2010.9.12(日)
奥上林村誌は亡くなられた土井さんに戴いた大切な遺品である。その時のことは「奥上林村誌」(2009.7.8)にも書いているが、その日が私の上林歴史の旅が始まった日である。土井さんは 「何で君尾山光明寺のような古い大きな寺がこの地に有るんやろなあ。聖徳太子のお母さんは間人の生まれやそうなが、ひょっとしたら聖徳太子は上林で生まれたんと違うかなあ」
また、「大唐内いうとこは古くは栄えたとこなんやがどういうとこなんやろなあ。唐というからには唐の国と関係があったんやろかなあ、その辺のとこを調べてくれへんけ」これが土井さんの遺言になってしまった。
綾部や上林の歴史を少しぐらいは知っておかないといかんなあと思っていたところであったので、「わかりました、調べてみましょう」と返事はしたが、一体何から手を付けて良いのやら雲をつかむような話であった。
奥上林村誌は土井さんの遺品、左は三和町史。
奥上林村誌を読んでもそれらしいことは書いてない。綾部市史にも古代のことは通り一遍のことしか解らない。歴史というものはそういうものらしい。例えば南京大虐殺だって、当事者がまだ生きている今日でもあっただの無かっただのと論議している。ましてや千数百年も過去のことがそう容易く解るものでもない。
なにしろ上林の歴史についての知識ったって、上林氏が古城山に居城し支配していたところ、明智光秀に滅ぼされ、やがて幕藩体制となると藤懸の殿様が知行したというくらいの何とも稚拙な知識である。
手始めに草壁と所縁が有るだろう日下部氏について調べることにした。日下部氏というのは謎の多い氏族である。未だにその実態というのは理解できない。インターネットで日下部氏に関するものを調べているとき、「我が祖・日下部の足跡」という長文を見つけた。それはある人のルーツを辿る旅のような文章だったが、私にとって衝撃だったのは、日下部氏が金属、鉱山に関連のある氏族であることだ。上林も金属、鉱山に関係があるのだろうかという驚きというか発見というか、とにかく村誌にも市史にもそれらしいことは載っていないので、ワクワクするような気持になってきた。
草壁、土井さん宅前から小屋方面、古代この地に住み着いた日下部氏所縁の人たちは、この地で何をしようとしたのだろう。
そんな時、大江山の鬼の交流博物館で河守鉱山の特別展があるというので休みを利用して行ってみた。
河守鉱山通洞坑跡、昭和48年まで稼働していた。北近畿では最大の鉱山である。
鬼と鉱山は関連があるというのは、谷有二氏の山の名前に関する書物でうっすらと知っていた。そこで福高の先生をしておられた芦田完先生の論文を目にして更に驚く。主に麻呂子親王伝説に関するものだが、その中で姫髪山脈と称し、三国岳、養老山、弥山山、鬼ヶ城、烏ヶ岳、姫髪山から兵庫県佐治盆地の東方烏帽子岳に連なる山脈がいわゆる鉱床である旨の論文があった。
上林は古代の金属生産地だったのではないかという想像が拡がってきた。つづく
【作業日誌 9/12】
薪割り
スジキリヨトウ卵取り(本日72個、昨日59個)
今日のじょん:懸賞で当たったペットゲート、開けてても出てこないよと書いていたけれど、どうやら出られることに気づいたみたいで、お化けみたいにぼーっと出てきている。知らん顔していたらどうするか観察してみるも、じっとしたまま動かない。多分いいのかなあと考えているようだ。「部屋帰ってねーや」というと、ぼそぼそと帰っていく。まあ、オシッコするわけじゃなし、囓るわけじゃなしまあいいか。
9月8日の写真、ちょうどこんな感じ。
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