屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

ALWAYS 続・三丁目の夕日

2008年10月17日 | 旭川の風景


「ALWAYS 続・三丁目の夕日」をみた。
甘すぎるラストだけれど、もっとも相応しいエンディングを迎えて、なんとなくホッとしたのも事実。
茶川竜之助にとって、
芥川賞はもらえなかったが、それ以上のものを得たのだからいうことないね。

茶川竜之助の気持ちになって歌を詠んでみる。

 ノーベル賞と芥川賞 どちらでもなく君を選びたい秋

 

東京オリンピック前の銀座や日本橋の風景が懐かしい。
首都高速ができて、
よくもわるくもこのときから東京は変わったと思う。

紅葉に染まった神楽岡を歩いていると、そんな昭和30年代のレトロな色つやを感じる。


遺影の母

2008年10月15日 | 旭川の風景


友人の母が亡くなった。
遺影をみつめていると、さまざまなことを思いだす。

(その一)
「おい、お前のところに卵ないのか・・」
高校時代、彼の家に泊まった朝
わたしは冷蔵庫のまえでつい遠慮ない声をあげていた。
そんなやりとりを隣の部屋で聞いていたお母さんは彼に・・
「いいお友達だね」といっていたそうだ。
どういう意味かわからないが、どうやら皮肉ではなかったらしい。

(その二)
彼とフキノトウをいっぱいとってきて、意気洋々とお母さんに「お土産!」といって玄関にどさっとおいたが、
なにやら困った顔をしていた。
そのあと、わたしの家で彼とビールを飲みながら、フキノトウの天ぷらを調子よく食べたものの、
途中で苦くなって口の中がえらくいがらっぽい。
残りは全部捨ててしまったが、
そのときになって、彼女の当惑した表情に納得したものである。

(その三)
お母さんペアーと千点10円の賭け麻雀?をしたことがある。
まあ、相手が相手、それこそ呑んでかかったら、
反対に何十円か負けてしまった。
そのあと、有駒のラーメンをご馳走になってしまって・・
とても旨かったが、なんかおかしな気分、だって、わたしはたしか40代になっていたからね。。

読経のなか、
遺影の母はそんなわたしをみて笑っているようであった。

すっかり紅葉に染まった神楽岡公園を歩いてきた。


赤レンガ

2008年10月11日 | 西勝洋一


 秋こそは光つよまれ たわやすく姿勢を変えてゆく友の背に     西勝洋一

西勝君は高校の同期です。
歌集に「未完の葡萄」「コクトーの声」「サロベツ日誌抄」などがあります。


昨日の旭川東高同期会は40人位の出席者があって、とても盛会であったそうな・・
ところで、わたしたちの卒業年度は昭和35年(1960年)だから、
五十周年目は2010年、あと二年とせまった。

兄は第六期、姉は第七期卒だが、五十周年の同期会には九十名前後の参加があったというから、
わたしたち第十期も例年の倍は集まると思う、
幹事さんにはお疲れ様といまから申し上げておこう。

赤レンガの道庁前・・
市内は紅葉の走りを迎えているが、ニセコや定山渓は今が見頃なんだろうな。


午後の椅子

2008年10月10日 | 日常


 あの午後の椅子は静かに泣いていた あなたであったかわたしであったか   永田和宏

 七回目の抗癌剤のあと、
 「二時間は排尿を我慢してください」と
 いわれたことを律儀に守って、
 次のトイレはいつもピッタリ二時間あと・・
 まあ、ここらあたりは真面目なんです。

 前回のようなひどい副作用はないが、
 今回の抗癌剤は手のひらにつぶつぶの発疹ができて、
 かゆみも尋常でなくてね。
 それでもニ三日たったらすっと消えるから不思議だね。

 病院のかえりは紀伊国屋で本を求めてから、
 マイルド珈琲を飲むのが楽しみ。
 そこではいつも同じ椅子に座って、
 静かにながれる音楽に気持ちをゆだねる・・
 それがわたしの
 お気に入りのひとときなのです。

 冒頭の歌はちょっと感傷的過ぎるかなあ、
 でも、「午後の椅子」という言葉に魅かれました。
 それはもしかして、
 わたしの座っていた椅子だったかもしれない。

 今日は高校の同期会がありました。
 みなさん、楽しい時間を過ごされていることでしょうね。
 来年は出席できればいのですが。

 ああ、後ろの鏡に美女を盗撮する怪しき人影・・
 

前田森林公園の秋

2008年10月09日 | 前田森林公園


久しぶりに前田森林公園を歩いてみた。
もうすっかり紅葉が進んで、あっというまの季節の移ろいに驚いてしまう。

ナナカマドの実もカエデの葉も真っ赤に色づいている。
どこかの山へいって紅葉の写真を撮ってみたいなあ。

でも、明日は七回目の抗癌剤・・
また二三日は執っこい痒みと熱りに悩まされそうである。



「風立つ薔薇」の冒頭の歌から・・

 コーヒーを淹れましたよお砂糖は貴方はひとつわたしはふたつ   伊藤チエ子

ほのぼのとした歌に書店で偶然お目にかかって得した気分になった。


川崎大師

2008年10月08日 | 





 川崎大師といえば、節分の豆撒き・・
 まあ、その程度の知識しかなかったし、
 宗派は真言宗で、 ご本尊は弘法大師、
 とはここにきて知ったばかりである。

 こんないい加減な知識でお参りしたから、
 とても願いなど聞いてもらえそうもない。
 でもね、
 ”善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや”
 親鸞上人もああ仰っているのだから、
 お大師さまもそこはわかって下さい。

