北海道美術ネット別館

美術、書道、写真などの展覧会情報や紹介。毎日更新しています。2013年7月末、北見から札幌に帰還。コメントはお気軽に。

『森ヒロコ作品集』と、森ヒロコ・スタシス美術館臨時開館のお知らせ

2018年08月15日 17時18分35秒 | つれづれ読書録
 昨年5月亡くなった小樽在住の銅版画家、森ヒロコさんの作品集が、札幌の出版社である柏艪舎はく ろ しゃから出版されています。

 版画270点、「初期の版画」11点、ドローイング21点、コラージュ1点(「無題」)がカラーで収録されています。
 さらに、自筆文献として「マケドニアのアートコロニー」(北海道新聞夕刊1999年10月6~8日)、「東欧の旅」(同2006年2月14日)、「忘れられない庭」(同2003年4月7日)の3編を収載したほか、北海道新聞生活面連載「くらしの博物ごよみ」(1994年1月~2004年3月)に寄せたカット88点、作品集の編集を担当した辻中裕子さんによる評伝「森ヒロコのいた場所―長谷川洋行と歩んだ人生」、あとがき、略年譜、作品リスト、資料写真14点と、充実した内容です。

 版画の図版は、1970年代の「からっぽのアリス」「堕天使」などから晩年に至るまで、少年少女や猫を主人公に、写実的な絵柄で表現した作品が大半。
 落書きがひろがった地面でカンの代わりに星を蹴ろうとする少年を、上から見下ろす角度で描いた「星蹴り」、古く立派な西洋建築の間で行進する少年たちを描いた「宙行く少年II」など、幻想味と叙情性が漂う作品もあれば、少女や天使が題材の作品にはかすかなエロティシズムが感じられます。
 後半からは人物と草花を組み合わせた作品も増えてきます。
 いずれにしても、単にモティーフを描写した作品はごく少なく、植物の一部が人間になっていたり、机上に家や人物が載っていたり、ひとひねりを加えたものが大半。といって、ことさらに奇抜さを強調するのではなく、静かな理知が漂っているようでもあります。

 版画のうち、蔵書票が10点余りありました。
 「KIMIYOSHI YURA」と名が入ったものがありましたが、高名な英文学者の由良君美さんのことでしょうか?

 表紙には
<Catalogue raisonné>
とあります。
 あとがきにも、可能な限り多くの作品を収録したという趣旨の言葉が書いてあります。ただ、日本語の「カタログレゾネ」という語はどこにも記されていません。
 生前最後となった、札幌・琴似のカフェ北都館ギャラリーでの個展で見た記憶のある作品が掲載されていませんし、レゾネを名乗るのはちょっと厳しいかなあという気がします。
 もちろん、全体としては充実しており、文句のつけどころはないのですが。

 本体3800円、226ページ。
 紀伊國屋書店札幌本店、ジュンク堂札幌店などで扱っています。


 なお、長谷川洋行さんと森ヒロコさんが相次いで死去した後、しばらく休館していた小樽市緑1の「森ヒロコ・スタシス美術館」が、8月14~20日の午前10時~午後5時、久しぶりに臨時開館しています。


□柏艪舎 http://www.hakurosya.com/

□森ヒロコ・スタシス美術館 http://morihiroko-stasys-museum.com/index55.html
□Hiroko Museum Note(ブログ)http://stasys.sblo.jp/


関連記事へのリンク(いずれも画像なし)
小樽在住の版画家、森ヒロコさんの死亡記事が、北海道新聞2017年6月24日夕刊「哀惜」面に載っている
森ヒロコ銅版画展 (2014)
森ヒロコ銅版画展 (2008、旭川)




・都市間高速バス「高速おたる号」で「市役所通」降車、約850メートル、徒歩10分
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【PR】LS北見に関する新聞記事を集めた電子書籍「ロコ・ソラーレ 銅メダルへの軌跡」の充実ぶりがすごい

2018年04月17日 08時23分21秒 | つれづれ読書録
(PRとありますが、広告ではありません)

 平昌冬季五輪でのカーリング女子「LS北見」の活躍は記憶に新しいところですが、このたび北海道新聞社から電子書籍「ロコ・ソラーレ 銅メダルへの軌跡」が発売になりました。
 「ロコ・ソラーレ」の頭文字が「LS」で、地元の北見では「ロコ」という愛称で呼ぶ人もいます。
 
 電子書籍は、本橋麻里、藤沢五月、吉田知那美、鈴木夕湖、吉田夕梨花の5選手の幼い頃から、銅メダル獲得に至るまで、北海道新聞に掲載された記事110本を収録しています。
 藤沢五月さんが北見の美山小5年生だった頃の記事も収められているほどで、地元新聞社らしい充実した内容。
 っていうか、すぐには読み切れないほどのボリュームです。



 写真は、紙面未掲載のものも含め110枚。
 筆者の一押しは、藤沢五月さんが、2017年9月、LS北見の五輪出場が決まり北見で発行された号外を手に笑顔を見せている一枚。
 ナチュラルな笑顔がすてきな写真ですが、もとは道新の社報(社内報)に載っていました。
「道新社員しか見られないのは、もったいないなあ」
と思っていたところ、公開になりました。

 さらに、五輪期間中に、どうしん電子版だけに掲載されていた「じりつくん」AI戦略分析なども付録として載っています(これは、AI=人工知能=だったら、次はどこにストーンを置くかという分析をした、ややマニア向けの記事で、なかなかおもしろいです)。

 このボリュームで、わずか300円(!)
 消費税を足しても、324円という、出血大サービスです。
 こんどのオリンピックでカーリングに興味を抱いた人で、パソコンやスマホを持っているなら「買わない」という選択肢はないと思います。
「買うよね?」
「そだねー」
(ぜんぜんひねりのないオチですみません)

 詳しくは、どうしん電子版の下記のページをご覧ください。

https://www.hokkaido-np.co.jp/ebooks/lskitami/



ロコ・ソラーレ 銅メダルへの軌跡 平昌五輪報道特集
北海道新聞社
北海道新聞社
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『祈りの人 棟方志功』の中に、北海道関係の記述を探す

2018年03月15日 22時10分00秒 | つれづれ読書録
 『祈りの人 棟方志功』は、棟方の長女と結婚した朝日新聞記者が書いた、2段組み700ページに上る大部の伝記である。
 筆者は、道立近代美術館で開催中の棟方志功展を見る前にこの本を読んで得るところ大であった。しかし、なにぶんにも大冊である上に、版元品切れでもあるため、万人に薦めるわけにもいかない。また、全体の要約も困難である。
 そこで、北海道美術ネット別館としては、この本に書かれた、棟方志功と北海道のかかわりについてピックアップすることで、このブログらしいアプローチで異色の版画家(もっとも本人は「版画」ではなく「板画」と表記した)に迫ってみようと思う。

 なお棟方は1903年(明治36年)、青森生まれ。
 75年歿。


1) 1926年(大正15年) 先輩洋画家、上野山清貢の野方(杉並区)のアトリエを、友人の松木満史とともに訪ね、池大雅の作品などを見せてもらった。

棟方は後に「わたくしは画壇方面に親しい間柄の人がほとんどいないといいましたが、それでもわたくしが敬愛する先輩がありました。その一人が上野山清貢さんであります。氏は心も仕事も純粋な画家でありました」「わたくしは画工として働きながら、上野山氏から、本当の絵とはどういうものかという話を聞かされました」(…)と感謝している。


