北海道美術ネット別館

美術、書道、写真などの展覧会情報や紹介。毎日更新しています。2013年7月末、北見から札幌に帰還。コメントはお気軽に。

北海道胆振東部地震から2週間

2018年09月20日 22時52分00秒 | つれづれ日録
 胆振 い ぶり管内厚真町を中心に大きな被害をもたらした北海道胆振東部地震が9月6日未明に発生してから2週間がたった。
 震度5ないし6弱を記録し長時間の停電に見舞われた札幌でも、停電要請が解除されて大型店などを中心に明るい照明が戻り、地下鉄・市電の間引き運転も終わり、スーパーマーケットの棚にはさまざまな食品が戻りはじめて、ほとんど以前の日常が戻りつつある。陥没していた東15丁目通の応急工事も終わって、全線が通れるようになった。
 ただし、海外客などからキャンセルが相次ぎ観光地はどこも苦戦しているようだ。酪農も搾乳が一時滞っていたことによる牛の不調で、生産量が平年に比べ大幅に落ち込んでいるという。
 JR北海道の被害は11億円に達し、さらに増える見込みという。
 そして、厚真町などではまだかなりの戸数が断水しており、今も避難所生活を送っている人もいる。
 地震が北海道に残したつめ跡は、大きい。

 なんだかんだいって、札幌市民は、液状化現象で自宅が傾いたりした人もいるけれど、大半は「被災者」と呼べるような人ではないだろう。
 今回の地震でおよそ2日間、筆者の家では、電気と、スマートフォンの電波が通じなかった。ほかにもライフラインのうち、水やガスが使えなかったという人が多い。
 しかし、衣食住というのは、ライフラインを上回る重要性があると、あらためて思った。実際問題として、衣服だけを失うという事態は考えにくいので、食と住が暮らしに占める位置は本当に大きい。
 「住んで寝るところ」と「食料」を奪われることのつらさは、ケータイの電波が来ないことに比べて想像を絶する。



 さて、地震以降、札幌市民のあいだでは
「大丈夫だった?」
「揺れはひどかった?」
「停電はいつまでだった?」
などと聞きあうのがあいさつ代わりとなっている。

 筆者の聞いたところでは、ト・オン・カフェが自然光を生かして9月6日、7日も休まず営業していたということだが、ギャラリーミヤシタも同様に、両日開けていたとのこと。もっとも、来客はほとんどなかったらしい。
 ギャラリー犬養も、停電が早めに終わったことも幸いし、一日も休まなかった。
 築100年になろうとする古い建物だけに犬養康太さんは
「(建物がつぶれて)オレ職探ししなきゃな~と思って、やってきたら、壊れていないどころか、小さい置物が1個落ちていただけ。展示中の作品も、傾いてはいたけど、ひとつも落ちていなかった」
と笑っていた。

 こんどの地震について聞いた範囲ではどうやら、中央区と、それに隣接した地域(豊平橋付近とか札幌駅北口とか)、西区の地盤の固さが際立っている―という印象を受ける。
 カフェ北都館ギャラリーは6日のみ停電で休んだとのこと。

 筆者も職場で
「余震が続いて眠れない」
とこぼすと
「ヤナイさん、どこに住んでるんですか?」
と驚かれることもあった。

 一方で、冒頭画像のように、東区の茶廊法邑では駐車場の塀の一部が倒れたところもある。


 
 筆者が住んでいるのは豊平区の南のほうで、本来は北方の泥炭地に比べて地震に強いはずの火山灰・凝灰岩の地層なのだが、なんだか余震を強めに感じることが多い。

 シャッターが伸びきって外に出てしまい、つっかえ棒で支えたまま営業している飲食店もある。
 中学校の近くでは、道路の舗装が一部はがれているし、グラウンドには亀裂が走っているのが見える。
 公園のテニスコートのフェンスも倒れていたが、これはその前日の台風が原因かもしれない。
 被害がなかったように思われる近所でも、仔細に見ていくと、いろいろな被害が出ているのだった。

 もちろん詳細な調査を経ないと確たることはいえないのだが、個人的な印象として「三里川のこと」でも書いたように、かつて川が流れていたところでも、それがわかるくらい低地を残している場合に比べ、川の跡がわからないほど土を積んだところは、何らかの液状化現象が起きているといえるように見える。



 今後、いくら「日常」が戻ったとしても、それは、地震以前の「日常」と同じ顔つきでは、二度と筆者の前に現れないような気がする。


関連記事へのリンク
2018年9月6日、北海道で大地震が起きた
【追記有り】電気と電波なお使えず。
北海道胆振東部地震の続き。明かりのない札幌で
北海道胆振東部地震、その後
2018年9月3~14日。ギャラリー巡りどころではなかった日々
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2018年9月15、16日は計11カ所

2018年09月17日 10時49分00秒 | つれづれ日録
 以前から散らかっていた家の中が、6日の地震でさらにひどい状態になっているのだが、いっこうに片付く様子がない。

 15日(土)は、ギャラリー門馬アネックスで、石神照代 × 経塚真代2人展。
 2人の世界が溶け合った、しんみりと心に残る展示。お客さんが引きも切らない。

 歩いて、ギャラリーミヤシタで鈴木誠子版画個展。
 高い技術で構築した抽象の世界。ただ、大半は旧作。
 鈴木さんは近年は、ひたすら石を題材に制作しているとのこと。

 いずれも16日で終了。




 1617日(日)

