屯田物語

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そのとき歴史が動いた ひらがなと漢字

2006年11月30日 | 日常
   東風吹かばにほひをこせよ梅花
   主なしとて春を忘るな


きょうの ”そのとき歴史が動いた” から・・

菅原道真と藤原時平の確執は結果として、
基盤としていた中国の律令制度からの文化的独立となった。
いわゆる国風文化の誕生である。
道真失脚のあと、時平は醍醐天皇の命によって古今和歌集を編纂した。
それまでは漢詩文だけであったが、
和歌として初めてのひらがなによる勅選集となった。
それが、漢字だけの公用語を和漢混淆文に改める契機になったという。


道真は漢文の教養が豊かであり、辞世の句も漢詩文であった。
”東風吹かば・・”
それならば、この歌も和漢混淆でなく漢字で詠まれていたのではないかなあ。
もし、すべて漢字ならどう表記するのだろうか。



お母さんとおばさん?かなあ・・
ふわふわする落葉のうえで遊ぶ子供を夢中になって撮っている。
ちょっと寒いけど微笑ましい風景だね。
手稲山の夕暮れときである。


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6 コメント

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菅原 道真について (hiroko sann)
2006-11-30 03:38:23
4年程前に福岡を尋ねて大宰府天満宮に行った
道真はほんの少ししか、かの地に住んでいないのに
これだけ知れ渡り神社まで立っている
もし、今の青年が2年札幌に転勤になって
歴史に残ることが出来ようか
という気持ちが沸き起こった
昔の人は偉かったのだな。。。という
思いで帰ってきました
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「艶」とか「嫋」とか (大阪のヒラク)
2006-11-30 08:27:14
エロティックとかの評が合う表現を漢詩でできるのかあ! と驚かされたました。中村真一郎の本で菅原道真が宴席から退去する際にその場の美女たちに後ろ髪を引かれる想いがのこる...と歌った漢詩が紹介されていたのを読んだときでした。最後の遣唐使に選ばれながら、その度のも含め、「もう遣唐使なんてつまらんことはやめよう」と廃止したのも彼、菅原道真だったそうですね。NHK出版から出ていた高橋千図さんという方の「道真」を2000年に読みました。大宰府を訪ねた前だったか直後だったか...
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恋の歌 ()
2006-11-30 10:36:40
ヒラクさん、こんにちは!
唐はこのころ黄巣の乱のさなかで内乱の状態でした。
そのため道真は遣唐使の廃止を申し出たということです。
この乱によって唐は一地方政権へと成り下がったわけですから・・
古今和歌集は漢字で書かれた和歌をいちいちひらがなに直したもので
あることは知りませんでした。
しかし、恋の歌が多すぎたので、紀貫之などの選者がそれ以外の歌を
追加して詠んだそうです。

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長浜の屋台 ()
2006-11-30 10:43:02
hirokoさん、こんにちは!
わたしが大宰府へいったのは10年以上前かなあ・・
ただ一回だけです。
このときは福岡の長浜の屋台、
ここのトンコツラーメンの旨さが印象に残っています。(笑)
道真が大宰府へ流されたときは50歳を越えていました。
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落ち葉 ()
2006-11-30 22:32:09
春さま、こんばんは。

札幌は、いよいよ雪になったようですね。

お写真のような、落ち葉で遊ぶ風景は、もう見られないのでしょうか。
ほのぼのとしたいいお写真だとおもいます。
サワサワという落ち葉をつかむ感覚が伝わってくるようです。
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楽しそう・・ ()
2006-11-30 23:34:20
麻さん、こんにちは!
きょうは朝からしんしんと降ってます。
でも、札幌は積もるような雪ではないような。。

この写真は21日の前田森林公園です。
とても楽しそうな様子なので、思わずカメラを向けてしまいました。
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