晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 続・画文集 炭鉱に生きる

2010-03-30 | 雨読

2010.3.30(火)曇

 本来なら北海道の北あたりの寒気が南下してきて、2月中旬の気温だそうだ。夜の間にも降雪があったようで、朝は雪景色となった。各地では桜に雪という珍しい光景が見られた。上林では桜はまだまだだが、スタッドレスタイヤを履き替えた人もあるようで、困った降雪である。Img_4135

驚きの雪景色。


 実は「炭鉱に生きる」というこの画文集に大きな不満を持っている。わたしが高校二年生の時に出版されたこの本を、安い値段で入手できたことは感謝している。山本作兵衛氏が描いた絵は六百余点ということで、そのうち三百余点が田川市立図書館に保管されているということである。この画文集はその中から数点が採用されているようだが、その作品には絶賛するものである。初めて山本氏の絵を「地の底の笑い話」(上野英信著)で見たときに、これこそが底辺にある者が文化の担い手であるという実感を憶えた。これはわたしのポリシーである。そしてその独特な絵もさることながら、傍らに記してある自筆の短文、それはあるときは絵の補足説明であったり、坑内歌であったり、山本氏自身の思いであったりするのだが、ほとんど総ての絵に書き込んである。最初に見たのは岩波新書だから、その字は大変小さく目を凝らして見ないと読むことが出来ない。必死に読んでみると、それは炭鉱という地獄のような生活と不条理に対する怨念がにじみ出ている。この短文は絵と同様の価値があり、切っても切れないものである。それがこの画文集では短文の部分をカットし、下手な説明書きがしてあるのである。これは山本氏の意図ではなく、講談社の編集上の恣意ではないかと想像する。画文集が画文集でなく、単に炭鉱の生活を説明する資料と化している。Img_4139

スラやセナで炭(石炭)を運び出している絵、スラでは文の上部がカットされており、セナでは全文がカットされている。


 序文で、上野英信氏は、「唐津下罪人のスラ曳く姿 江戸の絵かきもかきゃきらぬ」
という坑内歌を引き合いに出して、絶賛している。(下罪人とは坑内労働者が自らのことをこう呼んでおり、スラとは掘り出された石炭を炭車まで運ぶ、橇の付いた竹や木の運搬具である、語源は修羅だろう)また、裏表紙には「いま、私たちは、おのれのくぐりぬけてきた暗黒そのものを創造のエネルギーとして、ひそかに無名の民の汗と血の足あとを刻みつづけている人の絶無でないことを、この一冊によってしることができる」と書いている。しかし解説を書いておられる田川市立図書館の館長、永末氏の文からは炭鉱の生活を記録する貴重な作品としての見方しか伝わってこない。これこそがこの本に対する講談社の編集方針なのではないだろうか。そうでなければ、画文集の絵の一部をカットして載せることはしないだろう。誠に残念なことである。
【作業日誌 3/30】
一輪車タイヤ交換
ドッグランど柵用板のペンキ塗り

今日のじょん:じょんのアジリティは杉の丸太である。ところがこれがドッグランどの入場門となってしまって、使えなくなった。毎朝のジャンプポンポコポンが出来なくなったのである。丸太はまだいくらでもあるので、作ってあげたいのだが、結構時間かかるのよね。Img_4134
 
ジャンプ用の丸太(右端)は柱(左端)となってしまった。 

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