北海道美術ネット別館

美術、書道、写真などの展覧会情報や紹介。毎日更新しています。2013年7月末、北見から札幌に帰還。コメントはお気軽に。

構造社展その4。気になった作品

2005年12月31日 00時01分43秒 | 展覧会の紹介-彫刻、立体
 しつこいようですが、「構造社 昭和初期彫刻の鬼才たち」展(1月15日まで。ただし12月29日-1月3日休み)で、筆者が気になった作品について書きます。

 斎藤素巌「泉」
 石膏着彩とは思えぬボリューム感豊かなレリーフ。裸婦と田園というモティーフもあわせ、「いやー、いかにも古代ギリシャだな」と思わせる見事な作品。
 綜合試作のところにあった「荷重」は、やはり古代ギリシャの「アトラス」像とよく似ている。

 日名子実三「女」
 1930年の作品。で、この髪型なんですけど、当時ハリウッドに彗星のように現れたルイーズ・ブルックスそっくり。「フラッパー」と呼ばれた20年代米国の「とんでる女」の間でもこのヘアスタイルがはやったんですよね。
 日本でも「モボ・ボガ」とか言われてモダンな文化風俗が花開いた短い時代です。その風潮が反映している作品だと思います。

 陽咸二「釈迦の降誕」
 その3でも書きましたが、ドイツ表現主義の影響を受けつつも、東洋的なものと無理なく融合を果たしている佳作。よく考えるとプロポーションも現実離れしているんだけど、それが全く不自然に感じられない。

 中牟田三治郎「きつね」
 キツネといっても、手の影絵のキツネ。作品のバランスも見事だけど、こういうさりげないユーモア感覚、すきだなあ。

 中野五一「建国の賦」
 富山県高岡生まれですが、幼いころ小樽に移った彫刻家で、この作品は道立近代美術館の所蔵です。北見にも「伊谷半次郎翁像」など多くの屋外彫刻があります。
 こうして見ると、中野の像もアカデミックですが、良い作品だと思います。なにより、西洋人ではなく日本人のプロポーションで制作されているのが良い。1933年という制作年から国家主義的なものを連想する人もいるでしょうが、それは、後世の発想ではないでしょうか。

 全体としては、小品や、メダルなどが多く、一般的な見ごたえという点ではそのぶんだけマイナスということになるんでしょうけど、「人々の生活の向上」という観点から見ると、大作一本やりの風潮に対して異議を申し立てているという見方もできるのではないかと思います。

 また、古代ギリシャふうや、「モボ・モガ」風に交じり、清水三重三の「朝寝髪」とか、江戸趣味の色濃い作品もあるのは、ひとつの時代を一面的にとらえることがいかに間違っているのかを教えてくれていると思うのです。

 余談。
 佐藤武造「マダム・ネルベ」って、池田理代子のマンガみたい。日本画の手法で西洋人を描くと、どうも変わった作品になります。
 余談その2。
 平井為成「青いヴェールの少女」は、少女の服が葉脈の模様と一体化している異様な作品。きちんと額装されていたのではなくキャンバスが巻かれて保管されていたのは明白で、よくぞ残っていたと思います。

 この平井をはじめ、戦後ほとんど美術の表舞台に出ることなく長逝した出品者も何人かいます。
 天才の栄光の影に、こういう人生もあるのだなと、なんだかしみじみしてしまいました。
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構造社展その3。なぜ忘れられたのかを考えてみた

2005年12月30日 00時47分38秒 | 展覧会の紹介-彫刻、立体
 札幌芸術の森美術館で1月15日まで開かれている「構造社 昭和初期彫刻の鬼才たち」展の第3回は、どうしてこの展覧会がいまはあんまり知られてないの? ということを考えてみます。というのは、実際に出品されている作品を見ると、けっこう良いのが多いと思うからなのです。

