或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

追悼 菊池雅章

2016-01-30 18:28:46 | 200 ジャズ
昨日のこと、疲れて帰宅した後でネットをチェックしていて、ひょんなきっかけで知ったのがジャズピアニストの菊池雅章の死。享年75歳。昨年7月7日にNYで療養中に病死したとのこと。知らなかった。つい、ぐっときてしまった。彼は自分が高校生の頃、ジャズに夢中になっていた時に最もあこがれていたミュージシャン。新主流派として、当時の日本のジャズ界を牽引していた。

自分のブログを確認すると、2005年に彼に関連して記事を4回ほど投稿している。それくらい思い入れがあった。今日ネットで探していると、ECMレーベルのFacebookに彼の記事が掲載されていることを知った。上の写真はそこに掲載されていたもの。おそらく死の少し前のものかなあ。背景がNYだから。自分の想い出として、その記事をそのままここへ掲載しておこう。

Masabumi Kikuchi (1939-2015)

Pianist Masabumi Kikuchi, one of jazz’s most original musicians, has died in New York, aged 75. Born in Tokyo, Masabumi Kikuchi, known to musicians everywhere by his nickname Poo, played with Lionel Hampton and Sonny Rollins while still a teenager, and made his recording debut in the early 1960s with Toshiko Akiyoshi and Charlie Mariano. In the 1970s he collaborated with Gil Evans and Elvin Jones and led his own groups, drawing influence from Miles Davis, Duke Ellington and Thelonious Monk, as well as from Stockhausen, Ligeti and Takemitsu. Although he recorded only one studio album for ECM - “Sunrise” released in 2012 - he was an inspiration for musicians associated with the label, including Gary Peacock, Paul Motian and Thomas Morgan, admired for his rigorous individuality and his determined distance from all trends. In his last years Poo began to play a more inner-directed music, pursuing what he termed “floating sound and harmony”, and which he documented on many private recordings. “I’m more free now”, he announced at 70, “because I started believing in myself. When I sit down at the piano I do not prepare what I will play nor do I think about how to play, and I believe I found the way of putting out something new, and I guess I could call it my own”.

今でもはっきり憶えているのが、たしか高校3年の時に広島市で彼のバンドのコンサートがあって、それを仲間と聴きに行ったこと。終演後にずけずけと楽屋を訪ねていき、英語の参考書の裏表紙にサインをもらった記憶がある。そんな宝物をずいぶん前に無くしちゃったけど。振り返れば、あの頃は熱かったなあ。寝ても覚めてもジャズ漬けの毎日だったから。

なんだか悲しい。有為転変、諸行無常。改めて聴いた愛聴盤「EASTWARD」の中の”Little Abi"がこの上なく美しかった。

イーストワード(期間生産限定盤)イーストワード(期間生産限定盤)

南薫造

2016-01-16 15:53:12 | 300 絵画
昨年の暮れに友人とランチをした時の話。この時期が旬のフグが食べたいということで、広島の有名店である「正弁丹吾」へ。いつもは接待で座敷を使っているけど、この日は2Fのテーブル席。初めてだったけど、広めでまずまず。予約しておいた昼のフグコースが想定以上のパフォーマンスで、てっさからデザートまでを満喫。2時間ぐらいかかったかな。連れも喜んでくれた。

この店は広島の繁華街から少し外れた所にあり、普段は昼間に来ることがあまりないので、駐車していたパルコまで2人でブラブラ歩いていた時にひらめいたのが、せっかくだから画廊巡りでもしようかと。1、2軒まわり、最後に入ったのが「石森画廊」。場所が移転してからは初めて。軽いノリで作品を順に眺めていて、足が止まったのが1枚の風景画。身体が熱くなって。

絵のタッチと左下の特徴のあるサインから、作者が南薫造だということはすぐに分かった。気持ちを抑えて絵の下の机の上にあったプレートを確認してびっくり。4号という小さなサイズにしても、たった30万とは。もっと高いと予想していたから。「ひょっとして、長年憧れていた画家の作品が手に入るってこと?」と、半信半疑のままで興奮が徐々にピークに達したのは確か。

彼については伏線がある。昨年1月、同じ連れと二人で竹原へ遊びに行った時に、土産物屋の壁に飾ってあるのをふと見つけて、えらく感動したのを憶えている。「これって、まさか売り物じゃないよね」と言うと、「店の人に聞いてみたら」と言ってくれたけど、その時は何故か躊躇してしまい、後で聞けばよかったと後悔したっけ。そのことを連れも思い出してくれて。

