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ときめきの日々を過ごしたい

回想 母について

2005-06-10 12:27:28 | Weblog
母よ母蛍舞うまでながらえよ
母は9年前,暑い夏の8月24日に永眠(79歳)した,この句は確か昨年蛍が飛ぶ前だから俳句サロンへ入れていただいたばかりの6月の回想句だったような気がします。
子供のころお盆に母の実家へ行くと蛍が掴むことが出来るほど乱舞いしていたことが懐かしく走馬灯のように覚えております。良く蛍にまつわる桃山話をしてくれた母でした。
私の女房と同じく農家から商人へ嫁ぎ,戦後の混乱期を厳しさと優しさを兼ね持って良く働いていた母をこの頃頻繁に思い出します。
コメント!!」
この世界は、『捨てる神あれば、拾う神あり』です。
「捨てる神」とは、私たちに、不運や辛い出来事を与えてくれる神さま。
 そして、「拾う神」とは、幸運や楽しいことを授けてくれる神さまです。
……実は、ある意味で考えると、本当は、この世は「拾う神」ばかりなので
 すが……
「拾う神」ばかりだと、その状態が当たり前になってしまって、今の自分の
 幸福に気づかないので、「捨てる神」があるのかも知れません。
神さまの視点から見ると、このシステムは、よくできていると言えるのでし
 ょうが、実際に肉体を持って、この世界に生きている私たちにとっては、ど
 うも「捨てる神」ばかりが目に付くことが多いようです。
 仕事で失敗した、失恋した、人間関係で困ったことがある、信頼していた友
 人に裏切られた……
 こんなことばかりが起こって、飛び上がるほどうれしいことなんて、めった
 に起こりませんね。
 まったくこの世界には、「捨てる神」しかいないのかなどと思えてきたりす
 るのです。
 だけど、ひょっとしたら、「拾う神」は、いつも身近にいて、私たちに福を
 与え続けてくれているのかも知れませんよ。
 ただ、私たちが、それに気づいていないだけなのかも
 「拾う神」は、いったいどこにいるのでしょうか?
 どうして、私たちは、気づかないのでしょうか?

『人生にとって幸福な音が三つある。
  1.夫が家にいて、静かに本を読んでページをめくる音。
  2.その傍らに妻がいて、何かを作っている音。
  3.その夫婦の側で、子どもが元気に遊んでいる音 』
<コラムニスト 富士川正巳>