 ごくおおざっぱに、近代日本の彫刻の歴史をふりかえると、その歴史を書くときの枠組みになってきたのは、

 リアルな裸婦像がメーンの「官展」系と、ロダンの影響を受けた「反官展」系との対立

っていう構図だったのではないかと。
 さらにいうと、北海道の人は、なにせ中原悌二郎も本郷新も佐藤忠良も山内壮夫も後者であるから、「反官展」系に肩入れした歴史観をもってるんじゃなかろうかと思うのです。「ロダンの影響を受け、生命感あふれる…」なーんて説明されたりしてね。
 でも、よく考えてみれば、筆者は大正時代はおろか、近年の「官展」彫刻もロクに見たことがないわけで、ホントにロダン一派のほうがすぐれているのかどうかなんて、責任をもっていえないんですよ。
 
 で、「構造社」は、この二項対立の図式の中に埋没しちゃったんじゃないかと思うのです。

 もう一つ言うと、前回「構造社」の特徴を簡単に書いたけど、でも
「こういうのが構造社調です」
っていうのがいまひとつないんですよね。
 斎藤素巌はアカデミックですけど、ほかの人はドイツ表現主義の影響を受けた作品も多い。
 ポスターに使われている陽咸二の作品なんて、レームブルックが東洋に留学に来たかのような、ドイツ表現主義と仏像がドッキングを見せています(あとで図録を見たら、おなじようないいまわしがあったのでびっくりしました)。
 さらには、河村目呂二は「ジャズ・MONEY KEY猫」(招き猫のシャレ)や「サンタクロース小物入れ」など、彫刻の世界ではむしろ見下されていた人形的、工芸的な小品をたくさん作っているし、清水三重三の今展覧会で唯一の立体は観音像だし…。
 そもそも、彫刻の団体のくせに、絵画部もあるし。
 ま、このバラバラさ加減がいいんですよ。この団体に、先輩後輩とか、親分子分といったうざったい人間関係がなく、それぞれ自由にやっていたことの証左です。
 ただ、後世から見ると、どうもとらえどころのない団体ということで、これも忘れられる原因になったんじゃないかと思います。

 3つめは、「建築との調和」がむしろ足かせになったんじゃないかということ。
 彫刻と建築がセットであるという発想は、欧州に旅行したことのある人ならもう理屈じゃなくて感覚でわかると思うけれど、あたりまえのことで、この会の主張自体はまったく正当です。
 ただ、いかにもタイミングが悪かった。ものものしい彫刻の正面とかホールに彫刻が組み入れられたり、柱頭に女性像が掘り込まれたりする古代ギリシャ以来の西洋の伝統は、この第1次世界大戦後には、決定的に流行遅れになっていたのです。

 ところで、もうひとつタイミングが悪かったのは、建築との融和を志向した彫刻家がこの次の時代に手がけることになるのは、なかば必然的に、戦争関係のモニュメントになっちゃうわけですよ。
 日名子実三なんて、宮崎県高千穂地方に、高さ37メートルにおよぶ八紘一宇の塔を建立しています。
 文学にくらべてとかく戦争への反省が足りないといわれる美術業界ですが、それでもやっぱりこういう作家は、戦後には称揚しづらいですよ。
(それにしても、この塔が戦後「平和の塔」と改称され、現存しているのは、或る意味ですごいというか、日本人の変わり身の早さを表しているような気がする。木下直之氏の本に取り上げられていたような気もするが、いま手許にないのでわからない)

 もっとも、美術家の戦争協力は、「なかったことにする」のではなく、きちんと歴史として残していくことが大切だと思います。それが、戦争を繰り返さないことにつながると思うし。

 「構造社」のテキストは続きます。
 

 
 
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「構造社展」その2。「在野の団体」ってナニ?

2005年12月29日 10時08分33秒 | 展覧会の紹介-彫刻、立体
 札幌芸術の森美術館で1月15日まで開かれている「構造社 昭和初期彫刻の鬼才たち」展の続きです。

 「構造社」が何なのかについては、チラシやポスターですでにご存知の方もあるでしょうが、モノクロの地味な印刷のため、見逃している方もいらっしゃることと思いますから、かんたんにおさらいします。

 構造社は、1926年(大正15年)、斎藤素巌、日名子実三により設立された彫刻の団体です。
 第1回展覧会は、翌年の27年(昭和2年)、東京府美術館(上野公園)でひらかれました。第2回からは、公募展となるとともに、絵画部が設立されました。
 特徴として、今回の美術展でも大伸ばしの写真で再現されていますが、広い会場をフルに使って、建築との融和を掲げて会員の共同による「綜合試作」を行ったことや、会員が、メダルやレリーフといった実用分野にも積極的に手を伸ばしていたことなどが、挙げられています。
 しかし、経済的な理由で内紛が起き、彫刻部と絵画部が分裂、彫刻部の構造社は44年(昭和19年)に解散し、その後復活していません(絵画部のほうは、「十七会(となかい)」と合流して「新構造社」となり、戦後は「朱葉会」などと合同で展覧会をひらいた時代をへて現在もつづいています)

 ここで、よくちらしにも登場する
「在野の団体」
ということばについて、案外北海道の人は知らないのではと思うので、ひとこと。
 在野の反対は、「官」で、美術界では「文展」→「帝展」→「日展」のことを指します。
 もともと「文展」(文部省展覧会の略)は、フランスのサロンをまねて国がつくったもので、位置付けとしては、国内のいろんな団体や展覧会を網羅した大展覧会っていう狙いがあったんですね。昭和初期の文部大臣による改組にもかかわらず、二科展などは「官展ノー」をつらぬいたので、現在でも、美術の公募展には、日展との重複出品を認める一水会や光風会などと、日展に出してる人はダメよという二科、行動、二紀、自由美術、主体、モダンアート、独立、院展、創画、美術文化協会(以上順不同、思いついたまま)などの2つのタイプがあるワケです。

 とりわけ北海道は日展に出している人が少ないので、「日展の権威」とかいわれてもピンときませんが、よその県では、「展覧会の親玉」なので、けっこう強いらしいです。
 まして、彫刻の発表場所が、帝展と二科以外は小さなグループ展ぐらいしかなかった大正末期から戦前にかけて、「反帝展」を掲げてあたらしい団体を発足させるというのは、かなり無謀というか思い切った行動だったにちがいありません。

 ただし…
 展覧会の年譜を見ていると、斎藤をはじめとする中心メンバーはほとんど全員、帝展や日展に戻っちゃうんですよね。
 構造社が解散する前からもう帝展に出品している人もいます。
 作風も、とくに斎藤なんかは非常に古典的な作風なので、帝展に復帰してもたぶん違和感はなかったと思います。

 (この項つづく)
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企画者の意地を感じた「構造社 昭和初期彫刻の鬼才たち」展

2005年12月28日 09時20分46秒 | 展覧会の紹介-彫刻、立体
 いまはほとんど知られていない戦前の彫刻団体をテーマにした地味な展覧会ですが、埋もれた歴史に光を当てようという宇都宮美術館をはじめとする企画者の熱意を強く感じました。
 日本中から、現存する作品を探し出し、作品の残ってない作家については資料で補っています。作品は、無名な作家のせいか、保存状態の悪いものや、石膏に着色したものなどが多く、企画者の苦労がしのばれました。

