人生は苦の連続や一茶の忌
信濃蕎麦二八の割りよ一茶の忌
小林一茶の肖像(村松春甫画)
今月の一月五日は俳人小林一茶が逝った月です。従って一茶忌は冬の季語となっております。俳句を詠う有能な頭脳の持ち主である一茶の生涯はけして幸せな人生ではなかった思います。三歳にして母を失い、八歳で継母を迎える。継母に馴染めず、安永六年(1777年)、十四歳の時、江戸へ奉公に出る。二人の妻と数人の子供が授かりましたが、子供は皆若くして失い、義理の母と遺産相続の件で継母と12年間争うなど波乱万丈の人生と言えます。私の句に「信濃蕎麦二八の割りよ一茶の忌」と詠いましたが、一茶が生れた信濃町(北国街道柏原宿(現長野県上水内郡信濃町大字柏原)周辺の蕎麦は蕎麦粉が八で繋ぎの小麦は二の割合です。昨年の十月だと記憶しておりますが、友人数人と信濃町へ蕎麦打ち体験に行き、自分たちが打った蕎麦を美味しく戴いた楽しい思い出が蘇、って来ました。すぐ傍の戸隠蕎麦は余りにも有名ですが、戸隠蕎麦は蕎麦粉は七で小麦粉は三の割合だそうだ。