晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(18) 9/2

2013-09-02 | 上林地名考

2013.9.2(月)雨 暗中模索-3

 「西丹波秘境の旅」について書いている際に、その参考文献として「丹波文庫」15号を読んだ。その中に上林の古和木や頭巾山(ときんざん)に関する記事として、小和田が登場する。小和田=古和田=大畑=小畠=木幡=桑田=玖賀・久我であって、元々朝鮮語の海(ばた)を意味するというような説である。説の真偽はともかくとして、日置と畑(はた)が関係があるかも知れないというのが調査の発端である。
 畑地名の研究については別項で書くこととして、日置で太陽観測をしていたとして、春分秋分、冬至、夏至の日の出、日の入りの位置、太陽の軌跡を簡単に知る方法を考えた。
P1010046P1010045


 

ラインは千枚通しで引いたが、油性マーカーでわかりやすくしてみたい。

 一般的には地図上に東西線と角度30度の線を引けばわかることだが、あちこちの日置について調べるとしたら何十枚という地図も要るし、いちいち線を引いていたら大変である。地図ソフトを購入すれば可能かも知れないが、パソコンの画面上で簡単にできる方法として、透明アクリル板にそのような線を引いて画面の上に置けるようにした。画面上の地図はスクロールも拡大縮小もできるので、すこぶる簡便に日の出日の入りの位置が解るのである。例えば上林の日置谷から春秋分に日が落ちるのは蓮ヶ峯(はちがみね、544m)であり、冬至の日の入りは河牟奈備神社のあたりとなる。ただし、日置谷の居住地からは目視できないかも知れない。そんな調子で
順次各地の日置についての太陽の軌跡を調べてみたい。
P1010018

 


一番低いところが河牟奈備神社の大宮の峠である。ここに夕日が沈む様子は、中上林で一番素晴らしい風景になると思う。(大町から)

そしてもっとも必要なことは、現地を訪れることだ。既に南丹市、高浜町の日置は訪れているが、必ず何かが発見できて再度訪問することとなる。夜久野町、篠山市、宮津市の日置も訪れたことはあるが、ただ通っただけであったり他の目的で訪れたものだから、日置そのものの調査として訪ねたい。
 その際は地域地形もさることながら、神社や遺跡、伝承伝説なども収集したい。
 それにしても全国に日置はどのくらいあるのだろう、東日本から北には無いそうだが、上林の周辺だけでもこんなにあるのだから相当な数になるだろう。訪れることはできないけれど、あらゆる手段で調べることはできる。やはり各地の日置について調べることも必要だろう。暗中模索だけれどこれらをやっていくことが、日置についての解明の糸口をつかむことだと思う。この項終わり

【今日のじょん】モモ母さんが亡くなって初めてモモが来じょんした。じょんはいつもかわいがってもらっていたから、「なんやモモ母さんがおらへんやないかい」といぶかしがっている。モモはそれでもきれいにしてもらっているし、ぱくぱく食べて元気そうだ。ガンバレヨ。P1010043

 

 

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谷川健一さん逝く 9/1

2013-09-02 | 日記・エッセイ・コラム

2013.9.1(日)雨

 先日森浩一さん死去の記事を書いたと思ったら(2013.8.25)24日に谷川健一さんが亡くなられた、92才である。考古学者でもっとも尊敬する学者が森さんだとすると、民俗学者でもっとも尊敬する学者は谷川さんであった。
 森さんの著書が一番多いと書いていたが、編集された全集などを入れると谷川さんのものが圧倒的に多い。
  亡くなられた後の新聞論評などが出そろってから本記事を書こうと思っていたのだが、森さんほど掲載されることはなく、読売新聞では8月30日の藤井貞和氏の追悼文だけであった。民俗学というものが考古学に比して一般的でないということだろうか。
P1010042

 


谷川さんに関する記事。

 地名や歴史の研究を始めたころ、最初に読んだのが谷川さんの著書である。「日本の地名」「続・日本の地名」「青銅の神の足跡」「白鳥伝説」など、まずは一般的な著書に飛びついたのだが、地名特に金属に関する事柄に関心があったからだろう。やがて、大島のニソの森などに関心を持ち、「森の神の民俗史」などを読むこととなった。モリに関する研究は中途半端になっているが、奥上林などには名の付いたモリがいくつかあるようだが、人々から忘れ去さられようとしている。古文書を解いたり、遺跡を発掘したりの考古や歴史の人気は高いが、民俗学的なものはあまり誰も興味を示さないものなのだろうか。
P1010007

