晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

別所探訪(49) 加古川-3 2/13

2013-02-15 | 歴史・民俗

2013.2.13(水)曇、雨

 高御位山周辺の地形や地名などを調べていると、山陽電鉄の踏切事故の報が飛び込んできた。事故の起きた荒井町も気になる地名のひとつだったので驚いている。荒井というのも金属関連地名の候補ではあるが、果たしてこのあたりが古代において陸地であったかどうかも分からない。一応参考というだけだ。もちろんここまでに紹介してきた地名もその一つひとつについて考証したわけでなく、あくまで一般的に金属関連地名と言われているものや私自身で金属関連地に多くある地名などを参考としてあげたもので、必ずしも金属に関係するとは限らないことを了承頂きたい。P1030896 
 



 さて本来の別所に話を戻すが、別所は高御位山の馬蹄形の山並みの西側の広い地域で、姫路市の区域内になる山陽本線ひめじ別所の周辺である。
 姫路市別所町は高砂市境から天川まで、小林、北宿、別所、佐土、家具町、佐土新などの小字を持つ広い地域であり、別所町別所が最も広く中心的な位置にある。高砂市域には金ヶ田町、また天川上流には飾東町志吹、飾東町大釜、大釜新などという地名もある。
 しかし最も気になるのは天川を越えた西に播磨国国分寺跡があることだ。
気になるのは、大津市富士見台の別所山、別所池を探しているときに、国分尼寺の跡近くにそれらが存在し、「鉄と銅の生産の歴史」(佐々木稔編)に、「国分寺・国分尼寺跡からは、鍛冶工房の遺構や鉄関連遺物が検出されることがあって、工房では寺院の建立・改修時に鋼製の建築資材(釘や鎹のような)を製作したのではないかと考えられている。さらに銅に関係した炉跡が見つかった例もある。」と書かれていたことである。(1012.12.10参照)
 国分寺などの大工事になると、その周囲の一定の所に建材、建築用具、仏具などを作製する鍛冶師、鋳物師などが住まいし、工房を設けて作業するというのは理解できることであり、当然のことと考えられる。
 小浜市の飯盛山を調べていて偶然見つけたのだが、若狭国分寺跡の南には金屋というところがあって、近世の鋳物師集落となっている。国分寺の造営に直接関係があったかどうかは不明だが、単なる偶然ではないようにも思える。
 では国分寺と別所ということになると、柴田弘武氏も言及していない様に思える。少し時代が合わないようにも思えるが、国分寺が造営される時代には鍛冶師の俘囚というのは居たようだ。それらの職人が国分寺の建築に関わったということは考えられるが、柴田氏の「別所=俘囚移配地」説とは別のものであると考えたい。
 今回の一連の考察は盃状穴にはじまり、飯盛山、別所など別々に考えていたものが時代を超えながらも細い線で繋がっているような気がしてきた。次はやはり現地視察だ。

【今日のじょん】:朝うっすらと雪が降った。P1030886 デッキの上もシャーベット状の雪が乗っている。



 すると昨日まで飛び乗れていたのが途端に上がれなくなってしまった。
見て、このへっぴり腰。P1030888P1030889 P1030890

 

コメント
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