北海道美術ネット別館

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岩見沢駅前にある朝倉響子の彫刻「友だち」が車にひかれる

2019年07月06日 10時51分39秒 | 新聞などのニュースから
 北海道新聞2019年7月4日の空知版にめずらしいニュースが載っていました。
 以下引用。


 【岩見沢】3日午前0時ごろ、JR岩見沢駅前の広場に設置されているブロンズ像に乗用車が突っ込んでいるのを通行人が見つけ、岩見沢署に届け出た。背中合わせに立った少女2体の像のうち1体が足首から折れて倒れ、10メートルほど引きずられた跡もあった。

 署員が現場に駆けつけた時には車はなかったが、約400メートル離れた路上で前方が破損した車を発見。車の持ち主とみられる40代男性は「駅前広場で事故を起こした」と話したという。男性にけがはなく、同署は事故原因などを調べている。

(中略)

 市によると、像は彫刻家の故・朝倉響子さんの作品「友だち」。1997年の駅前広場整備に合わせて市が制作を依頼し、駅前のシンボルとして親しまれてきた。高さはそれぞれ約170センチ、2体を合わせた重量は約300キロ。像本体と設置費用は計5400万円だった。(以下略)


 昔はこういうことはなかったと思います。
 マチの中にある野外彫刻は、高い台座の上に立っているか、あるいは、公園の中にあって自動車とぶつかりようがなかったからです。 

 近年の傾向として、彫刻が台座から離れ、地面の上に設置されることが増えています。
 偉人や軍人の彫刻が持つ権威主義的な性格が薄れたという事情もあるでしょう。

 この朝倉さんの彫刻も、本来は自動車と接触するような位置に立っているわけではありません。
 くだんの乗用車は駅前のロータリーからおよそ20メートルもはみ出したとのこと。
 いったいどんな運転をすれば、こういうことが起きるのか、想像もつきません。
 見送りの車から人が乗り降りするスペースがあるような細い道路で、それほど速度を出すようなところではありません。


 ところで、岩見沢駅前にあるこの彫刻を、筆者が撮っていないはずはないのですが、パソコンの中に見当たりません。

 かわりに、おなじ作者で、札幌芸術の森野外美術館にある「ふたり」の画像をあげておきます。




 ブログ「散歩日記X」に「友だち」の画像があったので、こちらを参考にしてください。

 もうひとつ書いておくと、1995年の阪神大震災で、美術館が所蔵する多くの彫刻や立体作品が倒れました。
 早朝だったので、展示中の彫刻に押し倒されたり人は幸いいませんでしたが、このとき美術館関係者があらためて驚いたことには、彫刻の大きさや作者は台帳に記録してあっても、重量が判明していた例はほとんどなかったのだそうです。

 岩見沢市は、震災後だったせいかどうかはわかりませんが、きちんと重量を記録していたのですね。



関連記事へのリンク
朝倉響子さん死去
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釧路のアート情報紙「アンダンテ」が50号達成

2019年06月19日 06時45分23秒 | 新聞などのニュースから
 北海道新聞2019年6月17日夕刊道東面の記事です。
 筆者はこれまで新聞記事を引用したエントリを何百本も書いてきましたが、これぐらい興味深く読んだ記事は、あまりありません。
 自分と似たようなことに取り組んでいる人が道内に実在するとは、まったく知りませんでした。

  釧路市のアマチュア画家道下一義さん(77)が発行するフリーペーパー「ちまたのアート情報ANDANTE(アンダンテ)」が5月で50号を達成した。今月18~23日には、発行50号を記念するパネル展を市生涯学習センター(幣舞町)で開く。

 道下さんは、釧路で油彩や水彩画制作に取り組む地元の作家を知ってもらおうと、2015年にアンダンテの発行を始めた。

 当初は年4回ほどの季刊を予定していたが、読者から「この人も取り上げてほしい」などの反響が多数寄せられるようになり、現在は月1、2回のペースで発行している。また紹介した地元作家に呼び掛けて作品展を開くなど、地域の文化を盛り上げている。

 アンダンテで紹介されてから、仲間と2人展などを開くようになった釧路市の松金孝治さん(86)は「掲載されることが励みになっている。仲間の輪も広がった」と喜ぶ。

 パネル展には、創刊号から最新号までを展示するほか、紙面で紹介した作家や、作品展の話題を1年ごとにまとめたパネルも展示する。(以下略)


 筆者も2000年12月に北海道美術ネット(当時は「ほっかいどうあーとだいありー」)を始める少し前に、フリーペーパーという手段もちょっと考えました。
 しかし、広告集めや原稿集め、印刷や配布の手間などの多さを考えると尻込みしてしまい、ウェブサイトをつくることにしたのです。
 なので、道下さんの取り組みには、尊敬の念を抱かざるを得ません。

 ただし、筆者は一度もこの「ANDANTE」の実物を見たことがありません。
 ネット検索をかけても、まったく出てきません。
 高齢者層にはインターネットよりも紙媒体が届きやすい―という事情を反映しているのかもしれません。
 釧路の生涯学習センターなどには置かれているのでしょうか。
 ぜひ、一度手にとってみたいと思います。 
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滝川駅前に大規模ギャラリー、2019年秋にも