 


谷川さんの著書

「日本の地名」などは辞書のような感じで手元に置いて参考としているが、もっとも大切にしている本は「金属と地名」という谷川さんが編者として書かれている本である。研究会で発表されたものを編集されているのだが、金属に関する地名の集大成の感がある。
 このように金属地名を主体として谷川さんをとらえていたが、谷川民俗学といえば南島研究である。奄美、沖縄大好き人間のわたしも南島研究の書籍は多く読んでいるが、谷川さんのものが無いのは不思議である。
 もっとも読みたいと思っているのが現在全集で発売中の「民衆史の遺産」である。谷川さんと大和書房の大和岩雄氏の編によるものだが、新刊では高価で手が出ない状態である。現在第4巻まで出ているようだが、全15巻までの発行はどうなるのだろう。
 とまれ森さん、谷川さんの新たな説や著書が出てこないというのは、何かとても不安な気になるものだ。

【今日のじょん】じょんの様子がおかしいなと思ったら、夕べの間に戻していた。固形物があったので早い段階に吐いていたと思われる。ちょうどフィラリアの薬を飲ませた後なので気になる。フロントラインや混合ワクチン、狂犬病予防注射など多くの薬物を投与するが果たして安全なものなのか疑えばキリが無い。自分で選んで食べている草だけは信頼できそうだ。P1010041

 

 

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日置のこと(17) 8/31

2013-09-02 | 上林地名考

2013.8.31(土)雨 暗中模索-2

 宮津の日置の南に難波野(なんばの)があり、高浜町の日置の北方に難波江(なばえ)が存在することは知っていた。偶然にしてはできすぎかと思い他の日置についてみてみるが、そのような地名は見当たらない。

 難波というのは”なには”と呼んで日本書紀に神武天皇の船がこの地にさしかかったとき、波が速かったので、”なみはや”といい、後に”なには”と訛ったとある。波が速いというのはいかにも付会のように思えるが、諸説あり、「波・庭」(なには)つまり「海湾」とする説がもっとも妥当に思える。(古代地名語源辞典)いずれにしても海に面した湾状の地であることから、この二ヶ所の難波地名はそっくり当てはまる。
P1020547

 


難波江は穏やかな湾になっており、地名どおりである。

調査する日置を近隣の五ヶ所としたが、それは次の日置である。
 福井県高浜町日置
 福知山市夜久野町日置
 宮津市日置
 南丹市八木町日置
 篠山市日置、
 いづれも日帰りで調査に行けるところなので対象にしたが、豊岡市日高町日置も可能かも知れない。もちろん綾部市八津合町の日置は調査対象の本命である。
 上記の日置について来る日も来る日も地図と地名辞典を繰っていると妙に共通する地名が出てくる。それは畑(はた)である。
 最初に気づいたのは夜久野町と宮津市の日置である。地図を見ていてどちらも近隣に畑という地域があることに気づいたのである。しかしその時点では別段深く考えることも無かった。
次に高浜町の日置を訪れ、国道27号線を舞鶴方面に走ったところに小和田というところを見つけた。もっとも以前に関屋川周辺を訪れた時気づいていたのだが。
Dscn2331

 


小和田は青葉山の麓、国道27号線青の北にある。写真は日置から青葉山
  小和田が気になったのは上林に古和田姓があり、日置谷にも株があるようだからだ。また、市志に木和田、大唐内に木和田、木和田谷の字があるがこれらはキワダと読むのかも知れない。
つづく

【作業日誌 8/31】
ニンニク植え付け
薪割り
P1010039



九条ネギ、ラッキョウ、ニンニクの植え付け終わる。少し畝が余っているので下仁田などの高級ネギやってみるかな。

【今日のじょん】追悼マーブル写真集
兄妹の中で一番写真写りが良いのはマーブルである。じょんとも写真集に載ったこの日の写真は特に写りがよろしい。(2011.8.29)Img_35871
Img_3591

 

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