或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

小出楢重(4)

2007-01-22 06:25:11 | 300 絵画
今日は画家、小出楢重のシリーズ第4回。雌伏の生活を送っていた彼が「Nの家族」(1919年)で二科展の樗牛賞を受賞したことは前回お話しましたが、翌年の大正9年(1920年)には、「少女お梅の像」で二科賞を受賞。ようやく頭角を現し始めます。

そして脂が乗ってきた1921年8月に念願の渡欧。神戸からマルセイユを経てパリへ。上の写真は三重県立美術館にある「パリ・ソンムラールの宿」(1922年)。パリで滞在していたホテルの窓からの景色を、現地で撮った写真を元に、日本に帰ってから描いたものらしい。なんかそれまでのイメージからすると、やけにハイカラ。やはり被写体の違いというのは大きいんだなあ。もっと言えば、彼の生涯の作品群の中で最も彼と分かりににくい作品とでも言っておきましょう。けっこうお気に入りではあるけど。

その後冬の寒さから逃れるために写生旅行をした南フランスで描いたのが、芦屋市立美術博物館にある「カーニュ風景」(1922年)。さすがに南欧。日本での作品と比べ、より色彩がカラフルで全体も明るくなっている。カーニュにはルノアールのアトリエがあって、当時渡欧した洋画家は必ずこの地を訪ねたとか。有名な楢重の裸婦の出発点も彼だしなあ。

ところが翌年4月にはもう帰国。半年足らずの欧州生活。しかもパリで暮らしたのは、わずか2ヶ月。サロン・ドートンヌを見にいきながらすぐに逃げ出し、「巴里の美術は実にだめだよ・・・、巴里で絵を習っている奴の気が知れないよ・・・」、なんて友人に愚痴ったとか。普通はどっぷり浸かるところが、あまのじゃくというか偏屈というか、飲み込まれるのがいやだったのか。

でもこれから後の作品を見ると、この渡欧が一つの転機になったのは確か。つまり否定をしながら影響はしっかり受けている。結果的には良かったんじゃないでしょうか。楢重独特の新たな自己のスタイルを確立するきっかけになったという意味で。