或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

18区 モンマルトル博物館

2010-03-13 09:59:26 | 830 パリ紀行
パリでのユトリロの足跡を辿るシリーズの第5弾はコルトー通り(Rue Cortor)。前回紹介したサン・ヴァンサン通りからモンマルトルの丘の頂上に向かってもう1ブロック南へ登ったところにあり、この通りの12番地にあるのが上の写真のモンマルトル博物館。ここはユトリロにとってとても縁深い場所で、この建物の2階には母であるシュザンヌ・ヴァラドンのアトリエがあった。

ユトリロが9歳との時に彼女は金持ちの実業家ポール・ムージスと結婚。彼女は手に入れたアトリエで、ひたすら絵を描いた。彼女にとっては珍しく平穏で安定した生活を送っていた時代。ただしそれは彼女だけの話。ユトリロは邪魔だったのか、パリ郊外のピェルフィットで祖母に淋しく育てられた。そこからモンマルトルの中学校に通っていて、その頃に酒を憶えたらしい。

当時彼は12~13歳。うーん、かなり早いような。それからはもうアル中まっしぐら。母は勝手気ままな生活を送り、子は孤独で寂しい生活を送る。学校を中退後、職に就くもすぐにやめ療養所に入退院を繰り返す息子に医者の勧めもあり、リハビリ目的でデッサンを課するようになったのが、ユトリロが絵を描き始めるきっかけだとか。しかしねえ、なんか可哀想だよなあ。

だけどもっとスゴイのはその後。この母親は、ユトリロが連れて来た友人で画家のアンドレ・ユッテルに出会い、なんと恋に落ちてしまう。当時シュザンヌは43歳、ユッテルが22歳でユトリロが25歳。「オバさん、いい加減にしろよ」とツッコミを入れたくなるけど。それが原因で彼女は1910年にムージスと離婚。それからはアトリエを3人が使うようになって。下の写真は当時の様子。

それじゃ博物館の中に入ったかって?いや、入らずじまい。理由はハッキリしていて商業的雰囲気がプンプンしたから。これ見よがしの看板がドーンと眼に入った瞬間から引いてしまって。自分の中のイメージが壊れるのだけはいやだから。