「すいません、これ下さい」と、ほとんど会話がない状況で唐突に申し出たものだから、店長も驚いた様子。「彼の作品がこの価格ですから」と微笑みながら紹介してくれた。それから毎日眺めて楽しんでいるけど、おそらく彼が晩年を過ごした呉市の安浦近郊を描いたもの。秋の瀬戸内海がのどかで暖かい。これから一生、この作品と一緒に過ごせると思うと、とっても幸せ。

謹賀新年

2016-01-10 16:24:00 | 900 その他
新年明けましておめでとうござます。なんて言いながら、もう10日も過ぎてるし。かなり遅い気はするけど、何もしないともっと敷居が高くなるし。今年は年末から年始にかけて天気もまずまずで、かなり例年に比べて暖かかった。広島でもたいていこの時期に一度は雪が降っていた気がする。まさに暖冬。未だに車のタイヤをスタッドレスに交換しておらず、このままとしたい。

今年の正月は元旦に東京へ。というのも2日に名古屋で親戚一同が集まって食事をするという予定を立てたから。長野に住んでいる友人が東京で会いたいということで、それならと東京のホテルを予約。そこまでは良かったのだけど、正月に困るのは飲食店が営業していないこと。当たり前と言えば当たり前。結局元旦は、ホテルの中のフレンチレストランでディナーを。

そうそう忘れていた。元旦の昼に新幹線の中から夢中で撮ったのが富士山。いつもは気にならないのだけど、さすがに正月ともなるとなんだかね。やはり自分も日本人だなと思ったっけ。苦労したのは電線、電信柱、ビルとか、撮影を邪魔する障害物がひっきりなしに現れたこと。携帯のカメラで30枚ぐらい連続で撮影した中で、この1枚だけが唯一まともだった。

それで待ち合わせしていたホテルに着いたのが14時で、そこから東京タワーの写真を撮りながら、これからどうしようかと相談してまとまったのが明治神宮。ただし正月だし、東京では最も有名な初詣の名所なので、2日の午前中より元旦の夕方の方が空いているはずとの予想のもと、山の手線に乗りJR表参道駅で降りると、案の定、多くの客でごった返していた。

少し歩いて鳥居辺りまで来ると、広い参道は端から端まで人で埋め尽くされていて。だけど時間はかかったけど、まずまずスムーズに進み、生まれて初めて明治神宮へ参拝、しかも初詣で。連れの友人から、「後厄だから気をつけなさい」としつこく言われたりして。翌日の昼食を丸の内にある「Wolfgang's Steakhouse」で済ませて名古屋へ移動。なかなか充実していたかな。


ゆく年くる年

2015-12-31 20:22:51 | 900 その他
大晦日は、毎年記事を書く前に、前年同日の記事を読み返している。つまり昨年を振り返り、そして今年を振り返るって感じ。今年の師走は出張が立て込んだこともあって、息つく暇もなくぶっ通したような気がする。クリスマスイブから連チャンで何かしらイベントがあったから。今日も昼間に友人が遊びにきてくれて、ここぞとばかり手料理をご馳走した。

今年2月に伊勢神宮へ2人で参拝した時、名古屋駅地下の矢場とんで味噌カツを食べたら気に入ったみたいだったので、今日は名古屋名物の”どて煮”から始まり、一昨日釣ったタチウオの炙り、メバルの煮付け、タチウオのバター焼きと続き、シメは”味噌煮込みうどん”と、”名古屋づくし”でおもてなしを。美味しいと、とても喜んでくれた。冷蔵庫もすっかり片付いたし。

それで今年の全イベントが終了したので、昨年同様にPCに保管しているデジカメのフォルダを確認すると、有馬温泉、”うさぎの楽園”の大久野島、タイ、インドネシア、伊勢神宮、ハワイ、由布院温泉、唐津・有田、神戸、築地、南フランス、高知、毎年恒例の宇品と宮島の花火大会、鞆の浦、北海道の函館と登別温泉、柳川、さらには紅葉狩りで2週連続の京都、ソウル、台湾、中国、松江のしんじ湖温泉と、昨年同様に動き回っていて。還暦を迎えてもまだまだ、ていうか若い頃以上に元気だなと。

楽になったと思うのが親父の世話。今年6月に特別養護老人ホームへ施設を移動。数年来待って、やっと順番が回ってきた。毎週着替えを持って帰っては洗濯する必要があり負担になっていたけどそれがなくなって。これは精神的に大きかった。それと節目になったのが自宅の外壁塗装。色を白から淡いグリーンに変え気分を一新したことより、ずっと気になっていた家の大型不要物の整理ができたのが嬉しい。これからも気長に整理していかなければ。まあ、焦らず、じっくり、ゆっくりと。

