晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の盃状穴(25) 番外編 6/14

2013-06-15 | 歴史・民俗

2013.6.14(火)晴れ時々曇り   京都帝釈天(南丹市八木町)の盃状穴

 一般に子供のいたずらと思われている盃状穴だが、わたしは子供のいたずらだとは思わない。
 (1)実際に穿ってみると、子供が短時間に穿てるものでないことが解る。なぜ短時間にこだわるかと言えば、いたずらであれば大人に見つからない間に仕上げなければならないからだ。
実験的に比較的柔らかそうな砂岩を選んで穿ってみたが、数時間かかってもうっすらと疵がつくぐらいで、荒掘りだけでもと思い鏨を使ってみたら石が割れてしまった。

 (2)子供のいたずらなら、見つかった場合に大人に叱られるだろう。従って誰にも見つかるおおっぴらな場所で穿つことは難しいだろう。それにいたずらであれば社寺の石造物に限らないで、石のあるところどこでもいいはずだ。

 (3)子供いたずら説の根拠は草搗き遊びだと思われる。ヨモギなどの草を盃状穴などの窪みでトントン搗いて遊ぶことはどこでも行われていたようだ。子供たちが寄って小石でトントン搗いていれば、それを見た大人は穴を穿っていたという風に見たとしてもおかしくない。

 帝釈天参道入り口の盃状穴が民家の近くにあったとしてもそれが子供のいたずらという理由にはならない。盃状穴が社寺の石造物に多いというのはやはり祈りの一形態として民衆の間に存在した民俗的習慣だろう。それだからこそ街中でコツコツ穿っている姿は誰にでも認知されていたと思われる。
 八木の船枝で盃状穴を穿つ習慣が存在したとして、参道の入り口に存在し、本堂付近に存在しないのはどうしてだろう。
 想像するしかないのだが、盃状穴を穿つには時間も労力もかかるので当時の多忙な人々が遠い本堂まで通って穿つことは困難だろうと思うのである。要するに手近で間に合わせたということではないだろうか。
 もうひとつ、盃状穴はお産を控えた女性が安産の祈りを込めたものではないかと考えている。もともと盃状穴は性穴と見なされており、韓国、ヨーロッパなどで男子出産や子供の健康などを祈るものとしての報告もある。(盃状穴考)
そういう視点で京都帝釈天参道の盃状穴を見る場合、妊婦は麓の石灯籠で祈ることは出来ても高くて遠い本堂に通うことは出来なかったのではないかとも考えられる。
ところが参道のちょうど中間にある薬師堂は安産のに御利益があるとされているようだが、ここには盃状穴は見つからない。つづくP1040486



参道の中程にある薬師堂、安産に御利益があると言われ、お礼参りのお供えも見受けられるが、残念ながら盃状穴は見当たらない。

【今日のじょん】連日の暑さでじょんも参っているが、庭の花や芝も参っている。芝は直接谷の水を常時流しているが、その周囲だけが緑になっている。13日のことだがレンズ雲が現れた。荒天の兆しというのだが、今日も雨は降らない。
P1040623P1040618



連日給水の芝生広場、レンズ雲の群れが現れた。
【晴徨雨読】228日目 (2007.5.12) 倉敷~高梁 
二日酔いで倉敷の街を彷徨する。おしゃれな景観保存地区の中に倉敷考古館がある。建物は江戸時代の米倉だそうで、これだけでも歴史的価値がありそうだ。展示物は石器、土器、埴輪と時代別に所狭しと並べられており、説明文など手書きでなんともアットホームだ。聞けばここは民間の博物館で、公の補助など一切無いそうだ。展示物は公の博物館に負けないものも沢山あり、どの階も必見に値する。
倉敷で一押しのスポットだ。Img_5405
Img_5395



後日じょんのび村で発見された土師器の一部が甑の取っ手であることがこの写真で解った。  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする