晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「知られざる古代」再読(1) 9/21

2013-09-21 | 雨読

2013.9.21(土)快晴

 「知られざる古代 謎の北緯三四度三二分をゆく」(水谷慶一著)日本放送出版協会発行
P1050024



 三年前に読んだ本だが、今回再読してこれほどまで評価の変わった本は他にない。その経緯は何度か書いてきたので略するが、今では水谷、真弓両氏の説は両立するものと考えている。(2010.1.10~11、2013.9.12関連記事)
 今改めて「古代の鉄と神々」(真弓常忠)の「太陽の道」批判を読んでみると、その文章に悪意さえ感じるのである。

 
それによると箸墓を貫通する東西の直線上になぜか古代遺跡が点々と並ぶ。いずれも太陽神の祭祀のあとがうかがわれるところから、この歴史の謎に挑んで、ご苦労な踏査を重ねた末、「古代国家成立の秘密をにぎる蔭の測量師がいた。それが日置氏である。」とされるものである。わたしは水谷氏や小川氏の着眼の奇抜さにむしろ敬意を表し、かつまたこのような経費と資財を費やして踏査のできるNHKディレクターの立場を羨望をもした。しかし残念なことに両氏とも、古代祭祀の蔭に「鉄」の文化があったということへの視点がまったく欠落している。

 考え方こそ違え、お互い古代の謎に挑もうとする者同士が発する文章ではない。
まず、「古代国家成立の秘密をにぎる蔭の測量師」と書かれているが、蔭の測量師という言い方は水谷氏もされているところだが、古代国家成立の云々ということは、少なくとも「第十四章 蔭の測量師」の中には見当たらない。むしろ「彼ら日置はまた、現代のテクノクラートにも似て、権力の表面には決して立つことのない「蔭の測量師」でもあったのではないか。」と書かれている。
 真弓氏が水谷氏や小川(光三)氏に敬意を表されているとはとても思えないし、これは皮肉以外の何でもない文章と思える。
 NHKディレクターの立場に羨望されているというのも皮肉で、皇學館大学教授の真弓氏だってこの程度の調査や実験はできるだろう。かつて真弓氏の主張される高師小僧、スズ
いわゆる褐鉄鉱からの製鉄こそ、なぜ実験しないのかと書いたことがある。(2012.4.23参照)高師小僧からの製鉄など高校生の部活動でもやっている。
P1010160




上林の日置は本書には出てこないが、関係するのは太陽か鉄か?

「鉄」文化への視点が欠落しているというのは確かにそのとおりだが、水谷氏は鉄や金属のにおいを掴んではおられなかったのだろうか。
 真弓氏の「太陽の道」批判が出版物の一項を設けてまでなされているのは、水谷氏に対し御壺山の件などについて忠言されたにもかかわらず無視されたことにご立腹なさった結果ではないだろうか。
 水谷氏が取り合わなかったのは、実は金属について気づきつつもそのことに首を突っ込むと収拾がつかないと感じられたか、日置氏にとって測量が主で金属が従であると思われたのではなかろうか。つづく

【作業日誌 9/21】
草刈り(6-5)
オクラ、ゴーヤ、宿儺カボチャ、UFOピーマン採種

【今日のじょん】レオが来じょんした。自由に走り回るのは初めてみたいで、ぎこちないけど楽しそうだ。じょんは偉そうに唸っていたが、いづれ仲良くできそうだ。
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コメント
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