晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

風が吹けば 3/16

2010-03-16 | 日記・エッセイ・コラム

2010.3.16(火)曇

 ペット病院の評判ほど多岐にわたり、不可解なものはない。そりゃあもう、ここが最高だという人もあれば、最低だという人もあり、何を信じて良いか解らない。うまく治療できた場合は最高の病院となり、その逆は最低となるのだろうか。いろんな噂を聞いていると、患者の病気を診ないで飼い主の財布を見る先生もあるようだ。いずれにしても的確な見立てが出来るか否かというところだが、患者が動物であるだけに、直接に症状を聞くことが出来ない。表情だって人間ほど解るものではないだろう。レントゲンや血液検査などの周辺データは入ってくるが、核心となるべき患者の情報は、飼い主を介してしか入ってこないのだ。ある方が言っておられたように「結局診断は自分がしなければならないのですよ」ということだ。Img_4030 Img_4034

昨日から朝の散歩も再開、帰りにはヘイヘイと遊んだりして。


 というわけで、じょんの病気は神経性胃腸障害と診断した。胃腸障害を起こすほどストレスとなるものは何だろう。かみさんと意見が一致したのは風である。毎日の行動を見ていると、風の音や風によって揺れ動くものに異常に脅えている。なんやそんなもんかと思うのは人間の心理であって、じょんにとっては計り知れないストレスなのかもしれない。以前にもよく吐くことがあったが、かみさんの記録によると3月が一番多いそうだ。ことほど左様に上林では3月に強風が吹く。「風の谷のNow鹿」なんて記事を書いているのも昨年の3月である。全国的にも3月は強風が吹くそうだ。
 そして今回も一日中風が吹きまくった翌日から発病したわけだ。じょんの誕生日は3月20日だ。信太山の巣穴でマーブルとくるみちゃんとじょんと母親のレンの家族で一ヶ月、野生の生活をした。その間に風に対するトラウマが発生したのかもしれない。
 とにかく今は元気になって、食欲も普段以上である。散歩もポンポコポンも通常に戻ってきた。ただ、上林の風はまだまだつづく、風に対するケアを心がけてやらないとならない。それにしても保健のきかないじょんの医療費は大変である。風が吹けば桶屋が儲かるそうだが、風が吹けばじょんのびが貧乏になる。

【作業日誌 3/16】
ソメイヨシノ、花水木白植え付けImg_4042

ソメイヨシノと花水木(白)、と玉竜(50株ぐらい)を買ってきた。

今日のじょん:じょんネタのためお休み

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じょんのびロマン(6) 3/15

2010-03-15 | 歴史・民俗

2010.3.15(月)曇

 じょんのび周辺の上林川が大きな湿地帯であったとして、葦などの植物が生い茂り、その上流に鉄を含む鉱脈があったとしたら、それを客観的に証明できるとしたら、高師小僧である。高師小僧とは何とも珍妙な名前だが、愛知県豊橋市高師原で発見され、褐鉄鉱が葦などの水生植物の根に沈着して硬い団塊となったものである。「古代の鉄と神々」(真弓常忠)では、これが弥生時代の初期の製鉄として使用され、鈴(すず)の語源ではないかと論じている。中には天然記念物となっているものもあり、相当希少なものと思っていたら、結構各地で出土しており、京都では深草でも発見されている。深草なら小椋池周辺の湿地帯といって良かろう。Img_3858

上林川の屈曲点、このあたりが一面の湖沼、あるいは湿地帯だったのではないか。今でも葦がびっしりと生えている。(2.6の写真)


 高師小僧は鬼板と呼ばれる褐鉄鉱の板状のものと一緒に発見されることがあるそうで、どちらもじょんのびの周辺が恰好の位置であると思っている。
 この小さな湖沼に弥生人が居住し、狩猟や農耕の傍ら農具や刃物を造るため、植物の根に蓄積した褐鉄鉱の塊を野たたらで精製していたとしたら、まさにこれはロマンである。完
【作業日誌 3/15】
薪割り

今日のじょん:やっと便が正常な色に戻った。今朝は念道橋まで散歩に行く、実に一週間ぶりの散歩である。退屈な日常がこれほどありがたいものであることを実感する。今日もブログを見てお見舞いに来ていただいた方が何組かおられた、じょんは幸せ者である、わたしが一週間寝込んでも誰も気にしないところだろうが、、、、。「ところで何やったん?」という声が多い。私の診断では春期ストレス性胃腸炎というところか。このことについては明日本文で。
 

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じょんのびロマン(5) 3/14

2010-03-14 | 歴史・民俗

2010.3.14(日)快晴

 本格的な春の到来を思わせる好天の一日となった。上林の各地では野焼きが行われており、もうもうと煙が上がっている。この地に越してきた日も野焼きの日であって、この煙は一体何なのだろうと驚いたものである。梅も満開近しとなり、M田さんが桜の花をおみやげに持ってきてくれた。じょんのび村はすっかり春である。Img_4024 Img_4026