2019年06月04日 11時32分50秒 | 新聞などのニュースから


 2019年5月30日、読売新聞の社会面に載った記事です。
 書き出しが「北海道滝川市」となっているので、道内版限定ではなく、すくなくとも東京本社で印刷・配布の紙面には掲載されていると思われますが、ネット上では驚くほど話題になっていません。
 また北海道新聞など他メディアが追いかけた形跡もいまのところないようです。

 以下、引用します。


 北海道滝川市のJR滝川駅前にある再開発ビル「スマイルビル」に、面積約5000平方メートルに及ぶ大規模なギャラリーが早ければ今年秋にもオープンする見通しとなった。

 同ビルは1986年に開業したが、2003年に核テナントだった西友が撤退して以来、活性化が課題となっている。現在は100円ショップのダイソーなどが入居しているが、1階に借り手が付かず、同ビルを運営する「たきかわスマイルビル」は直営でギャラリーを開設することを決めた。

 ギャラリーの基本理念は絵画や彫刻など道内の作家300人に場所を提供、1人当たり10点程度の作品を展示して、ここ1カ所で道内作家の動向を一覧できるものにすること。

(中略)

 運営会社の山形健次郎代表(82)は滝川高校の1期生。(中略)「ギャラリーをきっかけに人の流れを作りたい。北海道の文化振興に少しでも貢献できれば」と意気込んでいる。


 山形さんはこの春まで札幌市西区で「ギャラリー山の手」を運営していた方です。
 農園など手広く仕事をしている方ですが、滝川の駅前ビルまで手がけているとは知りませんでした。

 滝川市中心部は、西友の撤退後、地場の高林デパートが閉店するなど、ちょっと元気がありません。
 スマイルビルの地下はダンススタジオなどが入っていた時期もあったようです。

 5千平方メートルのギャラリーというのは、道立近代美術館の企画展示スペース(ギャラリーA)が1094平方メートルであることを考えると、驚きの広さです。
 どんな運営が行われるかにもよると思いますが、今後、注目したいところです。


 なお、市内には滝川市美術自然史館があり、岩橋英遠などの絵画を所蔵しています。
 また、アートチャレンジ太郎吉蔵がデザインなどの企画をしています。
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彫刻家の豊福知徳さんが亡くなったのに、こんなに反応が無くて良いのか

2019年05月22日 13時25分31秒 | 新聞などのニュースから
 イタリアと日本で活躍した彫刻家の豊福知徳さんが死去し、5月20日付の朝日新聞などには死亡記事が載っていた。
 北海道美術ネット別館として見過ごせないのが、どうしんウェブにも新聞各紙にも、豊福さんが1997年に「本郷新賞」を受けたことがまったく触れられていないことである。Yahoo! リアルタイムで検索しても、言及した人は誰もいない。「そりゃないぜ」と言いたい。

 北海道新聞には、紙面には記事がないが、無料の「どうしんウェブ」にはなぜか掲載されていたので、以下、引用する。

 楕円形の穴を幾つも開けた抽象的な作品で知られる彫刻家の豊福知徳(とよふく・とものり)さんが18日午後11時57分、福岡市の病院で死去した。94歳。福岡県出身。

(中略)

 国学院大在学中に旧日本陸軍に志願し、終戦後は復学せず、彫刻家の冨永朝堂氏の下で木彫を学んだ。1959年に高村光太郎賞を受賞。60年にイタリアのミラノに拠点を移し40年以上活動した。2003年に帰国後は日本とイタリアを行き来しながら創作を続けた。

 国内や欧州で個展を重ね、作品はローマの国立近代美術館や米ニューヨークのカーネギーホールといった海外の施設にも収蔵されている。78年に日本芸術大賞、93年には紫綬褒章を受章した。


 朝日新聞によって追記すれば、出身は福岡県久留米市。
 60年のミラノ移住は、ベネチアビエンナーレ出品がきっかけのようだ。



 当時の本郷新賞は、現在と違い、全国のすぐれた野外彫刻を対象に3年に1度、贈られていた。
 受賞者は、札幌彫刻美術館(現・本郷新記念札幌彫刻美術館)が個展を開催した。
 豊福知徳展も1997年11~12月に開かれ、豊福さんが賞の贈呈式のため札幌に駆けつけている。

 同年7月9日の北海道新聞には次のような記事(本郷新賞に豊福さん ミラノ在住 博多港の希望表現)が出ている。以下、全文を引く。

 財団法人・札幌彫刻美術館と本郷新賞運営委員会は八日、札幌出身の彫刻家・故本郷新の業績を記念する第八回本郷新賞に、イタリア・ミラノ在住で福岡県久留米市出身の彫刻家豊福知徳(とよふく・とものり)さん(72)の作品「那の津往還」を選んだ、と発表した。

 受賞作品は高さ十五メートル(台座を含む)、幅七メートル、奥行き十七メートルの大作。福岡市が昨年三月、博多港が戦後、中国東北部や朝鮮半島からの引き揚げ港であった歴史的事実や戦争の悲惨さを後世に語り継ごうと、同港中央ふ頭に設置した。

 船と人間をかたどった彫刻本体は「那の津」と呼ばれてきた博多港の希望を表現している。

 同賞はだれもが無料で鑑賞できる公共スペースに設置された彫刻に、隔年で贈られている。今回は一九九五、九六年の二年間に新たに設置された作品二十七点が候補作となり、彫刻家の佐藤忠良氏ら八人の選考委員が選んだ。豊福さんは「もうひと踏ん張り励めよ、という本郷さんの声を聞くような思いがしています」と話しているという。

