北海道美術ネット別館

美術、書道、写真などの展覧会情報や紹介。毎日更新しています。2013年7月末、北見から札幌に帰還。コメントはお気軽に。

乗り物・ミュニバス San Francisco断章(4)

2009年10月15日 21時12分36秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
承前

 サンフランシスコでいちばん利用した乗り物は「ミュニバス」とよばれる路線バスだった。

 ところで、家人にいわせると、海外でバスに乗るということ自体、信じられないらしい。
 間違えて違う路線に乗ってしまったらどうするか、気が気でないというのだ。
 彼女は、札幌でも知らない系統には乗らないというのだ。

 単純な話、自分はバスが好きなのだ。
 ケチなのと(タクシーより格段に安い)、窓から景色を見るのが好きなのだ。地下鉄では車窓の楽しみがない。 
 札幌でも、地下鉄とバスで、所要時間と運賃が同じであれば、迷わずバスを選んでいるような気がする。

 それはともかく、サンフランシスコには縦横に路線バスが走っており、たいへん便利である。
 2、3ブロック歩けば、だいたいバス停に行き当たるようになっているのだ。
 筆者は、ケーブルカー、メトロも利用可の、7日間乗り放題パスポートを購入して乗りまくった。これは24ドルとお得な価格設定になっている。
 1週間で、ケーブルカーに2往復乗って、バスに2回乗れば、元が取れる。
 ちなみに、1日券は11ドル、3日券は18ドルである。
 1度乗ると一律2ドル(ただし、バスからバスにすぐに乗り継ぐ人には無料乗り継ぎ券がある)。最近値上げになったらしく、札幌の初乗り200円とあまり変わらない。

 すごいと思うのは、半数以上の路線が、架線にポールを付けて電力で走る「トロリーバス」になっていることだ。
 それらの車体には
「zero emission vehicle」
と誇らしげに書いてある。廃棄物ゼロの乗り物という意味だ。 




 古いバス、新しいバス、車内のようすはさまざまだ。
 欧洲などではよく見られる連結車も時々走っている。
 全車両に監視カメラが付いているのは、さすが米国。

 降りるときは、日本のようにボタンを押すのではなく、窓際につながっているひもを引っ張ると、前方の、次のバス停名を表示する電光掲示板に
「STOP REQUIRED」
と表示される。
 乗るときは前からだが(しかし、ジモティーは後ろから乗る人もいる)、降りるのは前でも後ろでも良い。




 これがバス停の表示。
 こういう、背の高い標識が立っているか、あるいは、最近札幌でも増えてきた、透明なブースがあるかの、いずれかのタイプが多い。
 いずれも、バス路線番号がはっきりと記され、わかりやすい。ただ、この停留所の名前が書いていない。サンフランシスコのバス停名はほとんどすべてが「通り」の名で、日本のように住所だったり公共施設だったり漠然とした地区名だったりとバラバラではないので、あらためて明記する必要がないのかもしれない。
 ただ、上の画像に、電柱に黄色く「BUS STOP」と書いてあるのが見えると思うけど、標識もブースもなく、この黄色い表示だけのバス停もたまにあった。これだと、バス停の所在がどこなのか分からず、通りすぎてしまうこともあった。




 ブース型バス停。
 トロリーバス用架線が夕空に映えている。
 路線図はあるが、時刻表はない。そのかわり、「●&▲minutes」と、あと何分で到着するかが、電光で表示される。「●」に「20」だの「40」だのという数字が入っていたことは、少なくても筆者は一度もなく、たいがい数分ないし十数分以内に次のバスが来た。
 ただし、この数字はあくまで予想値で、「arriving」と出ていても、じきに「1minute」にもどったりして、けっこうおおざっぱである。

 とはいえ、筆者の家の近くのバス路線でも、日中は30分おきだったりするので、サンフランシスコのバスは総じて使いやすい-というのが、いつわらざる印象だ。


(乗り物の項おわり。美術館の項に続く)
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乗り物・路面電車 San Francisco断章(3)

2009年10月14日 00時48分14秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
承前

 前のエントリで書いたとおり、ミュニメトロのうち「Fライン」だけは、古くからの路面電車である。
 札幌の駅前通に該当するメーンストリートである「Market St.」を走っている。
 「地球の歩き方」によれば、車輛はニューオーリンズ、モスクワ、ミラノなど世界各地から集めたもの。さまざまなデザインのものが走っており、レトロ電車ファンにとっては、まさに聖地といえるだろう。
 しかも、2000年には、エンバーカデロからフィッシャーマンズワーフまで延伸されたというからすごい。
 すべてパンタグラフではなくポールで架線とつながっているというのもめずらしい。






 これが車内。乗車は前から、おりるときは前でも後ろでも良い。


この項続く
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乗り物・バート、ミュニメトロ San Francisco断章(2)

2009年10月14日 00時34分24秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
承前

 乗り物の2回目。

 さて、サンフランシスコ国際空港をおりて市街へ向かう人の、かなりの部分は、BART(バート)と呼ばれる鉄道を利用すると思われる。

 「地球の歩き方」によると、
Bay Area Rapid Transit
の略らしい。




 きっぷの自動販売機でクレジットカードが使えるのはいいアイデアだと思うが、購入希望金額のボタンがならんでいるのではなく、5セントないし1ドルずつボタンを押して金額を増やしたり減らしたりするのが、面倒くさい。
 ちなみに空港からサンフランシスコまでは8ドル20セントだったと記憶している。「地球の歩き方」の時点よりもかなり値上がりしていたが、まあ、新千歳空港-札幌駅よりは安いもんな。




