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岡本光博展会場に来てみたら… 2019年秋の旅(74)

2020年01月15日 17時33分16秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 岡本光博展の会場のビルはエレベーターがない。
 汗だくになって階段で5階まで上る。

 しかし、5階に着いてから気がついたのだが、個展は金・土・日曜しか開催していないのだった。

 暗闇の中に、岡本さんが、事故現場などに張られることの多い黄色と黒のロープで編み上げた、俗称「トラロープ」が浮かび上がるのが見える。

 やれやれ。

 ガッカリしていたら、たまたま会場の人が通りがかって、筆者のことを気の毒がって
「お見せしましょうか」
と言ってくれた。

 岡本さんの作品は、米軍を皮肉って沖縄で展示拒否された例の「落米のおそれあり」など。
 同時開催の「アストロ温泉」というのが、これまた人を食ったおもしろいもので、光ったり回ったりする、得体の知れない物体が並んでいた。

 せっかく見せてもらったのだからTシャツぐらい買おうかと思ったが、暑さですっかり判断力をやられてしまっていて、そのまま礼を言って会場を出てきてしまった。


 9月末だというのに、どうしてこんな暑いのだ。
 そんななかを1キロ以上も歩いたから、すっかりクタクタになってしまったのだ。
 向こうに駅が見えるが、また乗り継ぎを繰り返すのはゴメンだ…。

 そう思ってタクシーを拾った。
 車内は冷房が効いていて、まるで別天地だ。

 運転手さんはベテラン男性だった。
 北海道から来たと言うと、難しい地名の話で盛り上がった。
 筆者が
「いや~、北海道も難しいけれど、名古屋も御器所とか読めないですよ。鶴舞も、つるまいだったり、つるまだったりするじゃないですか」
などと言っていると
「あれ、いまのところ左折じゃないですか?」。

 会話が弾みすぎて、道を通り過ぎてしまったのだった。

 運転手さんは大いに恐縮して、着く前に、途中でメーターを倒してくれた。

 タクシーを降りた五條橋から、円頓寺商店街のアーケードが見える。

 さあ、夕べ見られなかった分を見なくては。

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フェイクニュース? 展の会田誠作品も見てね 2019年秋の旅(30)

2019年10月23日 08時24分02秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 ところで、森美術館に塩田千春展を見に来た人に強く言っておきたかったことがある。

プラス35分ほど、よけいに時間をみておくように

ということである。

 塩田展の出口を出た後、さらに
「NAMコレクション」
「NAMスクリーン」
「NAMリサーチ」
という三つの展示があり、「スクリーン」では高田冬彦の映像作品が上映され、「リサーチ」では走泥社(現代日本の陶芸の歴史を大きく塗り替えた関西の団体)についてまとめられたパネルが壁に並んでいるのだが、「コレクション」で、会田誠の映像作品が流れているからだ。

 題は

 「The video of a man calling himself Japan’s Prime Minister making a speech at an international assembly」

 26分あるが、全部見た方が良い。

 2019年6月20日(木)から10月27日(日)までなので、この作品自体にはまだ間に合う。

 もしかしたら、塩田千春展で受けたピュアな感動が、ブラックユーモアでぶちこわしになるかもしれないというリスクはある(笑)。
 それでも、日本を代表する現代美術家であり、お騒がせ画家である会田誠の作品の中でも、代表作のひとつではないかと思われるからだ。
 いやもう、個人的には、大傑作といいたい。これまで、彼の作品には、なんだかんだと「留保付き評価」みたいに接していた筆者だけど、これは掛け値なしに
「バカバカしいけど、むちゃくちゃ考えさせられる」
という会田作品の特長が、最も生きているものだと思うのだ。

 映像の内容は、総理大臣に扮した作者本人が、国際会議で、カタカナでふりがながついているのではないかと思われるほどの発音で、英語の演説を行うというもの。日本語の字幕がついている。
 まさか本物の総理大臣と間違える人はいないと思うのだが、以前のビン・ラディンに扮した映像もそうだったように、「似ている度合い」が絶妙なのだ。
 つまり「似せる」ことが主眼ではない。「本物の首相かと思った」と鑑賞者に思わせることが狙いではないし、総理大臣を直接批判することも目的ではない。とはいえ、ひたすら紙を読み上げるところなどは、現職の総理と共通している(もっとも、先の戦争について、中韓に率直に謝っている場面などは、とても現職の総理からは想像しがたい)。

