晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(19) 畑地名-1  9/3

2013-09-03 | 上林地名考

2013.9.3(火)雨 

 近隣の日置を調べていて「畑」という地域が隣接していることに気づいた。今後現地訪問をする際に畑も訪れてみたいと思うが、そのことで何かがわかるというような気はしない。日置の共通点としての畑の紹介をするとともに、考察してみたい。現時点では何もわからないが、偶然と言い切るにはあまりにも不思議な一致が見られるのだ。
 宮津市日置
 宮津市日置(ひおき)の中央部を宮津湾から西に畑川が走っている。畑川沿いに府道617号線が走っており、やがて山間部に入ってゆく。その畑川を取り囲む広大な山間部が畑であり、ちょうど日置の山側の部分に当たる。
 角川地名辞典では近世以降の記録しか載っていないが、成姫大明神、猪隼人城墟(丹哥府志)とある。
 気になるのは成姫で、「ナリは古代朝鮮語で太陽のこと」という「西丹波秘境の旅」の一文を思い出す。日韓辞典で見ると太陽はテ ヤンと発音するが、日はナルのようである。
 日置の妙見山(30m)の真東に舞鶴大浦半島田井から突き出た成生岬がある。「西丹波秘境の旅」では太陽の生まれる、つまり日の出の岬と解されているが、一理ある感がする。春分秋分に日置から観察するとこの岬から日の出があることは確かである。日の入りは鼓ヶ岳(569m)の南の峠やや南に落ちる。また冬至の日の入りは丹波国分寺跡の西にあるピーク(112.8m)の落ちる事となる。妙見山上から目視できそうだが定かでは無い。
 宮津市日置は訪れたことはあっても目的が違っていたので、今度はこれらの確認に畑も合わせて行ってみたい。

 福知山市夜久野町日置(へき)
 日置から福知山方面に3Kmほど進み、井田の交差点から畑川沿いに府道707号線を北上し額田の浄水場の先から豊岡市の境の山稜までの広大な地域が畑である。小畑に聖武天皇勅命、天平年間に行基創建の真言宗恵日山神通寺山円満院がある。(角川日本地名大辞典)また大規模な江戸期の製鉄業跡が在ると書かれている。周囲の状況から見ても古代からの産鉄の地でもありそうだ。
 この地もまだ未訪問だが、日置との位置関係が宮津の場合とよく似ている。
西にそびえる居母山(いもやま730.6m)は芋山に意味で鉱山の山かも知れないし、イモリ山の意味で測量の山かも知れない。
東の山稜には龍ヶ城(645.6m)があり、気になる山名だ。

 南丹市八木町日置(ひき)
 この地は何度も訪れているが、畑について調べているわけではなかった。大送神社(おおくりじんじゃ)が美里の西光寺の真東にあることから、太陽観測の地ではないかと調査している。その大送神社に隣の氷所(ひどころ)にある幡日佐神社(はたひさじんじゃ)との間に嫁入りをする夫婦神事が行われている。幡は秦氏にちなむものかという説もあるようで、畑の地名も残っているかと調べてみた。字として東畑、広畑があるが、位置も不明で、河川名もわからない。やはり現地に行ってみないとわからないかと思っていたところ、氷所と逆の北隣に畑地名が見つかった。
 諸畑という地域で、地名辞典で調べていたところ、明治9年に諸木村と畑中村が合併してできたとある。この畑中村こそ本命の畑ではないだろうか。
P1040430

 


初めて日置を訪れた時の写真。左端が諸畑で、高い山が諸木山か。旧畑中村は写真より左。

 諸畑は諸木山の南麓ということだが、寺院の有り様から日置の北隣の谷が旧諸木村でその北の諸木山に突き上げる谷のところが畑中村のようだ。次回訪問の際に確かめてみたい。なお、気になる山名の龍王ヶ岳(498.7m)は氷所の東の山稜にある。つづくP1060822



日置を撮った写真だが、右方に氷所、龍王ヶ岳のようだ。

【今日のじょん】一晩で胃腸の調子も戻ったかなと思っていたら、昨晩はまるで食事を摂らない。前日は鳴っていなかったお腹も昨晩はグルグル鳴りっぱなしだ。今日は思い切り心配になる。今日食べなかったら医者に行こうかなんて言い出した。
夕飯の時間になると、いつものように枕振り回して催促している。
P1010053



回復したかなっと感じるが、いざご飯やるまでわからない。
 いつものようにイタダキ儀式をして、後は祈る思いだ。そーと横目で見ていたら、完食~、いやはや良かった良かった。P1010054


 


  

コメント
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