
山岸せいじさんは札幌のフォトグラファーである。
実は、札幌で開かれる美術展の案内状に載っている写真は山岸さんが撮影していることが多い。
そのかたわら、1990年代半ばからアートの制作・発表もさかんに行っているが、いわゆる写真展ではない。写真はあくまで素材にすぎない。
ファインダーをのぞかずに撮った写真を、トリミングしたり、重ねて焼いたりして、大型プリンターで出力する。いわば、絵の具のかわりにデジタル画像を用いた抽象画だ。
今回は「しずかなじかん」という言葉が最初に頭に浮かび、言葉に合った画像を、過去10年以上にわたって撮りためた大量の写真を見返して、選んだという。

写っているのは、光を反射する水面、防風林の木々、霧に包まれた丘など。
ファインダーをのぞかずランダムにシャッターが押されているので、なにがとらえられているのか判然としないプリントもある。
これらのプリントは、写真コンテスト的な観点では全く高い評価を受けないだろう。
しかし、見ていると、これほど心安らぎ、落ち着く画像も、めったにないような気がする。
この感じ方にはおそらく個人差があるだろう。
筆者は、なんだか魂の故郷に帰ってきたような感覚を抱く。
それが大げさなら、温泉に入っているような快さであり、いつまで見ていても見飽きないのだ。

パネルのプリントはいずれも80×35センチ。
縦位置の20枚は左右の壁などに並べ、横位置のものは床の上などに10枚置いた。
横位置も20枚持ってきたので10枚展示しきれないものが残ったという。
山岸さんは、大きなプリントを天井からつりさげて展示する場合が多く、パネルに貼って展示するのは珍しい。
額はなく、支持体の四隅にもプリントが回り込んで貼られている。
このほか、パネルに貼っていない大型のプリントが2枚ある(先の画像)。
会場には次の、詩のようなテキストが掲示してあった。
山岸せいじさんの作品はいわば「熱い抽象」というわけだが、実際に展示されているプリントからはクールな印象を受ける。
それは、単に自分の内面をさらけ出すための道具として制作・発表がされているというより、ある種の存在論・認識論(世界の見方)が制作に介在しているためではないかと思う。
平日の短い時間帯しか開いていない会場だが、周囲の森林と呼吸しあっているような作品から受ける感慨は大きい。機会があれば見てほしい。
2018年5月14日(月)~23日(水)、午前10時半~午後3時半、木金土日休み
黒い森美術館(北広島市富ケ岡509-22)
北広島美術館へのアクセス(道順)
関連記事へのリンク(2007年以降。06年以前については、一番下のリンク先からたどってください)
■バックボックス展 (2018年4月)
■鎌田光彦・山岸せいじ (2017)
■帯広コンテンポラリーアート2016 ヒト科ヒト属ヒト(2016)
■山岸せいじ展 photographic works あわいを覗く そこは素粒子が乱舞する処かもしれない。 (2014)
■防風林アートプロジェクト (2014年2月)
■「和」を楽しむ(2014年1月)
【告知】山岸せいじ展 あわいを覗く そこは原子ひとつ隣の世界かもしれない photographic works(2012)
【告知】かげ展(2011年)
■PHOTOGRAPH EXHIBITION MOVE 3 part1 (2010年)
■さっぽろフォトステージPart1 (2009年)
■遠くを聴く この言葉で繋がる7人の世界(2009年11月)
■東川フォトフェスタ ストリートギャラリー (2009年8月)
■PHOTOGRAPHY EXHIBITION MOVE 2(2009年2月)
■光を編む この言葉に触発された13名の作家達が織りなす世界
■東川町フォトフェスタ
■ARTIST WEEK vol.1 "air"
■Seiji Yamagishi、Takashi Yamaguchi 景一刻
■MOVE (以上2008年)
■たぴお記念25th + 13th 異形小空間(07年12月-08年1月)
■OPERA Exhibition vol.2 (07年)
■足立成亮写真展「事の終わり」・micro.の記録展(07年4月)
■スネークアート展(07年3月)
■山岸さんの個展「景」 (07年3月)=くわしいプロフィルと、2000~06年の展覧会へのリンクあり
・中央バス「広島線」で「竹山」降車、約680メートル、徒歩8分。地下鉄東豊線福住駅ターミナルか、JR北広島駅前から乗車
実は、札幌で開かれる美術展の案内状に載っている写真は山岸さんが撮影していることが多い。
そのかたわら、1990年代半ばからアートの制作・発表もさかんに行っているが、いわゆる写真展ではない。写真はあくまで素材にすぎない。
ファインダーをのぞかずに撮った写真を、トリミングしたり、重ねて焼いたりして、大型プリンターで出力する。いわば、絵の具のかわりにデジタル画像を用いた抽象画だ。
今回は「しずかなじかん」という言葉が最初に頭に浮かび、言葉に合った画像を、過去10年以上にわたって撮りためた大量の写真を見返して、選んだという。