 繁華街にあるPowell St.駅は、ごらんのような半地下になっていて、エスカレーターで地上に出る。
 写真のエスカレーターの右奥に、ケーブルカーの発着場があるのだ。
 まさに、サンフランシスコ中心部の交通の要衝といえる。




 サンフランシスコ市内には「ミュニメトロ」という地下鉄も8系統走っている。
 筆者は1度乗った。

 なお、このうち「Fライン」は、全線が地上を走る路面電車であり、次のエントリで紹介したい。


この項続く
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乗り物・ケーブルカーの回転 San Francisco断章(1)

2009年10月14日 00時24分03秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
承前

 アップできる写真と話はまだまだ残っているサンフランシスコの旅。

 このブログの趣旨からいけば、当然美術館のことを先に書くべきだが、まずは市内の乗り物について4回にわけて紹介する。

 すでにケーブルカーについては、9月26日(1)のエントリで記した。
 そこで書いた傾斜が、じっさいどれぐらいのものかは、冒頭の画像を見ていただければ一目瞭然だと思う。
 次は、車内から撮ったもの。
 一般の鉄道ではかなりシンドイのではないだろうか。




 さて、始発・終点のPowell St.
 3路線のうち2路線がここから出ており、繁華街の中心ということもあって、いつも観光客でごった返している。
 ここでは運転手が人力で(!)車輛の方向転換を行う。






 これらの写真については、早朝に撮ったためあまり長い列はできていないが、昼間はタイヘンだった。




 これがステップ乗車の実例。
 一度はやってみたかった。

 サンフランシスコは世界で初めてケーブルカーが走った土地であり、最盛期にはもっと多くの路線が張り巡らされていたという。

この項続く
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2009年9月26日は9カ所(6) 

2009年10月10日 21時05分39秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
 “The Story of Crass”の続き。

 Crass(クラス)といっても、「夏の日の1993」とはなんの関係もない(あちらは、最近ひとり亡くなったけど「Class」だし)。
 1978-84年に英国で活動した伝説のパンクバンドである。
 それも、スタイルとしてパンクロックを演奏していたのではなく、きわめて政治的な主張を歌っていた。核兵器をのろい、保守的な教会を冒涜し、サッチャー政権に毒づき、そして、ジョージ・オーウェルの予言の年である1984年に、予告どおり解散した。
 まさに、最もパンクらしいパンクを実践していたといわれる。
 ・・・というのは耳学問で、じつは筆者もよく知らない(たしか日本盤はあまり出ていない。筆者が持っているレコードもすべて輸入盤)ので、これからこの本を読もうと思う。

 それにしても、サンフランシスコでもめったに観光客の行きそうもない地区の、書店ですらない小さな店にこの1冊があったのだから、筆者にとっていままでいちばん劇的な「本との出会い」のひとつといえるだろう。

 このあとも筆者は南下していったのだが、地図にあるはずのギャラリーを見つけられないうちに、暑さと疲れに耐え切れなくなり、18th.St.のあたりで、あきらめてバスに乗った。
 当初の目的地であったMina Dresden Galleryに行けなかったのが心残りだった。先日のサンフランシスコ・クロニクル紙でプレビューが紹介されていたので、見たかったのだ。この日はオープニングのため午後6時までは開いておらず、それまで待つ元気もなかった。

 というわけで9カ所。
 ずいぶん少ないが、札幌に比べるとずいぶん分散していて、鉄道の駅から離れたところも多く、難儀した。

 なお、筆者は、25日にも、フォートメイソン地区で3カ所のギャラリーを訪れているので、これで計12カ所となった。

 苦心したのは情報の入手。ギャラリー情報を載せたフリーペーパーは2種類見つけたけれど、いずれも1カ所ずつでしか見かけなかったので、どこにでもあるというたぐいのものではないらしい(とりあえず、このマチを訪れるアート好きならかならず行くであろうSFMOMAでは見つけられなかった)。しかも、それぞれ載せているギャラリーの顔ぶれがかなり異なるのだ。
 サンフランシスコにも「月刊ギャラリー」みたいのがあったら便利だろうなあと感じた。

 もっとも、もしサンフランシスコの人が札幌でギャラリーを見たいと思ったら、もっと苦労するだろうが。

 開いている時間が短めなのも意外。
 Yurba Buenaの Center for the Arts なんて、午後の5時間ぐらいしかあいていないのだ。
 正午から午後5時半とか、午前9時から午後5時というギャラリーもあり、しかも日曜は休んでいるところが多く、忙しい人はなかなか足をはこべないだろう。
 たぶん、日本人が忙しすぎるんだろうと思うのだが。


 未達成感はあるが、Mission St.やチャイナタウンを歩けたのは良い経験だったと思う。
 Union Square Gardenやフィッシャーマンズワーフだけではない、サンフランシスコの一面をちょっとだけでも見ることができたからだ。
 それは、観光客向けの「表の顔」ではない、決して豊かさばかりがあふれているわけではないアメリカだった。



