或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

18区 ノルヴァン通り

2010-03-18 06:09:27 | 830 パリ紀行
パリでのユトリロの足跡を辿るシリーズの第7弾は上の写真のノルヴァン通り(Rue Norvins)。といってもあまりピンとこないので、有名なテリトル広場の前にあり、ユトリロの葬儀が行われたサン・ピエール教会(Eglise Saint Pierre)につながる通りといった方が分かりやすいかもしれない。この通りはサクレ・クール寺院と同様にモンマルトルの丘のほぼ頂上に位置している。

さすがにこの辺りは大勢の観光客でごった返していた。通りを囲んで様々な店が軒先を賑わせ、テリトル広場では絵描き達がイーゼルを並べて自分が描いた絵を並べて売っていたり、客の似顔絵を描いたりで、まさによくある活気に満ちた観光地の雰囲気。自分的には最も苦手なエリアなので、ざっとみてすぐにユトリロが好んで描いたソール通りとの交差点へ移動したけど。

ノルヴァン通りを散策した後に、ついに観光名所のサクレ・クール寺院へ。まじかにみると相当でかい。南側に面した広場に立つとパリ市街が一望に見下ろせる。モンマルトルに着いてから数時間。いろんな通りを探しては坂を登る。それを幾度となく繰り返した後でのこの眺め。久しぶりの開放感を味わったかな。おそらく観光客のお目当てのひとつもこれだったような。

記事を書きながらつらつら考えたのが、ユトリロの作品にこの寺院だけを画題にしたものはなかったような。つまり絵の中心はあくまで建物や歩道で、寺院は遠景の中のアクセントのひとつ。その意味では佐伯祐三の作品に通じるものがある。なるほどね、つまり彼らにとって、あくまで”街並み”がモチーフだったのか。改めて同じ時代を生きた二人の共通点を再認識したかな。

それでノルヴァン通りの絵なのだけど、ここもユトリロのお気に入りだったみたいで相当数の絵が残っていて、下の画像はその中の4枚。前回のサン・リュスティック通りでは構図として縦が好みだと言ったけど、ノルヴァン通りでは逆に横が好みかも。

1910 1914


1910 1911