或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

18区 モン・スニ通り

2010-03-04 06:21:03 | 830 パリ紀行
パリでのユトリロの足跡を辿るシリーズの第2弾は、前回記事にしたポトー通りからモンマルトルの丘の頂上に位置するサクレ・クール寺院に向かって登っていく途中にあるモン・スニ通り(Rue du Mont Cenis)。ユトリロはモンマルトルを画題に数々の絵を描いているけど、その中でもこの通りの枚数は多い。というのも彼にとって特別な思い入れのある通りだったから。

1909年、ユトリロが20代半ばの頃、母親のシュザンヌ・ヴァラドンは離婚を機に郊外のモンマニーからパリに戻ってくるのだけど、ユトリロより3歳年下の画家アンドレ・ユッテルと同棲し、しかもユトリロや祖母マドレーヌと共にパリに住むことになる。こりゃ、たまらないだろうなと。彼は朝から晩まで酒漬けで、毎晩のように酒場から酒場へと渡り歩く生活を繰り返していて。

そんな彼が母の許を飛び出し居候したのが、女主人マリー・ヴィジェが経営していた店「美しきガブリエル」。この店があったのがモン・スニ通り。ユトリロは彼女に惚れ込んでいたらしく、その意味では彼の生涯で数少ない恋愛だったらしい。上の写真はオランジェリー美術館にある「モン・スニ通り」(1914年)。”白の時代”の最後の頃の作品。自分的にはかなりのお気に入り。

実際にこの通りを登りきって絵が描かれた場所に立ってみて、かなり急な勾配の坂だったことを痛感した。ちょっと疲れたから。でも眺めは最高で、パリ北方の市街地が一望に見下ろせる。平坦な土地が多いパリの中では珍しい、モンマルトルならではの光景。高低の差はかなりのもので、なんとも言えない開放感に浸れたかな。その時に撮ったのが下の写真。懐かしいなあ。

それにしてもねえ、1901年にパリのサン・タンヌ病院にアルコール中毒患者として入院し、アル中の対症療法として絵を描き始めたとは。母が母なら子も子。しかし私生活と絵の出来栄えは関係なくて。そこがまた芸術の面白くて素晴らしいところかも。