晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

棧敷ヶ岳 2/22

2013-02-23 | 地名・山名考

2013.2.22(金)曇

 棧敷ヶ岳(さじきがだけ 896m)は京都北山雲ヶ畑の奥に聳える山である。長岡京から雲ヶ畑岩屋橋までは週一回の自転車の練習コースだったし、その奥の山に登ってみたいと思っていた。30年ほど前に遂に登ることになったのだが、どういう機会でどういうメンバーと登ったのかよく憶えていない。憶えているのは尾根道に惟喬親王(これたかしんのう)が山上に棧敷を作り、都を懐かしく眺めた、などという伝説が看板に書かれていたことぐらいである。惟喬親王の皇位継承問題も木地師の祖なる伝説も知らなかった当時であるから特段気にもせず、親王の作らせた棧敷が山名の由来になっていることだけが記憶に残った。
 この山名由来は信頼できないが、「北山を歩く 2」(澤潔)に、明解な答えがあった。”サシ””サス”は焼畑(切畑)を意味する朝鮮古語で”キ”は場所、土地の意味、とある。つまりサシキ→サジキ→棧敷となり、焼畑地を意味するものだろう、ということである。
 まあ、古い頃なら焼畑がなされていても不思議ではないが、意外なところから別の説を見つけることができた。
 沖縄の東南、南城市の中城湾を囲んで佐敷(さしき)町がある。2007年2月にコザ(沖縄市)から久高島に向かうべくこの町を通り過ぎたのだが、特段目を引くような物も無く通り過ぎてしまった。
 佐敷(方言ではサシチとなる)は第一尚氏、尚巴志の出身地で、居城であった佐敷城があったところである。
 「地名の語源」(鏡味完二)によると”サシ・サーシ”は傾斜地を表すとある。もちろん上記の焼畑も表すのだが、古代朝鮮語としてあるのは城をサシとよぶ事のようだ。
澤先生、少しそそっかしいところがあるのではと以前に書いたことがあるが、どうもこの部分も読み損なっているのかも知れない。
 佐敷間切(間切・マジリは沖縄のかつての行政区で、現在の村・ソンにあたる)は実際に傾斜地(サガーラージ)であって、歴史的にも地滑り地帯である。
 佐敷町には今でも崩れ原の小字名が多くて、庫利原、山崩原、崩利下原などの地滑り地名がある。
 とまあ、これらは「地名を歩く」(南島地名研究センター)に記されている事なのだが、桟敷ヶ岳についてももし周辺が地滑り地形であったらこの説が正しいのではないだろうか。
 地すべり地形分布図を見ると岩屋不動西南面と棧敷ヶ岳西南面に周囲に比して随分大規模な地すべり地形が集中している。
 澤先生もこのようなデータがあれば、地すべり、傾斜地説をとったかもしれない。
遠く離れた沖縄でも地名の語源は共通するものが多くある。古代人の移動、文化の流れといったものを感じさせられる。

【作業日誌 2/22】
ウッドデッキ階段作り

【晴徨雨読】151日目(2007.2.22)伊平屋、前泊停滞
しっかり雨で連泊する。女将が分厚い「伊平屋村史」を貸してくれたので一日雨読する。小雨の間に港の資料館に行く。文化財に対する深刻な問題を告発するポスターが貼られていた。拡大して読んで頂きたい。Img_2665




問題の箇所。Img_2585 Img_2619




左:屋蔵墓の村民が知らない間に建てられていた石碑
右:クマヤ洞穴に勝手に作られた日本式の祭壇、天岩戸伝説の影響かもしれないが、沖縄の信仰とは縁もゆかりも無い。
石下墓(いしちゃばか)は訪問していない。


【今日のじょん】:今日の雪はこんなものてんで、じょんシャンを行う。実に昨年末以来のシャンプーである。かみさんの腰の調子とお天気とじょんの体調が合わないと出来ないので延び延びになっていた。シャンプー時に測るよっこらじょん体重測定は18.2Kg、合格。P1030945

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