 しかし、聞くところによると、あまりお客さんが入っていないようです。
 みなさん、見に行きましょう。
 Oさんは「ロックな展覧会だー!」と絶賛していました。

 なお、会期は1月15日までですが、12月29日から1月3日は年末年始で休みです。
 また、9日は祭日なので開館し、翌10日(火)が休みになります。

 「構造社」展については、何回かつづけて書きます。

 
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國松明日香展

2005年12月27日 18時57分49秒 | 展覧会の紹介-複数ジャンル
 すでに「北海道新聞」で紹介されたり、会場のギャラリーどらーるのサイトの掲示板などで議論されたりしているので、筆者ごときがつけくわえることも大してないような気もしますが、今回は國松さんとしてはめずらしく、彫刻と、平面の両方からなる個展です。平面のほうは、彫刻のエスキス的な作品ですが、シンプルかつ強い構図が目を引きます。
 彫刻は、一般的には量塊性が求められるものですが、國松さんは一般的な量塊性に依ることなく空間を成り立たせようという、ほかの人があまりやらないことをやろうとしているように、筆者には見受けられます。
 それにしても、中央の床の上に置かれた作品は、じつは四つのパーツを会場で組み立てたものなんですね。知らなかった。

12月1日(木)~30日(金)、会期中無休、8:00~19:00(最終日~17:00)、ギャラリーどらーる(ホテルDORAL 中央区北4西17 地図D)。略歴もっと読む
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来年3月廃止になる駅

2005年12月26日 17時41分49秒 | つれづれ日録
 ちょっと古い話題で、しかも美術とまったく関係ないので恐縮ですが、23日の北海道新聞に、来年3月のJRのダイヤ改正のニュースが出ていて、その末尾に次のように付け加えられていました。
 
 (以下引用)利用が1日1人未満と極端に少ない7駅を廃止することも発表した。駅の廃止は、1987年の民営化以来23カ所目で、これでJR北海道の駅は465駅となる。

 廃止駅は次の通り。

 ▽張碓(函館線)▽中徳富(学園都市線)▽智東(宗谷線)▽南下沼(同)▽新栄野(石北線)▽東幌糠(留萌線)▽旭浜(室蘭線)=引用終わり


 このうち、張碓(はりうす。小樽市)はかなり以前に旅客扱いを停止しています。
 到達する道路はないので、廃止前に行くのはかなりむずかしそうです。(といって、廃止になるからといって具体的に何が変わるのかはわかりませんが)

 ほかの駅の、列車が1日にとまる本数を調べてみると

 中徳富(なかとっぷ。たぶん新十津川町)は上り3本、下り3本。
 智東(ちとう。たぶん名寄市)と南下沼(幌延町)は上り2本、下り2本。(ただし智東は、例年は2月末までの多雪期休業)
 新栄野(遠軽町)は下り1本、上り3本。
 東幌糠(留萌市)は上り2本、下り2本。
 旭浜(長万部町)は下り4本、上り5本。

 つまり、もともと普通列車の運行の少ない線区なのに加え、その少ない列車が通過していくんです。
 JRは「利用が極端に少ない」っていうけれど、そもそも、利用したくてもおいそれと利用できないダイヤなんですね。
 新栄野なんか、下りの最終が朝7時45分発ですからね。
 上り3本はすべて午後なので、たぶん遠軽高校に通う生徒向けのダイヤではないかと思われます。
 もっとも、利用が少ないから止まる列車が減ったという推測も成りたつわけで、まあ、ニワトリと卵みたいなもんですが。

 このうち一番利用しやすい(笑い)旭浜駅は、暇があれば、行ってみたいですね。それも、ちゃんと列車に乗って。国道に面しているので、車で行くのなら誰にでもできます。
 いま住んでいるところにわりと近いし。
 まわりに民家などがまったくないので、つぎの列車が来るまでの間、時間のつぶしようがないのが難点ですが。駅舎すら無いし。

 
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クリスマス

2005年12月25日 21時56分05秒 | つれづれ日録
 見に行って、感想を書こうと思ってまだアップできていないのが、國松明日香展、芸森の「構造社」展。
 どうもばたばたしており、つぎの更新がいつになるか、なんともいえません。
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クリスマスはなつかしい