 時間がないので、自家用車でギャラリー巡りに出た。

市立小樽美術館市民ギャラリー(昨年亡くなった佐渡さんの回顧展。~17日)→
市立小樽文学館→
(美術館は、この日がスウェーデン美術展の最終日)
似鳥美術館(浮世絵展 第3期。~17日)→
旧手宮線(小樽・鉄路・写真展。~17日)→
ふる川 運河ギャラリー(佐藤萬寿夫展。~月末)→

トベックス 月ギャラリー(ふわラー写真展。~17日)→

小樽市銭函の国道沿いにある、池の上? に建てられたユニークなギャラリー。乾さんが、花を題材に、色彩を強調した写真を約50点展示している。

茶廊法邑(千代明個展。~16日)→
サッポロファクトリー(フォトフェス CuiCui)→
HOKUBU 絵画記念館

 ここで、スマートフォンの調子が悪くなったので、いったん帰宅し、docomo ショップへ行く。

 スマホの件は解決したが、このため、この日終了の展覧会のうちいくつかに行けなかった。特に、中心部の展示はほとんど見られなかった。

 取り急ぎ、概略のみ。
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紅櫻公園か紅桜公園か

2018年09月15日 18時50分00秒 | つれづれ日録
 BENIZAKURA PARK ARTAnnual を見るため、ひさしぶりに札幌市南区澄川の紅桜公園に行った。

 個人的には、アート作品そのものよりも、それをめぐる環境などのほうに、どうしても目が行ってしまった。
 しかし、そのことをもって、アートは自然よりも魅力がないのではないか―みたいな決め付けをするのも、あまり意味がない。
 ただ、出品者のひとり東方悠平さんが、この私設公園のあちこちを撮ったスナップ写真をつないで映像作品に仕上げたのと同じように、公園がいろいろと気になる存在なのはたしかなのだ。
 少なくとも、私たちが普通に公園と聞いて想像する空間とは、ちょっと違うような気がする。


 公園内には巨岩があちこちにある。
 庭に石はつきものだが、紅桜公園のユニークなところは、それぞれの石に漢字2、3文字の名前がついていることだ。
 根室の車石や盛岡の石割桜など、よほど特徴ある石や岩ならともかく、あちこちの岩に名が付されているのはめずらしいことだと思う。
 なかには「清宮」という名の石もあった。鳴り物入りでプロ野球北海道日本ハムファイターズに入団したルーキーのことではないだろう(笑)、たぶん。

 園内には、石にまつわる五訓みたいなものを彫った石もあり、おそらく以前のオーナーが石好きだったのだろうと推測する。



 園内にある「開拓神社」。

 鳥居の横に、漢詩が彫られた石碑が立っている。
 「櫻」という漢字以外は「伝」などすべて新字なので、戦後に建立されたものだろう。

 この向かい側には、東方さんの映像を上映している「開拓記念室」がある。

 筆者の幼少時には、世の中には明治生まれで、北海道開拓にやってきた人がまだまだご健在であり、
「昼なお暗い原生林を切り開き、苦心惨憺の末に農場を開墾し…」
という開拓の物語は、耳にたこができるくらいであった。
 そういう、当たり前の話が、いつのまにか聞かれなくなってきているのは、先の大戦の経験談の場合とも共通するものがあるような気がする。

 もちろん筆者は開拓当時のことを直接知る由もないのだが、こういう神社の前に来ると
「開拓をめぐる言説、開拓期を回顧する言説が、まわりにあふれていた時代」
のことを思い出して、少し懐かしくなってくるのだ。



 園内には句碑もいくつかあった。
 画像は「氷原帯」主宰であった谷口亜岐夫の句碑。
 戦後の道内文学界を代表する俳人の碑がいくつもあるが、このことはあまり知られていないのではないか。



 最後の画像は、園内にある崖を撮ったもの。
 火山灰が堆積しており、もろくくずれやすい。恵庭岳や風不死岳が噴火した際のものだろうか。札幌の月寒台地は同様の地層でできているのだろうか―などと、いろいろなことを考えてしまう。


 もうひとつ、公園の名であるが、いつから「紅櫻公園」という正字(いわゆる旧漢字)が含まれるようになったのだろう。
 すくなくとも2011年に訪れたときには、一度も目にしなかった表記である。

 筆者は新聞社に勤めており、正字が入った原稿はいちいち出稿元に問い合わせなければならず、手間が増えるので、特別の意味がないのであればできればやめてほしい、というのが本音である。いや、このブログは生業と関係ないんだけど(笑)。

 正門こそ「紅櫻公園」となっているが、周辺の門柱には「紅桜公園」と書かれている。
 サイトに、正字を用いる理由、改名の背景などが書かれていたりすれば、なっとくもできるのだが…。

 あと、漢字が苦手な人に言っておきたいのだが「桜」と「櫻」は正誤の関係ではない。
 このことは、あらゆる新字と正字の関係にも言えることである。
 

https://www.benizakura.jp/


 また、これは公園と直接の関係はないが、ひとつ強調しておきたいことがある。
 今回の出品作品は颱風と地震で大きく打撃を受けたようだ。
「やはり自然は偉大だ。人間は勝てない」
と一瞬思ったが、それは皮相な考えであり、そもそも勝ち負けの問題ではあるまい。
 人間はみないずれ死ぬのである。すでに勝負はついていると言ってよい。
 それでも、必ず敗れる勝負に挑み、ボロボロになってもがく。だからこそ人間は偉いし、その営みは美しいのだ。

 地震や台風と正面からぶつかったところで勝ち目はない。
 だからといって、生きることをすっかりあきらめてしまうことを選ばない。
 戦後を代表する詩人田村隆一は
「詩は必敗の歴史である」
と言った。
 政治や経済、スポーツといった分野では、勝たなくてはならないこともあるだろう。しかし、芸術とは、そういう勝ち負けの輪廻から唯一解放されている世界なのだ。

