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ときめきの日々を過ごしたい

五木寛之さんの「杖ことば」から

2016-07-27 05:03:07 | Weblog

物言えば唇寒し秋の風

今朝は雨がしとしとと降っていましたので、朝の歩行運動はまた晴れ間を見て行いたいと思い、PCに向かった。今日は例により「五木寛之」の「杖言葉」からの抜粋をと思い立ちブログの題材とさせていただいた。内容から「物言えば唇寒し秋の風」と詠いましたが、孫たちは今日から夏休み、秋はまだまだ遠いですが、あえて今日の話題にしました。

「口は一つ、」耳は二つ」という言葉を昔から聞いたことがあります。聞くことは大切に、喋ることはその半分にせよ、という意味でしょうか。この国では、言葉を少なくをもって尊しとなす。多弁は仁スクナキ徒として軽んじてきました。そこで人は口をつぐむことを処世の要ときめこみ、人の顔色ばかりうかがいながら暮らしてきました。「物を言え、言え」 と、大声で声泣き民衆に呼びかけたのは蓮如ぐらいなものでしょう。十五世紀の宗教家としては意表をつく発言です。「物言わぬ者はおそろしき」とまでけしかければ、沈黙の砂の如き中世の民草もおずおずと喋り始めます。百姓が物を言い、漁師は喋り、車借、馬借、水飲みの連中までが大声を発しはじめて、やがて織田信長をも閉口させるような一揆の時代がはじまりました。しかし、それは長くは続きません。「物言えば唇寒し秋の風」の感性は、平成の今なお深くこの列島の民をがんじがらめにして、言うべきときに口をつぐんで馬鹿笑いするだけの世の中。企業とアカデミズムの癒着、幼児虐待、政治家のモラルまでドロまみれの実状をニュースで知っても、いやなことを忘れてプラス思考でいくのが一番と、大リーグの活躍する日本選手の話題にチャンネルをすばやく切りかえるばかり。街頭でテレビのインタビューをうけたりすると、手をふって逃げようとし、それでもしつこくくいさがると、弱弱しく微笑して、いやー、ちょっと良くないんじゃないかなーなんて思ったりもしますけど」とつぶやくのが関の山。右翼と左翼が消滅してこの国はとんでもない国になりはてた、と言う人がいます。理ある意見だと思います。右翼も、左翼も、根底の姿勢はただ一つ「弱い者いじめは許さないこれだけ踏みはずさなければ本物です。「弱い者いじめは許さん!」と、大声で叫ぶ人々が消滅されて以後は、強い者が好き勝手をする時代となりました。こんな時代には、蓮如のように、「物を言え、物を言え」と、けしかけるのが真の宗教家というものではないでしょうか。そんなことを強く感じる今日この頃です。