それで自分の話。今年を振り返ってみるのだけど、昨年と違うのは、再婚はないだろうなと感じ始めたこと。結婚のハードルが高いのか、年相応の女友達がいなくなり、最近じゃ若い子ばかり。独り暮らしに慣れてきたせいもあると思うけど、気ままに遊んでいる方が楽かなと。この先どうなることやら。とりあえず松江にある宍道湖の写真を今年の最後に。皆様、よいお年を。

釣り納め

2015-12-31 10:09:48 | 400 釣り
一昨日は、いつもの友人達と、いつもの遊魚船で船釣りへ。今年最後の釣行なので、最後は大物にチャレンジしようと幹事が船長と相談してハマチに狙いを絞っていたまでは良かったけど、前々日、前日と連続2日間ハマチ狙いでボウズだったという情報を船長から入手したので、急拠狙いを変更することに。皆の投票の結果、タチウオとメバルに決定したのが前日の夜。

このところ瀬戸内海沿岸は穏やかな天気が続いていて、この日も風もなく絶好の釣り日和。まずはこの時期のタチウオのメッカである倉橋島沖へ。朝6時に港を出発して、広島湾を西から東へ縦断すること約1時間。ポイントに到着すると、既に10隻ぐらい船が集まっていた。早速テンヤ仕掛けに冷凍サンマを括りつけて釣りを開始。するといきなり自分の周りで連続ヒット。

「おいおい、また今日もこのパターンかよ」と、このところスタートでつまずくことが多く焦ったかな。皆と同じようにやってるつもりが自分だけアタリなし。周囲の3人が既に1、2本上げているのに自分はボウズ。船長から暖かいアドバイスをもらいながら、ようやく1本目をゲット。たまたま竿を動かした時でラッキーそのもの。指4本ぐらいの中型サイズ。これでだいぶ楽になった。

これではマズいと、隣の友人の釣り方を細かくチェックすると、電動リールをゆっくり等速で巻き上げながら、途中でタタキと呼ばれる誘いを入れていて、この後に食ってくる様子。早速自分も試してみると、いきなりヒット。アタリの出方と合わせ方をようやく掴んだって感じ。その直後だった、ヒットの後で合わせた時に、これまでにない重さが手に伝わってきて。

一気に抜き上げると、指6本サイズの大型が海面から現れて。いわゆる”ドラゴン”。これまでの中で最大。釣り上げて興奮していると、船長が出てきて写真を撮ってくれた。これが翌日のHPの表紙を飾ることに。次の日に炙りとバター焼きにして食べたけど、身の厚みがハンパなくて、味も最高。釣り納めでこんなサプライズがあるとは、良い締めくくりになったなあ。


永漢高爾夫倶楽部

2015-12-27 07:40:04 | 450 スポーツ
台湾での休日で、土曜日に九份と十份の観光をしたので、日曜日はゴルフを。ゴルフと言えば、ここ数年はラウンドの回数がめっきり減っている。今年もこれが最後で、トータル5、6回。会社のコンペを除くと、ほとんどコースに出ていない。保有している会員権の休止手続きをしたのがいつだったか憶えていないぐらい昔のことになってしまったし。

30代とか40代の頃は年間20ラウンドぐらいはしていたかな。スコアも平均90ぐらい。それがこのところ100を切るのがやっと。ていうかたまに平気で100をオーバーするし。それじゃ球筋が大幅に悪化しているのかといえばそうでもなく、端的に言えば安定していないということ。同じように打ったつもりが、ナイスショットの時もあればトップったりダフったりで、どうしようもない。

何て話はどうでも良くて、当日の朝、台北のホテルでピックアップしてもらい、一路西へ。およそ1時間でゴルフ場へ到着。すぐ前を飛行機が飛んでいるのが見えたので、桃園国際空港の近くというのはすぐに分かった。名前は永漢高爾夫倶楽部。実業家であり直木賞作家でもあり、日本に在住していた邱永漢が造らせたコース。ゴルフが高爾夫とは面白い。

当日は飛びっきりの快晴で、風もなく、前日までの寒さが嘘のようだった。一般的に台湾は風が強く、このコースも例外ではなく、日本では考えられないぐらいボールが曲がることもしばしばらしい。風が強いという話から、かつて日本で活躍した謝敏男とか涂阿玉と言った往年の名ゴルファー談義で同伴者との会話がしばし盛り上がったような。

