屯田物語

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よごれたる煉瓦の壁

2006年11月18日 | 日常
   よごれたる煉瓦の壁に降りて融け
     降りては融くる春の雪かな     石川啄木




「心にしまっておきたい日本語」

金田一春彦氏は石川啄木のことをこう語っている。

啄木は東京に出てからも赤貧にあえぎ、しょっちゅう父のところに借金にきていた。
父は啄木に劣らず貧しかったが、なにもいわずになけなしの金を貸してあげたらしい。
そんなわけで母は啄木をまるで仇敵のように憎み、わたしが子供のころも
「あの人はひどい人だ。家だって苦しいのに、その家からお金を持っていってしまうのだから」
といつも愚痴をこぼしていた。
啄木はそのお金で妻子を養っていたわけではない。
酒と女に使っていたのだから、母の憤慨ぶりもわかる。
彼はきつい言い方をすると嘘の天才である。
たぶん父に借金するときも、あることないこと並べ立てて父の同情を買ったのだろうと思う。

   東海の小島の磯の白砂に
   我泣き濡れて蟹とたわむる   

   たはむれに母を背負いてその余り
   軽きに泣きて三歩歩まず

啄木のこの歌はあまりに芝居がかっていて好きになれない。
しかし、”よごれたる煉瓦の壁・・”この歌だけは啄木の心情が素直に歌われているような気がする。
よごれたる煉瓦というのは啄木自身の心のことかと思う。




作品と作者の人格は関係ないといってしまえばそれまでだが、
それも限度があると思う。
もちろん、高潔な人格でなくてもよいが、
酒と女と嘘だらけの男が、
”たはむれに母を背負いて・・”
と詠まれてもこれはどうも胡散臭いと感じるしかないのである。

このころNHK俳句の入選作をみて首をかしげるときがある。
そこには写実も感性もなく、
巧みな言い回しでお題を盛り込んでいくテクニック、
それだけが見え隠れする。
選者はその小器用さに惑わされているのではないかと思ってしまう。



11月15日石狩の海と灯台