 そして、彼の演説は

「悪の思想とは、グローバリズムであります」

「強い国が弱い国の生き血を吸うため周到に用意された甘言、それがグローバリズムです。その行き着く先には地獄の業火しか残っていません」

「あの素晴らしい鎖国をやめてからわが国は近代化ー帝国主義の道を歩み始めました。それがすべての間違いでした」

「さあ、バベルの塔の建設をやめたあのときに戻り、時を止めましょう。それしかもう人類を救う手立ては残っていません」

というふうに、グローバリゼーションを批判し、鎖国を称揚する内容だ。

 グローバリゼーション批判を、国際会議の場で、英語で行うという設定自体がすでにイヤミというか、おかしいのだが、この考え自体は会田さんに以前から一貫している。
 一つ前の記事で、2001年の横浜トリエンナーレに、まだ20代だった塩田千春さんが出品していて多くの観客の度肝を抜いたことを回想したが、この第1回のトリエンナーレにはじつは会田さんも「自殺未遂マシーン」というインスタレーションを出していた。たしかそこには、パンチラ俳句というのもあって、故意に英訳はつけず、わざわざ和英辞典が置かれていたことを思い出す。「読めるもんなら読んでみろ」というわけだ。

 そういう人が全編英語のビデオを作ったのだから驚きだが、肝心の演説は
「こりゃ米国人、聞き取れないかも」
と思われるぐらいに、カタカナ棒読み英語なのだ(笑)。

 筆者はこの演説を聞きながら、2002年の「リレーション・夕張」展で岩見沢市の野又圭司が発表した「グローバリズムの暴力」を思い出していた。
 野又さんのインスタレーションは荘厳で、重々しい雰囲気をはらんでいたが、会田さんのはおもしろおかしい。
 つまるところ、主張は同一なのに、どこからこういう差異が生じてしまうのだろうかと考えたのだ。
(もちろん、表現の仕方が違うからなのだけど…)

 なんとなく現職の総理大臣を思わせつつ、しかし彼を批判も賞賛もせず、「総理をバカにしている!」とネトウヨに言われるようなスキも見せず、こういう作品をつくってのけるスキルは、やっぱりたいしたもんだよな~。




 塩田千春展の図録を購入したら、カバンに入りきれず、荷物が破綻状態になった。
 六本木ヒルズのコインロッカーの前で冷や汗が出た。 

 こんなに暑いのに、Tシャツ姿で歩いている人が誰もいない。
 六本木だからだろうか。

 地下鉄日比谷線に乗り、銀座で降車。
 昔の三原橋のあたりに出たが、古い映画館のかわりに超高層のホテルが立っていて、あまりの変わりように頭がクラクラした。

 次の目的地は、ギャラリー暁である。


2019年秋の旅(0) さくいん

 
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続き■塩田千春展ー魂がふるえる (2019年6月20日~10月27日、東京・六本木)。2019年秋の旅(29)

2019年10月22日 09時32分17秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 このインスタレーション「集積―目的地を求めて」も好きなんだよなあ。


 ベルリンという、世界からアーティストが集まる大都市を拠点としながら、世界中をまわって発表や制作を続けるこの作家らしい視点。

 移動。旅。
 あるいは難民。
 国境の変更。
 流亡。
 アイデンティティ(の喪失)…。

 そういった、グローバリゼーションの時代に特徴的な要素が、センチメンタルな描写ではなく、ストレートに表現されていると思う。

 そして、ただスーツケースが集積しているだけでなく、赤い糸でつるされているのも塩田千春らしいし、そのつるす高さが、奥に向かって少しずつ上がっていることでインスタレーション全体に動感を与えている。

 前項でも述べたが、床面に落ちる影がつくる模様が、印象的だ。

 影は壁にも映っている。

 スーツケースはゆらゆらと揺れている。
 不安定なわたしたちのように。

 ひとつひとつのスーツケースが、固有の物語を宿している。







 さて、5枚目の画像。

 今回の個展は大規模なものであるだけに、作者のこれまでのパフォーマンスの記録や映像作品、展示の資料写真などもふんだんに紹介されている。

 これは、2001年の横浜トリエンナーレ。
 当時は屋内会場で写真を撮るなんてことは考えられなかったんだよなあ(明確に禁じられていたわけではなかったと思うが)。
 非常になつかしい。