 贈呈式は十一月七日に札幌彫刻美術館で行われる。


 さらに、12月2日夕刊文化面には、豊福知徳展の短い紹介記事「木彫で訴える空間の美しさ 豊福知徳彫刻展」が掲載されている。

(前略) 「CAELUM'97」など、穴のあいた木彫作品が多い。題はラテン語で、空(くう)の意味。彫刻と周囲の空間の関係などについて考えさせられる。「漂流'97」は受賞作の縮小版で、木製。大海を緩やかに進む舟を思わせる。(以下略)


 豊福さんと言えば、作品にあいた穴が特徴である。
 彫刻に空隙をあけたのは、バーバラ・ヘップワースやヘンリー・ムアという前例があると思われ、豊福さんのオリジナルとまではいえないであろうが、穴をここまで造形に生かした彫刻家は珍しいと思う。

 彫刻というのは、その周辺の空間も含めて作品であると考えれば、そこに穴をあけることで、空間のとらえ方が一気に複雑化することは間違いない。鑑賞者の視線の動きは激しさを増し、作品を巡る空間は豊かになるだろう。

 ただし、そういう純粋に造形的な鑑賞とは別に、はるかな世界を行く船のようなフォルムに、ロマン派的な心情をすくいとる見方も可能だろう。
 口に出すと陳腐になってしまうが、人生とは、漂流なのであり、豊福知徳作品は、そのことを無言で物語っているのである。


 なお、福岡には昨年、豊福知徳ギャラリー( https://www.toyofukutomonori.com/ )がオープンしている。

 道内では、2012年に「札幌彫刻美術館友の会設立30年記念企画 『市民の愛蔵彫刻展―魅せます私のコレクション』」が、本郷新記念札幌彫刻美術館で開かれた際、豊福さんの「無題」が出品されている。


 ご冥福をお祈りします。
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書家の辻井京雲さん死去

2019年05月20日 13時37分53秒 | 新聞などのニュースから
 2019年5月20日の北海道新聞に、札幌在住の書家で、漢字と近代詩文の両分野で活躍した辻井京雲つじ い けいうんさんの死亡記事が載っていました。
 以下、引用します。

 辻井 京雲さん(つじい・けいうん=書家、北海道書道展理事長、道教大名誉教授、本名義昭=よしあき)19日午前5時15分、病気のため死去、74歳。空知管内雨竜町出身。(中略)

 故金子鴎(鷗)亭さんに師事、近代詩文などの書家として活躍した。81年に創玄展最高賞、同年、道書道展大賞を受賞。94年には、ロンドンで書道展を開催した。03年に札幌芸術賞、17年に道文化賞。書道研究グループ「書圏」の代表。


 なお、毎日新聞には、毎日書道会評議員、第71回毎日書道展北海道展実行委員長、日展会友であること、病名が膵臓すいぞうがんであることが掲載されています。


 筆者が最後にお目にかかったのは一昨年2月の、道新ぎゃらりーでの小品展でした。
 そのときは大変にお元気でしたので、同年秋の北海道文化賞の授賞式を、病気を理由に欠席したときも、あまり深刻に考えておらず、けさ新聞を開いて驚きました。

 先ごろ開かれた北海道書道展でも、肩の力の抜けた、それでいて新鮮味のある近代詩文書を発表していました。まるでマッチ棒でひっかいたような細めの直線で書いており、その展覧会で筆者が最も注目した作品の一つです。

 辻井さんはとにかく作風の幅の広い方でした。
 近代詩文は、ロンドンで発表した鶴の文字のように叙情性・絵画性を表現したものから、草野心平に題材を得た作品のように力強さと直線性で押して行くものまで、多彩でした。そこには、大学人としての教養の深さ・広さと、書風にもご本人の性格にも絶妙のバランスがあったと思います。
 道教大で長く教壇に立ったことから、書道王国といわれる北海道で多くの後進を育てました。


 70代後半から90代で活躍している書家も大勢いる中で、この訃報は残念でなりません。
 ご冥福をお祈りします。


関連記事へのリンク

北海道文化賞の授賞式に出席してきました(2017)
辻井京雲ギャラリー 墨響 20日、空知管内雨竜町にオープン

辻井京雲作品展<Part1>~軌跡~ (2009)

毎日新聞「書の世界」が、創玄展での北海道勢の活躍を特筆 (2013)
ことしの「この1年 書」(毎日新聞)=2010年
毎日新聞文化欄「この1年 書」から。道内の書展をきちんと全国の書の動向の中で位置づけている文章 (2009)
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「もの派」の出発点。関根伸夫さん死去

2019年05月16日 09時49分00秒 | 新聞などのニュースから
 
 戦後日本を代表する前衛美術の潮流として欧米でも知られているのは「具体」と「もの派」ですが、「もの派」の出発点といえる作品「位相―大地」で名高い関根伸夫さんが亡くなったと、5月15日の北海道、読売、毎日、朝日など各紙が伝えています。

 以下、毎日新聞から(https://mainichi.jp/articles/20190514/k00/00m/040/202000c)。


 前衛的な美術動向「もの派」の代表的作家で国際的にも活躍した美術家の関根伸夫(せきね・のぶお)さんが13日、居住する米国・カリフォルニア州の病院で亡くなった。76歳。体調を崩し、療養していた。

 埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ、多摩美術大大学院修了。在学中は現代美術家の斎藤義重と高松次郎に師事した。1968年、神戸須磨離宮公園で開催された現代彫刻展に「位相―大地」を出品。大地を円筒形に掘り、土を穴と同形に固めて隣に置いた作品は自然素材や工業製品をそのまま使う「もの派」の出発点になり、李禹煥さんや菅木志雄さんらと共に動向をリードした。

 70年のベネチア・ビエンナーレ国際美術展で日本館代表を務め、欧州に2年間滞在。帰国後、都市空間に彫刻を取り込む環境美術に力を注ぎ、代表作に東京都庁ふれあいモール「水の神殿」(91年)、東京・多磨霊園みたま堂(93年)など。近年、米国で「もの派」の回顧展や関根さんの個展が開かれ、国際的評価が高まっていた。


 道内では、北広島市芸術文化ホールの前に「森のゲート」という大作があります。
 石を用い、複数の立体からなる大規模なパブリックアートです。

 また、札幌市中央区大通西12の第2合同庁舎前に「北のまつり」という作品が設置されています(冒頭画像)。
 これは、スマートな造形ですが、あまり「もの派」という感じではありません。

 このほか、札幌の豊平公園に「北斗の庭」岩見沢の鳩が丘記念緑地にも「遺跡回廊」という石の彫刻があるとのことです。


 釧路管内鶴居村で創作活動をしているガラス造形作家の嶋崎誠さんは若い頃、関根さんに師事したそうで、2007年に嶋崎さんが道立釧路芸術館で個展を開いた際、関根さんを招いて対談を行っていたとのことです。

 
 筆者は、関根さんの次のことばが好きです。

世界は世界のままあるのに、どうして創造することができようか。ぼくにできるのはせいぜい、ありのままの世界の中でありのままにしていること、それをあざやかに見せることにしかない。

 もの派の理論的支柱であった李禹煥 リ ウ ファンさんが引用していたそうです。いかにも、素材をありのままに提示する「もの派」らしいことばだと思います。

 ご冥福をお祈りします。
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朝日新聞の火曜夕刊がリニューアルした

2019年04月10日 12時12分25秒 | 新聞などのニュースから
 筆者の勤務先ではない、よその新聞の宣伝をするのは気が進まないが、これはひとこと、触れておかざるを得まい。

 札幌などで配布されている朝日新聞の夕刊は以前から、一般の展評や、1点のみの画像を大きくあしらう「美の履歴書」といったアートの記事が多かったが、この4月から「彩る art」という囲み罫を添えて3ページに拡充された。
 全体で8ページしかなく、しかも最終面はテレビと広告だから、実質4割強がアート関連という計算になる。かなりの高率だ。

 これはもともと朝日新聞が東京配布の紙面には載せていたが、道内印刷の紙面ではカットしていた、首都圏の展覧会情報(写真付きの短い文章と、各美術館・博物館の日程一覧)を、道内配達分でも掲載するようになったのが大きいと思われる。

 読売新聞は朝刊文化面で週1回アートを重点的に取り上げている。ただ、必ずモノクロである。
 毎日新聞は道内では夕刊が配達されないこともあり、文化面自体がやや少ない。

 これらと比べると、朝日新聞の情報量は、オールカラーであることもあわせて、他紙を圧倒している。
 道内の展覧会については、従来は木曜夕刊の道内欄にあったものを移設してきただけなので、小さなカラー写真と短い文章の紹介が三つと、小さな表があるだけで、首都圏の記事がメインではあるが、札幌の美術家には休日を利用して東京の美術展を見る人も多く、そういう人には役に立つと思われる。
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月寒忠霊塔と平和公園

2019年04月04日 23時18分17秒 | 新聞などのニュースから
 2019年3月28日の北海道新聞に、札幌の「月寒忠霊塔」を、国が補修に着手する方針であることを報じる記事が載っていた。
 月寒はかつて陸軍の連隊があったまち。1934年(昭和9年)に、戦没者の遺骨箱などを収める塔が建立されたが、戦後は国と自治体(旧豊平町→札幌市)の間で、管理責任の所在がはっきりせず、月寒忠霊塔も傷みが目立つようになり、近年は立ち入り禁止が続いていた。

 この塔が「野外彫刻」のカテゴリーに入るかと言われると、正直なところ、あまりそうは思えないのだが、昨年2018年春に様子を見てきたときの写真があるので、この機会に紹介しておこう。 




 地下鉄東豊線の月寒中央駅から約470メートル、徒歩6分。

 中央バスの「月82」系統で、始発・終着である月寒中央駅のひとつ手前に「忠霊塔」という停留所がある。



 1992年、月寒忠霊塔奉賛会が数百万円をかけて補修したものの、再び老朽化が進んでいる。
 奉賛会は会員の高齢化が進み、対応に苦慮していたという。





 忠霊納骨塔由来

おもフニ我ガ聯隊れんたいハ創設以来既
ニ三十有余年ノ星霜せいそうヲ経タリ
其ノ間精忠雄節ノ将兵ニシテ
身ヲ以テ国難ニ赴キ戦傷病歿
セシモノ其ノ芳骨今ヤ実ニ一
千余体ノ多キニ上ル 是レ皆生
キテハ国家ノ干城死シテハ護
国ノ神霊トシテ軍旗ノ光彩ト
共ニ永ク後人ノ敬仰スルトコ
ロナリ 是ヲ以テ其ノ偉績ヲ偲
ビ其ノ神霊ヲ慰メンガ為ニ忠
魂納骨塔ノ建設ヲ企テ広ク官
庶民ニ計ルニ賛ヲ得ルコト十数
万ニ達シ国民銃後ノ赤誠溢レ
ここニ其ノ実現ヲ見ルニ至レ