それで肝心のスコアだけど、借り物のクラブのせいにする訳じゃないけど、フロントナインはなんと62。泣きたくなった。バックナインはようやく慣れてきて47。しかしトータル109とは情けない。ラウンド途中で暑くなってきたので半袖でプレイ。とても12月とは思えなかった。日本から冬場にわざわざ台湾へツアーでゴルフをしにくる理由もうなづけたなあ。


九份

2015-12-26 15:47:19 | 800 観光
今回の台湾出張は、相手先の都合もあって珍しく土日を挟んだので、寒い中で3日間のハードスケジュールをこなした後は、ようやくホテルでくつろげることに。午前中をのんびり過ごし、午後からようやく観光へ。同行した部下がどうしてもと選んだのが九份(きゅうふん)。宮駿の「千と千尋の神隠し」で出てくる街によく似ていて、台湾では一番人気がある観光地らしい。

知人の車に乗せてもらい、台北から北東へ約1時間で現地へ到着。こんなに海岸線に近く、しかも高い場所とは想像していなかった。台北では晴間ものぞいていたのに、途中から雨が降り出して。あとで聞くと、九份は雨が多いことでも有名らしい。道の両サイドにずらりと車が駐車している中を少し歩くと商店街の入口へ到着。人が多いのなんの。こりゃすごいなと。

そこから薄暗く細い路地を登っていくと、両サイドに、こんどは店がずらり。食物や飲物からアクセサリーまで何でも揃っていて、とても活気があった。まさに観光地でよくみる光景がそこに。およそ20分ぐらい歩くと、そこから右に入ってすぐに知人が、「ここからが千と千尋の雰囲気ですよ」と説明してくれて。自分は映画を見ていないので、感激なんて全くしなかったけど。

その頃には雨もかなり激しくなったので、ひと通り写真を撮った後に、近くのカフェへ。そこでは様々な種類の中国茶を提供していた。どれが何やら全く分らなかったので、定番メニューを注文すると、真紅の服を着た店のオバさんが配膳してくれて、それから予期せぬパフォーマンスが始まった。手際よく全員分のお茶を作っては何度もついでくれる。とても神秘的だった。

観光地としては意外に狭く、これで九份が終了。そこから南西へ車で約30分かけて十份へ移動。何があるのか聞かされていなかったけど、十份が神様に一番近い場所で、そこからランタン(天燈)と呼ばれる紙風船を飛ばすと願いが叶うらしい。家族連れや友人グループ、カップルで大盛況。皆楽しそうだった。生憎の雨だったけど、十分に満足して帰路についたっけ。






台北

2015-12-22 09:03:41 | 900 その他
先週の水曜日から台北へ出張している。台湾は生まれて初めて。けっこう日本人にも人気がある観光地らしく、食事が美味しいというのがもっぱらの評判。台湾と言えば、この11月に京都へ遊びに行った時に、清水寺で和服姿の台湾人の若いキレイ系の2人組から英語で話しかけられたのが記憶に残っていて。そんな訳で、ちょっぴり期待して出発したのは確か。

フライトをいろいろ探してみたけど、意外にも広島空港発の中国航空が朝の出国、そして夜の帰国と、ビジネスにはバッチリの時間に発着していることが分かって。朝5時21分のJRの始発に乗って広島駅、そこから45分かけて広島空港へ。現地は暖かいだろうと、早朝の寒さに凍えながら、あえてコートを持たずに軽装で出発。ところが現地は広島以上に寒かった。

桃園国際空港へ到着して、いざ外へ出てみると風は強いし寒しいで、この時点で「これは裏にハマった」と後悔を。台北のダウンタウンにあるホテルへ到着して暖房を入れようと試みるも全く効かず。どうも全室そうだったらしい。それから3日間ぐらいはずっと寒くて。加えて連日のハードスケジュールで、中国へのプチ出張等もあって典型的なお疲れモード。いや、つらかった。

流れが変わったのが土曜日ぐらいから。ようやく気温が上昇し始め、最低気温が10℃を超え始めて。それからはずいぶん過ごし易くなったかな。いろいろあったけど、今日の夕方には帰国する予定。それで台湾の印象なのだけど、中国とタイを足して2で割ったような感じかな。バンコクと同様に治安が良くて、バンコクより街は綺麗。だけど景色そのものは完全に中国。

食事を期待していたけどイマイチ。ほとんど中国。香辛料の使い方が大雑把過ぎて。自分には韓国の方が合っているみたい。逆に街ゆく女性は想像以上に美しくて。特に台湾東部の原住民の血を引いているらしい女性は堀が深くて美形そのもの。ファッションもお洒落で化粧もうまかった。残念だったのは、ほとんど観光できなかったこと。それは次回に期待かな。