 筆者も含め、この展示「皮膚からの記憶」で塩田千春の名を知った人は多いだろう。

 泥で染まった巨大なドレスに、絶えず水が降り注ぐという大規模なインスタレーションで、初開催だった横浜トリエンナーレを象徴する作品の一つとなった。

 図録には、この本になった1999年のインスタレーション「アフター・ザッツ」について、次の言葉が引かれている。

「ドレスは身体の不在を表し、どれだけ洗っても皮膚の記憶は洗い流すことはできない」


 ちなみに、塩田千春は2009年に開かれた「ハコトリ」に映像作品を出しているのだが、そのことは図録には記載がない。
 ほかに、彼女が道内で発表したことは、残念ながらないようだ。







 ドローイング類も多くが展示されている。
 うまいと思うし、描かずにはおれなかったことも伝わってくる。




 インスタレーション「内と外」

 壁の崩壊以降、破壊と建設を続けるベルリンの街にインスパイアされた作品。





 新作のインスタレーション「小さな記憶をつなげて」

 膨大な数のミニチュアを赤い糸でつなげた作品。

 窓の外に広がる東京の景色との対比がすごい。


 過去、死、生、時間。

 そういった普遍的な課題、難問に、臆せずぶつかっていく姿勢が、作品から力強く感じられることが、塩田作品の魅力なのかもしれないと思う。



 ところで、展覧会会場を出てから、プラス35分は最低確保していただければーと思う。理由は次項で。



2019年6月20日(木)~10月27日(日)午前10時~午後10時、火曜のみ午後5時まで。会期中無休
※ただし10月22日(火)は午後10時まで(いずれも最終⼊館 30分前)
森美術館(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー)

・東京メトロ日比谷線「六本木駅」直結
・都営地下鉄大江戸線「六本木駅」徒歩6分
・東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩10分


関連記事へのリンク
ハコトリ(6) 弥生町・蔵で野又圭司、田村崇、塩田千春、田口行弘の作品を見る(2009)
横浜トリエンナーレ2001(画像なし)

2019年秋の旅(0) さくいん

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■塩田千春展ー魂がふるえる (2019年6月20日~10月27日、東京・六本木)。2019年秋の旅(28)

2019年10月21日 11時10分04秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 いまさら筆者が書かなくても、容易には言葉にしづらいタイプの感動を、すでにたくさんの人が得ていることだろう。
 圧巻だった。
 これほどまでに体を張って自らの「生」に向き合っている美術作家がどれぐらいいるだろうかと思った。


1) 床を見よ


 冒頭画像と次の画像は「不確かな旅」
 この膨大な赤い糸を張り巡らせたインスタレーションの画像は、フライヤーなどで見た人も多いだろう。




 会場は、作者がかかわった演劇などを紹介するコーナー以外はほとんどが撮影可なので、誰もがカメラやスマートフォンを構えている。

 ただ、上のような写真を撮れるチャンスはまずない(一瞬、会場にほとんど人がいない時間帯があって、非常にラッキーだった)。
 なので、たいていの人は、他の鑑賞者が写り込んでしまわないように、レンズを上の方に向けてしまうようである。
 赤い糸が、カーテンのように他の人をうまくぼやけさせることが、この作品の「インスタ映え」のキモになっているにせよ。

 したがって筆者は、これから会場を訪れる人に言いたい。
 あえて、床を見よう、と。

 このインスタレーションについては、赤い糸がSNSでのつながりのようだとか、人体の血管網を思わせるとか、すでにさまざまな感想が交わされている。
 でも、筆者があらためて感銘を受けたのは、赤い糸もさることながら、床の舟なのだ。


 舟がなんの隠喩なのか、だれにもわからない。
 ことばで言い切る必要もない。

 ただ、赤い糸がさし示しているかのように見える「つながり」や「関係」の集積を、がっちりと底部で受け止めている存在なのだと思う。
 この舟があるからこそ、わたしたちが安心して日々をおくることができているのではあるまいか。


 下を見ると、糸の集積が床の上にさまざまな表情を描いているのがわかる。



2) 惨劇の予兆


(このふたつのドレスは、ダイアン・アーバスや坂東史樹を連想させる)