嗚呼忠勇ナル我ガ先輩将兵ノ
義烈ハ是レ即チ軍人精神ノ亀
鑑タリ 其ノ勲績ヲ敬慕スルノ
任ハ須ラク塔前ノぬかずキテ先人
ノ偉功ヲ壮トシ礼ヲ以テ忠励
ノ誠ヲ誓フベシ

 昭和九年二月三日
 歩兵第三十五聯隊長 永見俊徳


 あまりに読みづらいので、漢字は適宜戦後の新字体に改め、難読字にルビをふり、さらに句読点に当たる部分を少しあけ、カナで清音で表記されているものを濁音にしたが、それでも読みづらいかもしれない。
 字釈に誤りある場合は、容赦されたい。





 東側に、参道入り口がある。

 ちなみに先に門柱は、北部司令部の前にあったもので、戦後こちらに移設された。




 忠霊塔から国道36号を超え、連隊のあった土地へと続く道路。

 現在の「水源地通り」よりも1本、札幌都心側を通る、住宅地の中の静かな道だ。




 こういう名前にしてしまうあたりが、いかにも日本的。

 北海道新聞の記事の前半と註釈(とはもの)を次に引いておこう。


 日露戦争以降の戦没者約4千人の遺骨箱などが納められた札幌市豊平区の忠魂納骨塔(通称月寒忠霊塔)について、国有財産を所管する財務省が新年度にも初の本格補修に着手することが27日、同省への取材で分かった。塔は1934年(昭和9年)に建立されたが、戦後は国と札幌市の管理責任が曖昧のまま、老朽化が進んでいた。今回の決定により、国側が老朽化に対応する姿勢が明確になった。

 今回の補修は、財務省が新年度から5年をかけて実施する全国計44カ所の旧軍用墓地の大規模補修の一環。同省は大阪市内の旧軍用墓地で昨秋、多数の墓が台風で損壊したことを受け、月寒忠霊塔が建つ旧札幌陸軍墓地(現平和公園)を含む44カ所の一斉点検を実施し、各地で補修が必要と判断した。

 補修時期は「各墓地の危険度などに基づいて決めていく」(財務省)といい、月寒忠霊塔の具体的な補修時期は今後、決定する。国有財産の管理・処分費の一部で賄う予定で、旧軍用墓地に詳しい仏教大の原田敬一教授は「今回の予算措置は国が対処することを明示した画期的判断だ」と話す。

 戦前に陸海軍が戦没者を埋葬するために設置した旧軍用墓地は戦後、旧大蔵省(現財務省)が引き継いだ。(以下略)

◇月寒忠霊塔と旧軍用墓地◇
 主に札幌と近郊の出身者らで編成され、樺太を守る戦いなどで知られる第25連隊の戦死者の遺骨箱などが塔内に納められている。コンクリート製で、高さは約6メートル。地元の旧豊平町(現札幌市)は塔の所有権が定かでないとして補修せず、終戦から13年後の58年の本紙記事で既に「荒れるにまかせるばかり」と報じられた。全国には、積極的に旧軍用墓地を平和教育に活用する自治体もある。道内の旧軍用墓地は、他に「函館台町陸軍墓地」があるが「大きな損壊はない」(函館市)といい、今回の補修の対象外となる見通しだ。
 
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ニトリの札幌の美術館は中央区大通東2に。2023年度開業目指す

2019年03月21日 21時36分05秒 | 新聞などのニュースから
 2019年3月20日の北海道新聞夕刊1面に「大通東2にニトリ美術館 札幌市再開発 23年度開業目指す」という記事が載っていました。

 こういう見出しになっているのは、かなり前に次の記事が出ていたためでしょう。

ニトリが札幌にも美術館開業へ

 記事から引用します。
 詳しくは、北海道新聞をぜひごらんください。

 札幌市は20日、中央区大通東2の市有地約3800平方メートルに、家具・インテリア製造小売り最大手のニトリホールディングス(札幌)による美術館を核とした複合施設を整備する方針を決めた。さっぽろテレビ塔の景観にも配慮し、45メートル以下の高さとし、2023年度の開業を目指す。観光バスの発着場や、外国人観光客にも対応可能な観光案内所、高級ホテルも併設し、大通地区の新たな観光拠点とする。

 設計運営を一括して企画提案するプロポーザル方式でニトリともう1社が応募。市は浮世絵や日本画など所蔵品を展示する美術館を備える案を提案したニトリを選んだ。美術館は夜間も開く計画で、課題となっている札幌中心部の夜間観光の活性化にも寄与する点などが評価された。建設費の大半はニトリが負担する予定で、地下鉄大通駅とバスセンター前駅を結ぶ地下道とも接続する。

(以下省略)


 翌日の朝刊に、続報が出ていました。

 それによると、建物は10階建て。
 5階より上のフロアはホテルとし、美術館は3、4階に設けるとのこと。
 1階にはバスの発着場などが入るそうです。

 また市民向けのギャラリーを設置する構想もあるとのこと。

 ニトリが所蔵する日本画はもちろん、巡回展の会場にも用いる予定で、似鳥社長は「来場者100万人を目指す」と目標を語っていた―と記事にありました。



 冒頭画像は、現在は駐車場になっている建設予定地です。
 ここはかつて貯金局など郵便関係の事務所の建物があった場所だと思います。
 日本郵政から札幌市が買い取ったのでしょうか。