 だから、アートを好きな人やアーティストは、安易に「自然には勝てない」などと口走っててはいけないのだ。


(この項続く)
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2018年9月3~14日。ギャラリー巡りどころではなかった日々

2018年09月14日 12時44分58秒 | つれづれ日録
 今月に入り、じっくりとギャラリー巡りをしたのは2日(日)だけで、6日の大地震で、何もかも予定が狂ってしまいました。
 実は、多少無理をすれば見て回ることはかならずしも不可能ではありません。
 しかし、地震とは(たぶん)関係なく、ボルテージが下がりっぱなしで不眠ぎみということもあって、なかなか美術鑑賞まで手が回らなかったのです。

 今回の地震で、防災などとは別に、自分にとっての最大の教訓は

「ギャラリー・美術館を、事前に日程を考えて巡ることができるのは、平穏な日常が続いていることが前提だ」

ということです。

 何を当たり前のこと言ってんだ! と突っ込まれそうですが、だからこそ、早め早めに行動して、見に行かなくてはーと、あらためて肝に銘じました。

 足を運べなかった展覧会の画家、作家の皆さまには、あらためておわびします。


 3日以降のギャラリー巡りですが、3日と4日についてはすでに記憶が飛んでしまっています(たぶん、道新ぎゃらりーには行っている)。
 5日は市民ギャラリーで新道展を見ました(これは、見ておいて良かった! 先に書いたとおり、翌6日から地震のため同ギャラリーが休館となり、新道展も開催打ち切りとなったためです。

 6~9日は無し。

 10日、道新ぎゃらりー。
 11日、石の蔵ぎゃらりぃはやし。
 12、13日、仕事多忙のため無し。

 14日は、札幌市南区澄川の紅桜公園でBENIZAKURA PARK ARTAnnual -Festival of Contemporary Art
 これは15日で終わるので、急いで見に行きました。

 というわけで、惨憺たるありさまなのです。
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北海道胆振東部地震、その後

2018年09月13日 19時59分43秒 | つれづれ日録
承前

 一夜明けて9月7日(金)。

 北海道新聞が地震で特別紙面を組み、地域版などを減らすことになったのは、先に述べたとおり。
 7日夕刊は6日夕刊に引き続き地域版がなくなり、わずか4ページになってしまった。
 筆者が担当するはずだった仕事もなくなってしまい、7日から9日まで3連休ということになった。

 どっちみち、この日もバスは全便が運休。地下鉄の運行再開は午後だったから、会社に行くまでが一仕事なのだ。
 正直、ほっとした。

 筆者がこの日したことといえば、近くのガソリンスタンドでの給油である。
 昨晩、国道36号に並ぶ長蛇の車列を見て、長期戦を覚悟していたが、西岡地区のセルフ式スタンドは思ったよりも混雑しておらず、30分もかからずに給油できた。
 しかも、自宅では電波状況がとみに悪化して通じなくなっているスマートフォンのネットがスタンド附近では使えることもあり、久しぶりにツイッターなどを見ることができた。
 4千円分のガソリンを入れた。

 この日は娘の誕生日。
 もちろん、昨日から臨時休校である。
 ケーキを受け取りに行く百貨店も休んでいるため、やむを得ずまるいチーズの上にろうそくを立て、3人でささやかにお祝いをした。

 1時間ほどたった後、ふと窓の外を見ると、これまで真っ暗だった家々の窓や街灯が明るくなっている。
 妻がブレーカーを戻すと、いっせいに明かりが戻った。
 まだ停電が続くと思っていたので、ちょっと拍子抜けした。

 テレビも見られるし、ネットはWi-Fiの電源が入ったので使えるようになった。

 一時は290万戸に上っていた道内の停電は、7日深夜までに99%が解消したという。




 8日(土)と9日(日)は、地震で散らかった家の片付けをするつもりで、自宅にこもっていた。

 しかし、片付けのほうはあまりはかばかしく進まなかった。疲れていたのかもしれない。 

 いくつかの美術展は中止になったが、見に行けずに終わった展覧会が数多く出た。
 せっかくご案内をいただいていた作家の方には申し訳ありません。

 ブログのアップもできなかった。


 その後も余震は続いている。
 厚真町を中心に死者は41人に上った。

 スーパーマーケットなどは再開したが、牛乳や肉類の供給はなかなか平常に戻らない。
 10日(月)からは節電目標が示され、百貨店などがあかりを落として営業している。

 というわけで、われわれ札幌市民は「被災者」というほどの存在ではないのだが、かといって、地震発生後1週間たっても、完全な日常に戻っているわけでもないのである。
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北海道胆振東部地震の続き。明かりのない札幌で

2018年09月11日 13時13分13秒 | つれづれ日録
(承前)

 9月6日の続き。

 あまり会社内部のことを書くのもさしつかえがあるのかもしれないが、筆者が勤務する北海道新聞グループは、道内の6カ所に印刷工場を持っている。
 札幌、北広島、函館、旭川、帯広、釧路である。
 地震の後は北海道全域で停電しているため、北広島の工場の一部を動かして、いつもより薄い16ページの新聞を刷り、全域に配ることになった。

 しかし、北広島から函館や稚内、根室は遠い。
 根室や、知床の斜里町ウトロまでは400キロ以上もある。
 締め切り時間が、信じられないぐらい繰り上がった。
 筆者の働いているのは、地域版をつくる職場だ。ふだんは朝刊35ページを編集しているが、この日は非常事態につき7ページに集約。そのかわり、広告を取っぱらい、全段の広い紙面だ。