(9月26日の項は終わり。サンフランシスコのエントリは続く
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2009年9月26日は9カ所(5) 一転南下、ミッション地区へ

2009年10月09日 20時43分09秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
承前

 14番はMission St.(ミッション・ストリート)をひたすら走る路線である。
 Mission St.は、マーケットストリートと並行しているあたりでは、いかにも「1本裏手の道ですよ」という地味めな感じがにじみ出ている。たとえて言うなら国道36号と並行している豊平2条通だろうか。
 そのうち、Civic Centerのあるあたりになるが、道路にはごみが散乱し、ホームレスの人が寝ているという、バスをあまりおりたくない光景が車窓から見える。

 Mission St.はすこし曲がって真南へと走るが、そのうち、中南米系住民の多い一帯になる。いわゆる「ミッション地区」である。
 貧しい、というほどではないが、いまひとつ垢抜けしない店や家がつづく地区だ。Mission St.に沿っては、昭和の商店街みたいに、靴、かばん、電化製品、衣服などの店や飲食店が軒を連ねている。

 こんなところにギャラリーがあるのかよ、と思いながらバスをおりる。Mission St.の1本西側を走るValencia St.沿いに、Michael Rosenthalというギャラリーを見つけて入ってみた。
 ギャラリーの女性が親しみやすそうな感じだったので、日本から来てふらっと見つけて入ってみたアート大好き人間だ-と正直に話したら、自作らしき地図をくれた。

 えーっ、ミッション地区って、こんなにギャラリーが多いの?! 

 ただし、地図で見ると、密集しているように思えるが、じっさいには太い道路はだいたい200メートル間隔(つまり札幌の倍)なので、ここに載っている30カ所を徒歩で制覇するのは、ちょっと無理な相談である(これがほんとのMission Impossible)。
 見つけられなかったり、なにもやっていない会場も多くあった。

 筆者が入ったのは、Creativity Exploredというギャラリー。



 版画が展示されていたが、なんだかアウトサイダーアートっぽい雰囲気が感じられる、ヘタウマな、でもリズム感のある作品である。
 ギャラリーの奥には、広大な工房があるのが見えて、びっくりした。

 その2軒ほどとなりにあるのが、Needles and Pensという手づくりショップ。
 奥が小さなギャラリーになっていて写真展がひらかれていた。



 手前はそれほど大きくないスペースに、手づくりのアクセサリーや、若干の衣類、それに雑貨やミニコミが所狭しと並んでいる。中央は平台になっていて、おそらく主人のセレクトなのだろう、数十種類の本がある。
 最近、札幌でも手づくりのものを売るお店が出てきているようだが、本やミニコミの有無が大きな違いである。

 その平台の上に、すごいペーパーバックがあるのを見つけてしまった。

The Story of Crass

 クラスの・・・・・・・・・・・・・、レコードじゃなくて・・・・・・・・・・・・・・、本?!


この項続く
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2009年9月26日は9カ所(4) CITY LIGHTS BOOKS。世界一の棚

2009年10月08日 23時56分40秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
承前

 筆者はアルマン像の前でバスを待っていたのだが、まるで来る気配がない。
 地図で見ると、Colombus Ave.(斜めどおり)はそれほど遠くなさそうだ。
 なので、歩くことにした。

 目指すは、CITY LIGHTS BOOKS(冒頭画像)。
 1950年代アメリカ文学の一大ムーブメントであったビートニク(ビートジェネレーション)の聖地とも言える書店らしい。
 アレン・ギンズバーグの名高い詩集「吠える」もここで出版されたという(出版事業もしているのだ)。
 いわば、ヒッピームーブメントの源流であり、60年代以降の学生運動、カウンターカルチャー、東洋思想(禅など)受容の遠い祖先がここにあるといえるのではないか。

 諏訪優著「ビート・ジェネレーション」(紀伊國屋新書)によると、この書店のあるノースビーチは、ビートの詩人たちが安いアパートなどに大勢たむろして、朗読会などをひらいていた地区らしい。




 書店の横の小路は
Jack Kerouac St.
と名づけられている。
 ケルアック。おお、「路上」の作者!。 




 スタインベックのことばが埋め込まれている。
 スタインベックは、「怒りの葡萄」で名高い米国の小説家である。




 書店の壁には壁画が描かれている。



 ケルアック通りをはさんで向かいの建物にも。


 店内に入った。
 圧倒された。

 まさに、カウンターカルチャー健在なり、だ。
 こんなにすごい書棚、見たことない。

 この書店が出している本のコーナーが1階にあるのだが、その書名がキテル。
「ジ・エイトの声」「誰も知らなかったイラク」「増大する米国の貧困」「ブローディガン」・・・。
(適当に訳してみました)
 読めるなら読みたい本ばかりだ。
 文学、美術の本が1階には詰まっている。
 「1917」という新聞があったので、なにかと思えば、インターナショナル・ボリシェビキの機関紙らしい。こんな党派がまだあるのか! 近くには、コミュニストの新聞や社会変革を目指す団体の雑誌がならんでおり、札幌駅前通りのアテネ書房でももはや見かけなくなった光景である。ミニコミもたくさんあった。
 もちろん、トルストイやオースティンといった正統派の文学も充実している。村上春樹は当然だが、桐野夏生の英訳もあった。


(ショーウインドウの写真)

 地下は、音楽、映画、宗教、歴史、哲学などノンフィクション全般だが、棚の分類が、「クィアスタディーズ」(同性愛研究)、「Green Economy」「人民の歴史」などになっていて、あまりのこだわりぶりに絶句。ここでは、「公的な歴史」の本と、「人民の歴史」とは別物なのだ。「Latin America」の棚の上でいちばん目立っているのは、もちろんフィデロとゲバラの本である。

 2階は、詩のコーナー。何千冊あるだろう。かつて池袋にあった詩書の専門店とはくらべものにならない品ぞろえ。



 ダンテ、フロスト、もちろんケルアックやギンズバーグ、そして高村光太郎も高橋睦郎も西脇順三郎の英訳もあった。




 読めもしないのに数冊の洋書を買い求め、店を出る。

 この書店の近くにギャラリーがあるはずなのだが、見つからない。
 Broadwayをおりて、つぎの目的地へ。
 この通りは、あやしい個室ビデオ店などが多く、夜はちょっとひとりでは歩けなさそうな雰囲気である。

 つぎに行ったのは、Art Space 712。
 ということは、akaさんのところより差し引き 610 エライのか、などとくだらないことを考えながら階段をのぼっていく。
 倉庫を改装したとおぼしき広いスペースでは絵画のグループ展がひらかれていた。フォーブ調の人物画が多いので、なんだかちょっと全道展みたいだった。

 附近は人や車の通行は少ないが、土曜なので閉まっている事務所などが中心で、あぶない雰囲気はまったくない。
 そのうちにふたたびFinancial Districtに出る。
 マーケットストリートを渡り、この通りと並行しているMission St.に出て、14番のバスに乗る。


この項続く
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2009年9月26日は9カ所(3) 街角のアート

2009年10月07日 22時28分37秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
承前
 
 このあたりにはパブリックアートがいくつかあるようだ。



 まず、「アウトサイダーアート」の名付け親などとしても有名な、戦後フランスを代表する美術家のひとりデュビュッフェの“La Chiffoniene”。
 1978年作とある。




 “Vaollancourt Fountain”という巨大噴水もあるが、土曜ということで通水していない。残念。

 うしろに見える塔はフェリーターミナル。さらに、ベイブリッジもちょっとだけ見える。




 サンフランシスコ連邦準備銀行の前には、廃品アートなどで知られる米国のアルマン“Hermes and Dianysus Monement to Analyse”。



 つづりが間違っているような気がする。ごめんなさい。
 ヘルメスは商業の神でもある。とすれば、この分裂した形状は、なにを意味しているんだろう。



 
 その建物の横の通路には、Dimitri Hadzi“Creazione CK458 The Hunt”。
 マサチューセッツの作家らしいが筆者は知らない。1988年作とのこと。

 

 三美神のようでもあるが、なかなか複雑な形状をしている。角度によって表情が異なるのが面白い。


 ビルに入って中庭にも大きな作品があった。



 スイスの作家Willi Guttmanの「Two Columns With Wedge」(1971)らしい。


この項続く
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2009年9月26日は9カ所(2) 中心街で

2009年10月06日 22時48分31秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
 
 なかなか本題に入らないけど、続き

 ふたたび「30番」のバスに乗って、適当なところでおりると、サンフランシスコの大通公園とでもいうべきUnion Square Gardenの前である。われながら、カンがいいと思う。

 のどが渇いたので、ジュースか水でも買おうと思い立ち、近くのスーパーマーケットWalgreenに入ったら、これがおもしろい。化粧品から菓子、フィルム・デジタルカメラ、飲料、日用品、おみやげ、とにかくなんでもあるのだ。
 つい楽しくなって、チョコレート、歯みがき粉などを買い込む。クレジットカードで支払おうとすると、じぶんでカードを機械に通し、機械の電子画面に署名するという方式で、なにぶん初めてなので、びっくりして戸惑ってしまった。

 荷物をホテルに置き、きょう本来の外出の目的であるギャラリーまわりに出ることにする。

 まず、ギャラリーの多そうなSutter通りから。
 最初のAcademy of Art University 625 Gallery は、ドアをノックしないと入れないギャラリーだった。
 ここでは絵画の2人展を開いていたが、YING ZHONという中国系の作家の絵が個性的だった。
 「A.D.4923」と題した作品が、No.1からNo.4まであり、獅子狩文錦を思わせる意匠だったりインド的だったり。エスニックなイメージを逆手にとっているのかもしれない。

 SILVERMAN GALLERYは、スタートレックの中で登場人物が転んでいるような、そんな変な場面を描いた絵と、男性の全裸の写真。すごくヘン。

 Lohenrese Galleryは、地元画家・彫刻家のグループ展のようだった。
 といっても、いかにも米国らしい堂々とした抽象作品が多い。
 Carolyn Coleは、何層もペイントしたあと、画面をひっかいたり、紙をコラージュしたり、かなり手間のかかった抽象画。画家の日々の思いがその過程にこめられているように感じた。

 4カ所目はCALDWELL SNYDER GALLERY。
 Paul Balmanという画家の、ニューヨーク・マンハッタンを題材にした絵画などの新作展だった。

 マーケットストリートを渡り、スターバックスで昼食にした後、79 Galleryへ。
 ここもAcademy of Art Universityの関連施設のようである。
 すごく太った女を描いた絵画や、接近撮影による写真、絵本の原画、アクセサリーなど多彩なグループ展。絵本「Laura Norwhere」にしんみりしてしまった。

 中心街はここまで。
 あらためて感じたのは、やっぱりギャラリーって入りづらいなということ。
 2階にいくつもギャラリーがならんでいるビルもあったが、ちょっと勇気がなくてパスした。

 

 とくに、札幌と異なり、作者が会場にいるのではなく(まあ、それもそれで英語で話ができないからちょっと困るけど)、絵を買いに来た人を画廊主が待ち構えているのだと思うと、よけい入りづらい。
 じつは、札幌の何倍ものギャラリーがサンフランシスコにはあるのだが。

 さて、ふたたびチャイナタウン方面へ向かいたいのだが、どこからバスに乗ってよいのかがわからない。
 マーケットストリートを歩いているうち、Financial Districtまで来てしまった。



 ここらへんは、超高層ビルが連なり、金融機関が集中している地区であるが、土曜日なのでビジネスマンの姿はない。
 The Embarcaderoのビルがならぶあたりではフリーマーケットが開かれていた。


この項続く
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2009年9月26日は9カ所(1) 朝の観光

2009年10月06日 00時31分36秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
承前

 ・・・という表題を書くと
「なんだ、海の向こうでもおなじことやってんのか」
とあきれる向きもあるだろうが、これ(ギャラリーまわり)をいくらかはやらないと、行った先のアートの現状を肌で知ることはできないでしょ?(と、えらそうにいえるほどでもないんだけど)

 ただし、個人的にはこの日は、書店や本との出会いが大きかった。
 購入した本はすべて英語であるので、いつになったら読めるのかはわからないが・・・。
 しかし、スーツケースの隙間や家の書棚のスペース(それに財布の中身)を考慮しなくていいのだったら、ほしい本はもっともっといっぱいあった。

 朝8時に出発。
 サンフランシスコ名物のケーブルカーに乗るために早くホテルを出たのだ。

 ケーブルカー3路線のうち2路線の始発となっているPowell St.は、繁華街のど真ん中にあり、いつ通っても観光客が長蛇の列をなしている。まだ客の少なそうな時間帯をねらったところ、やはり昼間よりは列は短かった。
 よく写真などで見るように、ステップ立ち乗りというやつをやってみたかったのだが、迷っているうちに、すぐに次の停留所からどんどん客が乗ってきて、あきらめた。
 なお、景色は、向かって右側のほうが良いようだ(筆者は左側にすわってしまった)。

 ケーブルカーはすべて1輌編成。
 車輛の前半は窓がなく、客は長いすに、外に向いてすわる。ステップにも客が立つ。
 両サイドの長いすと長いすの間に運転士が立ち、大きなブレーキなどを操作する。ハンドルはない。この運転ぶりが実にカッコイイのだ。

 

 なにせ出入り口があってないようなもので、どこからでも乗れるので、車掌も欠かせない存在。
 筆者が乗ったときは、線路にはみだして停車していた観光バスを、さっと車から降りて注意する役目も果たしていた。
 こんな100年前とほぼおなじスタイルの公共交通機関が現役ばりばりで生き残っているのはすごいと思う。
 サンフランシスコの市街地に急な坂が多すぎて、普通の路面電車では対応できないという理由もあるだろう。
 ただ、観光客が多すぎて、マチの人が一般的に利用するものかどうかは、ちょっとわからなかった。
 片道5ドルと、けっして安くないし(筆者は市内の交通7日間フリーきっぷを使っていた)。

 終点まで行くと、観光名所のフィッシャーマンズワーフのすぐそばなのだが、その手前のLombard St.でおりる。

 フィッシャーマンズワーフといえば、釧路を思い出す。サンフランシスコが元祖で、釧路のは、名前をかりただけなのだろうけど。
 雰囲気は、小樽の運河沿いと横浜みなとみらい地区を足して2で割り、ディズニーランドっぽく味付けしたような感じ。つまるところ、観光地なのだ。たぶん地元の人はあんまり行かないだろう。
 で、どうしてLombard St.でおりたかというと、ここはRussian Hillとよばれる高台で、ここからその名も

「世界一曲がりくねった坂道 The Crookedest Street in the World」

というのがつづいているのだ。



 ほんとうに世界一かどうかは知らない。筆者の家の近くにある坂も相当な急斜面だ。それはさておき、あまりの勾配のために、自動車用にヘアピンカーブが8カ所設けてある。
 (車は下り専用。歩道は別に設置されている)



 附近は閑静な住宅地で、そこは筆者の家の近所とおなじだが、アジサイなどの花がたくさん植えられて美しいところは、サンフランシスコの勝ちのようだ。

 

 上まで戻る気にはとうていなれない。
 それにしても、こんな坂道が多く、しかも街中は一方通行と、路駐時間制限の個所がやたらとあり、運転は大変だろうなあ。

 ぶらぶらと住宅街を散歩する。

 てきとうに歩いているうち、Colombus Ave.にある、もうひとつのケーブルカーの路線に出る。



 この路線も、都心のPowell St.に戻るので、ここから乗ってこんどは立ち乗りに挑戦しようと思うのだが、待てど暮らせどケーブルカーが来ない。
 あきらめてバスに乗って都心へ戻ることにする。

 この路線(30番)は、チャイナタウンの真ん中を突っ切っていく。
 チャイナタウンはまだ10時前というのに、どの店もすでに開いていて、買い物客ですごい熱気である。
 路駐も多くて、バスがなかなか前に進まない。

 車窓から見ていると、大量のスリッパを陳列している店が見えた。



 ホテルの部屋にスリッパがないことを思い出して、急にほしくなり、バスをおりた。
 あれこれ迷って1ドル50セントほどの軽いのを1足買った。


この項続く
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サンフランシスコ序説

2009年10月04日 23時33分04秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
承前

 さて、これがサンフランシスコ旅行に関する5本目のエントリなんだけど、そもそもサンフランシスコとはどういうところなのか、書いていなかった。

 といっても、米国の西海岸にあり、カリフォルニア州ではロサンゼルスに次ぐ都会であることは、よく知られていることと思う。
 第2次世界大戦の講和条約が結ばれた街でもある。

 この一帯は「ベイエリア」と総称される。「ベイ」というのは、英語で湾。
 冒頭の空港写真でわかるように、サンフランシスコ市街地の西側は太平洋。東側が、おおきく海が入り込んだ湾になっているのだ。
 その湾を東へとまたいで架かっているのがベイブリッジである。

 さらに、手前には、サンフランシスコ名物の霧がかかっているが、かの有名な「ゴールデンゲートブリッジ」の尖端部分が霧から頭を出している。ゴールデンゲートブリッジは、湾の開口部をまたいで、サンフランシスコ市街地と、北側の対岸のマチを結んでいる。




 もうすこし地上に近づいた時点で撮った写真(といっても、電子機器の使用が禁止されるよりは前のタイミングである)。
 写真の上が、北東の方角になる。
 サンフランシスコ市街地の海岸から北東に向かっていくつもの埠頭が伸びているのがわかるだろうか。

 ベイブリッジのすこし左側(北側)は、「フィナンシャルディストリクト」といって、金融機関などのオフィスが集まる超高層ビル街。
 そこから写真の右下に向かって太い斜めの道路が走っているが、これが「マーケットストリート」。下をメトロが、路上を路面電車やバスが走り、札幌で言えば駅前通りに該当する、にぎやかな通りだ。

 マーケットストリートから北側は、道路は完全に碁盤の目となっている。
 ただ、碁盤の目がすこしたわんでいるのは、それだけ傾斜があるということだ。
 サンフランシスコにケーブルカーが残っているのは、ふつうの路面電車では上り下りできないほど勾配のきつい坂道が多いためである。




 ところで、これだけ有名な街であり、超高層ビルが集中する地区もあるというのに、市の人口は70万人台。札幌市の4割ほどなのだ。
 札幌市にくらべると周辺にベッドタウンが多いので、単純な比較はできないだろうけど、それにしても、こんなに少ないとはびっくりした。繁華街はいつも多くの観光客や買い物客でにぎわっている。

 街の存在感は、人口だけによるものではないのだなあ。

 サンフランシスコの存在感の鍵は、「文化」かもしれない。

 1950年代にはビートニク詩人の拠点となり、米国文学の歴史にあらたなページをひらいた。
 60年代にはヒッピーが登場し、スコット・マッケンジーが「花のサンフランシスコ」をヒットさせた。サイケデリック・ロックが起こり、ジェファーソン・エアプレインなどのバンドが出てきた。
 ジェファーソン・エアプレインの後継バンドである「スターシップ」は、80年代に「シスコはロックシティ」を歌っている(この曲は最近まで、日本で朝のニュース番組でエンディングテーマに使われていたから知っている向きも多いだろう)。

 さらに、シリコンバレーが近いことも落とせない。シリコンバレーは、ベイエリアの南の端に広がっている。
 1970年代、輝きを失っていた米国の産業は、この地に育ったハイテク産業の力によりよみがえった。米国は、重工業からハイテクへと産業構造を転換させ、超大国の地位を保つことに成功したのだ。

 こうしてみると、ハリウッドやロサンゼルスとはまた異なった、独特のカウンターカルチャー(対抗文化)が育ち、世界へ向けて発信された街だといえるのではないだろうか。


この項続く
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アメリカ人は謝らないという都市伝説

2009年10月03日 22時48分04秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
承前)

 みなさんは耳にしたことがないだろうか。
 米国は訴訟社会だから、へたに「Sorry」と言うと不利になるので、内心は悪いと思っていても絶対口にはしない-という話を。

 今回筆者がサンフランシスコに数日滞在したかぎりでは、これは大嘘であった。

 歩道や通路で人にぶつかりそうになったとき、男性も女性もすぐ口をついてでるのが
“Sorry”
“Excuse,me.”
というあいさつであった。
 日本での
「すいません」
に似ている。でも、日本人が日本ですいませんと言うよりも、かなり高い確率で、サンフランシスコ人は
“Sorry”
“Excuse,me.”
と口に出しているというのが実感だ。

