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ときめきの日々を過ごしたい

原爆の日

2006-08-06 18:18:55 | Weblog
写真ネットから


この平和語り会はねば原爆忌

「昔話にしたくない」原爆投下午前8時15分平和の鐘が鳴り響く。
被爆者の代表花田貞子さんは「被爆後に亡くなった父と姉をしのび黙祷の間やけどで苦しむ父と姉の姿が浮かんできました。市内のあちこちで遺体が焼かれた光景が今も忘れない」と談話。「次の世代に原爆の悲惨さを伝えなければ」と誓った。

コラム!!」

●原点は、靖国 今はプラスに

 自分を意識する様になってから、  現在、80と言う歳を迎え、思うことは。
 靖国神社は、私にとって、「人生の原点」であると言う事だ。

 小学校四年生の頃、 先生から、
 ・・お前達、大きくなったら何になるつもりか・・と問われ、男子生徒は、
 声を揃えて、「陸軍大臣」 と、答えた頃を思い出す。決して丈夫な方では
 無かった、私も、何時しか、早く、軍人になって、天皇陛下の御為に、
 日本の国を守る為に、と、思う心は、強まって行った。
 いつか、投稿もしたけれど、
 
 小学校6年の頃には、一日も早く、戦地で戦死することを願うようになり、
 中学1年と2年の時、「陸軍幼年学校」を二度受験ししました。
 不合格でしたが ・・「戦地で戦死すれば、靖国神社に神として祭られる」

 「忠義」を重んじる、教育、部門の誉れ、とあいまって益々強く考える様にな  る。正に、「洗脳」と言うものだ ・・・

 それが、何時しか、男子中学が、軍隊化するに従い、矛盾を感じ始め、
 四年生の頃には、「洗脳」 は何時しか解けていました。

 これは可笑しい、と思うことが、多くなり、
「先生や、先輩の命令は、天皇の命令だ」と言う、理不尽な、考えが
 罷り通る様に成っていたのです。

 その頃幼年学校を受験した経歴の私に、「甲種予科練」に行くよう、
 学校当局から、頻繁に、薦められる様になりました。

 洗脳から解放された、私は、再三の薦めを断り続けました、
 その結果、「反逆児」言葉こそ違いは有れ、そんな扱いを受けたことでした。

 これは、その後の私の人生に、大きくプラスされた様に、今は思います。
 真理は、一つではない、常識もまた、考えようでは、「疑り深い」性格と捕らえ る人も居るかも知れませんが、それは心の中の事 もの事の本質を、
 自分なりに、考え直す、そんな習慣が、身についたと考えております。
                                幸村