野焼きの煙、右の写真の尾根は上林川の流れを変えている尾根である。


 じょんのび村の周辺について地名からロマンを追ってみたが、地形としてこのあたりの特異性を紹介しよう。当ブログではグーグルの地図を掲載しているが、地形図にしてじょんのび村周辺を見て頂きたい。蛇行しながらも概ね南西に向かって流れてきた上林川がじょんのび村のあたりから向きを南に変え、忠町のあたりでは東に向かっている。まるで逆流状態だ。その後南に大きく迂回し忠、佃、武吉のいわゆる建田三町を巡って、十倉名畑町に到り、上林川の元の南西向きに戻るのである。
 念道と井根を分け、河牟奈備神社から佃に至る尾根が如何に固い岩盤であるかということである。念道側からこの尾根を見るとき、褶曲が破断して断層となっているように見える。このような山容は上林では珍しい、いづれこの尾根の地層や岩石を調べてみたいと思っているところである。わたしが最も気にするところは、その尾根の最もくびれたところに河牟奈備神社が在ることである。
 そしてこの尾根によって流路を遮られた上林川はその屈曲点あたりを中心に直径1Km程度の大きな沼を造っていたのではないだろうか。規模は違うが、京都市南部の小椋池のような感じで湿地帯となっていたのではないだろうか。その中を暴れ川のように上林川が流路を変えながら流れていたとしたら、あちこちに散見する摩耗した岩石や砂利、そこら中に生えている葦や茅といった水棲の植物の存在が納得できる。じょんのび村のある古川はやはり「コガワ」で古河や久我同様水棲植物の生い茂った湿地帯という意味だと思う。つづくImg_3927

じょんのび谷にも嫌というほど水生植物が生えている。かつての湿地帯の名残ではないだろうか。

【作業日誌 3/14】
薪割り、先日伐採した大櫟を割る。切り立てのものは4回ぐらい斧を降ろさないと割れない。ところが一週間ほど乾燥したものは、中心部にかすかにヒビが入っており、2回で割れる。これは発見で、薪割りは生だから良いってもんでも無さそうだ。

今日のじょん:緑色のうんPを除いて、ほぼ正常となってきた。明日から朝の散歩を開始しようと思う。うんPの色は食事や薬の加減と思うが、明日もつづくようなら先生に聞いてみるべきか。わたしも過去に一度だけ、玉虫のように鮮やかな緑のうんPをしたことがあるが、それは疲労困憊の極みの時であった。新人夏山合宿の最終日、ルートを誤りとんでもない沢を下り、河原で野営した翌朝のことであった。きれいなうんPなんて余り良いものじゃない。Img_4001

失礼、うんPしてるところ、3月10日は雪の原。

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連日の山仕事 3/12,13

2010-03-13 | 日記・エッセイ・コラム

2010.3.12、13(金、土)共に曇

 訳あって12,13日合併号とする。なぜって、一所懸命書いた文章が消えてしまったのだ。こういうことってままあると思うが、自分が100%悪い場合と、自分には罪はない場合がある。自分のミスで起こる場合は、仕方がないかと諦めるが、そうでない場合はどうも釈然としない。今回は多分次のようなことだと思う。文章を書いて、食事などで中断し、下書きとして保存する。食事が済んでさあ始めようとすると、ログイン画面となっている。ログインすると下書き部分は消えている、というより保存されていないという状況だ。これは食事などでパソコンを離れない場合も起こりうるだろう。腹立つのはこんな時に限って、長文でしかも銘文が書けたなあというときなのである。これもマーフィーの法則か。
 一般的には、自分で既に書いた文章だからもう一度書けばいいというものだろうが、当事者としてはそういう気分にはならない。絶対同じ文章なんて書いてやるもんかと思ってしまうのだ。
 というわけで、月一回の連休を山仕事で終えた。M村さんの計らいで、近所の山の木を切りに行ったということである。消えた文章では里山の荒廃と山林行政への批判などを長々と書いていたのだが、同様のことを以前にも書いているし、今後も書くことがあるだろうから、今回は山での一番の楽しみを書いてみよう。一番の楽しみは休憩である。休憩というと堅苦しいので一服と云おう。身体を休めるというより、景色や情景を楽しむ一服である。麓の方を眺めながら、せせらぎの音を聞き、キツツキの木をつつく音を聞く。そんなことが嬉しいのは、子供の時に同じ体験をしているからだ。「山は酸素が多くて身体によいんやで」という母の言葉を思い出す。それは、植林で鬱蒼とした杉や檜の山ではいけない、広葉樹の明るい山でなければいけない。Img_4018 Img_4020
連日通った広葉樹の山と3日間かかって切ってきた薪


【作業日誌 3/12,13】
山仕事

今日のじょん:全面回復とはいえない。ご飯も食べるし、行動も元に戻ってきているが、強烈な下痢などで相当体力が落ちているようだ。食事がご飯主体となっているのと腸粘膜保護剤などの薬を飲んでいるせいか、便も緑っぽい黒っぽい変な便となっている。総ての動作になんとなく元気がない、でもこれは私たちだけしか解らない微妙な事柄かもしれない。

 

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人もすなる点滴なるもの 3/11

2010-03-11 | 日記・エッセイ・コラム

2010.3.11(木)曇

 じょんが食事をとらなくなって4日目、朝起きていってもサークルの中でぐったりしているのはつらい。それでもオシッコしなくてはならないので、よろよろと出てくる。それでも大好きな雪が積もっているので喜んでいる様子だ。オシッコの色も薄くなったし、うんPの色も濃い色から薄い色に戻ってきた。Img_4007

大好きな雪なんだが、、、、


 二度ばかしうんPをして、部屋に帰って様子を見ていると、お腹がグルグルプチューと音を立てている。一瞬わたしのお腹かなあと思ったが、よく聞いてみるとじょんのお腹だ。人間と同じ音がするもんだなあと感心していたら、まだ便が出そうなので再度庭に連れて出る。オシッコをして、うんPする、うんPなんてもう出ないだろうと観察に行くと、粘液と血が混じっている。こりゃあやばいなあ、回復傾向かなあと高を括っていたのが、一気に不安のどん底となる。定休日は明日だし、キャドックさんは休みだし、、、、、えーい思い切って村上さんに教えて貰った氷上の小川動物病院さんに行くことにする。予約の電話をし、午前中休業の張り紙をして、血便を袋に入れて車を飛ばす。高速道路を使って一時間弱で到着するが、人気の病院だけに混んでいる。一時間余り待って、永い診察、そしてその後に一時間近くの点滴を受ける。キャドックさんでも点滴を受けたが、なんでも皮下の空洞に液を注入して、自然と身体にまわるという方法をするそうだ。犬や猫には親が子供をぶら下げるためにそのような空洞があるそうだ。(クロネコヤマトのマークを見ていただきたい)らくだの瘤のように溜まっていた液が時間とともにへこんでくる。
ところが、小川病院さんでは直接、腕に、丁度人間と同じように点滴をしている。あんまりおかしいので、かみさんが写真に撮っていた。201003111149

ひともすなる点滴なるものをしてみんとて

 わたしは長い時間を読書が出来て有意義だったが、じょんは大変だったろう。おかげさんで夕方には自分の力で食事を摂るようになって、やれやれというところだ。
当たり前の日常が戻ってくることが、こんなにも嬉しいものか。
 今回の一件で多くの人に心配を掛けてしまった。同時にこんなに多くの人がじょんのことを気に掛けてくれてるのかと驚いた。みなさんありがとう、じょんは元気になりやした。明日は四日ぶりに念道橋散歩に行けるかなあと楽しみにしているところである。Img_4016
四日ぶりの晩ご飯。

今日のじょん:もちろんお休み。

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じょんのびロマン(4) 3/10

2010-03-10 | 歴史・民俗

2010.3.10(水)雪

 製鉄の祭祀を行う神社やたたら場は多くが南東斜面に存在しているそうだ。そのことについてはいろんな本に書いてあるのだが、その理由が今ひとつ解らない。自然風を利用した野たたらの場合は風向きが第一条件となる。たたら場の操業は主に冬に行われていたそうだが、そうなると北西の風が主になるので、山からの吹き下ろしの風を利用したのだろうか。ただし風向きというのはその地の地形による場合が多いので、むしろ乾燥度合いを重視したのではないかと思う。たたら炉の作製をみるとその基部などには湿気を嫌う多くの工夫が見受けられる。南東向き斜面は最も暖かく、乾燥した方向ではないか。上林でいくつかの神社を訪れたが、正確に南東を向いている神社は少ない。河牟奈備神社は少し南向きかもしれないが南東を向いている。しかし祭神は製鉄とは無関係のようだ。Img_3701

手前から小杉、才ヶ坪、古川


 河牟奈備神社は大宮の神社として知られているが、実際の住所は古気良10となっている。古気良谷(多分こけらだにと読むのだろうが)は大宮の下の北東に延びる谷のことで、いくつかの住宅と田んぼがある。こけらと読むとしたら、これはどのような意味があるのだろう。杮(こけら、柿とは違う)とは鉋屑などの木の屑のことで、これらを始末して、最初の興業を行うことがこけら落としである。柿(こけら)では地名としては考えにくいが、古鉧ならどうだろう。こういう言葉を聞いたことはないが、鉧(けら)というのは、たたらで生産される鉄の塊である。(その製法を鉧押しという)もし、古気良谷から鉄滓でも発見されれば、「古鉧」もあり得るかもしれない。古気良谷のもう一つ下、井根町に向かう谷のあたりは菱田と呼ばれる。ヒシ、ヘシ、ベシ、ペシは鉄の古語であり、島根県にある飯石川(いひしがわ)はその上流が菅谷であり、菅谷たたら遺跡がある。Img_2954 Img_1490

大宮の東北面(中上林側)と南西面(口上林側)風の通り道となっている。


 風ということについて、その地形を考慮するとしたら、河牟奈備神社のある大宮の峠は非常に特異な地形と思われる。上林は上林川に沿って大変な強風地帯である。特に春先の南風などは異常なほどの風が吹く。一年をとうして、その時の気圧配置や低気圧の位置によって風向は変わるが、川上から吹くか川下から吹くかの二通りである。ところが上林川は神社の前で大きく南に迂回し、大宮の峠(本来の名前は知らない)は中上林、口上林を繋ぐ喉のような地形になっている。両盆地を鞴の袋と見れば、丁度羽口のような地形なのだ。河牟奈備(かんなび)を鉄穴(かんな)と見るのは飛躍のように思えるが、たたらが存在してもおかしくない地形だと思えるのだが、これもロマンである。つづく

 今日のじょん:
冷たい雪が降り続いた、じょんの調子がよろしくないので余計鬱になる。ハナと一緒に病気と闘ったハナパパの気持がやっと我が身のように解ってきた。「癒しのつもりで飼ったのに、心配ばっかししとらんならんで」というマーブルママの言葉も痛いほど解ってきた。ペットロスに陥った山ちゃんの気持も垣間見ることが出来た。食べなくなってもう3日目である。こころなしか顔もげっそりしてきたみたいだ。時には面倒くさいなあと思う散歩も、それが出来なくなると、なんと淋しいものか、、、。明日もこの様子だったら店を休んででも病院に行こうと思っていたら、夕方に少し食べたようだ。明日朝は元気になるだろう。しんどい写真載せると心配かけるので、元気な様子を一発、ジャンプポンポコポン。Img_3926
 

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じょんのびロマン(3) 3/9

2010-03-09 | 歴史・民俗

2010.3.9(火)雪

 じょんのび村の西は才ヶ坪(さいがつぼ)という小字である。実はこの小字名が一番気になっている地名である。サヒというのが鉄の古語で、サビ、サム、ソホ、ソブなどと転化するということを紹介したが、地名として寒河江(さがえ)、祖父江(そぶえ)雑賀(さいが)、寒川、草加などがある。賽の神も本来はサヒ(鉄)の神であったという記述もある。(古代の鉄と神々)
 以前に三和町の上川合上地に伝わる、山の神行事について記したが
(2009.7.13参照)、その際ササノ神にも参る旨書いた。子供達はササノ神と呼んでいたがおそらくそれは賽の神だと思う。その地域に我が家の田んぼがあり、サイノキと呼んだ。登記簿にはその地名が無く、通称の地名だったのかもしれない。そのサイノキから大きな谷が登っている。山は深山といったが谷名は解らない。府道59号線から600mほど入ったところに珪石鉱山のケーブル跡がある。そこから500m程のところに我が家の山林があり、子供の時に小さな水晶を取ったことがある。この谷の鉄分もいずれ調べてみたい。Img_6201

サイノキの田んぼ、谷は田んぼの向こうに流れている。


 さて、問題の才ヶ坪だが、鎌谷以外にもう一本谷が降りている。谷の名は解らないのだが、旧上林街道との出合いに売り物件が在るので見に行ったら、古い祠があって石塔が建っているのだ。末?高金大明神(末は左の”ノ”が無い)と書いてある。この谷も調べてみたいところだ。(2009.11.8参照)Img_3352 Img_3350

例の石塔と置き石、海老の絵かと思ったら刀かもしれない。



 才ヶ坪の坪はというと、よく条里制の残っている地名として○○坪というのがよくあるが、この地に条里制があるとは考えにくいので、小集落とでもいう意味だろう。丹波には条里制に関係なく「坪」というのがよく使われるということだ。(綾部市史上巻)
鉄の集落としたら、ロマンではないか。つづく

今日のじょん:朝になってもじょんの様子は良くなっていない。いつもは起きていくと飛び出してくるんだが、サークルの中でしんどそうにしている。見ると、二回ばかり吐いていた。何も食べていないので透明な吐瀉物となっている。水を飲んで受け付けなくて吐いたものらしい。幸い定休日なのでキャドックさんに連れて行く。おりしも春の雪で、菅坂峠は真っ白である。気温も0℃を指していた。レントゲン撮ったり点滴したり、胃腸炎ということらしい。帰ってきても雪は降り続き、本来なら喜んで走り回るところだが、すっかり元気がなくなっている。明日こそは元気になっていますように。Img_3996 Img_3995




帰ってきても雪は降り積もった。じょんは元気ない。 

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じょんのびロマン(2) 3/8

2010-03-09 | 歴史・民俗

2010.3.8(月)雨、曇

 綾部市における古代の金属精製の中心部は私市、栗町、館町から物部町に至る地域だと思う。遺跡も数多く発掘されているし、赤国神社付近で弥生式土器などとともに鉄滓が発見されていることや、私市古墳出土の鉄製武具などをみると、高度な鉄文化が存在したようだ。この地域を流れる犀川は鉄を意味するサヒに起因するのではないか。この地域は地質学的には舞鶴帯といわれる部分で、舞鶴、大江、夜久野など顕著な鉱山帯である。上林川流域はこれらの地帯ほど金属文化が花開いたとはいえないようだ。古墳などの遺跡も数少ないし、製鉄遺跡なども聞いていない。それが鉱物の含有量の差なのか、狭隘な地域の差なのか、政治的に有力な豪族居住の有無なのかは解らない。ただ上林断層の走るこの地域は地質学的には丹波帯と超丹波帯の境となる構造線であり、鉱物の産する可能性は高い。
 近代に至るまで鉱業が盛んという地域ではないが、古代においては細々と金属採鉱、あるいは冶金が行われていたのではないだろうか。特に畑口川流域、上林川流域でたたら製鉄が行われていたのではないかと予想する。
 地名、祭神、伝承等鑑みて有力な地域がいくつか考えられるが、今回は無理矢理にじょんのび村の存在する地域を考証することとした。それ故にロマンとタイトルづけた訳である。
 鎌谷(かまたに)、上林風土記には確かこのように記してあったように思う。かつて土器を造る釜があったから、かまたにと呼ぶという話を聞いたことがある。土中から様々な破片が出てくるが、何時の時代のものか、どういうものか今のところ解らない。保管をしておけばいつか判明するだろう。カマには窯の意味もあるが、古い朝鮮語で溶鉱炉という意味があるそうだ。(鉄と俘囚の古代史)古代のたたら遺跡にカマの付く地名は数多くある。釜前、釜帰、釜場山、殿釜、釜脇山、稲荷釜、釜ヶ入、釜ヶ谷などいとまがない。仮に、この谷でたたら製鉄が行われていたとしたら、その根拠は、南東向きの斜面であること、風が強いこと、砂鉄を得られるだろう川が近いこと、樹木が豊富なことぐらいだろうか。鉄滓でも出ない限り、証拠は出てこない。この谷にはかつてお寺の隠居があったという話を聞いたことがある。じょんのび村から100m程はえん堤工事のため、かつての様相が変わっている。それ以奥はまだ入っていない。いつかは調査してみたいと思う谷である。つづくImg_3364

じょんのび谷、左方向に登っている。

【作業日誌 3/8】
薪割り、木小屋整理

今日のじょん:食欲が無くなって、おかしいなあと思っていたら、夕方吐いてしまった。いつもなら2回吐いたら後は普通にして居るんだが、今回はどうも様子がおかしい。結局6回吐いて、もちろん食事もとらない。心配だけど致し方ない、朝になれば元気になっていると信じてやすむ。


 

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じょんのびロマン(1) 3/7

2010-03-08 | 歴史・民俗

2010.3.7(日)雨

 古代のたたら製鉄の要素は豊富な砂鉄(鉱石もあり)と豊富な木炭(初期には木材)、そして風である。鞴が発明されていつでも送風が出来るようになったが、それ以前は自然風を使って薪を積んで燃やし続けていたのである。いわゆる野たたらといわれるものである。野たたらの遺跡の多くが山腹の東南面に存在している、製鉄に関する神社なども東南向きに建っているものが多いそうである。これは風神信仰に根ざすものもあろうと思うが、自然風の利用という意味が多分にあるのではないかと思う。
 じょんのび村は睦合町古川というところに存在している。じょんのび谷といってる谷は正式には鎌谷といい、北北西に向かって登っている。西は才ヶ坪といい、小さな谷を越えて小杉という。その西は十倉名畑町古気良で口上林となる。この付近は大宮と呼ばれ河牟奈備神社が在る。南側は上林川で建田三町に向かって急激に屈曲している部分となる。わたしが終の棲家として選んだこの地はいったいどのようなところなんだろうか。
 河牟奈備神社がいわれどおり1300年前のものであれば、近在近郷では最も古い神社だし、その境内に数基の古墳があるという事実からも相当古くから開けている地だと思われる。葛禮本神社の石棒は縄文時代のものといわれているし、古川には弥生式土器の出土もあると聞く。いつかは何か確証のあるものを発見してやろうと思っているが、具体的にどうすればよいのかは解らない。現在に生きている遺跡として地名を少し考証してみたい。
 古川、「こがわ」と聞いているが、上林風土記には「ふるかわ」と書いてある。もし「こがわ」と呼ばれていたのなら、茨城県古河市のように水草等の生えた荒れた草原を意味するだろう。コガ、クガ、カガなどはそのような地をいうそうだ。(日本地名ルーツ辞典)そういえば京都市伏見区の久我(こが)のあたりもそれらしい地形だ。
Img_1734
江戸川関宿から古河方面、こんな感じの地形をコガという。(2006.11.14)


「ふるかわ」と呼ぶのなら、宮城県古川市のように古い川の流路という意味かもしれない。(日本地名ルーツ辞典)なお古川市の市街を流れる緒絶川(おたえがわ)は北東部を流れる江合川の古い流路だそうだ。現実に念道から古川あたりまでは上林川の河岸段丘となっており、地中からは円い大きな石が無数に出てくる。古い流路といっても不思議ではない。つづく、前半に野たたらの話を書いたのは次回で説明しよう。Img_0577

じょんのび村開拓時代(2008.5.2)こんな石がゴロゴロ出てくる。

今日のじょん:連日の雨でじょんの散歩に苦労している。レインコートを着せたり脱がしたり、身体拭いたり乾かしたり、かみさんの苦労は大変だ。ところがじょん自身もコート着るのが大嫌いで、朝な夕なに固まっている。Img_3993
 

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磁鉄鉱 3/6

2010-03-06 | 歴史・民俗

2010.3.6(土)雨

 砂鉄の含有率を調べる実験が始まった。調査方法の規準となるべく、念道橋上流の砂を採取する。(2月20日)バケツに砂を入れ、竹の棒でかき混ぜながら水を流す。これは比重選鉱というよりはゴミや泥を洗い流している作業だ。そこそこ水が澄んできたら、箱に広げて乾燥させる。乾燥したものを2mmの篩にかける。これは重量で含有率を比較するために、磁鉄鉱を含む小石では誤差が出るだろうという考えから、いわゆる砂にしぼって砂鉄を採集することにしたものだ。乾燥した砂、1000gを用意して、容量を量る。丁度700㏄だった。Img_3923 Img_3930 Img_3948




採取場所、乾燥、篩がけ

 ここからどの程度砂鉄が採取されるかが実験なんだが、採取方法が問題となる。古代のタタラ場では鉄穴流し(かんなながし)という、流水を使った比重選鉱が行われていた。またお椀や皿を使ったわんがけ法という選鉱方法もあるようだ。これは砂金取りなどで見られる方法のようだ。いずれにしてもコツがいるし、安定的な採取が出来ない。そこで磁石を使った磁気選鉱というのをやるわけだが、これが一筋縄ではいかない。磁石を直接砂の中に入れると、しっかりくっつくが、磁石から離す作業が大変なわけだ。そこでススムさんの助言で、プラスチックの容器に磁石を入れ、砂の中でかき混ぜ、別の容器の上で磁石を取り出すという方法で集めることにした。最初のうちはしっかり砂鉄がくっつくのだが10分もすると少しばかりとなってくる。20分やってほとんど着かなくなった。磁石を直接入れてみると結構くっついてくる。あと20分ネオジウム磁石で直接採取する。フェライト磁石ではほとんど着かなくてもネオジウム磁石だとよくくっついてくる。どこかでもう取れないというところまで来ればいいのだが、いつまでも少しずつくっついてくる。というわけで20分で切り上げたわけだ。天秤秤で計量すると75,7gであった。今の時点ではこの数字が大きいものやら小さなものやら解らない。沢山のサンプルを集めることと、砂鉄選鉱方法を工夫する必要がありそうだ。集まった砂鉄は完全なものではなく、磁鉄鉱を含む小石、砂が含まれているようだ。従って茶色や赤色の砂が混じっている。Img_3988 Img_3989

プラ容器を使った磁気選鉱では磁力が弱まる弱点がある。

今日のじょん:とにかく雨が多すぎる。朝な夕なにレインコートを着るのが気の毒な様子だ。明日は晴れてくれい。Img_3987
カッパ着せられて思い切りいやそーな顔。

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お昼食べ歩き 3/5

2010-03-05 | 日記・エッセイ・コラム

2010.3.5(金)曇

 かみさんのがん検診やたまっている買い物もしなくてはならないので、久々に綾部に行く。昼ご飯はいつも大本さんの食堂でいただいているのだが、ここはご飯、みそ汁、惣菜などがいくらでも食べられて、値段が400円と格安なので、大抵利用している。時には大きな鯛の姿煮などもあったりしてお得感たっぷりである。Img_38841
Img_3883
大本さんの食堂とある日のメニュー
 


 最近は話題提供という意味もあっていろんなところで食べることにしている。新しく出来た店はあやべ市民新聞に必ず掲載されるので、少しおいていかないと混んでえらい目に合うこととなる。大体綾部とその周辺のお客さんは、新しく紹介された店には先を競ってどっと押し寄せるが、一定期間が過ぎるとシラッとしてしまうお客さんが多い。店が悪いのか、お客が悪いのか、まあ、そのどちらもあるのかも知れない。最近訪れた店を紹介しよう。
 まず今日訪れた大吉さん。本町通りにこの2月にオープンした食堂である。京都でやっておられた店を綾部で開店されたもので、京都の街中にある、いわゆる食堂の雰囲気だ。定番のうどんといなり寿司を食べていると、弘法さんに行った帰りに、うどんを食べながら買ってきた古道具を確かめているような気分となる。
 その前に行った店は、綾高の近くのダイニング松井だ。お昼ご飯に行ったのだが、お酒がないともったいないような料理で、労働者の昼ご飯としては不適である。仲間と酒を酌み交わしながらいただくのならOK。ただし、有閑の奥様方がおしゃべりしながら食事するには最適のようだ。ちなみにお客はそのような方ばかりだった。
 麺や新風、こちらも開店後しばらくして行ったのだが、ラーメンの善し悪しはよく解らないので、何とも言えない。わたしの好みのラーメンではない。もっとも好みのラーメンは最近の店では一軒もない。ちょっとご飯が欲しいなあと思ってミニご飯を頼んだら仏さんのご飯のようなのが出てきた。
 やっぱ労働者は大本さんがよろしいようで、、、、、。

【作業日誌 3/5】
ドッグラン整地

今日のじょん:今日久々に猿が来た。裏山でピューっと鳴き声が聞こえて、じょんを連れだした。あの頼りないじょんが、猿に対しては猛烈に反応し、リードを押さえているのが精一杯である。おかげで猿は山に逃げていったが、犬猿の仲というのは本当にあるんだ。Img_3971




猿追い犬じょん

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春の嵐 3/4

2010-03-05 | 日記・エッセイ・コラム

2010.3.4(木)

 朝から風が強くなり、昼過ぎから猛烈な風となってきた。天気図を見ると二つ玉ならぬ三つ玉低気圧が東進しており、こいつが通り過ぎるまで吹き荒れそうだ。立ってるものは倒れ、置いてるものは飛んで行き、えらいことになっている。木々は葉っぱを落としてるので大丈夫みたいだが、鉢植えなどはひっくり返って大変。Img_3980

写真ではよく解らないが、大風が吹いているのだ。


 もう一つ大変なものがじょんである。雷など一般的に犬の怖がるものはちっとも怖くないのだが、風が大の苦手みたい。風の音も、風で揺れ動くものも怖くて、もう一日うろうろそわそわ、気の毒なぐらいだ。Img_3975

風が吹くたびにオロオロ、ソワソワ


 その上夕方からはおとー、おかーが綾部温泉に行くもんだから、一人で留守番しなくてはならない。少しはおさまっていたが、それでも吹いていたから、その心細さといえばいかばかりか。「ただいま」って帰ってきたら、いつもはシラッとしているくせに、今日は大騒ぎ、よっぽど寂しかったようだ。
終日の大風で相当疲れたみたいで、飯食ったらすぐに爆睡してしまった。かみさんが掛けた毛布もいつもなら払いのけているが、今夜は被ったままピクリともしない。かわいいねえ。Img_3984 Img_3985

今日のじょん:じょんネタのためお休み

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冬の話題二題 3/3

2010-03-03 | 日記・エッセイ・コラム

2010.3.3(水)雨、曇

 天気予報は各地の晴れを報じているが、上林は冷たい雨が降り続いている。こういう日は何もやる気がしない。そういうときこそ雨読に徹するべきだ、そうでなくても借りてる本が3冊、買って読んでない本が5,6冊あるわけだ。
 さて本格的な春が来る前に冬の話題を二題御紹介しておこう。ひとつは乾燥肌である。昨冬あたりから冬になると膝下が痒い、風呂に入ったりすると俄然痒くなる。夏の間にブヨに噛まれた跡が痒いのだと思っていた。ところがテレビで乾燥肌のことを放送していた。症状や部位を見ていると、どうもこれらしい。加齢による乾燥肌ということだ。こればっかしは、いやまだまだ若いでなどと言っても始まらない。治療法は風呂でごしごし擦らない、風呂上がりに軽く水気をとって、すぐに保湿剤を塗るというものだ。半信半疑ながらこれを一週間ほど続けたら、すっかり痒みが無くなった。それを早く言ってよ~ん。もう一つの乾燥肌が、あかぎれというかひび割れというか、手指のヒビだ。特に水を使う仕事なので致し方ないが、あの妙な痛みは耐え難い。ハンドクリームなどは以前から使っているが、余り効き目はない。CMでよく見る、ヒビケアという商品を使ってみようと薬局に行くと、千数百円する。「え゛~」って感じで他の商品を探すと、安いのもいくつかある。余り安いのもイマイチかなとメンタムのヒビプロというのを買う。これだと千円以下だ。成分を見るとメンタムとよく似ているが、違うものも含まれている。要するにメンタムの濃いようなものだ。これも半信半疑で使ったが、結果はまあまあってところだ。教訓、歳いったらごしごし擦らないこと、最近はボディブラシを止めて、手で洗っている。Img_3966

メンタムとヒビプロ

 もう一つの話題は、ストーブネタである。ご承知のように我が家ではいろんな種類の薪を使っているが、どういう薪がよく燃えるか、ストーブのためにいいかなどということは結構気になっていた。ちなみに今使っている薪は、クヌギ、サクラ、カシ、クリ、カシワで不明の木が二種ほどある。昨冬やむなく使っていた針葉樹の杉、檜はもう今では使っていない。また椿の木も少しあるのだが、油分が多いようなので使っていない。インターネットで調べると、各種の木について評価がしてあり、あれこれ蘊蓄が書いてある。なるほどなあと思いつつ眺めているが、よーく見ると評価がかなり食い違っている。柿なんぞまるで駄目と言ってるのがあれば、まあそこそこ、最上とは言わないがその次ぐらいのランクになっている。栗にしても桜にしても評価が割れている。これは一体何だろう、思うに乾燥度合い、薪の割具合、腐り方の進み度合いなどいろんな要素で変わってくるのじゃないだろうか。例えば昨冬は立ち枯れの栗の大木を切ってきて使ったが、まあまあの燃え方をした。今冬は一昨年の夏頃に倒され、翌年の春に持ち帰り、今冬燃やしている栗の木がある。見た目は同様だが燃え具合はすこぶる悪く、他の薪と同時燃焼してようやく役に立っているという感じだ。面倒だがもう一枚細く割ると何とかなるということもある。
 椿の木だってそうだ、最初燃やしたとき、よく燃えるがススが出て耐熱ガラスが真っ黒になった。これはやばいと思って使わないで放っておいたら乾燥が進み、そうでもなくなってきた。そんな感じで、薪の善し悪しはネットの情報より、燃やしている自分自身が一番解ることで、逆を返せば駄目だろう木をうまく燃焼させるのが腕だという気もする。Img_3639

向こうの2本はクヌギ、手前右から樫、桜、樫、不明、樫?
手前左の二本は雪で倒れた引地の神社の木、半年の乾燥だが最高の燃焼である。

きょうのじょん:先日から食欲が無くて、元気もない。こうなると家中が暗くなる。今朝のポンポコポンなんて大好きなジャーキーもペッと出してしまう始末、一体どうしたのだろう。マーブルママが「癒しのつもりで飼ったのに、心配ばっかししとらんならん、どーなんや」と言っていたがそのとおりである。かみさんがビオフェルミンを飲ませていたが、そこまでするかと思っていたら、夜になったら食欲が戻り元気になってきた。杞憂というのはこういうものか。

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木樵 3/2

2010-03-02 | 日記・エッセイ・コラム

2010.3.2(火)曇

 あっという間に2月が終わり、妙な焦りを感じていた、そろそろ来年用の薪を切らなければならない。昨年一所懸命集めた薪は2年半分はあるだろうと高を括っていたら、どうも一年半分ぐらいしかなく、半年分ほどしか残らない様子だ。そろそろ来年の準備をしなくては、、、と思いつつ今日まで来てしまった。幸いM村さんが誘ってくれたので、木樵に行く。危険を伴う作業なので、一人で行くには躊躇していたのだ。久々の木樵に緊張するが、すぐに勘を取り戻し大木切りに挑戦する。薪割りも気持いいけど、木を切り倒すのも気持ちが良いものだ。クヌギの大木と樫を数本切り倒して、道まで倒れてしまった一本を処理して持ち帰る。切り倒した分を処理するのにあと2日はかかりそうだ。総て処理できたら、半年分ぐらいか、これでとにかく来冬の分は確保できそうだ。でも心の余裕を持つためには、あと半年から一年分はため込みたい。Img_3964_2 Img_3965




今日の収穫と拾ってきた石、ひょっとしたら朱か、ただのレンガか。

【作業日誌 3/2】
薪伐採

今日のじょん:軽トラを掃除しているときに散歩から帰ってきたので、荷台に乗る練習をする。数回で飛び乗れるようになった。気候が良くなったら、上林探訪に行こうぜ。上林探訪は軽トラに限る。
Img_33871

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続・遠野物語 3/1

2010-03-01 | 歴史・民俗

2010.3.1(月)曇

 遠野という東北の町と私の住む関西の綾部とは何の縁もゆかりも無いように思うのだが、遠野物語を読んでいてあれっと気付くことがあった。六五から六八まで安倍貞任に関する話が出てくる。笛吹峠から北に権現山、界木峠と見て行くと、貞任高原、貞任山というのが見つかる。このあたりの歴史には疎いので、貞任の本拠地が遠野かどうかよく知らないのだが、義家の伝説も多いので、前九年の役の舞台ではあったようだ。Img_3963
 綾部市の黒谷は黒谷和紙で有名だが、安倍貞任の弟、宗任が追っ手に捕獲されたという伝説がある。そして綾部ではないが、京北の宇津から日吉の世木に越える峠を貞任峠という。MTBで北山の峠を駆っているとき、この峠は随分気になっていたのだが今だ訪れたことはない。この峠には貞任の首が埋められたという伝説がある。何でも貞任の父親である頼時の領地があったと言うことである。奥州の俘囚の長といわれる安倍一族の領地がなぜこのような土地にあるのか不思議な話ではある。安倍氏は蝦夷の出身であるという説も見受けられ、貞任の胴を埋めたという有ヶ谷、現在の高谷の北、浅江町周辺に古夷とか夷ヶ谷とかの地名が残るのも何か関連があるのだろうか。
 「鉄と俘囚の古代史」(柴田弘武著)では、蝦夷の俘囚を配置した地が別所であり、主に金属産地であるいう説をとなえており、宗任捕獲の舞台となった黒谷、真倉を少し東に行けば別所の地があることは偶然とは思えない。またこの地は舞鶴鉱山として大正時代まで操業していたという。
 遠野と丹波が妙なところで繋がっているのに不思議な感じがする。遠野物語発刊100周年(2010.6月)までにもう一度読み直してみたいし、そうすればまた新たな発見がありそうな予感もするのである。

【作業日誌 3/1】
芝生広場草引き、砂撒き

今日のじょん:今夜も食事時に激しく吠えた。何事かと思えば、向かいの工場に灯りが点いている。残業でもされていたんだろう、それにしてもなんという察知能力だ。向かいといってもじょんからは100m近く離れているからだ。Img_3962

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