 筆者も日本では、ぶつかったらひとことわびるけれど、たとえばちょっとエレベーターの中でぶつかりそうになったぐらいでは黙っていると思う。
 カフェでは、
“Hi”“Hello”
とお店の人とあいさつするし。

 「あいさつをたいせつに」
という標語は、日本でよくきかれるけれど、どうも日本人はだまーってることが多いんじゃないだろうか。まあ、たぶんシャイなんだろうけど。

 おかげさまで、到着した日にくらべると、
“Sorry”
とすぐに言えるようになったと思う。
 或るときも、お店の中で、通路でビジネスマンふうの男性とはちあわせたので
“Sorry”
と言ったら相手は黙っている。
 まもなく彼のケータイが鳴って
「どうもお世話さまです。…えー、あれ送っちゃったんですか? 完全にアウトですねー」
などと、日本語で仕事の話を始めた。

 だれもじぶんの話してることが分かってないと思ってるんだろうなあ。

 また或る日、ホテルのエレベーターで会った老夫婦に
“Good morning”
とあいさつしたら
“Bon jour”
と返されてしまった。
 まあ、いいけど。
 そういえば筆者は以前、札幌の大丸藤井セントラルのエレベーターで、途中の階で乗ってこようとした西洋人の男性に
“Upstairs,OK?”
と注意を促したら
「上ですか」
と返されたことがあった。


(この項続く)
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サンフランシスコに到着

2009年10月01日 23時08分08秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
承前

 日航機をおりた筆者がまず目にした光景は、入国手続きの長い長い列だった。
 とにかく、長い。「フィンガー5」全盛期に、北海道厚生年金会館を取り囲んだファンの列よりも長い。
 もっとも、入国管理の役人は大勢いるので、前に進むのもわりと早い。
 無愛想な役人の前で10本の指紋を取り、顔写真を写す。容疑者扱いである。あまり感じはよろしくない。役人のいるブースの前では、大勢の米国人が
「Welcome」
とにっこり笑って来訪者を歓迎するビデオを流して、印象を良くしようと努めてはいるが(ちなみに、モニターについていたロゴは「SHARP」であった)。
 以前ちがう国で筆者が受けた入国手続きは、
「Oh,Japanese? OK」
みたいなもので、もうすこし調べなくてよいのかとこちらが心配になるぐらいに簡単至極なものであったことを思えば、その差に驚かざるを得ない。
 係官に滞在日数をきかれ、急にどぎまぎして
「twentysecond,twentythird...」
と、指を折り始めた筆者であった。

 なお、出国手続きはもっとひどい。
 べつに、おれ、アルカイダじゃないんだけど-と言いたくなるほど、ものものしい警備におどろく。。空港ロビーと免税ショップのゾーンの間だけ、まったく異なる世界になっている。

 さて、手荷物受け渡し所までくると、ようやく気分が晴れる。
 新千歳空港のように、係員が、お客さんがほんとうにじぶんのスーツケースを受け取ったかの確認まではしない。
 あたりには、たくさんの出迎えの人が来ていて、到着した人と抱き合ったりしている。いいな。
 とりあえず、最初にやることとして
「100ドル札を細かくする」
に取りかかろうとするが、どこに行けばいいのかわからずうろうろ。
 「国際仏教学会 歓迎」
の札を持った西洋人のおじさんと二度も目が合い、おたがいニヤリとして「No」と手を振る。
 informationのお姉さんに尋ねると、なにを行っているのかよく分からないが、どうやらカフェで崩してくれそうとのこと。手荷物受け渡し所を出たところの近くにあるカフェへ行き、コーヒーとサラミのホットサンドを註文する。
 100ドルを細かくするという所期の目的は達成できたが、サンドイッチはまずかった。

 「バート」と呼ばれる、空いた電車に乗って、サンフランシスコ市街へと向かう。
 地下の部分が多いが、地上を走る部分からは、安普請の長屋のような住宅が乾いた斜面にどこまでも広がって見える。
 着陸直前、空から見たベイエリアの街並みの美しさにおどろき、フォスターシティにはいったいどんな人が住んでいるのだろうと感心したものだが、もちろんカリフォルニアにも垢抜けない地域はあるのだろう。
 中心街にある駅でおりると、そこは、いきなりサンフランシスコだった。
 半地下になっている駅舎からエスカレーターで地上に出てすぐのところが、名物ケーブルカーの発着場なのだ。
 デパートやブランド店が並び、ストリートカーやトロリーバスが行き過ぎ、街角ではサンタナのようにギターをかきならすおじさんがいて、スケートボードでかっこよく走っていく学生がいる。東洋系、スパニッシュ、黒人・・・。いろんなエスニックグループの男女がたくさん歩いている。サンフランシスコの大通公園ともいえる「ユニオンスクエアガーデン」の周辺はホテルやお店がぎっしりと立地し人通りも多く、空洞化とは無縁である。
 いままで、さんざんテレビや映画で見てきた光景が現実の前に登場したみたいで、なんだかヘンな気分だ。