 筆者の面がいちばん遅く、夜9時過ぎに作業を終えた。
 会社が手配したタクシーに、おなじ方向に住む同僚と同乗して帰った。社を出ると、まず、いつもより暗いことに気づく。時計台の前の信号機もさっぽろテレビ塔も点灯していない。
 国道36号を直進したが、豊平橋を渡った直後は電気がきているらしく信号も自動販売機も街頭も普段通り光っているが、3丁目を過ぎると、真っ暗だ。
 国道453号との交叉点も信号が消えている。
 幸い(?)、国道36号は札幌の中心部から一直線に千歳、苫小牧方向へ進む、道内一の幹線道路であるため、信号のない十字路でも、まったく停止する必要がない。

 美園地区もNTT支店の周囲以外は暗い。
 坂を上り、月寒中央通に入ってすぐのあたりは、路地の街頭が点灯していたが、地下鉄駅のまわりや水源地通りとの交叉点は闇に包まれている。こんなに交通量の多い交叉点がーと思うと、肝を冷やす。
 福住地区は全般に明るく、カーディーラーも札幌ドーム周辺もファミリーマートも明るかったが、羊ケ丘から西岡に回ってくると、まったく明かりがない。
 けさの夜明け前は階段に非常灯がともっていた澄川の高層住宅も、真っ暗になっていた。
 明るいのは、時折通り過ぎる車のヘッドライトだけだ。

 どうやら、病院などがある地区につながる電気は早めに復旧し、そうでない地区は後回しにされていたということだ。


 自宅にLINEを発してもまったく既読がつかず、メールにも反応がない。
 かなり心配してドアを開けたら、妻と娘は意外と元気だった。
 LINEの既読がつかないのは単にスマートフォンの電波が来なかったせいだった。
 娘が以前、学校の技術家庭科で作った、きのこ型の乾電池式ランプが大活躍していた。妻はどこかからラジオも見つけて、聴いていた。

 とりあえず、自宅は水道とプロパンガスが生きていたし、米や菓子などが豊富にあったので、あと数日停電が続いてもなんとか生きていけるだろうと思った。

 この夜は、月明かりがなかったこともあり
「星空がきれい」
「札幌で天の川を見た」
などというツイートを後でいくつも見たが、筆者には、曇っていたという記憶しかない。

 ただ、2階の窓から見た、あかりが一つもなく、真っ暗な闇に沈む住宅地の光景は、死ぬまで忘れないだろうと思う。


(この項続く) 
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【追記有り】電気と電波なお使えず。

2018年09月07日 18時24分18秒 | つれづれ日録
 相変わらず停電している西岡の南です。
 電波もめったにきません。
 どういう仕組みになっているのか、たまーに電波が復活してます。

 とりあえずガスと水が使えているのと、食材はあるので、行きながらえています。

 いつまでこんな状態が続くのかなぁ。

 まぁ厚真町などもっとたいへんな地区に比べたらとても文句はいえないですが…。


※この記事投稿後、8時過ぎに、電気が復旧しました。それに伴いWi-Fiも通じるようになっています。
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2018年9月6日、北海道で大地震が起きた

2018年09月06日 21時52分00秒 | つれづれ日録
 午前3時すぎ。
 激しい揺れが突然来た。

 揺れはしばらく続いた。
 おさまったとき、まずやらなくてはならないのは、寝台の下、崩れた本の山に隠れてしまっためがねを掘りだすことだった。
 寝室は、本だらけになっていた。

 階下の妻はもちろん、いつもは地震ぐらいでは絶対に起きない娘も目を覚ました。

 スマートフォンは、散乱した本の下になっている。
 居間も、だらしなく積んでいた資料や本などがなだれのように崩れている。

「やれやれ」

 こういうときに「おー!」などと叫ぶのは若い西洋人などであって、老いた東洋人である自分は諦念と嘆息しか出てこない。
 もっとも、書棚は作り付けなので、被害は少なく、たんすや食器棚も無事だった。

 とりあえず状況を知ろうとテレビのスイッチを入れた。
 15分ほど見ていたら、とつぜん部屋が暗くなり、テレビ画面も消えた。

 停電だ。

 懐中電灯が見当たらないので、部屋は真っ暗だ。

 それでも妻がポータブルラジオを見つけてきて、つけっぱなしにしていた。

 筆者は2日、3日の夜、不眠に悩まされた。
 4日夜、ようやくスムーズに寝入ることができたと思ったら、未明から颱風たいふうの音がひどくて、睡眠どころではない。
 そして、きょうのこの状況だ。

 朝5時ぐらいになり、空が白んできた。
 本をかき分けて、ようやくスマホを発掘した。
 テレビがだめなので、ラジオとツイッターで情報を収集していたが、日が高くなるにつれて電波の状態が悪くなってきた。


 きょうは昼から仕事だ。
 会社に電話を入れようとしたが、なかなかつながらない。
 ようやくつながっても、こちらの声が向こうに届いていない。混線しているのか。
 業を煮やして、自宅からあるいて5分ほどのところにある公衆電話ボックスまで行くことにした。
 20年以上も未使用だったモー娘。のテレホンカードを持っていった。

 しかし、NTTは道内の公衆電話を無料にしていて、受話器を上げたらカードを入れる前に、発信音がした。

 全道的な停電で、JRも地下鉄も路面電車もすべて止まっている。
 信号機の大半も消えているので、バスも全社が運行していない。

 覚悟をきめて、約8キロ北にある会社まで歩いていくことにした。
 ただし、全行程を歩くと疲れるので、信号機のない道路の部分を、妻に車で送ってもらった。

 車を降りたあたりにあるホームセンターをめざして、たいへんな車の長い列ができていた。

 セイコーマートの袋に食パンを入れた女性とすれ違う。
 コンビニはどこも食料が消えているのではないかと思ったが、まだあるのだろうか。
 セイコーマートに入ったら、まだ菓子類やペットボトル飲料はたくさんあった。
 暗い店内には長い列ができて、店員が手持ちのレジで処理をしていく。


