東北に心浮きたつ春ほしい
僕にとってあの日は、ありきたりな言葉ではありますが、ホントに地獄でした。家も失い、親も失い、なにもかも失った僕に残されたものは、自分の命と兄弟だけです。人間は、失ってから気づくとよく言いますが、まさにその通りです。ホントに大切だったからこそ、悲しかったし、悔しかったし、後悔がとてつもなくおおきくなったんだと思います。失ってから、もっとこうしてあげればよかったとか、今でも毎日そう思っています。
茨城県高校3年生
写真はネトより
私の周りでは、家をなくした人、友達をなくした人、親をなくした人などがたくさんいます。私も、大切な友達と優しくしてくれたその子のお母さんを亡くしました。
私の中学校はとても山の上にあり、いつも音楽室からは海が見えていましたが、その海がこんなに怖いと思ったのは震災の時が初めてでした。高校では逆に海に近いところに通っているので、津波の被害にあった友達も沢山います。
その中で今、私達は震災を乗り越えて自分達の将来に向けて歩いています。
とても悲しくて、辛い思い出だけど、今は頑張って、頑張って頑張って、頑張って頑張って、幸せになりたいです。
宮城県 16歳 女の子
今日はあの「東北大震災」の日から満四年目の日。毎日のように災害四年目を迎える「東北大震災」で報道満載ですが、上の大きな被害にあった当事者の少年少女の私記をを読んで、遠く離れていて直接被害の無い私の無力さ無責任さを切々と感じております。当時は義援金など小さな気持ちを表せて戴きましたが、もう四年も経ったのかと余りにも無責任な私が居ることに痛恨の思いにかざされた。この大災害を忘れることなく、小さな私が出来る範囲で、何か協力出来たらと改めて思う今日の三月十一日であった。