祝 J1 CS優勝

2015-12-19 11:27:19 | 450 スポーツ
かなり遅めのお祝いだけど、地元チームであるサンフレッチェ広島がCSでガンバ大阪を飾り、今年度のJリーグ総合優勝を決めてくれた。全試合をTVで見た訳ではないけど、なんか久しぶりに興奮した。正直嬉しかったなあ。その後すぐに開催されたFIFAクラブワールドカップでも初戦、2回戦と勝ち進み、「おいおい、これってひょっとして...」と思わせてくれたりもして。

広島では、今年のシーズン当初は、黒田が帰ってきたこともあり、優勝と言えば広島カープの話でしかなかった。ところがふたを開けてみれば開幕から不調で、途中上昇気流に乗りかけた時もあったけど、結局は湿った打線が乾くこともなく、Aクラスどころか最終戦で負けて4位に。今年こそはと思い入れが強かっただけに途中からはその反動で気持ちが萎えてしまった。

その逆がサンフレッチェ広島。開幕時の順位予想では確か5番手から8番手ぐらいだった気がする。毎年“浦和サンフレッズ”に引き抜かれていて、西川、柏木、槙野、森脇、石原とレギュラー級が5人、加えて昨年は高萩が海外へ移籍したので合計6人。これではチームがボロボロになると誰もが予想したけど、シーズン後半からは安定した戦いっぷりに期待が高まってきて。

今思えば、水面下で行われていた他チームからの補強と若手の育成が大きく実ったという印象。林、柏、笹木、柴崎、そして何といっても優勝に大きく貢献したドゥウグラス。彼のおかげで中央からの攻撃力が格段に増したから。最後はブレークした浅野。そのスピードからジャガーというニックネームがついていて、ゴールした時には真似たパフォーマンスを見せてくれる。

だけど、何といってもチームがまとまったのはキャプテンの青山とエースストライカーの佐藤寿人のおかげ。特に佐藤は、仙台から移籍してきて、J2降格の時もいち早く残留を宣言してくれた。その後も、チームのために尽くす彼の姿勢が様々な場面で垣間見られ、それは確実にチームにマインドとして浸透したと思う。おめでとう、サンフレッチェ広島。そして、ありがとう。

ソジュ

2015-12-18 08:55:10 | 650 酒
韓国旅行の大きな楽しみがグルメ。よく言われているのが、唐辛子の“辛さ”。かつて数十年前に出張した時、仲間と一緒に来賓食堂へ案内され、ランチコースをご馳走になったのだけど、その最初に出てきたスープが経験したことがないぐらい辛くて。それでも自分ともう1人は美味しいと完食したけど、残りの3人は一口でギブアップ。その時自分は辛さに強いと認識したっけ。

連れからは、いろんな種類を食べて楽しみたいと。正直なところ、あまり韓国料理には詳しくなかったのでネットでサーチを。予定した店と違ったのもあったけど、ほぼ当初の狙いどころを網羅。初日の昼は、明洞の地下鉄の駅に程近い「王妃家 本店」で豚カルビ定食を。その品数の多いこと。だけど料金はウォン高でもリーズナブルだと思った。周りに日本人が多かったなあ。

初日の夜は東大門でのショッピングの後だったので、タッカンマリ通りを探すことに。地下鉄の駅から歩くにつれて人通りも少なく不安になってきて。「本当にこっちにあるの?」なんて連れにダメ出しされながらグーグルマップを頼りにさらに進むと、鄙びた路地の先に店の集落らしい明りが見えてきて。その中で唯一行列ができていたのが「陳玉華ハルメ」。

ここがタッカンマリの有名店。店内は満席で待つこと約20分。席に案内されると注文もしていないのに鶏が1匹まるごと入った鍋が眼の前に置かれて。後は店員が肉のとりわけ等の全ての作業をやってくれて。まさに繁盛店の雰囲気。酢、醤油、唐辛子を好みに応じて混ぜてつけダレを作り、いざ食べてみると、これが美味しかった。今回の旅行でベストだったかも。

2日目の昼は「サンボンファログイ 押鴎亭店」で定番の牛三枚肉のサムギョプサルとカルビを。評判程は美味しいと思わなかったけど。夜は明洞に戻り、「明洞餃子」へ。ここもほぼ満席で水餃子が美味しかった。最終日の昼は「明洞焼肉専門店」で焼肉コースを。リブ付肉をハサミでカットするというオーソドックスな韓国風で、これまた美味しくて。それで、全店共通で注文したのが韓国焼酎のソジュ。度数が低めで甘く飲みやすかった。グルメについては十分満喫したと思う。