 北電本社の裏手で、地下鉄東西線バスセンター前駅を降りてすぐの好立地です。
 筆者のような札幌っ子からは、さっぽろテレビ塔と創成川を超えると、正直なところ
「遠い」
というイメージがあるのですが、そういう先入観のない観光客の立場からすると、観光名所の時計台も歩いて4、5分程度で、便利な場所と思われるかもしれません。
 近年ようやく脚光を浴び始めたものの、まだまだ西側に比べると商業集積などの遅れている「創成川イースト」地区の新名所として、同地区に多くの人を呼び寄せる起爆剤としての役割も期待できそうです。


 続報などがあれば、またお伝えします。
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村上碧舟さん死去(札幌、書家)

2019年02月20日 23時37分13秒 | 新聞などのニュースから
 きのう2019年2月19日の毎日新聞を見ていて気がつきました。
 
 書家の村上碧舟むらかみへきしゅうさん(本名村上武嘉=むらかみ・たけよし)さんが18日、心不全のため亡くなりました。90歳でした。

 筆者の記憶している範囲では、力強い篆書を得意とする方でした。
 篆書でも、古拙の淡々とした筆つかいの書家や、良寛ばりのやわらかさが身上の方もいますが、村上さんは大きな運筆で堂々と漢字を書いておられたと思います。

 村上さんは毎日書道展参与会員。
 北海道書道展では1981年、第22回展で特選に選ばれ、翌82年に新会友に推挙。
 92年の第33回展で大賞に輝き会員に推挙されました。

 毎日新聞によると、書道研究「臨川書道会」主宰、国際書道協会副会長、国際現代書道展審査会員とありますから、小原道城さんと近い方でしょうか。

 実はことしの3月28日から札幌市民ギャラリーで、臨川書道会35周年とご自身の卒寿を記念した書展が開催される予定になっています。
 この書展を目にすることなく世を去ったのは、惜しまれます。

 2015年に同ギャラリーで米寿個展を開いています。
 そのときの創作作品には筆者も感服しました。もう一度、引用します。

先人に学び
朋に学び
師に習う
亦説またよろこばしからずや

墨に酔い
書に酔い
酒に酔う
こんな人生に
ありがとう


 ご冥福をお祈りいたします。

 アップが遅くなったことをおわびします。


村上碧舟米寿祝賀個展 (2015、画像なし)
第55回毎日書道展北海道展 (2003、画像なし)
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長野重一さんのこと

2019年02月16日 19時03分19秒 | 新聞などのニュースから
 2019年2月9日の読売、朝日など各紙に、戦後を代表する写真家のひとり長野重一(ながの・しげいち)さんの訃報(https://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/entertainment/20190208-567-OYT1T50254.html)が載っていた。

 1月30日、慢性腎不全のため東京都内の病院で死去したという。大分県出身、93歳だった。



 長野さんというと思い出すのは代表作「5時のサラリーマン」だ。

 1959年、帰路につく東京・丸の内の男たちを写した一枚。といっても、人間たちは構図の下のほうに押し込まれ、画面の大半は石垣が占めている。皇居の石垣だろうか。 

 作品の出来もさることながら、筆者は

「昔は大会社のサラリーマンは5時に帰っていたのか!」

という驚きが強かった。「日本人は昔から長時間労働」といわれていたのは、どうもうそくさい。



 北海道との関係も深い。

 岩波写真文庫から独立してフリーとなり、1956年に最初に選んだ撮影地が利尻だった。

 2週間ほど滞在して撮った写真は「アサヒグラフ」57年3月号に掲載された。



 そして「東川賞」の審査である。

 手元に資料がないのではっきりしたことをここで書けないのが残念だが、昨年で34回となる東川賞の歴史のうち、開始から20回ぐらいは審査を担当していたのではないか。

 岩波書店『日本の写真家』シリーズの編集を担当するなど、目利きの面が評価されたのだろう。

 初期の東川賞では、写真批評の平木収さんと並ぶ功労者だと思う。



 優れた写真家、芸術家は往々にして、鋭い眼光を放つギラギラした雰囲気を漂わせているが、長野さんは正反対の、穏やかな雰囲気の方だった。

 こういう人望のありそうなベテランが委員長の座にいれば、どんなに審査が長引いても、落ち着くところに落ち着くんだろうなと思わせた。



 筆者は、直接お話をしたことはないが、至近距離にいたことがある。

 そのときの北海道美術ネット( www5b.biglobe.ne.jp/artnorth/sub200207a.htm )には、こうある。



 トイレで小便をしていたら、となりに並んだ人を見てちょっとびっくり。

 毎年のように審査などで東川を訪れ、公平な評価ぶりが信頼を得ている日本写真界の重鎮、長野重一さん(1925年~)ではないですか。

 うーん、しかし、このシチュエーションで、それほどの大ファンでもないのに

「ファンです」

とかいって握手を求めるのもヘンだし

「あの、サルの親子が温泉に入っている、生命保険会社のコマーシャル好きでした」

などと突然言い出すのももっとヘンだし(長野さんは一時期コマーシャルや映像制作にたずさわっていた)、どうしようどうしようと思って、けっきょく黙って出てきちゃいました。