 そこまで書いておきながら、この本ではその後、上野山清貢の名は一度も登場しない。
 ただし、上の引用元である『板極道』には、その後の思い出話も出ている。
 「先日、わたくしは上野山清貢氏のパトロンだった山根光一氏から、見事な上野山氏の自画像(油絵八号大)を贈られました」
とも書いている。
 この「山根」というのは、ひょっとすると「中根」の記憶違いではないかとも思うし、そうだったらおもしろいのだが、よくわからない。

 なお、上野山(1889~1960)は江別生まれの洋画家。同年から3年連続で帝展で特選となった。



2) 同年、第5回国画創作協会展(現在の国展)で川上澄生の「初夏の風」を見て、版画のよさにうたれる。

 なお、川上は栃木出身の版画家だが、戦争で苫小牧方面に疎開し、全道展の旗揚げにも参画した。
 全道展の創立会員は本州からの疎開者が多く、東京に戻るとかかわりが薄くなった人もいるが、川上は北海道を離れても毎年全道展に出し続けている。



3) 「児童文学」を編集する佐藤一明との交友によって、昭和6~7年あたりで知り合いが一気に増えた。
 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の挿絵を描いたのもそのため。
 ほかに百田宗治(戦中、上川管内当麻町に疎開していた詩人)や伊藤整(いわずとしれた小樽出身の詩人、小説家、評論家)の挿絵も担当している。

 ただ、このころ仲のよかった保田與重郎らとの交流は戦後も続くが、伊藤整の名はこの後は出てこない。



4) 1941年(昭和16年)8月20~30日、北海道旅行。
 26日、根室で、柳宗悦にあてたはがきが残る。
 千島にも渡るつもりだったがかなわなかった。



5) 47年(昭和22年)、8月に函館、小樽、札幌で個展を開く。
 函館では丸井今井が会場で「河井寛次郎氏陶磁器・棟方志功氏倭画近作展覧会」という会。主催は日本民芸協会支部函館会と函館文庫。後援が日本民芸協会北海道支部、函館文化懇談会、北海道新聞社、函館新聞社。
 展示された棟方作品は倭画やまとえ32点。本人も訪れたらしい。
 板画はこの年の4月、同じ場所で開かれた展覧会で紹介され、「釈迦十大弟子」などもあった。



6) 48年(昭和23年)7月、三宅忠一(大阪に日本工芸館をつくった)とともに北海道旅行。
 14日北海道に入り、22日に小樽、24日に紋別。8月4日、小樽から柳にはがきを出している。



7) 56年(昭和31年)9月、北海道豆本の会から「瞞着川」を刊行。
 「瞞着川」は「だましがわ」と呼び、代表的な版画シリーズのひとつ(今回の札幌には出ていない)。



8) 57年(昭和32年)8月、青森滞在の途中、北海道に渡り各地で個展


9) 68年(昭和43年)、札幌の大谷女子短大で講義。

ただ札幌の秋は大いに気に入ったらしく、北大のポプラ並木の雰囲気などを楽しんで帰ったあと、一気に105センチ×140センチの大作「飛神とびがみの柵」を仕上げ、11月1日からの第11回新日展に出品している。



10) 63年(昭和38年)4月8日の北海道新聞夕刊に「融通念仏の境地―私の板画業」を寄稿。



11) 73年(昭和48年)10月5日。

さっぽろ東急百貨店が開店、その開店記念展として「棟方志功宝門加得渡宇頌韻ほっかいどうしょういん展」が開かれた。また同店7階に常設の「棟方ギャラリー」が設けられた。棟方はその開会式に出席のあと、旭川、釧路、網走、阿寒などを回り、各地でスケッチを楽しんだ。開店記念展には板画51点、倭画26点、油画7点、書7点が出品されたが、板画の半数は大首絵と裸婦。同じ記念展といっても、神戸の記念展は、目玉になる作品もあれば、話題作も用意されていて、充実した内容だったが、札幌の記念展は、「女人観世音板画柵」の「仰向妃」「振向妃」とか「善知鳥板画柵」の「宵訪の柵」、また「鍵の大首の柵」「弘仁の柵」「弁財天妃の柵」など売れ筋のものを並べただけで、これといった中心になる作品のない会だった。





 北海道に関連する言及は以上11カ所。
 札幌での個展について、手厳しいことを書いているのは677ページである。
 さっぽろ東急に常設の棟方ギャラリーがあったとは、にわかには信じがたいが、当時の棟方人気がうかがえる。
 開店の日に東急百貨店は北海道新聞に見開き全面広告を出している。それによると、上記の展覧会は棟方ギャラリーが会場だった。

 また、このときの記念展については、今度の札幌展でも言及があった。
 ただ、この本では、このあとで道内各地を回ったことになっているが、それだと、厚岸の風景を記念展に出品できまい。北海道周遊の途中で、開店記念展に立ち会ったというのが正解なのかもしれない。

 室蘭に碑が残っている、当地での制作や個展については、8)が該当するものと思われる。

 1929年(昭和4年)にも小樽に来て講演したという記録もあるが、この本には載っていなかった(『板極道』では昭和8年になっている)。

 2)については、今回の札幌展を見た人も、初期の作品があまりに川上澄生に似ていることを知って、「さもありなん」と思ったことだろう。


 細かい話になるが5)の後援に名を連ねている「函館新聞社」というのは不詳。
 もちろん、現在の函館新聞は平成になってからの創刊だし、戦前の函館新聞は1940年、北海道新聞に統合させられている。戦争直後に函館新聞があったのだろうか。

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石垣渉さんの新刊「ワンランク上を目指す 水彩画 水を操る15のテクニック」(日貿出版社)

2018年03月07日 21時32分03秒 | つれづれ読書録
 札幌の水彩画家、石垣渉さんによる技法書『水彩画 水を操る15のテクニック』(日貿出版社、2376円)が出版されました。
 週内に主要書店の店頭に並ぶほか、大丸藤井セントラル3階と、石垣さんが現在個展「平成29年度道銀芸術文化助成事業 石垣渉 水彩画の世界展 ~目の前に広がる風景~」を開いている道銀らいらっく・ぎゃらりいで発売しています。

 筆者(ヤナイ)は自ら絵筆は執りませんから、この本の叙述が制作に役立つかどうかについては、確定的なことは言えません。読んだだけで判断すれば、すべての図版がカラーで、制作中のようすもふんだんに写真で紹介されていますから、わかりやすいと思いますが。
 むらのない塗り方、グラデーションの付け方、マスキング液の使い方など、さまざまな技法が惜しみなく披露されており、実作者には参考になることでしょう。

 まちがいないことは、掲載されている制作実例はすべて石垣渉さんの水彩画なので、この本はいわば、石垣渉画集としても楽しめるということです。これまで筆者が個展の折々に見てきた多くの作品図版が、原版とほとんど変わらない色合いで再現されているのです。
 画集としてみれば、2300円というのは、かなりお値打ちなのではないかと思います。



 さて、個展には18点が並んでいます。すべて、横ワイドの構図です。
 作品としてはあまり一般的なかたちとはいえないでしょうが、広がりのある風景画にはおあつらえ向きの形状であるのは間違いないでしょう。

 18点はすべて道内に題材を得ています。
 画像手前の「影」など、冷気を感じさせる冬の絵は、石垣さんの独壇場といってもいいでしょう。構図も色彩も引き締まっています。

 そのとなりは「出逢いと別れの季節」。5月中旬、札幌の北大植物園で目撃した光景で、緑の上に散り敷いた桜の花びらに枝の影がかぶさり、まるで木々に花が咲いているようすが再現されているかのようです。
 最近、石垣さんは沖縄・石垣島を訪れたそうですが、「やはり光線などが北海道と違い、簡単に絵にはできない。いつかは(日本)各地の風景を絵にしてみたいとは思っているのですが」と話していました。

 このほか、けあらしが立ちこめる波打ち際を題材にした「冬の海」、放置された古いバスの車体が黄色い光に囲まれている風景を描く「置き去りのタイムマシン」など、石垣さんの絵は、いまどきの若者っぽいことばでいえば、「静かでエモいなあ~」と思います。

 会場でももちろん、新刊のほか、ポストカードも取り扱っています。


 なお、6月2日(土)と17日(日)各日午後1時~4時(※途中15分休憩あり)の日程で、石垣渉 水彩画デモンストレーションが、大丸藤井セントラル7階で開かれます。
 参加費は5400円。定員各日16人(先着順)。
 お問い合わせ・お申し込みは3階アートのフロアまで。
 この本で解説されている石垣さんの技法を間近に見ることのできるチャンスです。


2018年3月5日(月)~11日(日)午前10時(初日午後1時)~午後6時(最終日~午後5時)
らいらっく・ぎゃらりい(札幌市中央区大通西4 北海道銀行本店)


□石垣渉さんのサイト http://www.ishigaki-w.com
□日貿出版社 http://www.nichibou.co.jp/

関連記事へのリンク
石垣渉 水彩画の世界展~太陽のある風景 (2017)

第10回透明水彩展 コロコニ (2016)
■石垣渉水彩画の世界 -身近にある景色-

透明水彩展コロコニ (2015、画像なし)

第9回 水彩連盟 北海道札幌支部展 (2014)
石垣渉 水彩画の世界展~10周年記念展 (2014)

水彩連盟北海道札幌支部展 (2013年、画像なし)
【告知】石垣渉 水彩画の世界展~世界の景色と北海道の風景~(2013)


石垣 渉 水彩画の世界展 ~地球~ (2012、札幌)
【告知】石垣 渉 水彩画の世界展 ~地球~ (2012、札幌)

【告知】透明水彩コロコニ (2011)

2010年5月の個展

石垣渉 水彩画の世界展 (2009年7月)
透明水彩コロコニ(2009)

透明水彩展 コロコニ(2008、画像なし)
北海道イラストレーターズクラブα(アルファ)会員作品集 マイワーク26原画展(2008年)
石垣渉 水彩画の世界展 (2008年4月)

石垣渉 水彩画の世界展 -流れ-(2007年)
竹津昇・石垣渉2人展(2007年)

道新夕刊の後志・小樽版に石垣渉さんがイラスト

石垣渉風景画展(2003年)



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「日新町2020」をゲットせよ

2018年02月26日 10時24分19秒 | つれづれ読書録
 札幌市立大の卒業制作展のダイジェスト版が、札幌駅前通地下歩行空間(チ・カ・ホ)で2月26日まで開かれているが、その一番奥のブースに並んでいたのがこの本「日新町2020」。2冊セットで1200円だ。
 「いまのアート」に興味のある向きはこの本を入手して、読んだほうがいいと思う。

 内容は、川崎の中心部に近いドヤ街「日新町」のルポ。
 女子大生が、この街にたむろする「おじさん」(中高年男性を本ではこう呼んでいる)に話を聞いて、2冊のうち厚い方に、日新町の概要や、ドヤとはなにかについて書いている。
 薄い方は、写真やイラストで、おじさんたちを何人か紹介している。

 この本のすごいところは、文中にもあるが、日新町の先行文献がほとんどないなかで、彼女が自分の足で明らかにした部分が多いこと。東京の山谷、横浜の寿町、大阪の釜ケ崎は大規模なドヤ街で、社会学やジャーナリズムの対象になっていて有名なのだが、川崎にも簡易宿泊所の集まる地区があるなんて、筆者も知らなかった。
 建物は老朽化し、そこに住む人も高齢化が進んでいるため、川崎市は2020年までに簡易宿泊所をゼロにする計画だという。
 そこに単身乗り込み、ものおじせずに「おじさん」たちに話を聞き、許可を得て写真を撮影し、本にまとめるパワーとエネルギーには脱帽である。
 筆者もジャーナリズムの片隅に身を置いているが、こういう取材はあまりしたことがないし、正直に告白すると、気が進まない(もちろん、やるときはやります。それが仕事というもの)。彼女も、最初はなるべく目に入らないようにしていた―と率直に記している。
 一昔前の「わたしは社会派!」みたいな気負いがなく、かといっておじさんたちを見下しているわけでもなく、やわらかくすなおな筆致でたんたんと書きつづっているところが、好感が持てる。



 さて、この本を読んで
「これがアートなの?」
と首をひねる人がいるだろう。
 かんたんにいうと
「アートは自由なんだから、これがアートでもいいだろう」
というのが答えになると思う。

 もう少し付け加えると、近年は社会とのつながりを重視したアートが世界的に増える傾向にある。
 しかし、北海道は、そういう世界的な潮流から取り残されていると思われる。
 こういう種類の取り組みについて、わたしはアートと認めない、というのは自由だが、好むと好まざるにかかわらない傾向なのだ。

 筆者は「社会的な現代アート」だからなんでも良いと言っているのではない。
 この学生の取り組みのオリジナリティに敬意を表しているのである。
 そして、旧来の絵画や彫刻などについて、それが絵画や彫刻であるという理由だけで否定するつもりは全くない。


 途中ですが、いったんアップします。
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■杣田美野里『礼文短歌 蕊』 刊行記念写真展 (2018年2月17~22日、札幌)

2018年02月21日 21時34分08秒 | つれづれ読書録
 日本の北の端にある礼文島に住む写真家、杣田美野里そまだみのりさんが、自ら詠んだ短歌を、花や風景の写真に添えた『礼文短歌 しべ』を北海道新聞社から出した(本体1500円、税込み1620円)。
 それを記念した写真展が、紀伊國屋書店札幌本店2階で開かれている。

 本はサービス版写真のような小ささの、横長のポケットサイズ。
 基本的に、右ページに短歌が1首、左ページに写真が1点掲載されている。写真は裁ち切りで、レイアウト上当然だがすべて横位置だ。
 ところどころに、レブンアツモリソウやエゾノハクサンイチゲの説明など、文章が添えられている。

 筆者はまず写真展を見て、その後で写真集を買い求めた。
 写真展の会場で最も印象に残ったのは、トラノオやツリガネニンジンなど、夏から秋にかけて咲く花の写真の、独特の色調だった。
 おそらく、北緯45度という緯度の高さが影響しているのだろう、光の調子がわずかに赤みを帯びているように見えるのだ。
 南のほうで撮った写真は、海も花ももっとくっきりと、それぞれの色が明確に写る。
 それに対し、北のほうで撮影した写真は、薄い青と、淡いオレンジや黄色が、同一の画面の中で微妙に混じり合うような感じがするのである。

 そのなんともいえない北国らしい色合いが懐かしかった。



 写真展も本も終盤、トーンが変わる。
 札幌の空の写真や、雪の団地を見下ろした写真などが登場してくるのである。
 本では、著者が幼い頃のモノクロ写真が突然出てきて、そこから内容が一変する。

 くわしい事実関係は会場ではわからないが、本を開いた限りでは、2016年暮れから17年はじめにかけて、がんの検査や手術のため札幌の病院に入院していたようだ。 

 短歌はこのあたりの作が、読者に迫ってくるように感じられる。

<冬至まで日に日に午後は哀の色グラスに半分赤をください>



 杣田さんは1955年生まれで、92年から礼文に住んでいるというから、亡くなるにはいくらなんでもまだ早い。
 入院を機に、命について考えを巡らすことが多くなったということなのだろうか。

 花々は毎年おなじように開いて、命をつないでいく。
 人は毎年ひとつずつ年をとっていく。
 そのことを認識することで、深みをましていく写真を前に、こちらもいろいろと思いを巡らしてしまう。そんな展示と、小さな一冊だ。


2018年2月17日(土)~22日(木)午前10時~午後7時(最終日~5時)
紀伊國屋書店札幌本店2階ギャラリー (札幌市中央区北5西5 sapporo55)

□「島風に花と」杣田美野里のふぉと短歌 礼文島より https://hananosima.exblog.jp/

杣田美野里写真展 (2007、画像なし)


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■有島武郎と未完の『星座』―明治期北海道の青春群像 (2018年2月3日~3月25日、札幌)有島最後の長編小説『星座』をめぐって

2018年02月19日 23時14分34秒 | つれづれ読書録
 有島武郎ありしまたけ お の代表作『る女』が日本の近代文学を代表する長編小説であると同時に、札幌農学校(現在の北大)で教壇に立った彼が「北海道文学」の精神的な創立者でありバックボーンであることは、いうまでもあるまい。『うまいづる悩み』は、後志管内岩内町の画家木田金次郎をモデルにした名作であり、『カインの末裔まつえい』は北海道の開拓農家を舞台に野性そのままの男を描き、厳しい北の風土と人間像を作品化した。理想主義や開拓者精神といった語にまとめられる北海道文学の性格は(そのようにまとめること自体に対しての疑義は別にして)、おそらく有島のこれらの作品が源流になっているといって差し支えないだろう。ほかにも、北海道とは直接関係ないが、短編「小さき者へ」、評論『惜しみなく愛は奪う』、童話『一房の葡萄 ぶ どう』など、1世紀ほどたった今も読みつがれている作品は少なくない。
 晩年に書かれた長編『星座』は、それらの名作にくらべると、新潮や角川は文庫化していないし、岩波文庫も戦後の一時期出たものの、ほどなくして品切れになってしまい、多くの読者を得て代表作として定着したとはいいがたい。一口でいって、有島の作品の中ではマイナーなのだ。

 そのような事情から、筆者は
「あまりおもしろくないのでは?」
と邪推していて、道立文学館がテーマに取り上げたことを疑問に感じていた。
 ところが、読み始めてみると、これがなかなか興味深い小説なのだ。それほど読まれていないのがもったいないし、また有島の早すぎる死によって未完に終わったことが残念でならない。
 とりあえず、筆者が感じた『星座』のおもしろさというのは、つぎの3点にまとめられよう。

1. 現実社会をえぐるリアリズム

2. 章ごとに視点人物を変える実験的な構成

3. 19世紀末、まだ人口4万の小都会だったころの札幌を舞台にした、一種の都市小説でもあること
※人口を2万→4万に訂正しました。2018年2月20日

 1点目については、この作品の専売特許ではない。
 しかし、プロレタリア文学よりも以前に、貧富の差などをしっかり書き込んだ文学がそれほど多くあるわけでもない。
 筆者がもっとも心を痛めたのは、主要な登場人物で、その面影が作者本人に近いと思われる星野の妹おせいが、兄が進学した代わりに小樽で女中奉公に出され、あまつさえ高利貸しと結婚させられそうになっていることだ。登場人物たちの多くは苦学生だが、そのまわりにはもっと悲惨な境遇の人物がいる。
 有島武郎は良家の出身で、学習院では皇族の友人に指定されるほど恵まれた環境に育っているが、ボランティアで教える遠友夜学校の校長を務めるなどの体験を通して貧しい人々の暮らしを知るようになっていたのだろう。

 2点目は、この小説の最大の特徴であり、1920年代初頭に日本語で書かれた小説としては、非常に実験的で先進的な取り組みといえる。
 現在残されている部分は18の章からなるが、それぞれ視点となる人物が異なる。三人称ではあるが、章によって、星野の視点だったり、彼らの下宿「白官舎」の賄いの老女だったり、星野の友人の園(男性)だったり、ばらばらなのだ。最初は「なんだかめまぐるしくて、落ち着かないなあ」と感じたが、その後、有島の筆が乗ってきて、章が長めになると、気にならなくなってきた。とりわけ、xviはヒロインおぬいの、xviiは「ガンベ」こと渡瀬の視点で同一の場面を書きつづっていて、女と男ではおなじシーンでも、こうも受け取り方、感じ方が異なるのかと驚かされる。
 こんなおもしろいことができるんだから、有島は死に急ぐことなかったのになあ、とさえ思うのだ。

 3点目については、図録で谷口孝男副館長が、小説の舞台となった明治期の札幌の地図を引きつつ、とくに北側の農学校や道庁のある「光」の部分と遊郭や貧民街のある南側の「影」の部分とを対比させて詳しく論じている。
 『星座』の舞台となったのは1899年の札幌。いまやビルの谷間に沈んでいるように見える時計台が、全市を見渡せる、市内随一の高層建築だった時代だ。
 これよりも古い時代の札幌は、たとえば船山馨の『お登勢』や、国木田独歩の日記「欺かざるの記」などにも登場するが、いずれも断片的な描写にとどまり、全編にわたって札幌の地理が重要な役割を果たす小説では最も古い時代を扱っているといえるだろう。

 書かれたのは、全体の構想のうちおそらく半分にも達しないであろう。
 繰り返しになるが、漱石の『明暗』、多喜二の『転形期の人々』などと並んで、未完の惜しまれる作品である。


 長くなったので、別項に続く


2018年2月3日(土)~3月25日(日)午前9時半~午後5時(入場~4時半)、月曜休み(2月12日は開館し翌日休み)
道立文学館(札幌市中央区中島公園)

□青空文庫「星座」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/216_20490.html

過去の関連記事
有島武郎と木田金次郎の初のパネル展、チ・カ・ホで(2017)
有島記念館に行ってきた (2008)
札幌・菊水(4) 有島武郎邸の跡 (2008)





・地下鉄南北線「中島公園駅」3番出口から約410メートル、徒歩6分
・地下鉄南北線「幌平橋駅」から約480メートル、徒歩7分

・市電「中島公園通」から約550メートル、徒歩7分

・中央バス「中島公園入口」から約200メートル、徒歩3分
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カムイということばの意味について

2018年01月03日 19時33分52秒 | つれづれ読書録
(2013年に書いた記事がアップされずにパソコンに眠っていました。おそらくまだ続きを書くつもりだったのでしょうが、もう当時の気持ちはわからないので、とりあえずアップすることにします)


 中川裕「アイヌの物語世界」(平凡社ライブラリー)に、「カムイ」とは何かについてわかりやすい説明があったので、かなり長いが、引用しておきます。

 かつてのアイヌ人にとって、この世界は二種類の精神的存在によって構成されていると考えられていた。ひとつはアイヌ=「人間」であり、もうひとつがカムイと呼ばれるものである。このカムイという言葉はひとことで言ってしまえば、「人間にない力を持ったものすべて」を指す言葉である。たとえばスズメやカラスなどの鳥たちは、空を飛ぶという人間にはできないことができる。クマやキツネなどのけものたちは、毛皮や肉という人間には作れないものを、自分の手で作り出して身にまとっている。樹木は木材を作り出し、あるいはその内皮を服を織るための繊維の原料として人間のために提供してくれ、山菜たちはまたその根や茎や葉を食料として与えてくれる。

 こうしたものがカムイと呼ばれるものである。つまり、一羽一羽のスズメ、一匹一匹のキツネ、一本一本の木や草がそれぞれカムイなのである。日本語で「キツネの神様」や「桂の木の神様」などというと、キツネ全体をつかさどる一段と偉いキツネの王様のようなものや、特別な桂の木を思い浮かべてしまうかもしれないが、そういうことではない。何百匹ものハチが群れていたとしたら、そこには何百匹ものハチのカムイがいるのである。

 生物ばかりでなく、火や雷などの自然現象もまたカムイであり、精神を持つものとして考えられている。山や川、風、太陽などもカムイだし、天然痘のような病気や基金のような災いさえカムイと考えられている。

 そのカムイたちはそれぞれカムイモシ「カムイの国」と呼ばれる、自分たちの住む本来の場所を持っている。そしてそこから時に応じてアイヌモシ「人間の国」へと出かけてくるのである。火のカムイなどはいつでも人間の家にいて料理を作る手助けをし、またカムイたちへ人間の言葉を伝える役を果たす、人間にとって一番親しい大事なカムイだが、雷のカムイなどは、ときどきアイヌモシが見たくなるとぷらっと人間の村の上空を訪れては、また去っていく。また、暖かくなってくると鳴き声を聞かせるカッコウなどの鳥は、季節の訪れや川への魚の遡上を告げるという役目を負って、天空にあるカムイモシから人間の国へ派遣されてきたカムイたちだと考えられている。

(中略)

 カムイたちが人間の前に姿を現すときは、それぞれよそいきの衣裳をつけてくる。たとえばクマの神であれば、肉を人間へのお土産として背負って、その上に立派な毛皮のコートを着てやってくる。

(中略)

 基本的にカムイとアイヌとは対等であり、お互いにもちつもたれつの関係で、どちらがいなくてもお互いに困るという存在だと考えられている。

(中略)

 だから狩というのは、アイヌ人にとって人間と動物の戦いではない。動物たちはその酒やイナウが欲しくて、自分をそうしたもので丁寧に祀ってくれそうな人間のところに、自ら客となるためにやってくると考えるのである。だから獲物がとれる、とれないというのは、単なる技術の問題ではなく、カムイに気に入られているかどうか、カムイに信用されているかどうかという人徳の問題として考えられるのである。


 もっと引用したくなるのだが、ここらへんで。

 どうですか。
 筆者はこの本を読むまで知らなかった。
 そして、とってもおもしろい考え方だし、自然観だと思う。
 「カムイ」を「神」と訳すると、ちょっと違うということがわかった。

 また、アイヌ民族の考え方が、いわゆる欧米流のエコロジーとも異なることもこれで了解した。
 この世界観からは「自然はいっさい傷つけてはいけない」的な、過激エコロジーは出てきようがない。

 引用部分のあとに出てくるが、「ウニウェンテ」という儀式があり、たとえば川で事故が起こって死人が出たようなときに、川のカムイに対して抗議デモ行進を行うような儀礼だという。
 川の不注意をなじり、今後同じようなことがあったら、おまえをもうあがめたりしないぞと訴えるというのだ。

 生態系と人間の共存にとって、こんなに好都合な思想はないように思う。

 好都合といっても、ご都合主義とは違う。
 といって、一神教のような格調の高さ(いいかえれば、とっつきにくさ)でもない。
 ある意味で、非常に人間くさいというか、ユニークな発想ではないだろうか。

 中川さんは、カムイについて
「われわれの言う「自然」という言葉に非常に近いものだということができるだろう」
と総括している。

 筆者が思い出したのは、「山川草木悉皆成仏」という仏教の教えである。

 これは、インド由来の思想というよりは、日本仏教の教えなのではないだろうか。(すみません、これからもっと勉強します)

 もちろん、アイヌ民族が仏教に帰依していたとか、仏教の影響下にあったということをいいたいわけではない。
 ただ、結果的に似ているように思われるというだけのことだ。

 そして「山川草木悉皆成仏」を忘れかけているわたしたち日本人が、自然から手痛いしっぺ返しを食っているように思う―と書けば、コラム的にまとめすぎる結論だろうか。
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「木彫家 藤戸竹喜の世界」展図録の齋藤玲子国立民族学博物館准教授による論文「藤戸竹喜と木彫り熊とアイヌ文化」の意義

2017年12月23日 16時05分00秒 | つれづれ読書録
(承前)

 最後に、もう一点だけ。

 札幌芸術の森美術館で開かれ、2018年に大阪の国立民族学博物館に巡回する「現れよ。森羅の生命― 木彫家 藤戸竹喜の世界」展の図録に、同博物館の齋藤玲子准教授が「藤戸竹喜と木彫り熊とアイヌ文化 -旭川から阿寒湖、そして世界へ」と題した論文を寄せている。
 この論文は、これまで定説とされてきた木彫り熊の日本における発祥に疑義を呈した藤戸氏の私家版を紹介しつつ、木彫り熊や、アイヌ芸術の流れを丹念に跡付けた貴重な文章である。大学や博物館の紀要などにはあるいはこの手の論文はいくつも発表されているのかもしれないが、一般の目に入る機会ははなはだ少ない。木彫り熊やアイヌ文化に興味のある向きは、必読の一文であろう。

 おりしも今年は札幌国際芸術祭の企画として、札幌市資料館で熊の木彫りコレクションが大量に公開された。
 なかば忘れられたみやげ物に、ふたたび脚光を当てた―という意義は小さくないものの、いかんせんテキスト類が決定的に不足しており(これから出るであろう報告書などで補われるのかもしれないが)、いまなぜ熊の木彫りなのかが見る側にまったくといっていいほど伝わらない展示だったことは否定できない。むしろ、あのような展示が続くのであれば、熊の木彫りを出来合いの工芸ないし彫刻のカテゴリーに押し込めて近代主義的な観点からその造形的な出来ばえのみを云々するという反動的な身振りの再生に寄与する危険性すら、なしとしないだろう。

