晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「知られざる古代」再読(2) 9/22

2013-09-23 | 雨読

2013.9.22(日)曇り

 「古代の鉄と神々」(真弓常忠)の八章「太陽の道と鉄」の最終部分には次のように書かれている。
 かくして北緯34度32分の線上に「太陽の道」を想定して、そこに日置氏の足跡のあるところから、これを古代測量師とみた水谷慶一・小川光三氏らの仮説は失当といわざるを得ず、鉄こそが「太陽の道」の正体であった。

 何とも強烈な文章である。この強烈な批判文の尻馬に乗り、批判的な先入観を持って「知られざる古代」を読んだ、3年前のことである。そして今冷静でかつ客観的に再読した結果、日置氏の正体がわかったとは言えないが、正体を掴むきっかけを得たような気がしている。
  真弓氏が日置氏は測量師ではなくて製鉄に関わった氏族であるという根拠は、五十瓊敷命が川上宮で大刀一千口を作らせたとき、参加した十の品部の中に日置部が見られる、という事だけなのである。確かに日置氏は製鉄に長けていたと思う。しかし大刀一千口の製作に参加した倭文部、弓削部など他の品部も刀を仕上げるほどに製鉄や精製に長けていたと思われる。そしてそれ以外の忌部なども製鉄に関わっていたという記録がある。つまり製鉄、精錬は特に渡来系の氏族、品部にとっては必須事項のようなもので、特段一つの氏族に限っての事ではないようだ。製鉄専門の品部というのは在りそうで実はないのではないか。
 となると日置部の所掌というのは何だろうとなると、やはり太陽を主とした天体の観測、陸地の測量、そしてそれらから発展した建造物の設計、施工あたりまで行ったのではと想像する。
P1010282

 


ただこの二冊の本を読むだけでは、国政選挙の公報を見て候補者を選ぶようなもので、何が本当かはわからない。

 太陽の道という大和から伊勢に至り、西は淡路島まで到達する東西のラインがあることは間違いないが(もちろん学界には認められていないようだが)、それを測量した人々が必ず居るはずで、それがライン上にいくつも現れる日置だとしたら、日置氏は蔭の測量師という水谷氏の主張はより真実に近いものと思われる。
 真弓氏の批判が起こった最大の理由は、「太陽の道」が中央構造線に沿っていたことであろう。鉄、銅、水銀、金、銀といったあらゆる有用金属の鉱脈であったことだ。そして日置氏が製鉄など金属に関連したことも理由となろう。
 ただ、「太陽の道」は東西に真っ直ぐな線である必要があるけれど、「鉄の道」なら直線である必要はまるで無いわけである。
 本書の中で、古代人が測量したと思われる具体的なテクニックを多く示されており、納得できる内容なのだが、読者の不満は日置氏は蔭の測量師であるという直接的な証拠が示されていないことである。永久に不可能なことかも知れないが、もう一歩真実に近づく方法を示してもらいたいと思う。
 ここのところを水谷氏はうまく言い表されている。

 
ジャーナリストは、つねに第一走者であるべきです。第一走者にとってゴールは存在しません。胸でテープを切る栄光の瞬間とは永遠に無縁です。ですから今度の場合も通常の著者のような感慨などは持ちようがありません。まだ、リレーは始まったばかりなのですから。(あとがきより)
 水谷氏が第一走者なら、小川光三氏はスターターといえるでしょう。そしてアンカーにはなれないけれどバトンを繋ぐ走者の一人にはなりたいものだと思うのである。おわり

P1010168
上林の日置谷(へきだに)、日置氏の謎はこの奥の山、畑口川沿いのある山にヒントがあると考えている。続きは「日置のこと」で。



  【作業日誌 9/22】
白菜2本植え付け、春菊2本植え付け

【今日のじょん】福知山から小山さん一家が来じょんされた。ワンワン運動会でお見受けしたときより黒ラブが増えている。なんでも可哀想な子で預かっているとのこと、寂しがっているマーブルママに逢ってもらったのだがさてどうなることやら、、。
P1010273
P1010276_2
P1010278
P1010281



ラブちゃんは2才、じょんともすぐ仲良しに。
一人で遊ぶてんちゃんは身体が弱く、気になる子
じょんのびドッグランど、一番遊んでくれた一家。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする