晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 秋山記行 6/3

2013-06-04 | 雨読

2013.6.3(月)快晴

 中尾さんにお借りした秋山シリーズの一冊である。「北越雪譜」の鈴木牧之の自筆の草稿を現代人にも読みやすくして発行された平凡社の東洋文庫の一つである。他に「菅江真澄遊覧記」なども読んでいるところだが、実にうまく編集されており、読みやすく親しみやすくて気に入っている。特に歴史や民俗を学ぼう、調べようとしている者にとっては現代の学者によって書かれた書物を読むよりも、中世、近世に実際に自分の目で見て書かれている紀行文などが、百聞は一見にしかずの諺どおり直接的に理解できて面白い。難点は古文が理解しにくいというところだが、この東洋文庫は注釈なども充実していて、解りやすい。
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最近忘れっぽくなってきたので、気になる個所にはポストイットを貼ることにしている。この数が多いほど面白い本ということだ。


 「秋山記行・夜職草」鈴木牧之 平凡社東洋文庫 1985年6月初版第11刷 借本
 秋山郷に関する本をいくつか読んだが、本書がかつての秋山郷について最もよく理解できる。それは現実に見聞きしたことが書かれているので当然である。
 牧之が旅した頃(文政期)の秋山郷についていくつかの事柄を紹介して雨読の稿を濁したい。
 御器について
 御器、五器については雨読「秋山物語」(2013.5.22)の中で既に書いたところであるが本書を読み終わると少し様子が変わってきた。新しいことが解ったということだが、何かに注目して読書するということは興味深いことである。
 御器とはいわゆる椀のことだが、本書に次のように書かれている。

 
椀・親椀をてヽと云い、次ぎを小しる椀と云ふ。祝儀などに酒を右の椀にて?、盃などは更になし。

 つまり牧之が訪れた時の秋山では御器とは言っていないのだ。
 ところが同じく本書の後半に秋山言葉の類という一項があった。

一、火口(ほくち)を、ほっちと唱(となう)。茶碗を、石五器と云ふ所もあり。

 これはどのように考えればいいのだろうか。つづく

【晴徨雨読】221日目(2007.5.5)高知市滞在
高知城や城下町を訪れる。GWまっただ中ということでもの凄い人出だ。軽そうなツアー客がほとんどでどっちらけというところだ。高知城は改修の最中で石垣を解体しており、石垣に関する勉強の出来る絶好のチャンスだ。熊本城、松江城、大洲城など巡ってきた後だけに、それなりの基礎知識もあり、ためになる見学だった。

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野面(のづら)積みというのは華麗さはないが素朴で単純、質実剛健という感がして最も好きな石積みだ。

 高知城はそれより40年ほど前に訪れている。高校生の一人旅だったのだが、当時としては珍しかったのだろうか、年上のお兄さんお姉さんによく声をかけられた。
高知城では渡部さんという女子大生のお姉さんに声をかけられ、一緒に城内を廻った。なんとなく胸のときめく想いであったが、今回の旅ではこのような想いは一度も無かった。歳はとりたくないものだ。

【作業日誌 6/3】
ドッグランど、用材ペンキ塗り

【今日のじょん】赤の他犬
じょんの妹か、はたまた姪かとドキドキする2日間だったが、ミルクちゃんの元里親団体さんに問い合わせると、四国の生まれとかで、赤の他人ならず赤の他犬であった。それにしてもよく似ていたなあ、昨日は書いてないのだが、おしりの毛のはえ具合などじょんと一緒なのだ。送ってもらった子犬の時の写真などそっくりである。結果はちょっぴり残念だったけど、今日に至る境遇も似かよっており、ミルクちゃんも良い方のお家で幸せに暮らせて良かった。Photo

 


左がミルクちゃんだが、フーゴ君の方がくるみちゃんに似ているなあ。

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