 ところで、これまで語られてきた日本における熊の木彫りの発祥というのは、大正期、渡島管内八雲町を開拓した尾張徳川家家臣から見て殿様の直系の子孫にあたる徳川義親がスイスでみやげに買ってきた熊の木彫りを、農閑期に取り組む工芸品として農民たちに奨励した―というのが定説となっている。ただし、その直後に始まった旭川のほうが、後の北海道の木彫り熊の主流になった、というのだ。その後、八雲の系譜は、非常に先細りになってしまった。
 ところが、この齋藤論文は、藤戸の私家版を論拠にして、八雲発祥の証言となってきた浅尾一夫らの回想に疑問を呈し、確たる証拠こそないものの旭川の方が早くから取り組んでいたのではないかという見方を提示する。詳しくは論文に当たられたいが、その資料の吟味ぶりは見事であり、説得力がある。
 また、この論文は、熊木彫りよりも以前からアイヌ民族には小さい立体をこしらえる文化があったこと、阿寒の観光ブームの推移などについても調べており、裨益するところ大であった。



2017年10月14日(土)~12月17日(日)
札幌芸術の森美術館(札幌市南区芸術の森2)

2018年1月11日(木)~3月13日(火)
国立民族学博物館(大阪府吹田市千里万博公園)

(この項おわり) 
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「日経おとなのOFF」2018年1月号は「絶対見逃せない! 2018年美術展」特集

2017年12月14日 08時44分00秒 | つれづれ読書録
 昨年に引き続き、「日経おとなのOFF」1月号を買ってみました。

 来年、日本国内で開かれる、注目の展覧会について特集しています。

 類書はありますが、フェルメールのクリアファイル、美術展ハンドブック、カレンダーの3大附録がついて、税込み800円というのは、たいへんお得といえます(昨年よりも20円高いですが)。

 紹介されているのは、フェルメール展、プーシキン美術館展、横山大観展、藤田嗣治展、ムンク展、ルーベンス展など、東京、名古屋、関西の3大都市圏で開かれる大規模展がほとんど。
 道内で開催される展覧会は、すでにこのブログでも言及したブリューゲル展のみと、いささかさびしいです。

 また、国内外の芸術祭も全く触れられていません。

 メジャーどころの展覧会は、この「日経おとなのOFF」でじっくり楽しんでおき、来年出る「美術の窓」2月号などで補うのが良いのかなと思います。

 ともあれ、早くも来年の東京行きスケジュールをたてたい人にはうってつけの一冊です。

 個人的には、次の三つが気になりました。

🔘ジョルジュ・ブラック展(4月28日~6月24日、パナソニック汐留ミュージアム)
 キュビスムの元祖として、むしろピカソよりも高く評価する人も多いのに、意外と見る機会の少ない画家

🔘ハピネス (7月24日~10月8日、名古屋ボストン美術館)
 閉館前、最後の展覧会

🔘ピエール・ボナール展 (9月26日~12月17日、国立新美術館)
 このフランスの画家が日本的フォービスムに与えた影響は計り知れないのではないか


 また、山下裕二、山田五郎両氏の対談で、道立近代美術館から巡回が始まったゴッホ展が、開会中の展覧会の中で「見ごたえあり」と真っ先に挙げられていたことを書き添えておきたいと思います。


日経おとなのOFF 2017年1月号
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※追記あり。桜井哲夫『フーコー 知と権力』(講談社)からのメモ

2017年11月28日 10時11分43秒 | つれづれ読書録
 あくまで個人的な覚え書です。
 こういう哲学史の見方は、筆者が知らなかっただけで、むしろ常識の部類に属するものなんだろうか?

 そこで、カント以降の人々は、生物学の知識を導入して、認識は、徐々に人間の肉体の組織のなかで形成されてゆくと見るか、あるいは、認識は、歴史的、社会的、経済的諸条件を持っているから、認識の諸形式をまえもって規定する人間認識の歴史が存在すると見た。だが、これでは、経験的真理と哲学的真理の相互関係を、矛盾なく説明することができない。こうして、現象学のように、人間を、経験的で先験的な二重性を持った存在として考えようとする見方も生まれてきた。

 こうして、人間を経験的(経験して理解する)であると同時に先験的(意識で認識する)であるとみるならば、デカルトの「コギト(われ思う)」、つまり人間を、純粋意識という透明なもののなかに示すことはできなくなる。近代の哲学は、デカルトのように、あらゆるものが思考されるものだとは考えることができない。「われ思う」から「われ在り」へ、つまり、意識する主体としての人間と世界のなかに実在する人間との幸福な結びつきは存在しないのである。

 さらに、意識こころ身体からだとの分裂、人間存在の二重性の問題を考えるときに、人間の起源という概念を問題にする接近の仕方がある。ヘーゲルやマルクスなどは、起源への回帰のなかに、人間がかつて持った完全さへの回帰、失ったものの回復を見いだしたが、ニーチェやハイデガーは、起源とは、からっぽ、無だとし、そこから、歴史の諸々の意味づけを破壊する作業をおこなった。だが、このような起源への回帰の仕事もいずれも成功したとはいえない。
(168~170ページ)
 


 やっぱりフランス現代思想をすこしは読んでおいたほうがよいかと思い、手始めに講談社の「現代思想の冒険者たち」シリーズから『フーコー』に取り掛かった(なお、中公新書の『フランス現代思想』はだいぶ以前に読んだ)。
 この桜井哲夫氏の本は、伝記的な事実と思想とをうまい具合に織り交ぜた、おもしろい一冊なのだが、その余勢を買って『言葉と物』(新潮社)に取り掛かったところ、ぜんぜん前にすすまない。
 まずいまどき、2段組みというのがいけない。1ページに23行。それが2段である。
 これはつらい。
 もちろん私の頭の悪さが、進まない最大の原因なのは、まちがいないけれど。

 フーコーは一般的には「構造主義」という名で呼ばれているけれども、やっていることは歴史である。
 ただ、その方法論が、先行研究者とはえらく違う。ブルクハルトなどとはもちろん、マルクスとも違う。
 本人は「歴史」といわず「考古学」と称しているようである。
 方法論はおもしろそうだが、正直言って、16世紀の西欧の知のあり方や仕組みについてはあまり興味がわかない。

 マルクスの知的唯物論という刀は便利な道具で、これをもって日本の中世や近世の歴史をエイヤっと料理してみせた学者はいくらもいたが、フーコー理論を道具として使った人はいるのだろうか。日本の読者としてみれば、そちらのほうがとっつきやすいのだが、どうなんだろう。
 いや、そもそも西洋以外の歴史を料理することができるのでなければ、道具としての意義があまりないような気もするのだが。
 それとも、フーコーの学説をそういうふうにとらえることが間違っているんだろうか。

 追記。
 この本の最初の方に、ベラスケスの代表作「侍女たち」の精緻な分析がつづられていることは、西洋美術ファンにはよく知られているが、読んでもあまりスッキリしなかった。やはり私の理解力に問題がありそうだ。
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■北海道美術50=続き (2017年8月26日~11月7日、札幌)

2017年11月16日 02時02分00秒 | つれづれ読書録
(承前)

 道立近代美術館が開いた「北海道美術50」と、あわせて出版された同題の書籍(中西出版)について、前項で50人の人選について述べました。
 しかし、ほんとうに言いたいことはまだあるのです。