写っているのは、光を反射する水面、防風林の木々、霧に包まれた丘など。
ファインダーをのぞかずランダムにシャッターが押されているので、なにがとらえられているのか判然としないプリントもある。
これらのプリントは、写真コンテスト的な観点では全く高い評価を受けないだろう。
しかし、見ていると、これほど心安らぎ、落ち着く画像も、めったにないような気がする。
この感じ方にはおそらく個人差があるだろう。
筆者は、なんだか魂の故郷に帰ってきたような感覚を抱く。
それが大げさなら、温泉に入っているような快さであり、いつまで見ていても見飽きないのだ。

パネルのプリントはいずれも80×35センチ。
縦位置の20枚は左右の壁などに並べ、横位置のものは床の上などに10枚置いた。
横位置も20枚持ってきたので10枚展示しきれないものが残ったという。
山岸さんは、大きなプリントを天井からつりさげて展示する場合が多く、パネルに貼って展示するのは珍しい。
額はなく、支持体の四隅にもプリントが回り込んで貼られている。
このほか、パネルに貼っていない大型のプリントが2枚ある(先の画像)。
会場には次の、詩のようなテキストが掲示してあった。
しずかな じかん
日常の中に 時々 表れるひび すきま
よく 入り込んでいた
たちどまるまで わすれていたかもしれない
しずかなじかん
ひっぱられ ながされ 目の前が 見えなくなっていた
今は あゆみをゆるめ
感覚器から つたわる波を 能動的な感じ
ゆっくり ただよう

それは、単に自分の内面をさらけ出すための道具として制作・発表がされているというより、ある種の存在論・認識論(世界の見方)が制作に介在しているためではないかと思う。
平日の短い時間帯しか開いていない会場だが、周囲の森林と呼吸しあっているような作品から受ける感慨は大きい。機会があれば見てほしい。
2018年5月14日(月)~23日(水)、午前10時半~午後3時半、木金土日休み
黒い森美術館(北広島市富ケ岡509-22)
北広島美術館へのアクセス(道順)
関連記事へのリンク(2007年以降。06年以前については、一番下のリンク先からたどってください)
■バックボックス展 (2018年4月)
■鎌田光彦・山岸せいじ (2017)
■帯広コンテンポラリーアート2016 ヒト科ヒト属ヒト(2016)
■山岸せいじ展 photographic works あわいを覗く そこは素粒子が乱舞する処かもしれない。 (2014)
■防風林アートプロジェクト (2014年2月)
■「和」を楽しむ(2014年1月)
【告知】山岸せいじ展 あわいを覗く そこは原子ひとつ隣の世界かもしれない photographic works(2012)
【告知】かげ展(2011年)
■PHOTOGRAPH EXHIBITION MOVE 3 part1 (2010年)
■さっぽろフォトステージPart1 (2009年)
■遠くを聴く この言葉で繋がる7人の世界(2009年11月)
■東川フォトフェスタ ストリートギャラリー (2009年8月)
■PHOTOGRAPHY EXHIBITION MOVE 2(2009年2月)
■光を編む この言葉に触発された13名の作家達が織りなす世界
■東川町フォトフェスタ
■ARTIST WEEK vol.1 "air"
■Seiji Yamagishi、Takashi Yamaguchi 景一刻
■MOVE (以上2008年)
■たぴお記念25th + 13th 異形小空間(07年12月-08年1月)
■OPERA Exhibition vol.2 (07年)
■足立成亮写真展「事の終わり」・micro.の記録展(07年4月)
■スネークアート展(07年3月)
■山岸さんの個展「景」 (07年3月)=くわしいプロフィルと、2000~06年の展覧会へのリンクあり
・中央バス「広島線」で「竹山」降車、約680メートル、徒歩8分。地下鉄東豊線福住駅ターミナルか、JR北広島駅前から乗車