2005年12月24日 07時52分26秒 | 展覧会の紹介-工芸、クラフト
 名高い「陰影礼讃」などが収録されている「谷崎潤一郎随筆集」を読んでこまったのは、そこでとりあげられている日本の家屋とか義太夫節とかが、どういうものなのか皆目見当が付かないことだった。
 これで本州や四国、九州地方の人ならば、生活習慣の西洋化が進んだとはいえ、たとえ自宅が古い家でなくても近所や親類に昔の文化の残り香がありそうなものだが、なにせ、全室が洋間という建売住宅がめずらしくない北海道に住んでいる私。伝統的な文化にからきし弱い。書院造よりもアーリーアメリカン調に郷愁を感じ、瓦屋根や雨戸に異国情緒をおぼえてしまうのはやむをえないことなのである。
 そんなわけで、クリスマスもなつかしい。
 大型商業施設で繰り広げられるディスプレイとか、デートで豪華な食事とか、そういうクリスマスではもちろんなくて、かといって宗教的なバックボーンがちゃんとある西洋流の日というのでもなく、むしろ、黒澤明の映画「悪霊」にでも出てきそうな家(ようするに、札幌芸術の森にある「旧有島武郎邸」みたいな家)で、家族によって、小さなツリーとケーキなどでささやかに祝われる「戦後のクリスマス」には、いいようのないノスタルジーと、独特のあたたかみをおぼえてしまう。
 今回の、芸術の森工芸館でひらかれている「クリスマス展」も、そういう視線で見てしまった。だから、なつかしいのだ。

 前置きだけで長々と書いてしまったけど、今回の展覧会は、それぞれの作家が自分なりのクリスマス観(というとおおげさだな)を反映させていて、おもしろかった。
 いつもは漢字の題の重厚な作品をつくっている陶芸家も、軽めの、家庭に合いそうな作品をならべていたし。
 以下、気になった作家の名前と出品作名の一部を挙げておきます。

船木ゆずか「クリスマスのジュエリー」
 銀のすてきな首飾りなど

岩寺かおり「金彩キャンドル・アロマポット」
 もともと和風でないテーブルウエアなどを得意とする岩寺さんらしい作品

金子直人「丸い花器」「雪 小」
 金子さんは錫の作家。振り子がたのしく揺れるおなじみの時計もありました。

菅原義則「星のオイルランプ」「はっぱのオイルランプ」

高井秀樹「キャンドルウェアー」
 小さな葉を密集させたあかりは高井さんの代表作。これは、葉のかわりに、雪の結晶をつなげたもので、漏れる光がなんともあたたかい。

小出三郎「組み木のクリスマス」
 「キリスト降誕」など聖劇の一場面

外山雄一「ポケットの中のハート」「Sacchi」
 「Sacchi」はいす

煙山素子「ヒラヒラ・ゴマ」
 たのしい木製の野菜おもちゃなどで知られる煙山さん。このこまは、実際にまわすことができます

巳亦敬一「Tree」
 ガラスの、三角すいに似たかたちのキャンドルスタンド

伊藤泰三
 ガラスでできた冬の林のようです

木村初江
 陶板によるツリー、リース、月、星。裏も使える「リバーシブル」なのが特徴

中村裕
 家型のあかりや、バターケースなど、いつになく西洋調です

香西直行「みんなでクリスマス」
 もこもこしたかたちの陶のツリー。小人がよじ登っているのがかわいい

北見精吾「天空のクリスマス テレイドスコープ」
 重厚な木製の複葉機模型ですが、のぞいてみると、万華鏡のようなきれいな映像が見えます

札幌高専2年生有志「JELLYFISH」
 10代の感性がにじむ共同作品
  
というわけで、メリー・クリスマス 


=11月13日(日)~12月25日(日)、
札幌芸術の森工芸館。入場無料です。 (南区芸術の森2)


 
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東京美術倶楽部の前社長と元社長が死去

2005年12月24日 06時12分23秒 | 新聞などのニュースから
 読売新聞(当地では23日朝刊)におふたりの訃報が出ていましたが、こういうことってあるもんでしょうか。ちょっとびっくりです。


  村越伸氏(むらこし・のぶる=前東京美術倶楽部社長)17日、心不全で死去。83歳。

  三谷敬三氏(みたに・けいぞう=元東京美術倶楽部社長)18日、心不全で死去。89歳。


 美術倶楽部は東京、京都、大阪、名古屋、金沢にあり、茶道具や日本画を中心とした古物商や画商が加盟して売りたてなどを行っている会社ということです。
 村越さんには「眼、一筋」(中公文庫)という著書があり、平山郁夫、加山又造や横山操の駆け出しのころの思い出などがつづられています。とくに、横山の精力的な人柄は印象的です。

 http://www.toobi.co.jp/
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クリスマスは芸術の森工芸館へ

2005年12月23日 19時27分01秒 | 展覧会の紹介-工芸、クラフト
 札幌芸術の森工芸館の「クリスマス展」は25日まで。

 しずかで、心があたたまるクリスマスをすごしたい人におすすめします。

 詳細はのちほど。
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ウリュウさんおめでとう

2005年12月23日 18時51分23秒 | 展覧会の紹介-写真
 芸術文化月間「さっぽろアートステージ」のアトラクション「アートトレイン」の作品として札幌の地下鉄南北線車内に掲示された、ウリュウユウキさんの写真作品「You are in Sapporo.」が、準グランプリを受賞したそうです。

 アートステージは、なにせ札幌にいないので、どういうもんなのかぜんぜん知らないのですが、ウリュウさんはブログ「豊平橋停留所」やサイト「day's clip」で、心にしみる写真を発表しておりまして、筆者もちょくちょくのぞいています。じつは鉄道、地下鉄好きのウリュウさんらしい、足でかせいだ、同時にスタイリッシュな作品に仕上がっているようです。

 おめでとうございます。

http://daysclip.livedoor.biz/archives/50260805.html?1135330909
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「祈り」を感じた宮崎むつ展

2005年12月22日 22時05分43秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 おびただしい点のあつまりが、祈りと、宇宙の鼓動のようなものを感じさせてくれたように思います。
 正直なところ、前回の「札幌の美術」のときにはそれほど感動しなかったのですが、今回は胸にしみるものがありました。

 民家を改造したギャラリーミヤシタの1階には
「祈り」
「ひらく」(同題2点)
「祈り<幸>」
「祈り<式>」
の5点。
 2階には
「祈り<澄>」
「祈り<明>」
の2点が縦にならべてあるだけの、ぜいたくな展示です。

 たとえば「祈り<明>」は、紺の地に白や水色の点が打たれ、中央部がやや暗くなっています。

 また「祈り<式>」は、水色を中心に、オレンジやピンク、青の大小の点が、ドーナツ型のかたちが浮かび出るように置かれています。

 題のとおり、ひとつひとつの点に、作者の祈りというか、鎮魂のような思いがこめられているのを感じました。


12月7日(水)~25日(日)、月曜休み、正午~19:00(最終日~17:00)、ギャラリーミヤシタ(中央区南5西20 地図D)。
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道都大中島ゼミ展特集です

2005年12月21日 16時59分22秒 | 展覧会の紹介-複数ジャンル
 中島先生のお墨付きを得て写真をバシバシ撮ったのですが、あれっ、どうして大きさが違うんだろう。
 深い意味はないので、ゆるしてください。

 在学生・OB31人のグループ展で、このうち5人(森迫暁夫さん、兼平浩一郎さん、三上いずみさん、神田真俊さん、橘内美貴子さん)は個展形式です。
(橘内さんの名前が間違っていたので訂正しました。すいませんでした)

 冒頭の写真は、三上さんの染色。
 「陰陽ダルマ堂」という題です。
 これ以外には、「レレクトロン」「コブタチャンネル」パターン文様の作品が多いのですが、よく見ると、動物の顔になってたり、ふしぎな可笑しみのようなものを感じます。
 もちろん得意の不条理?マンガもあります。名作コミックス「ワラビモ」は第7巻まで出ていましたが、買ってくるのを忘れた。org