 こういう時はどうしたらいいんでしょう。




 ご冥福をお祈りするとともに、上でちょっと触れたコマーシャルがユーチューブにあったので、上げておく。見れば、思い出す人も多いのでは。



1979 日本生命 暮しの保険

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旭川・ヒラマ画廊、1日に新ギャラリー。こけら落としは斉藤矢寸子個展

2018年12月01日 08時35分00秒 | 新聞などのニュースから
 12月は明るい話題から。

 旭川を代表するギャラリー「ヒラマ画廊」が、12月1日に、市内1の6の「クリスタルビル」1階に新ギャラリーを開きます。同画廊と、旭川のアート振興に理解を示す菅原組がタッグを組んで、現在の約3倍という広さの新たな空間ができるとのこと。
 現在のヒラマ画廊は来年春まで運営し、来春に新ギャラリーに移設するそうです。

 現在の画廊は2の8。旭川駅から平和通買物公園を歩いて、ミスタードーナツの角を右に曲がるとすぐに入り口があります。
 道北地方の画家や美術家に最も親しまれてきたギャラリーのひとつですが、2階に上がる階段は狭く、大作の搬入搬出は一苦労だったと思います。
 というか、高齢の方は、2階に上るのも大変だったのではないでしょうか。

 こけら落としは、行動美術会員、全道展会員、純正展会員の画家斉藤矢寸子さん(旭川)の個展です。
 150号が飾れるようになったので、そのサイズの大作を含む約25点を展示。
 16日までの午前11時~午後6時。


 11月29日の北海道新聞旭川版から。

(書き出し略)

 ヒラマ画廊は、1975年オープンの国劇画廊が前身。93年、平和通買物公園の一角にある現画廊に移転して以来、ヒラマ画廊として営業し、絵画や写真、彫刻など道内外で活躍する芸術家の作品を展示し、旭川を代表するギャラリーとなっている。

 ただ、約50平方メートルのギャラリーの壁面は、長さは30メートルあるものの、高さは2.5メートルしかなく、150号や200号の絵画を飾ることができなかった。(中略)

 平間明鑑代表が、親交のある建設会社「菅原組」(旭川)の菅原康晴社長に移転について相談したところ、同社のグループ会社が所有するクリスタルビル1階を借りることができた。

 新ギャラリーは約110平方メートルと約40平方メートルの2部屋。壁面の長さは50メートルと20メートルで、高さは共に2.8メートルある。現画廊は来年3月31日まで営業し、4月から全面移転する計画で、ギャラリーのみ12月にオープンする。平間代表は「今まで展示できなかった作品が紹介できるようになり、旭川の美術界をより盛り上げることができる」と話す。(以下略)


 新ギャラリーは、買物公園よりも1本西側の「昭和通」からちょっと入ったところ。
 ますます旭川のアートシーンを盛り上げてくれるのではないでしょうか。ヒラマ画廊は近年、写真展にも力を入れており、従来の絵画・彫刻だけではなく写真の振興にも寄与しそうです。


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彫刻倒れ職員けが 本郷新記念札幌彫刻美術館

2018年11月29日 23時29分39秒 | 新聞などのニュースから
 北海道新聞2018年11月29日朝刊のほか、読売、毎日も報じていました。
 以下、道新から引用します。

 札幌市は28日、中央区の本郷新記念札幌彫刻美術館で屋外展示中の彫刻作品が倒れ、点検中だった60代の男性職員に接触する事故があったと発表した。男性職員は頭部裂傷などのけが。同日入院したが、命に別条はないという。

 施設の指定管理者・市芸術文化財団によると、開館前の同日午前9時40分ごろ、男性職員が点検していた彫刻「鳥の碑」(台座部分を含む高さ187センチ、幅57センチ、奥行き51.5センチ)が倒れた。1963年制作のコンクリート製で、彫刻と台座の接合部分が腐食していたという。この作品の展示は当面行わない。(以下略)


 毎日新聞の北海道版には、市が提供したカラー写真も載っていました。
 「鳥の碑」が仰向けに倒れていました。

 筆者がこの記事を目にしたとき、いったいどんな彫刻だったっけ? と思いました。
 「札幌散策」のサイトに画像がありますが、どうも記憶がはっきりしません。後ろの壁から推察して、いつも足を運ぶ本館側ではなく、旧アトリエの記念館のほうのようです。
 もうすこし検索すると、札幌彫刻美術館友の会が昨年5月、像の清掃活動を行った際の記録が出てきました。

 道内でこの種の事故は聞いたことがありません。
 ただ、彫刻は重いので、もし倒れてきたとき真下にいたら、ひとたまりもないでしょう。市町村教委などはしっかり管理してもらいたいと思います。


 おそらく同一と思われる作品が、石狩に立っています。
 後日、紹介します。

(追記。ネット検索すると、玉川高島屋SCの前にある作品がたくさんヒットします。これも同一の作のようです)
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中丸茂平さん死去(苫小牧、画家)

2018年11月13日 12時34分29秒 | 新聞などのニュースから
 2018年11月13日付の北海道新聞おくやみ面に載っていた、苫小牧の中丸茂平さんは、画家で全道展会員の中丸さんと思われます。
 82歳でした。

 中丸さんは全道展では1981年に奨励賞を受け、82年に会友に推挙されました。
 会員になったのは2000年です。
 また、全道展では珍しく二紀展にも出品し(二紀は、道内は道展に出している人がほとんど)、同人でした。

