晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 東海道書遊五十三次 2/18

2013-02-19 | 雨読

2013.2.18(月)雨

 読書家というのはよく本を読まれる方のことをいうのだろうが、読書を生業とする人は何というのだろう。著者の種村季弘(たねむらすえひろ)氏はきっと本を読んでその書評をするというのが生業だったと思うのである。過去形でいうのは2004年に亡くなっておられるからだ。こういった職業こそ読書家といってよいのではないか。

「東海道書遊五十三次」(種村季弘)朝日新聞社2006年3月20日第2刷(2001年12月1日第1刷) 古書P1030932

 



 氏が読書家(プロとしての)だろうと思ったのは、讀賣新聞、本よりうり堂に「書国探検記」という本の案内を見つけたからである。諸国が書国になっているところがらしいところで、書評では「誰もが話題にする本でなく、隠された名書を探したいなら、本書自体が名書であるこの一冊を薦めたい」とある。わたしは今すぐこの本を読んでみたいとは思わないが、ちくま学芸文庫から文庫で1,300円で発行されているのでご希望の方はどうぞ。
 どうやら種村氏はありきたりのものでなく、誰もが知らなかったマニアックな本を探してくるのが得意らしい。
 「東海道書遊五十三次」もそうである。書遊というのは書物漫遊のことだろうか、とにかく五十三次にまつわる珍本、奇本が続々と登場する。
 トップバッターは弥次喜多なんだが、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」ではないのだ。膝栗毛では面白くないのだと氏も書いておられる。ここで登場するのは大泉黒石「弥次郎兵衛喜多八」盛陽堂書店(大正八年)である。内容も面白いのだが、紹介してある五十三の本は現在買って読むことができるというのがミソである。上記大正八年の本は探すのが難しいが、「大泉黒石作品集」(山一書房)で読むことができる、という風に解説してあるのだ。ひとつの項の中に幾つもの本や人物や歴史的事件などが出てきて、それがまた一般的でないものが多いので読む方は大変である。ところが上手くしたもので、頁の下段に注釈欄があって逐一読むことができる。普通は節の終わりなどにまとめられていることが多いが、そうなるとこの本は読めない。
P1030930
 


広重の東海道五十三次、合わせて見ると臨場感がわく。

 この本を読むきっかけはやはり讀賣新聞の書評で、その切り抜きがどこかいってしまって残念なのだが、抱腹絶倒という言葉が使ってあった。(2012.11.27参照)面白いのは確かだが、抱腹絶倒というような面白さではないと感じた。
 とにかく宿場での出来事や人物、そして書物を紹介して東海道を巡るわけだが、何気なく読んでいると退屈になってくる。ところがしっかり読むと、氏のポリシーが浮き出てくるのだ。例えば京都などはみえは張っているが、江戸に文化の流れを持って行かれて退廃的なものが漂っているというように言っているようだ。そういうものまで感じて読むとすこぶる面白い、しかし抱腹絶倒でないことは確かだ。

【今日のじょん】:去年の今日と今年の今日、じょんの居るとこはおなじところ。P1010080 P1030922





【晴徨雨読】147日目(2007.2.18)北谷(ちゃたん)~名護
このコース、40年前にも旅している。おんぼろバスに揺られて、適当なところで降りて、また次のバスで行くという感じだが、今とはえらい変わり様だ。当時の記憶と一致するのは万座毛と名護市役所だ。Img_2465 Img_2469




 オンナのインブ、ドキリとするのだがこれは地名である。恩納村の伊武部というところで、名護市に近いところである。一時期インベと読むようにしたそうだが、村民の反対でインブに戻ったそうである。地名は意識して守らないととんでもないものになってしまう。拍手拍手。
Img_2468

伊武部を過ぎて名護市に入った辺りか。 

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