 「九寿餅とお茶のセット」
 これは美味しかった~
 甘いものが好きなので・・

 さあ、明日からは札幌の秋景色です。


旧東海道テクテク旅その2

2008年10月07日 | 


寄木神社にも伊豆長八のこて絵があるという、
お稲荷さんが動き出しそうな古い神社であるが、肝心なこて絵は見つからない。
ガラス戸からなかの様子を窺うと、あったね。
施錠してあるし暗いし、ガラス越しでうまく撮れなくてボケてしまった。

それでも長八のこて絵をなんとか垣間見られてよかった。

↓長八のこて絵を紹介しているユニークなブログは、こちらをご覧あれ・・
建築日誌



東海七福神の一心寺(江戸札所30番)・・



明治三十九年、品川沖に停泊していた軍艦「千歳」へ渡る通船が、突風を受けて転覆し、
乗組員ら兵員65名・見送人15名、計83名が亡くなった。
大正八年「軍艦千歳殉難者之碑」が海徳寺に建立されたという。



海雲寺(江戸札所番外)・・





東海七福神の品川寺(江戸札所31番)・・
ここで旧東海道のテクテク旅をおえて、青物横丁から電車に乗る。
疲れたけど、古いお寺や文化遺産に触れることができて良かったね・・
でも、前もって知識を仕入れてから歩いたほうがより楽しかったと思う。




旧東海道テクテク旅

2008年10月06日 | 


↑善福寺の伊豆の長八のこて絵

長八は西伊豆・松崎町生まれ、
江戸から明治にかけて活躍した左官職人・・
漆喰による絵を描くことで有名。

↓品川浦舟だまり



姪の結婚式がおわってから友人と甲府方面をまわり、城ヶ島の磯に白秋をたずねる。
そして、きょうは旧東海道テクテク旅に出かることにした。

江戸情緒の名残りをさがしながら、北品川~新馬場~青物横丁までの道のり・・
妻は「鈴が森刑場跡」までゆきたいといっていたが、
それはどう考えても無理そうである。

↓善福寺

安政7年(1860)の建立、寄せ棟、土蔵造り。
かなりの荒れ寺である。
伊豆長八の見事なこて絵が異様に目立つ、
みつめていると安政の時代にタイムスリップしてしまいそうだ。



袋井松の近く・・
かってこのあたりが海だったことを偲ばせる石垣が続いている。

明日はテクテク旅の最終回となります。(笑)


安房崎灯台

2008年10月04日 | 


城ヶ島といっても、内海(三崎港)と外海では風景が一変する。
白秋の”城ヶ島の雨”の風情を感じられるのは内海であるが、
外海は安房崎灯台から城ヶ島灯台までごつごつした岩礁が続き、間断なく太平洋の荒波が打ち寄せる。
その岩礁をのぼったりくだったりして安房崎灯台へ向う、海へ滑り落ちそうなスリルもあって楽しかったよ。
油断すると波飛沫をかぶってしまうからね。



安房崎灯台はとてもお洒落なスタイルであった。
城ヶ島灯台は次回の楽しみに..


城ヶ島の雨

2008年10月02日 | 


  雨はふるふる 城ヶ島の磯に
  利休鼠の 雨がふる

  雨は真珠か 夜明けの霧か
  それともわたしの 忍び泣き


”利休鼠の雨”とはピシャピシャと音をたてて地面をはじく様子のことと思っていたが、
それはとんだ間違いであった。
「利休鼠」とは、江戸時代に流行した黒ずんだ緑色のことで、
利休好みの地味で控えめな色、それが名前の由来のようである。

大正二年、北原白秋は 城ヶ島の雨 を作詞した。
九十五年前の城ヶ島はさぞかし寂れた漁村であったと思う。
もちろん城ヶ島大橋などないし、渡し舟が唯一の足になっていたのかもしれない。
そこには傷心の白秋を癒してくれる風景があったのである。
メロディは哀調を帯びながらも後半は明るく転調してゆく、”・・唄は船頭さんの心意気”
その転調の意外性がいつまでも歌われる所以であろうか。



「記念館に入ってるよ!」
貝拾いに夢中になっているときは何をいっても無駄なので、
あきらめて先にゆくことにする。

あれれ、白秋記念館の前で偉そうに白い猫がねそべっているぞ。
白秋~白猫~白春、白つながりで、わたしも白春と改め白秋の弟子になろうかと考えた。
だけど、白猫の弟弟子はちょっとご免かな・・