、フーゴ君の方がくるみちゃんに似ているなあ。

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ドッグランど稼働 6/2

2013-06-02 | 日記・エッセイ・コラム

2013.6.2(日)曇り

 ドッグランど奮戦記でもお知らせしているが、ドッグランどは6月1日の予定日になっても未完成である。とにかく柵が完成していないので、ドッグがランできない。これは致命的である。
 ところが広報宣伝の方は1日の「あやべっ知」に完成をにおわす記事が載り、8日のタウンタウンにも同様の記事が掲載予定である。
 いずれも記事として無料で掲載していただいているので、貧乏店主としては大変ありがたいことなんだが、初めてのお客様にはすこぶるプレッシャーを感じてしまう。「なんや出来てへんやんか」「これだけのもんかいな」などと思われていないだろうかと小心者としては思ってしまうのだ。
 ところが今日来られたお客様は本当にうれしいお客様で、何かと参考になることもあったし、ドッグランどスタートにふさわしいご家族であった。
 何がうれしいかって、じょんと同様でレスキューの団体から分けてもらったという素性の犬だからである。こんな方なら大切に家族として飼ってもらえると思うからである。
 その子は一歳半のお嬢でミルクちゃんというのだが、実はよくよく見ると、手の足袋の紋はじょんやマーブルと同様だし、耳から首にかけての毛の様子はくるみちゃんにそっくりである。顔はじょんに似ている感じだが、尻尾や手の後ろ側の毛の生え具合(プレスリーと呼んでいたのだが、、)はくるみちゃんにそっくりなのである。
 聞けば大阪の某レスキュー団体からきたという、こりゃあひょっとしたら信太山のレンの子供じゃないかと気になり始めた。P1040543



くるみちゃんに似てないかい。

 じょん、マーブル、くるみちゃんの元里親H利さんに電話してみたが、信太の会は解散されて解らないとのこと、ミルクちゃんの来た団体にも問い合わせているところだが今のところ解らない。
 身体の形質だけでなく、ベランダに上がるのも怖がって居る様子や人は怖がるくせに犬同士は大好きなところもじょんにそっくりなんだけど、、、。

 もしミルクちゃんがじょんの兄妹か親戚だったら、これはロマンだぜ。
P1040540



人は怖いけど犬同士は仲がいい。

 【晴徨雨読】220日目(2007.5.4)十和田町~高知
この日のタイトルは「満室騒動」としている。ゴールデンウィークでどこにも泊まれないのだ。こういう日は本当に憂鬱である。テントは持っているのでどこでも泊まれるのだが、天気が荒れるという予報なのでつらい。あきらめた頃に猫の病院に急ぐ森の巣箱のスタッフの奥さんにばったり合う。宿直室は明いてるからとまるとこ無かったらかえっておいでと言われる。涙が出るほどうれしかったが、既に相当走っていたので戻るのもつらい。そうこうしているうちに高知市内のビジネスホテルがとれて、ゴールデンウィークの間逗留することになる。Img_5052



この日は写真を撮る余裕もない、5枚の内仁淀川。
【今日のじょん】本文に登場のためお休み。   

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カフェじょんのび5周年 6/1

2013-06-01 | 日記・エッセイ・コラム

2013.6.1(土)曇り

 じょんのびだより
 皆様のおかげを持ちまして
開店5周年を迎えることができました。

近日中にドッグカフェ&ドッグランどもOPENの予定です。
これからも末永くご愛顧お引き立てのほどよろしくお願いいたします。

 

5周年感謝サービス

☆コーヒーチケット11枚綴り
4,000円→3,500円(ホット、アイス共通)
6月10日まで

☆ドッグランどとりあえず完成記念
連日先着3名様ワンドリンクサービス
犬連れの方に限る、一回限り。
6月17日まで

 
いやはや月日のたつのは早いもので、おっかなびっくりでカフェじょんのびをオープンし、5年もたつのかと感慨深くなる。また、それだけ歳とってるのかと思うとぞっとするものもある。有限だなんて思わなかった命が実はもう残り少なくなっていることに気づいたら、なにやら1日が愛おしくなってきた。早く明日が来ないかななんて思わなくて、今日一日がどうだったかなと思うようになった。
 
 60代以降のお客様が多いが、6年目に入り、残りの人生どう輝くかともに考える店ってのはどうだろう。こんな喫茶店はどこにも無いぞ。Img_0699



開店当時の店、違いが分かるかな?



 

 

 

 

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ドッグランど奮戦記(5) 5/30

2013-06-01 | DIY

2013.5.30(木)曇り

 次に植生である。元々ドッグランど予定地に生えていた木は二本の桐の木である。あまりに立派な桐の木なので、屋敷であった頃に娘さんでも居たのかと思っていたらつい近年にどこともなく種が飛んできて生えたものだそうだ。つまり実生の木ということだが、越してきたときにはすっかり大きくなっていたから、そこそこの年がたっていると思う。家を建てる際に切りましょうかという話もあったが、そのままにしておいて正解だった。花は咲かないが、葉が立派ですこぶるいい木陰が出来るのだ。木陰の中に繋ぎ場を作り、木の根元にベンチを作る予定である。
P1040518

 


正面奥に見えるのが桐2本、いい木陰が出来る。アーチの中に見えるのが5周年記念樹の紅千鳥(紅梅)


 柵の周囲に7,8本のコニファーを植えたのだが、雪と犬のオシッコでやられてしまって、残ったのは東側の3本である。1本はデッキの中に収まっている。小さな苗木ではあかんなあってことで、白糸濱植木市でそこそこのを2本買ってきてゲートの付近に植え付けた。さすがにバーゲン処分品と違って育ちがいい。
 じょんのび村5周年記念樹として、背丈ほどの紅千鳥という紅梅をドッグランど中央に植え付けた。もう少しほしいなあと思っていたら、一瀬さんと國松さんがどんどこといろんな種類の苗木を持ってきてくれて、ここ一ヶ月で植えまくって以下のとおりとなった。
 柵の外側、北から順に
 コニファー 2本
 ワレモコウ
 紫式部
 コニファー
 ○○桜(名前忘れた)
 ドウダンツツジ
 吉野ツツジ
 長寿桜3本
 吉野ツツジ
 谷ウツギ(白花)
 ノウゼンカズラ
 クチナシ
 コニファー2本
 藤
 
P1040529



柵の間にプロペラから育った紅葉を見つけた。縁あって飛んできたのだから育てよう。


 柵の内側、南から順に
 桐2本
 ヤマボウシ
 雪椿
 マンサク
 オオデマリ
 紅千鳥(紅梅)
 シマトネリコ(デッキ内)
 コニファー(デッキ内)
P1040528

 


小さい苗木が多いので、こんなにいっぱい木があるとは思えない。

これは地植えのもののみで、プランターなどもどっさりあるので大きくなったら楽しみである。

※5周年記念準備のため今日のじょんなど休みます。また5月31日の記事も休みます。あしからず。
 

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