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ときめきの日々を過ごしたい

手花火

2013-08-18 11:39:31 | Weblog

 手花火に無心の顔の浮かびけり

手花火やまた来年に会うとしよ

 昨夜は東京の姉娘の家族が最後の夜だと言うので、恒例のささやかな花火大会となった。パパは名古屋からようやく東京本社勤めとなった。IT関係の仕事で、今迄名古屋に単身赴任をしていた。名古屋では、中部電力の大きなプロジェクトのリーダーを勤めたようだ。今回は大変な仕事で精魂を果した模様、コンピュータープログラマーは四十代で頭が真っ白になり、廃人同様になる人が多いと聞いているので、この点が私の一番に心配していることである。彼は東京生まれ東京育ち、ゆっくり落ちつく故郷が無かった。娘と一緒になってから、私共の北信州みゆき野へ来るのが雄一の楽しみになったようだ。今回はゆっくり休みが取れたようで、十日ほど彼の「ふるさと」飯山で沢山の自然と向き合うことが出来たとのこと、家の孫達もおじちゃんに色々なところへ連れて行ってもらい有意義な夏休みだった様子。彼を見ていると、自然派でコンピューターとかけ離れた性格のように思えるのである。1~2年本社でゆっくりとはいかないが家庭のある生活をし、今度はスペインに長期出張となると言っていた。子供達も難しい年頃、父親のいない家庭は何処ちぐはぐになるだろう、これもまた心配である。会社の意向に従うのがサラリーマンの勤め、今のグローバリー時代の社会に対応しなければならないサラリーマンは大変な時代に生きているのだなと、つくづく思う。

 

繊細の線香花火や息止まる

 

 

 他の手花火の際は「わいわいがやがや」と賑やかだった孫達は最後の線香花火になると、シーンと静まり帰り沈黙の空間となった。花火の定番、「線香花火」。日本人の心ともいえるくらい子供たちにに浸透していると思う。線香花火は何か謎めいたものが存在するような気がしている。また、どうしてこのような現象が起こるのか全てが解明されていないと聞く。神秘に満ちた花火である。先端の赤い玉を落とおさないように細心の注意を払うことが、沈黙の世界を生むのだろう。