 小売業の世界共通化が進んできたことは、筆者のような旅行者を安心させるとともに、物足りなく感じさせもするだろう。
 H&Mは札幌にはまだないけれど、スターバックスコーヒーとかアップルストアとかGapとかTHE BODY SHOPとかバナナリパブリックとかDIESELとかLevisとか、きりがないからやめるけど、ようするに札幌と同じじゃん!
 Virgin Mega Storeが閉店してるのまで札幌と同じだったりする。
 ちなみに、Levisはサンフランシスコが発祥の地らしい。とにかく、スタバは、中心部にはやたらと展開していた。
 そうだ、セブンイレブンもありました。ほとんど「トリビアの泉」みたいな話になるけれど、マーケットストリートのセブンイレブンは711番地にあります(マーケットストリートは札幌だと駅前通に該当する一大繁華街。下を地下鉄が通っているのも同じだが、地上の路面電車を廃止していないところがえらい)。 
 ただ、日本のようなコンビニエンスストアはごく少なく、マチのふつうの酒屋・食料品スーパーといった感じの店が健在である。


(この項続く)
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サンフランシスコへの道

2009年09月29日 21時32分25秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
 人は当然問うであろう。
 お前はなぜサンフランシスコに行ったのか、と。

 理由については長くなるし、うまく書く自信もないので、省略する。

 すこしだけ説明すると、会社の出張ではないし、単なる物見遊山でもない。
 ただ、行った所期の目的は、ほとんど達成できなかった。
 その意味では、苦い旅だった。

 単純な観光であれば、家族で行きたかった。
 海外にひとりで行っても、国内のひとり旅ほどには、おもしろくない。
 国内であれば、必要なときに旅先で、人と会話を交わすことができる。
 しかし、サンフランシスコではそれがほぼまったくできないのだ。
 今回の「苦さ」も、もっぱらそれに起因している。 

 あれこれ書いていると、なんだか、梶井基次郎と太宰治に中途半端な影響を受けた1970年代の青年が同人文学誌につづった暗い三文小説のようになって、ちっとも前に進まなくなり、おそらく読んでいるほうもつまらないだろうから、テーマ別に、書けることだけ記していくことにする。


 海外に行くのは相当に面倒な手続きを踏まなくてはならない。
 筆者は今回、かなりの部分を他人にやってもらっているうえ、ついに一部が出発前に終わらなかったこともあってとんでもない旅になってしまった部分があって、まったく大きなことは言えない。
 それにしても、パスポート取得だけは以前やっておいたからよかったものの、出発3日前に携帯電話レンタル手つづき、前日にスーツケースをレンタルして荷造り、当日新千歳でドルへの両替、成田で旅行保険加入-と
「良い子のみなさんは、もっと手際よく準備しなくてはいけませんよ」
と言われかねない、ひどい泥縄式であった。旅慣れた人ならともかく、十数年ぶりに日本を出る人のやることではないだろう。

 最新式の携帯電話であれば、そのまま海外でも使えるらしいが、筆者のはそうではなかったので、最寄りのNTTドコモショップに行き手続きをした。
 文明の進歩というのはおそろしいもので、国内で使っていた電話番号とメールアドレスがそのまま使えるという。
 しかも、機材の受け渡しは、新千歳空港のカウンターで可能だというのだ(郵送も可)。
 さらに、米国に到着すると、自動的に時差を調整して時刻が表示されるのである。どういう仕組みなのだろう? これは、正直びっくりだった。

 もっとも、登録していたメールアドレスや電話帳は、別にminiSDカードに入れておかないと、引き継がれない。筆者は、家人や、gooブログ投稿用のアドレスを帳面に引き写し、あらためて海外用に借りたケータイのほうにひとつひとつ入れなおした。
 ただ、海外ではパケホーダイが適用されないというので、gooへの投稿は控えめにした。twitterにもいっさい接続しなかった。

 「サンフランシスコのホテルはたいがい、ネット環境が完備されてますよ」
という、以前行った人のことばを信じて、いわゆる「ネットブック」とよばれるパーソナルコンピューターをかばんに詰め込んでいった。
 そのことばは間違いではなかったのだが、筆者は会社でも家でも、そこにすでにあるコードをじぶんの機械の背面に接続するという習慣にすっかり染まっていたので、あらためて接続用コードを持ち歩くことを失念していた。そのため、1カ所目のホテルでは、インターネットを使うことができなかった。
 2カ所目のホテルは、無線LAN(ワイヤレスサービス)が使えるということを、チェックインのときに聞き、パスワードまで手渡されて「これでやっと・・・」と胸をなでおろしたものの、いざ部屋に入ってみても、まったく電波が出ている気配がない。
 いたくがっかりしたが、わたしはなにもしなかった。だいたい、問い合わせたところで、向こうの言うことがわかるはずがないのだ。
 
 というわけで、関聯するエントリの投稿はすべて帰国後になってしまったのである。


 以下、あす9月30日からすこしずつ旅の記録をつづっていくことにしたい。
 なお、コメントやメールへの返事がこういう事情で遅れていますが、なにとぞご容赦ください。


(この項続く)
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ヒント

2009年09月25日 03時49分13秒 | 海外の旅 サンフランシスコ
さて、わたしはどこにいるでしょう?
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