 平岸墓地の近くの道を歩いていく。
 前日の台風21号でなぎ倒された木々がそのままになっている。
 強風のつぎは大地震で停電か。
 なにかの悪い冗談としか思えない。

 高層住宅の多い地区では、戸建ての人が庭先の水道管を「ご自由にお使いください」と解放していた。
 高層住宅はポンプが停電で使えず、断水状態になっているところが多い。


 HTB(北海道テレビ放送)の局舎の前を通り、onちゃんの写真を撮って、坂を下りる。
 ローソンは閉まっている。
 地下鉄の南平岸駅も閉鎖になっている。

 その隣のスーパーマーケットには市民が開店を待つ長蛇の列をつくっていた。

 ふと見ると、タクシーを降りようとしている人がいる。
 そうか。タクシーは走っているのか。
 首尾良く乗り込み、会社へと向かった。

 とにかく、ほとんどの信号がついていない。
 交叉点では譲り合いの精神で、車がそろそろと進んでいく。
 平岸街道と環状通など主要な十字路は信号が点灯しており、それ以外でも交通量の多いところは警官が車の通行をさばいていた。



 中心部に着いた。

 さっぽろテレビ塔の時刻が日中に点灯してないのを、工事中以外で初めて見た。

 中央バスターミナルもNHKぎゃらりーも道新文化センターも閉まっていた。

 会社に入ると、エレベーター1基が動いている。
 非常用電源で電灯の半分ほどは点灯しているし、新聞製作システムも生きていた。テレビもネットも見られる。自動販売機の一部も稼働していた。

 自宅に比べると、申し訳ないが、相当に快適だ。 



 今回の地震と停電で気づいたことがある。

 ひとつは、不通は徐々にやってくるということ。

 これまでは、最初に大地震が来てライフラインがとまり、次第に復旧していくというイメージを抱いていたが、きょうは当初は電気もついていたし、電波も飛んでいた。だんだん不便になっていったのだ。

 もうひとつ。
 災害の記事や報道で「住民は不安を隠せないでいます」といった紋切り型の文を、人ごとのように聞いたり読んだりしていたが、はじめて自分のことのように感じた。

 不安だ。

 また大きな地震が来るのではないか。

 こんなに不安が身近に、自らのこととして実感したことはない。

 自分のことなのだ。

 願わくば、余震がおさまり、停電が早く復旧し、交通機関が再開しますように。


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2018年9月2日は9カ所

2018年09月03日 21時12分08秒 | つれづれ日録
 土日が連休。

 例によって土曜は疲れて寝ていたので、前述の通り、ギャラリー巡りは1カ所のみで、日曜に出かけた。
 夏のおわりにふさわしい好天。ギャラリー巡りの日がこんなに青空に恵まれたのは、7月の厚田行き以来ではないだろうか。

 この日行ったのは次の通り。

茶廊法邑(神成邦夫展 surface、八重樫眞一・坂東宏哉・本庄隆志3人展)→
三岸好太郎美術館(みまのめ、フランク・シャーマン・コレクション展)→市資料館(おおば比呂志展)→
ギャラリー大通美術館→らいらっく・ぎゃらりい→スカイホール(女流書作家集団展=再見)→
ギャラリーエッセ(荒野洋子と吉田敏子二人展)→
カフェ北都館ギャラリー(木村富秋小品展、木村由紀子展)
天神山アートスタジオ(機械と芸術 アート分析)

以上9カ所。

 9月末まで開催の木村由紀子展を除きすべて最終日か、3日(月)が最終日で、このブログのアップ時には終了している。
 情報が遅くて、申し訳ありません。
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河口を見た ―石狩・厚田アートの旅(8)

2018年09月03日 09時11分00秒 | つれづれ日録
(承前)

 ことし7月29日にドライブした石狩・厚田の記事がまだ1本残っていた。 

 「夕日の美術館」管理人の本田さんにお聞きしたら、ここから国道231号に戻らなくても、しばらくは南下して走っていけるというのだ。

 やった! と思って車を走らせた。
 狭い道が続くので、運転に自信のない人にはおすすめできない。わりと広くてまっすぐな道が続いていたのは、北石狩衛生センターの前あたりで、それまでは舗装されていないところもある。
 そして、海岸ではなく、やや距離のある林や原野の中を通るのだ。

 なので「無煙浜」という地名のイメージを味わうことはできなかった。



 旧知津狩シラ ツ カリ川を渡る。



 このあたりまで差し掛かったとき、助手席の家人が
「あれ、河口じゃない?」
と言った。



 たしかに、遠く灯台が見えて、その手前に大河が見える。
 大河の向こう側の陸地は途切れて、海に注いでいるのがわかる。

 石狩川の河口だ。

 ちょっと感動した。

 これまで石狩川は何度も渡っている。
 支流は豊平川など、数え切れないほどだし、本流も、道央道を走るときや旭川市内で渡ることが多い。

 しかし、河口を見たのは初めてだ。

 帯広コンテンポラリーアートがテーマに「河口」を選んだのもわかるような気がしてきた。

 見ると、河口というだけで感動するのだ。

 日々見てきた川の思い出や記憶が、ここに集約されるのか、と思う。



 車はこのあと、しばらく石狩川の右岸を走るが、八幡町の途中で結界があって行き止まりとなり、渡し舟廃止後さびれた八幡町の中を通って、国道231号に戻った。

 いま思い出したが、札幌大橋から伏古拓北通を経て、茶廊法邑でダム・ダン・ライ展を見たのだった。


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2018年8月のギャラリー巡りまとめ

2018年09月02日 22時38分08秒 | つれづれ日録
 7月のまとめの続き。

 8月30日までは65カ所だったが、31日に喫茶十字館に立ち寄る。
 筆者のかんちがいで、前の個展が前日に終わっていたのを知らなかった。31日からスタートの水彩画グループ展の初日で、賛助出品として、石垣渉さんが利尻富士を望む風景画を出品していた。
 あらためて思ったのは、紙にたっぷりと水を含ませて絵の具をいきわたらせる石垣さんの描法は、シルクスクリーンのような美しいグラデーションが得られるということ。水色の移ろいの中に利尻富士の山容がくっきりと浮かび上がる。
 一方で近景の植物群は、色のめりはりがついて存在感をもって描かれており、単なるイラストレーションのほうに流してしまわないのが石垣さんらしい。
 8日まで。

 このあと、月寒中央で地下鉄東豊線に乗り継いで、北13条東で降車。
 天使病院内にある天使ギャラリーで吉積すえ子さんという方の個展「北13条物語」。
 イラストふうに、戦後のこのかいわいを思い出して描いた絵がなつかしい。国井しゅうめいさんに習ったとおぼしき普通の水彩画もあったが、前者のほうが、本人が描きたくて描いているのがわかって、よかった。

 以上で、計67カ所。

 なお、9月は1日にギャラリー山の手に春陽会北海道の版画展を見に行った。
 浜西勝則さんも出品していた。
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2018年8月が終わっていく

2018年08月30日 22時39分00秒 | つれづれ日録
 26日(日)

 仕事。
 出社前に、バス→地下鉄東西線→バスと乗り継いで、北海道博物館へ行き、この日が最終日の「松浦武四郎展」を見た。

 帰りは、新札幌からJR上り線で北広島へ行き、駅裏の文化センターで北海道二紀展を駆け足で見る。これも、この日が最終日。
 例年なら時計台ギャラリーやスカイホール、市民ギャラリーをばーんと借りて開催するのだろうが、この時季は、会場確保が難しいだろうなあ。 
 舩岳さんに学生さんの絵などについていろいろ解説してもらう。




 27日(月)

 この週前半は、いままでと違う仕事に携わっていたので、あまりギャラリーを回れず、ご案内をいただいていた展覧会で行けなかったものがいくつか出た。申し訳ございません。

 この日は仕事帰りにギャラリー犬養に立ち寄る。




 28日(火)

 道新ぎゃらりーで、伏木田光夫絵画教室の「三角帽子展」。この日で終了。




 29日(水)

 道新DO-BOX。
 山本純一さんの写真ツアー展。
 おなじ場所でおなじようなモチーフにレンズを向けているのに、提示されている作品には、残酷なまでに才能の有無が露呈している。神様って意地悪だなと思う。

 かでる2・7。
 9階で道立図書館の資料展(~31日)があり、松浦武四郎の石狩日誌が近くで見ることができて良かった。
 ここは道民カレッジで学んでいる高齢者のたまり場になっているようだ。その気になって探せば、いろんなスペースがあるんだな。
 ただし、1階にはこの展示について全く表示がないのは、ちょっと不親切だと感じた。

 道庁1階ロビーで佐藤忠良さんのレリーフ大作を初めて見上げて、驚嘆。

 エントランスアートNEXT(STV北2条ビルとSTV時計台通ビル)で道都大中島ゼミの学生による展示を見る。31日まで。




 30日(木)

 さいとうギャラリー。
 長谷川雅志さんが「大車輪」と題した個展(~9月2日)を開催。先月、グランビスタで個展を開いたばかりなのに。
 大作がどかどか並んで、これまでの彼の個展でも最高の迫力ではないか。

 スカイホール。
 女流書作家集団展。9月2日まで。
 書家で、団体公募展に所属していないYさんにばったり会い、子ども向けの書の本をまとめたので、頂戴する。

 ギャラリーグランビスタ。
 抽象派作家展に出しているNさんに会う。
 「夏のおわり」展は31日まで。

 以上で今月の累計は65カ所。
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なぜギャラリーは入場無料で、美術館の展覧会は有料なのか

2018年08月29日 23時59分59秒 | つれづれ日録
 ふだん美術鑑賞などにまったく無縁な人からけっこうな頻度で投げかけられる質問に、次のようなものがある。

「ギャラリー(画廊)って、入るのにお金がかかるの?」

 基本的に、無料である。

 どうして美術館やデパート催事場で開かれる展覧会は入場料がかかるのに、ギャラリーはお金を払わずに入れるのか。

 それは
「ギャラリーもお店だから」
と考えればわかりやすい。

 ギャラリーは、絵などを売っているのである。

 入店する際に、お金を払う本屋さんはない。
 本や雑誌を買うときに初めてお金が必要になるのだ。

 これは、扱っている物の価格には関係ない。
 高級ブランド店でも誰でも無料で入れるし、買い物をせずに手ぶらで外に出ても、とがめられることはない。
 まあ筆者のような人間にとってちょっと勇気がいることではあるけれど。


 美術館の事情も、裏から見たら同じようなものである。
 販売をせず純粋にアートを見てもらう空間への入場料が必要だが、グッズを売っている場所は、入場が無料である。
 美術館自体の入場料がかかるという例はほとんどなく、ミュージアムショップやロビーなどは入場無料なのだ。
 つまり、図録などを買いに行くだけだったら館内に入るのにお金はいらないというわけだ。


