雪柳農を立ちあぐ旗じるし
雪柳雪より白く咲き満ちる
謎解けるまでのめり込む雪柳
昨日Sさん宅へ(エニシダ)の花を撮りに行った帰り道に、今盛んに咲く「雪柳」の真っ白な花に出会う。この雪柳の花は、家内の生まれ在所では、「田植え花」と呼んでいたそうだ。高地の農家はこの雪柳が咲いたなら、米作りの第一歩を初めようと言う農の旗印だったとのことだ。それを聞いた私は「雪柳農を立ちあぐ旗じるし」と詠んだ。家内の実家のあった木島平馬曲地区は、家内と一緒になる48年前には、に50戸以上あった。伝統的な「祭礼」などは、村民一丸となり祭礼を盛り上げた。私はその「祭礼」にいくのが楽しみの一つであった。また、田植機など農業機械がないあの頃は人海戦術で「結」と言って田植えなど忙しい時期はお互いに農家の人々は助け合い、お手伝いを仕合い、村人のコミニュケーションが高めた。私も田植えの手伝いに何回となく行ったことが、今では懐かしく思い出す。今のは、淋しいことに、10戸に満たなくなり、伝統文化が全て無くなっている。これは全国何処にでもある傾向のようだが、家内の実家は、雪が降らない須坂市に移転して早二十九年に入る。今になると、大雪で何かと骨がおり苦労した馬曲での生活が長かった兄さん夫婦は、今の雪が無い余りにも楽な生活に、「これで良いんかと」何時も思うと、良く口にする。兄さん夫婦は、苦しさを味わった故の幸せであるのだと思う。今は息子夫婦と孫との三世帯同居生活が、最高のようだ。若夫婦二人とも長野市に務め、孫三人を兄さん夫婦が育てた。馬曲の山の生活では、息子夫婦が長野市へ通うことが出来ないので、核家族となり、二重生活となる。兄さん夫婦は元々農業のため、須坂へ行っても、農家から農休畑を沢山借り、農業から離れることが出来ないようだ。時期になると、沢山の色々の農作物をいただく我が家は大変にありがたい。兄さん夫婦は、生活が掛かっていない気楽な農業を楽しむことが、健康の源となっているのだと思う。