 つづいては、橘内さんです。
 1999年以降の版画23点を展示(以下、とくにことわらない限り、シルクスクリーン版画です)。

 橘内さんは当初、微妙な季節の移ろいを反映した抽象作品に取り組んでおり、その精妙な感受性にはひかれるものがあります。
 最近は、日常生活の中での感情などが、隠れたテーマになっているようです。
 写真の手前は「ユビサキノキオク」。大胆な無地の部分の使い方と、額なしがかっこいいですが、これは
「額装がまにあわなかった」
とのこと。



 つぎは、神田さん。14点。
(なお、順番にはとくに意味はありません) 神田さんは、強いて言えば横尾忠則を思わせるダイナミックな人物像などをコラージュした作品を制作してきました。とにかく、迫力があります。
 写真は「文福茶釜」。
 最近の「憑依」などは、どこかルオーを思わせる、輪郭線を際立たせた重たい人物像がモティーフになっているようです。
 
 つぎは、兼平さん。
 神田さんとならんで、道都大勢の道展大量進出の足がかりをつくった若手です。(たしか、現在は二人とも道展会友)。

 兼平さんは完全な抽象ではなく、大小さまざまな図形と簡略化された人物などを組み合わせた作品が多いです。
 シャープで力強いところは、道都大らしさだと思います。
 今回は1996年以降の20点を展示しています。
 写真は「暖冬」。
 ほかに、近作として「家路を急ぐ」「覚醒」など。後者は、一種の群像劇のような緊迫感にみちています。
 
 つぎは、公募展には所属せず、イラストレーターなどとして活動している森迫さん。有名菓子店「ルタオ」のタオルのデザインなんかもしているそうです。
(写真は、前のエントリー参照)
 筆者はこれまで何度か書いてきましたが、森迫さんの絵は、とてもにぎやかかつ個性的で、1度見たらわすれられません。ポップでキュートです。
 今回の会場も、染色やイラスト、ポスターのほか、極彩色に塗られた時計やいす、ウクレレ、マトリョーシカなどがならび、とてもにぎやかでした。
 ユニークなのは染色作品の前にアクリルの絵が飾ってあったこと。
 これは
「染色を、壁紙だと思って見てほしかった。ぼくの夢は、会場の壁も床も、ぜんぶ自分の作品で埋め尽くすことなんです」
と話していました。

 26人のグループ展にうつります。
 染色専門の人は、小竹由紀さん、東川恵美さんなどで、こちらも道展などでおなじみです。
 やはり多いのがシルクスクリーン。
 ふすまに、北空知バスの写真を転写した風変わりな作品や、おなじパネルにコンセントとスイッチを並べた作品を出しているのは、道都大を出て東京芸大に編入となったユニークな経歴の持ち主の宮口拓也さん。

 ダンボール箱にシルクスクリーンで直接刷っているのが阿部雄冬さん。 


 これって、アンディ・ウオーホルとか日比野克彦あたりがやってそうだけど、実際に見ると、なかなかポップで楽しい作品に仕上がってます。

 その次の、市民ギャラリーの丸い柱に作品を1周させて展示しているのが風間雄飛さん。
 こういう展示方法も、筆者は初めて見ました。
 絵の中身は、格闘技系テレビゲームにインスパイアされたもののような感じです。