 原野の枯れ草を一本一本ていねいに描く写実的な画風が特徴で、2000年代まではキジのような鳥も精緻に描かれていましたが、のちに鳥も画面から姿を消してしまいました。
 全道展以外にも時折、市内の画廊喫茶で小品展を開いていました。

 ご冥福をお祈りします。
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根室市の「慟哭の森美術館」が11月11日限りで閉館

2018年11月05日 13時35分21秒 | 新聞などのニュースから
 北海道新聞の2018年11月2日根室版に、惜しまれるニュースが出ていました。

 根室市で歯科医のかたわら地元の風景を重厚なタッチで描き続けた茂木幹 も ぎ かん(1904~1996)の絵画を収蔵し、月1度のペースで公開してきた、同市の「慟哭どうこくの森美術館」が、11日の公開を最後に閉めるというのです。

 根室新聞の記事がネットに公開になっていたので、こちらをコピペします。

 根室を拠点に北方の自然を描いた画家・チヌカルコロ(故・茂木幹さん)の遺作を展示する私設美術館「慟哭の森美術館」が、11日の一般公開を最後に閉館する。茂木さんの長女・桐澤藍根さん(79)と、夫で館長の桐澤享さん(83)が平成9年に開設して以来管理していたが、高齢となり維持に不安を感じて閉館を決めた。最後に「遺作や美術館を引き継いでくれる人がいれば」と関心を持つ後継者を求めている。

 「チヌカルコロ」はアイヌ語で北極星の意味。群馬県出身の茂木さんは昭和4年に根室へ移住し、歯科医院を営みながらその名で画家活動を行っていた。根室をこよなく愛する画家として、野山の風景を500点以上の油彩に遺し、平成8年に享年92歳で死去した。

 このとき茂木さんの娘婿で館長の桐澤享さんが、私設美術館として茂木さんのアトリエだった明治町2丁目の家屋を改造し、平成9年に創設。室内には三つの展示室があり、作品を入れ替えながら展示していたが、開設から21年が経過した現在では、月に一度の開館に足を運んでいた愛好者らも高齢となり、今年6回行った開館日の来館者も少なかった。

 美術館2階には小さなサイズのものから、1,000点近い油彩やデッサンが眠っており、桐澤館長は「根室の風土を描いた貴重な資料になる。処分するのはもったいない」と話す。後継者がいれば遺作と建物、土地のできれば美術館まるごと譲りたい考えだが、今のところそういった情報はなく、自身の健康も考えて「終活の一部です」と寂しげに語っていた。

 最後の開館は11日午前10時から午後5時まで。入場料は100円で、駐車スペースがないため公共交通機関の利用や最寄りの明治公園などへ車を停めての来館を呼び掛けている。


 茂木幹は若い頃、帝展や国展に入選しており、その気なら、画家にもなれたかもしれません。
 しかし戦前、根室に移住して、中央画壇とも札幌の美術界とも離れてずっとその地で絵筆をふるいました。

 作品は根室の厳しい気候風土を反映した重々しいものが多かったと記憶しています(筆者は、木田金次郎美術館で拝見している)。

 関連文献として、小説家中沢茂さんによる『画家チヌカルコロ』(北方文芸刊行会)があります。

 




 それにしても、今後はどうなるのでしょう。

 根室市は、全国的に有名だったジャズ喫茶の存続に関しては、行政が積極的に動きました。茂木幹の作品と美術館のほうは、朽ちるに任せるのでしょうか。
 それとも、ジャズ喫茶の際のように、引き継ぐ人が現れるのでしょうか。
 あるいは、全部とまではいかなくとも、一部の作品を釧路芸術館あたりで引き取ったりするのでしょうか。
(釧路・根室地方には、公立美術館は、道立の釧路芸術館と釧路市立美術館しかない)


 こないだの稚内の「あとりえ・華」閉鎖でも思ったことですが、

いつまでもあると思うな各施設

ということですよね。
 どんな美術館やギャラリーでも、行けるときに行っておきたいものだと、あらためて痛切に感じました。

 もうすこし早く閉館のことを聞いていたら、遠路はるばる訪れる機会もあったかもしれませんが、あと1回ではムリです。
 あとりえ・華と異なり、こちらは公共交通機関でなんとか札幌から日帰り往復は可能です。

 一回、行きたかったなあ。
 


□北海道文化資源データベースのページ https://www.northerncross.co.jp/bunkashigen/parts/5593.html

木田金次郎と茂木幹(2003,画像なし。※木田の画風が生涯にわたってあまり変化がない、などというくだりは、まだまだ当時の筆者の絵を見る目が甘かったことのあかしです)



・JR根室駅から約1.9キロ、徒歩25分
・JR東根室駅から約1.3キロ、徒歩16分

・JR根室駅から根室交通のバス「納沙布岬線」に乗り「明治町3丁目」で降車、約200メートル、徒歩3分

※札幌発午前7時の特急「スーパーおおぞら1号」に乗り、釧路で快速列車「ノサップ」に乗り換え、午後1時22分着。1時35分発の納沙布岬行きのバスに乗り換え。帰路は、3時44分発のバスに乗り、4時9分発の普通列車から、釧路で特急「スーパーおおぞら12号」に乗り換え。札幌着午後10時58分。日帰りは可能です
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