ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

雪解けて

2008-03-12 10:20:43 | Weblog
雪しずくあつめあつめて大河なる



芭蕉の句の<五月雨をあつめて早し最上川>に類似した句だ、意図して詠むことが多い。春の暖かな陽気になりますと屋根に積もっている雪が音を立てて溶け水となり樋に集まり、そして千曲川に注ぐ。<小さな一滴一滴が大河となる>世の全てに通じそうだ。
コメント!!」
会津のマッチャンからいただいた情報「みちくさ新聞」のなかの大好きな「小沢昭一」さんのエッセイを載せてみました。

「いのちの叫び」 小沢昭一

「大国ごめん蒙る」
 「いのちの叫び」とありますが、叫ぶのはニガテで、専らボヤキ専門ですが。
 年寄りの私は、昭和のはじめの頃の生活を思い出しては心を癒す。ハイ、「昔はよかった」の老人の繰り言です。 
 私、東京の場末の一介の写真屋の小伜。まだ自然いっぱいの中で、毎日遊んでばっかりいる子供でした。横丁で原っぱでとび廻る。池や川や森や林で、虫や魚を捕る。また近所の寄席へもぐりこむ。たまには親に連れられてジャズを、あるいはロッパや藤山一郎を観にいく。という、楽しい毎日が続きました。
 しかし、やがて戦争が激しくなる。みんな軍国少年として教育されて、私も軍隊の学校へ進む。しかし間もなくわが家は空襲で焼け出されて敗戦。焼土の中で軍国少年のマインドコントロールは解けました。
 解放、自由を貧苦のドン底の中で頂戴し、でも今後は文化国家だと聞いて胸をふくらませたものです。しかし、軍事大国を目指して瓦解した日木は、文化国家の掛声もすぐ消え、次は経済大国を目指してヒタ走り。その結果は、今日、ご存知のとおりの荒廃です。
 どうも大国志向が、世の中、人間をダメにすると私は信じているのです。天丼じゃありませんが、上、並の、並の小国を目指してはいけないのでしょうか。
「清貧の思想」って程のものでなく、小国だった並貧の昔を「あれで十分、生き甲斐もある、結構楽しい」というのが、私の、民主主義をもじった貧主主義なんです。便利文明追求の大国では人間力が衰え、心も亡びる。……いえ、便利の恩恵にも浴しているので「叫び」はしませんけれど。    
みちくさ新聞129号掲載