 和田安希子さんは「rojiura」「フォーカス」など。

 直線を主体にしたつくりが、都会的で、疾走するかのような躍動的な画面をつくっています。

 岡野郁子さんは「孟秋」など。

 赤を大胆につかった配色の妙です。
 道展出品者が多いなかで、岡野さんは全道展に入選を重ねています。

 白石達也さん「巣」。

 一見スマートに仕上げているように見えて、じつは微細に、アリの脚などをかきこんでいます。
 佐々木健治さん「飛び立つ」「王手」なども、虫がモティーフです。

 関谷修平さんの「目眩」「METHOD WISE 001 ~円~」。

 デジタルカメラで撮るとモアレ発生必至の作品です。
 オプアート的なおもしろさと鋭さを感じました。

 佐藤郁美さんは「タネノミ」「変心」などと題した作品を出品。

 生命感のようなものを強く感じます。パワフルです。

 道都大中島ゼミには、教育大で美術を学んだ卒業生2人も通っています。
 そのうちのひとり、岩本奈々さんの「嘘」。天井から、透明な版画をつるしています。

 警察の鑑識の人が捜査している、新聞かなにかの写真をおもいきり拡大したものだと思います。材質はなんと木工用ボンド。乾くとぺりぺりっと剥がれる性質を利用したようですが、ご苦労様な作品です。題も意味深。
 岩本さんのをは、壁にも3点並んでいました。これも傑作。

 「洛光」「瞼の果て」「日々と幻」
 うまく表現できないのですが、世界の最後を描いたマンガから、その終末観だけをコラージュして画面に定着させたような、異様な作品です。

 もうひとりは渡部陽子さん。

「walk around」は、スクランブル交叉点の歩行者が題材になっています。

 ほかにもユニークな作品がたくさんありました。
 一部しか紹介できずごめんなさい。
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第2回 風展

2005年12月20日 19時48分56秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 すっかり書くのがおそくなってしまいましたが、札幌在住の日本画家笹山峻弘、伴百合野、北山寛明、中島涼沙の4氏による、スカイホール企画展が、11月30日から12月5日まで、同ホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階)でひらかれました。

 毎年のようにインドに取材旅行している笹山さん。
 下の作品は3年がかりで完成させたもので、いったん着彩した色を墨で消して、非常に剛直というか、力強い画面を現出させています。

 モティーフは、作品によってチベット仏教の寺院だったり、曼荼羅だったり、ヒンドゥー教の寺院だったり、さらにはマニ教の仏だったりするわけですが、信仰の違いを越えて人間存在にせまろうという迫力みたいなものを感じます。

 伴さんのこの作品は、古い家を解体するときに出てきたふすまに描かれています。
 そこに、この春のシルクロード旅行で得た衣服の文様が描きこまれていたり、イコンがコラージュされていて、見ていて飽きません。いわば、時間と空間を越えた要素が平面的、並列的に表現されているのが伴さんの絵といえます。

 こういう描法が、一点からすべてを見渡そうとする西洋的な絵画の思想と根本から異なった発想にあることは、いうまでもないでしょう。
 さらに、日本画というものが、江戸時代までの装飾的なスタイルを捨ててタブローになることで成立した歴史を思えば、ふすまに描いたということ自体、現行の日本画に対する批評性を帯びているといえなくもありません。

 若手の北山さんのメーン作品は旧作ですが、この滝を描いた作品は何度見ても楽しいです。
 近づいてみると、白い飛沫による抽象画のようでいて、離れて見るとちゃんと滝の絵になっている。
 しかもこの作品には、中心とか周辺といったものがなく、滝は左右にどこまでも続いているように見えるのです。人間などが描かれていないので、大きさもわかりません。
 非常に写実的に見えながら、たんなる再現的ではない作品だといえると思います。 

 新作の小品は、小さなパネルを支持体に貼り付けたもので、草などの委細な描写はボタニカルアートのようでいて、どこか異質な手触りがあります。

 中島さんは教育大を出たばかりの若手です。
 水の中のカエルやカバをモティーフにしています。

 手前の最新作は、色をほとんどつけず、描線の持つ力を見直してみたとでもいうべき作品になっています。陰影もほとんどついていません。
 もともと、陰影をつけず、もっぱら輪郭線によって描写していた日本の絵画を、現代的にとらえなおそうとしているのかもしれません。
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疎隔

2005年12月19日 20時02分47秒 | つれづれ日録
 きょうは長文を書く気力なし。

 すべてのものが、まるで望遠鏡を反対側からのぞいたみたいに、遠くに見える。

 あるいは、長く退屈な夢からさめたばかりのように、よそよそしいというか。

 なんだか、まずいですねえ。
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