 一部、これまでにも書いてきたことと重複しますが、あらためて北海道の美術史について考えたいと思います。

 以下、

1) 「北海道美術」の範囲とは
2) 分野の問題
3) 収蔵庫とインスタレーション

の3部にわけて論じていきます。



1) 「北海道美術」の範囲とは

 素朴に考えると「北海道美術」とは、北海道内で発表された作品か、北海道ゆかり、あるいは北海道を拠点とする作り手による作品のいずれかではないかと思います。
 したがって、道内で生まれた人が道内のギャラリーや美術館で展示した作品であれば、「北海道美術」の範囲に入ることは、疑問の余地はありません。
 ただし、生まれは道内でも、首都圏や海外を拠点とした人は大勢います。
 「原爆の図」で名高い丸木俊は空知管内妹背牛町出身ですし、ドクメンタ参加などで欧洲での知名度が高い川俣正は三笠出身ですが、「北海道美術50」には選ばれていませんし、そもそも道内の公立美術館が展示したことがないと思われます。
 ほかにも写実系の有名画家として、諏訪敦は室蘭出身ですし、野田弘志は伊達にアトリエを有しますが、今回は入っていません。

 今回もっとも違和感を抱くのは絹谷幸二《日月燦々北海道》が選ばれていることです。
 絹谷幸二は独立美術の大御所ですが、奈良生まれであり、道内に住んだことは一度もありません。
 《日月燦々北海道》はたしかに北海道をモチーフとしています。しかしそれがオーケーなら、東山魁夷だって森山大道だって北海道美術のカテゴリーに含めてかまわなくなってしまいます。


2) 分野の問題

 今回の50人を見ると、絵画(日本画、洋画、版画)が圧倒的に多く、彫刻・立体造形が6人、工芸4人(陶芸2、金工1、ガラス1)、グラフィックデザイン1人、フロッタージュによる平面1人、写真を用いた現代アート2人という内訳になっています。
 これは、じつは前項で触れた学芸員の顔ぶれとも関係しないこともないのですが、書道や(いわゆる)写真がここには入っていません。
 現在の渡島管内松前町出身で「近代詩文書」という分野を創始した金子鷗亭(鷗は、鴎の正字)、同分野でいまや日本を代表する書家のひとりといわれる中野北溟は、函館美術館には所蔵されていそうですが、道立近代美術館には収蔵されていないのでしょう。
 写真も同様で、たとえば深瀬昌久や前田真三、水越武、嶋田忠、清水武男といった名前がすぐに思い浮かびますが、そもそも道立の美術館はどこまでコレクションしているのかわかりません。もっとさかのぼって、横山松三郎や田本研造も、日本の写真史に名を刻む人ですが…。

 明治時代、「書は芸術なりや」をめぐって大論争があったことはよく知られていますが、美術の境界をどこに設定するかは、なかなか一筋縄ではいかない問題といえます。とはいえ、いつまでも書などを除外しておいていいとも思えません。


3) 収蔵庫とインスタレーション

 もう一つ。

 「北海道美術50」のうち、岡部昌生《YUBARI MATRIX 1992-1995 より》はインスタレーションともいえますが、この分野も、1970年代以降道内で数多く発表されてきたわりには、今回の展覧会ではほとんど黙殺されているのが気になります。
 ブログの読者の皆さんはご存じでしょうが、インスタレーションとは、会場の空間全体を使って一時的に設置されるもので、架設芸術とも訳されます。
 道内でも伊藤隆介、池田緑、艾沢詳子、野又圭司、楢原武正、板東史樹、柿崎熙、半谷学ら、ほかにも取り組んでいる作家は少なくありません。少ないどころか、全国の美術シーンにもまして道内では、野外美術展がさかんに制作、発表が行われているといってもいいでしょう。

 しかし「北海道美術50」で取り上げられていない理由は、道立近代美術館が所蔵していないことが大きな理由でしょう。そして、その背景として、インスタレーションはかさばるため狭い収蔵庫にコレクションしづらいという理由があると推察します。

 とはいえ、収蔵庫の狭さとか非本来的な言い訳がいつまでも通用するとも思われないので(そういう言い訳をしているという事実はないのですが)、そろそろなんとかしてほしいところです。

 あと、作品としての写真とは別に、記録写真の収蔵・収集はどうなっているんでしょうか。
 考えてみれば、具体の村上三郎の紙破りパフォーマンスにせよ、ハイレッドセンターの首都圏清掃計画にせよ、関根伸夫の「位相―大地」にせよ、日本の戦後美術史なんて、記録写真抜きには成り立たない(作品そのものだけでは、片手落ちもいいとこですよね)のは、とっくの前にわかっていることなので、当然、道立近代美術館も保存に取り組んでいることと思いますし、この本の続編には、当然そのあたりが加味されるものと期待されます。


(この項続く) 
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「美術の窓」2017年6月号「新人大図鑑」の表紙に北海道出身の千葉美香さんの絵

2017年05月26日 22時22分22秒 | つれづれ読書録
 正直言って、家の中にもう置き場がないので、雑誌はなるべく買わないようにしているのですが、この表紙に気がついた以上、手に入れないわけにはいきません。

 団体公募展系から現代美術までを幅広くカバーする月刊誌「美術の窓」は、毎年6月号で新人を大特集しています。
 美大の卒展(いわゆる5美大プラス、日大芸術学部、東北芸工大、京都造形芸大)、各種の賞、画廊や評論家のイチオシなど、今年は総勢365人を取り上げているのです。
 これだけの人数なので、例年、道内関係者がゼロということはありません。しかし、少ないのも事実です。
 それが、今年は、いきなり表紙ですよ。すごくないですか?

 この絵の作者は1991年生まれの千葉美香さん。
 道教大旭川校の卒業で、「道展U-21」では2009年に奨励賞、12年に準大賞など、計4度の入賞を果たしています。
 13年には、札幌のらいらっく・ぎゃらりいで個展を開いているということですが、ごめんなさい、見た記憶がありません。
 今年の第35回上野の森美術館大賞展で絵画大賞を受賞した作品が、この表紙の「神秘」だそう。応募919点の頂点に選ばれました。
 誌面に載ったインタビューでは、道教大を卒業後2年半は仕事をしていて制作から遠ざかっていたとのこと。思い切って仕事を辞め、再び絵筆を執ってはじめて描いたのが「神秘」ということです。
 絵画のほか、劇団にも所属しているという旨も記してあります。
 ただし、いまどこに(道外か、札幌か旭川か等々)お住まいなのかは、書かれていません。


 せっかく買ったので、ほかに取り上げられている道内関係者も拾っていくことにしましょう。

 「評論家・学芸員が選ぶ11人」のうち、本江邦夫多摩美大教授が推しているのが、片野莉乃さん(1992~)。多摩美大で日本画を専攻し、現在は大学院に在籍。絵画「swimmer」で、FACE2017審査員特別賞。

 「画廊が選ぶ注目の新人91人」で、札幌の水彩画家、石垣渉さん(1979~)。このブログの読者には説明不要と思われます。迫真の風景画をさかんに制作・発表しています。
 また、道教大の出身で、道展、二紀展で入選を重ねている三村紗瑛子さん(1994~)も登場しています。部屋の中に街景があるような、ふしぎな絵を描く人です。

 「日展特選受賞者全覧」には、洋画部で西田陽二さん(1952~)。この方も説明不要かと。端正な写実の人物画で、道展で重きをなしています。


 巻末には、この雑誌の特徴である「公募展だより」が掲載されて、美術文化、光風会、春陽、水彩連盟、示現会など各展覧会について詳しく評が載っています。
 モダンアートのところで、吹田文明さんが紹介されているのを見て、戦後を代表する版画家がまだお元気で活躍されていることを知ってうれしくなりました。