 なお、パフォーマンスや音楽演奏、ダンスなどは、鑑賞する行為自体を購入して持ち帰ることはできない。
 持ち帰り可能なのは鑑賞の記録だけである。

 したがって、入場し鑑賞するつど、お金を払うということになる。


(あまり知られていないが、日本の博物館法第23条は「公立博物館は、入館料その他持物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。」と定めている。この件は記事の趣旨とは関係ないので、ここでは立ち入らない)






 以上は原則であり、今年にはいったあたりから、必ずしもあてはまらない事例が散見されるようになってきた。

 美術館では、札幌芸術の森美術館の「リサ・ラーソン展」のように、本来の展示室の一角をつぶして物販コーナーとし、観覧者以外はグッズなどを購入できないという展覧会があった。


 一方、札幌市内のギャラリーでは、入場料を徴収する例がいくつか出てきている。

 筆者の個人的な考えでは、これはどうやら「発表する側の経済的な都合」が背景にあるようだ。

 道立近代美術館の所蔵品展が一般510円である。
 したがって、入場料500円をとるギャラリーがあるとすれば、この所蔵品展に質量ともに匹敵するような展示をしていなければ、釣り合いがとれないのである。
(その計算でいけば、道展や全道展の800円はいささかビミョーである。もっとも、ビミョーどころか、マジかよと言いたくなる団体公募展も存在する。ちなみに、同美術館の510円は、国内の公立美術館の常設展示では、最も高額の部類に属するらしい)

 筆者も、お金を払ってでも見たいという作家は少なくない。
 ただし、入場料を徴収する場合に限っては、そのような例はあまりない。

 まあ、入場料をいくらに設定しようと、それはギャラリーや作家の自由だろうとは思う。

 筆者のようなケチな人間に
「有料にしていると、見る人の裾野は広がりませんよ」
と言われたところで、なんの痛痒も感じないに違いあるまい。
 ただ筆者としては「たいしたキャリアもないのに、強気だなあ」と思うだけである。


(とはいえ、美術家がどんどん経済的に苦境に陥っていく事態があるとするなら、それは決して好ましいものではない。つまらない作品ばかり作っている美術家から順に淘汰されていくのなら別に問題はないが、たぶんそういうふうにはならないだろう。ただ、その唯一の解決策がギャラリーの有料化なのかと問われれば、それもまた違うような気がする)
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森ヒロコ・スタシス美術館の特別開館に行ってきました~2018年8月19日は小樽へ(1)

2018年08月29日 15時23分22秒 | つれづれ日録
 8月19日は、散らかりすぎた自宅の整頓や新聞紙の整理などやるべきことが山積していたにもかかわらず、森ヒロコ・スタシス美術館の特別開館の最終日ということで、小樽に行ってきた。
 恥ずかしい話だが、筆者はこの美術館に一度も足を運んだことがないのである。

 言い訳めくが、筆者のようにギャラリーや美術館に年がら年中行っている人間は
「いつ訪れても常設展示をしている美術館」
については
「そのうち行けるだろう」
と、後回しにしがちである。
 この美術館についても、まさか森ヒロコ夫妻があいついで亡くなって、閉館状態になるとは思っていなかった。

 今回はお弟子さんたちが集まって、たまたま1週間足らず開けたのだが、この次いつ入れるかわかったものではないし、そもそも館が今後どうなるかも決まっていないのだ。


 「まだ夏は終わっていないぞ」
という心持ちで、Tシャツ・ジーンズというスタイルで外に出たが、さすがに肌寒く、いったん家に戻りパーカを羽織ってふたたび出発。
 われながら、アホみたいである。

 札幌駅から都市間高速バスに乗り「市役所通」で降車。
 いつもは海のほうに下っていくのに、この日は初めて、坂を上っていく。
 図書館に突き当たって左に曲がり、市役所や市民会館、裁判所の間を抜ける。
 下り坂になり、於古発川 お こ ばちがわを渡ると、緑1丁目の交叉点になり、森ヒロコ・スタシス美術館の前に出る。
 

 館の前には高さ20センチぐらいの彫刻が、高い台の上にのっている。
 このような騎馬像は、イタリアのマリーニがよく作っていたが、なんの表示もないのでよくわからない。

 森ヒロコさんは小樽の版画家だが、「スタシス」というのは、スタシス・エイドリゲヴィチウスというポーランドの版画家のこと。
 ヒロコさんの夫である長谷川洋行さんは東欧文化に魅せられ、東欧のオペラを招いたり、版画展を開いたりといった活動を行っていた。

 この週は入場無料。
 接写でなければ、館内撮影も可能だった。
 入り口ロビーには、スタシスの版画や、東欧作家が動物をモチーフに作った木彫が並んでいた。

 渡り廊下(ここにも森ヒロコの版画が並んでいる)を通り、奥の蔵を改造して美術館の本館にしていた。


 もとが蔵なので、決して広くはないが、版画作品の展示にはおあつらえ向きなのかもしれない。
 四囲の壁のほか、中央にも展示ケースが置かれ、蔵書票などの小品が並んでいる。

 2階も同じ構成で、そこには森さんではなく、アルビン・ブルノフスキ(1935~97年)というスロバキア出身の銅版画が展示されていた。
 これが驚異的な細密描写で、裸婦が樹木に変身したり、正装の男たちと裸婦が並ぶ空中に不思議な風景が現れたり、ずっと見ていても飽きない幻想的な光景が展開されている。

 なお、1階と2階を結ぶ狭い階段の壁には、小樽が誇る版画家一原有徳さんの作品が2点展示されていた。
 「ZON」というモノタイプ(1984)と「M.S.[mu]」(1993)というエッチングである。
 一原さんのエッチングは珍しいかも。



 特別に、玄関から入って左手の奥にあった森さんのアトリエも公開されていた。
 画像は、壁に貼ってあった自分の個展の告知ポスター。
 ストラスブールのギャラリーのものなどが多く、欧洲でも評価されていたことをあらためて知る。

 窓際には流しが整備されている。
 版画(と写真)には、水回りは欠かせないのだ。
 掃除が行き届き、いまにも版画家が姿を見せそうな、そんな錯覚すら抱かせる。一昨年の版画展(日本版画協会展)のチケットが置いてあり、ほんとに急死だったのだなと思う。

 中央のテーブルには、スケッチブックが開かれて並んでいた。
 庭の植物などが丁寧に描かれている。
 彼女の版画の生徒さんとおぼしき女性が
「どうぞめくってご覧になってください」
と言うので、お言葉にあまえて何冊か見る。


 ポスターの反対側の壁は、作り付けの書棚になっていた。
 その手前にはプレス機が置かれていた。

 版画関係の書籍や画集が多いのは当然だが、東欧の文字で書かれた画集などは背表紙になんと書いてあるのか分からない。
 ケースに入ったカセットテープが何個も箱の中に放り込まれている。
 中川多理さん(札幌の人形作家)の作品集があった。
 沢渡朔の有名な写真集も。
 森ヒロコさんの世界は、少年少女の世界なのだ。


 とてもすてきな美術館だった。
 昔ながらの住宅地の中で、小樽運河などから遠く、アートにさして興味のない観光客などがふらっと入ってきそうにないロケーションも良い。

 再訪できる日はくるだろうか。


関連記事へのリンク
『森ヒロコ作品集』と、森ヒロコ・スタシス美術館臨時開館のお知らせ


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変わりゆく豊平の街並み

2018年08月28日 21時26分27秒 | つれづれ日録
 アートに関係ない話題ですみません。

 いまでこそ200万人近い人口を抱える大都市の札幌ですが、戦前までは、建物が並んでいたのは中央部の、「条丁目」で住所を表記する地区に限られ、その周辺には原野や農地が広がっていました。

 ほとんど唯一の例外が、豊平地区です。
 昭和初期の地図を見ると、市街地を示す模様が、豊平橋を超えて国道沿いに続いている様子がわかります。
 国道には、路面電車が、定山渓鉄道の基幹駅である豊平駅の前まで走っていました。




 そんな豊平の国道沿いに並ぶお店のひとつが「丸京 小さな百貨店」でした。

 ちなみに筆者は一度も店内に入ったことはありません。したがって、特に思い入れはありません。

 見たところ、開店から40年以上はたっていそうな洋品店でした。

 となりは、クリーニング店です。
 かつては3階建てでしたが、建築の教科書に載りそうな見事な「減築」を数年前に行い、いまは2階建てになっています。

 なお、いまはコインパーキングになっている左隣の土地には以前、「オホーツク」という居酒屋がありました。
 シャッターには、赤い丸い玉を両ほほにぶらさげたような風変わりな(かわいらしく描こうとしているのだろうが、あまりかわいくない)男の子が大勢で漁に取り組んでいる絵が描かれていました。
 「オホーツク」は一時、シャッターのデザインを変えずに「小さな大工」という店に業態を変えましたが、数年で「オホーツク」に戻りました。




 丸京はこの数年、営業日でもシャッターを半分しか開けていないようなことが目立ちましたが、ついに今年に入り、取り壊しとなりました。




 クリーニング店の外壁が札幌軟石だということがわかります。




 ところで、国道より1本北東側を走る豊平2条通りから「ギャラリー犬養」に入る細い道の右側に、古いアパートがたっています。

 1階は車庫で、大きなシャッターがあり、2階は住宅になっているようです。




 2階の住宅への入り口のところをふと見上げると
「丸京寮」
と書かれているのがわかり、驚かされます。

 古い洋品店は昔は、従業員の寮を別にたてるほど、多くの人を雇っていたのか!




 ギャラリー犬養の近くから見た、丸京寮の裏側です。




 ギャラリー犬養に通じる細い道です。右側の建物が丸京寮です。

 左側は駐車場です。
 「小さな百貨店」という札がついています。丸京に来た客のための駐車スペースでしょうか。




 美術ファンにはおなじみの風景です。右側が丸京寮、左側が「小さな百貨店」の札がある駐車場です。
 このあいだの道を行くと、ギャラリー犬養があります。

 こうしてみると、丸京寮の窓が開いていて、人が住んでいるようです。



 丸京には公式サイトがなく、札幌市豊平商店街振興組合のサイト(http://www.toyohira36.com/)の地図に名が見えます。
 また「さっぽろわくわく商店街」のサイトにはお店のページ(http://www.011.or.jp/shop/detail.php?id=327)があり、つぎのように書かれています。

メーカー品を多数取り扱っております。
お好きなデザインがあってもサイズが合わないとお困りの方
お取り寄せし気に入った場合のみ、購入していただけます。



 豊平は早くから開けていた街ですが、都心部の大きな店舗ではなく、また、郊外のショッピングセンターのような駐車場も有していないため、くしの歯が抜けるように年々お店が減っています。
 この近くでは、ペットショップが取り壊され、薬局がシャッターをおろしたままです。店ではありませんが、大きめの病院も閉院しました。
 1970年代半ばころは、家具店の多い一角でしたが、いまは中古事務用家具を扱う店が1店舗あるのみです。

 走り去る車の量だけが多くなるのは、少しさびしさを感じます。



関連記事へのリンク
札幌市豊平区豊平4条7丁目
旧森安ミシン商会(札幌・豊平)が消えた
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