晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

地獄八景亡者戯 9/12

2008-09-14 | 日記・エッセイ・コラム

2008.9.12(金)晴

 じょんのび村はちょっとした高台にあり、前を府道一号線(小浜綾部線)が走っている。この府道は信号も少なく、舞鶴や大飯小浜方面に抜けられるので通行量も多い。通勤時間帯には渋滞こそ無いものの、連続して車が通過する。府道一号線は整備途中で、広い新道の部分と狭い旧道の部分があるが、じょんのび村の前は広くて、1Kmの直線道路となっている。制限速度50Kmの追い越し禁止区間だが、実はここで連日カーチェイスが繰り返されるのだ。交通マナーの悪さは以前にお知らせしたが、マナーどうのこうのというより、無法地帯となるわけだ。
6時から9時前までが通勤時間帯のカーチェイスが見られる。通勤だから毎日同じ車が通るので憶えてしまう。全体のスピードが高いので昼間のような金魚の糞走行は少ないが、無理な追い越しは目に余る。2台3台一気に追い越すときは時速は100Kmを超えているだろう。反対車線の車がやむなく止まったりしている。よく事故が起こらないかと思うが、この半年の間にもしっかり起こっている。しかしこの通勤時間帯には起きていない。
 さて今日のタイトルはご存じ有名な長編落語のタイトルで、私は米朝のCDを持っているが、我が家の高台から車のバトルを見ていると、まさに雲上から地獄の亡者の戯れを見ているがごとき気がするのだ。通勤中の勤労者を亡者呼ばわりするのは大変失礼なことなのだが、高台から見下ろすその様は亡者のごとき様なのである。それは一分一秒を争って、あまりにリスクの多い愚かしい行動だからである。この道で、危険な追い越しや高速走行をして一体何分早く、目的地に着くのだろう。それとも気分の問題でそういう行為をするのだろうか。それよりも事故を起こして自らの命がなくなったり、他人を危めて途方に暮れるようなこととなったらどんなに不幸なことだろうか。その際に自らが違反の追い越しをしていたら、あるいは違反の速度を出していたら、保険は100%支払われるのだろうかなどと不安を巡らす。毎日毎日繰り返される車のバトルは、あまりにもリスクが多すぎて、亡者の沙汰としか思えないのである。Img_1044 Img_1045

1Km続く直線道路、二階ベランダからは運転手の顔まで見える。

今日のじょん:じょん語録(1)じょんじょんじょん
 朝起きて一発目のあいさつは「じょんじょんじょん」である。嬉しいときは高い声が良いというので、今にでも裏返りそうな声で「じょんじょんじょん」といいながら、上半身を抱いてこすってやる。最近はかみさんもまねしだしたのだが、これはおとーさんの専売である。「じょんじょんじょん」はカメラマンがやってるので写真はない。いずれセルフタイマーでお見せしよう。
 

コメント
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