 ここに登場する道内関係者は、筆者が気づいた限りで、次のとおり。

水彩連盟 石垣渉「冬の轍」
     古田瑩子「夢の花」

示現会  草刈喜一郎「十勝の秋」
     石川孝司「北の駅・3月」

美術文化 鈴木秀明「黒い風」
     西田靖郎「散華」

光風会  西田陽二「デルフトの眺望」
     茶谷雄司「Blue Rondo」
     武石英孝「きこえる」


 もし見落としがあったら、すみません。

 このうち、石川孝司さんの絵の評に「電車」とあるのは明らかな誤り。架線がないので、電車ではありません。石川さんは北見の方で、一貫して網走地方の釧網線の駅をモチーフにしているので、ディーゼルカーだろうと思います。
 架線がないと、画面がすっきりして、いいんですよね。

 西田陽二さんの絵は、図版で見ると、女性の背景にかの有名なフェルメールの「デルフトの眺望」が掛けられているようです。模写の実力がなければできないアプローチで、これは本物が見たいです。


 なお筆者は紀伊國屋書店オーロラタウン店で購入しました。中規模以上の書店なら店頭にあると思います。
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2017年5月5~7日は3カ所

2017年05月08日 17時37分05秒 | つれづれ読書録
 ゴールデンウイーク後半は札幌から北見へとんぼ返り。

 運転手としてのつとめが中心だったので、あまりあちこちには行っていませんが、途中で歌志内の「大正館」に寄ってきました。
 向かいにある「ゆめつむぎ」にも立ち寄りました。

 また、北見では、北網圏北見文化センターカナダ・イヌイトの版画たち展を見て、コーチャンフォー北見店で北見叢書「看板絵描きの昔語り」を買いました。

 この本は、斜里の小学校を出て北見で映画館の看板を描いていた金田明夫さんが北海道新聞オホーツク面「ときわぎ」欄に連載していたエッセーを一冊にまとめたもの。
 筆者も、ちょうど担当者だったこともあって、短い後書きを寄せていました。
 それっきり何の知らせもなく、忘れかけていて、今回はじめて店頭で見てびっくりしました。
 戦前の貧しい時代や徴兵された経験の持ち主とあって、軽妙な筆致ながらも、貴重な時代の証言になっています。
 2013年刊で、税別800円。


 道内の多くの地域でちょうど桜が満開になっていて、ステアリングを握って車窓を見るのが楽しかったです(冒頭画像は、北見市の相内あいのない神社)。
 ただし帰路は、黄砂の影響で空が暗い上に、道央自動車道は風が強く、運転には難儀しました。
 
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高階秀爾『芸術空間の系譜』 (鹿島出版会SD選書)

2017年04月26日 11時11分11秒 | つれづれ読書録
 著者の高階秀爾氏は1932年生まれ。
 カラーブックスの『現代絵画』を上梓したのが64年で、現在もなお大原美術館長として活躍し、朝日新聞などに連載を持っているという、大変な方です。
 どんな分野でも年を経るにつれて専門が細分化するのはまぬかれないことですが、高階さんは、西洋美術のほぼ全分野から現代アートにいたるまで論じることができる稀有な学者です。
 本によっては、たとえば『ルネッサンスの光と闇』などはかなりマニアックな書物だという印象がありますが、今回読んだ『芸術空間の系譜』は、原始美術、古代ギリシャから抽象絵画(モンドリアンとカンディンスキー)に至るまでの美術と空間のあり方を説いたもので、もともと基礎素養に欠ける筆者としては、非常に勉強になりました。
 1967年刊行の本が今も読むに耐えるというのはすごいことですし、30代前半でこのような本(著者は網羅的な「歴史」ではなく「系譜」だと謙遜していますが)を書いた高階氏の学識にはあらためて驚かざるを得ません。

 ところで、本を手にしたとき「芸術空間」というのはいったいなんだろうと思いました。
 しかし、読み終わってみて、この本が対象としているのは「芸術空間」だとしか言いようがないのです。
 あるいは「空間意識」といってもいいでしょう。建築や絵画、彫刻といった分野は限定せず、それぞれの分野に見ることのできる空間に対する意識が、主題だといえるかもしれません。

 この本は次の章立てからなっています。

・原始空間の特質
・ギリシャ人の空間意識
・イタリア美術の空間意識
・ゴシック空間の象徴性
・ルネッサンスの理想都市
・新しい技術と空間的可能性
・世紀末美術の空間意識
・キュビスムの空間意識
・抽象的空間の成立―抒情と幾何学

 「原始空間の特質」の章では、人物の頭部を横向き、体を正面向きに描くエジプト美術を例に取り、古代人が目に見える像を様式化した結果あのような図像になったのではなく「最初からあのように見えていた」可能性について説き及んでいます。
 キュビスムでは、複数の視点ということを意識的にやったわけですが、古代人は最初からそういうふうに見ていたのではないかという指摘です。
 「ギリシャ人の空間意識」の章では、遺跡から建築を持ち運んで大英博物館の展示室に並べてもあまり違和感がないことを取り上げて論じ「端的に言って、ギリシャ彫刻はまだ空間を知らない」と喝破します。

 「イタリア美術の空間意識」の章では

建築は都市計画も含めて、イタリア芸術はしばしば「見世物」的であり、その空間意識は「舞台装置」的である。


とくにルネッサンス期のイタリアにおいて、芸術家が大きな権威を持っていたのは彼らがたんに手先だけの「職人」ではなく、建築、絵画、彫刻、工芸すべてにわたる「舞台監督」として、いわば「指揮者」の地位を与えられていたからにほかならない。


という指摘がなされ、ここからレオナルドやミケランジェロなど、多くの分野にまたがる天才が生まれたことを導きます。
 さらに

空間の把握とその構成にこのような「演劇的」、「舞台的」効果を求めたイタリアの芸術家たちが、いわゆる遠近法の確立に熱中したのは、当然のことであった。というのは、遠近法こそは、ひとつの固定された視点から舞台全体を眺める観客の視覚にほかならないからである。しかも、クヮトロチェントのイタリアにおいて、この遠近法の完成に努力を傾けたのは、けっして純粋の画家たちではなかった。


と述べて、遠近法と透視図法という近代の西洋の「ものの見方」がなぜイタリアに始まったかという理由付けまでなされます。

 また、この時期のイタリアでは都市計画が盛んだった背景については「ルネッサンスの理想都市」で論じられます。

ルネッサンス期の「都市イメージ」の形成に見逃すことのできない力となったものは、神の国のイメージであった。(中略)日本では普通『神の国』と訳されるアウグスティヌスのあの著書の題名が実は De civtate Dei であることからも明らかな通り、「神の国」というものも実は「神の都市」にほかならなかった。


 だいぶ長文になってきたので、これ以降ははしょりますが、セザンヌとキュビスムの間の断絶を論じたくだりや、カンディンスキーにルドンが与えた影響、ナビ派芸術の「空間の拒否」がそれ以降の西洋絵画に占める意義の大きさなど、いずれも目からうろこの落ちるものでした。

 あと、3箇所ほど引用しておきましょう。





 以上、雑駁な走り書きになってしまったことをおわびします。
 少なくても筆者にとっては『名画を見る目』など、他の高階本に比べてはるかに勉強になった一冊であり、一読をすすめたいと思います。


□鹿島出版会 http://www.kajima-publishing.co.jp/
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