 黒焦げになったピアノ。

 58脚のいす。
 オーケストラが消えたのか。
 あるいは聴衆が去ったのか。

 はっきりしないけれど、ものすごく不吉で、重苦しくて、悪い予感のような空気が漂う。

 たとえばトーマス・マンの「マリオと魔術師」が全体主義を予兆するような息苦しさを底に秘めているのと同じような、わたしたちの生きづらさのようなものをそこに感じてしまうのだ。




 これらはひとまとめの、「静けさのなかで」という題のインスタレーションである。


 画像がまだたくさんあるので、もう1本、記事をたてることにする。


2019年6月20日(木)~10月27日(日)午前10時~午後10時、火曜のみ午後5時まで。会期中無休
※ただし10月22日(火)は午後10時まで(いずれも最終⼊館 30分前)
森美術館(東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー)

・東京メトロ日比谷線「六本木駅」直結
・都営地下鉄大江戸線「六本木駅」徒歩6分
・東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩10分


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ハコトリ(6) 弥生町・蔵で野又圭司、田村崇、塩田千春、田口行弘の作品を見る(2009)
横浜トリエンナーレ2001(画像なし)




2019年秋の旅(0) さくいん

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■特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」=東京'18(イ)ー16

2018年03月09日 20時51分00秒 | 道外で見た展覧会
承前)

 2月15日以来、約4週間ぶりに「東京'18(イ)」の項の続き。

 図録を熟読して仏像などについてくわしく記すつもりでいたが、そんなことをしようとすると、例によっていつまでたっても先に進まないので、とりあえず概略のみ。

 筆者は北海道に住んでいることもあって、国宝や重要文化財を鑑賞する機会は、それほど多くない。
 上京した折に展覧会などに足を運び、何点か目にする―というのが一般的なパターンだ。
 この展覧会で会場に並んでいる国宝や重要文化財の数はすごい。日本美術の常で会期中の展示替えがあるため(油絵などに比べて傷みやすいものが多い)、行ったら何点見られるかを単純に言うことはできないのだが、公式の特設サイトには、国宝24点、重文74点がリストアップされている。

 これは要するに

これまで何十年かで見た国宝・重文の合計よりも、この日、半日間で見た国宝・重文の数の方が多い
ということなのだ。

 北海道民としては、国宝・重文は1点でもあったらありがたや~、というのが正直な思いだが、それが大量に陳列されているのだから、もう大変である。

 仏像でも、9世紀や10世紀のものがふつうに並んでいる。
 そのうち感覚が麻痺してきて、江戸期の絵や資料を見ても
「なんだ、新しいな」
ぐらいにしか思えなくなってくる(笑)。


 画像はいずれも、僧侶の修行道場のため通常非公開の仁和寺観音堂内部を、博物館内に再現したもの。
 ここだけが撮影可となっているので、世の中のブログなどにはここの一角の写真がアップされている。

 仁和寺にん な じは「徒然草」に登場し、中学高校の古文の教材としてよく用いられるので、名前は聞いたことがあるが、訪れたことはなかった。これほど皇室とのかかわりが深い寺院だとは知らなかった。
 そのため、貴重な仏像や資料が数多く残っているのだろう。

 筆者がいちばん感動したのは仏像類でも曼荼羅でもなくて、空海ゆかりの国宝「三十帖冊子」だった。
 全巻の公開は会期中わずか2週間だったが、ちょうどその期間だったのだ。

 これは仏教を学ぶため唐に留学した空海が、仏典を持ち帰ろうと、書き写した冊子。大きさとしては「月刊民芸」「はこだて 街」など、横長の小冊子に近い。学僧たちの筆にまじって、空海の直筆の部分もある。
 まず、1200年前の文字が現在まであせずに残っていることがすごい。
 しかも書の神様とでもいうべき弘法大師の真筆である。
 唐に赴くこと自体、今なら宇宙旅行に行くような覚悟が必要な大事業であったろう。
 いまと違って、テレビやネットはもちろん、印刷物はほとんどない。命がけで遠国に旅し、ようやくのことで見ることができた仏典だ。さらに、現代とは比べものにならないほど紙も貴重品である。小さな文字を紙の端っこまでびっしり書かなくてはならない。修正液もないから、書き損じもうっかりできない。
 空海たちがどういう思いを抱きながら必死で筆を動かしていたのだろうーと考えると、胸が熱くなってくるのだ。



 じつは、この日に何を見るかについては、けっこう迷った。
 千葉の山口晃展も候補のひとつだったし、府中市美術館の「絵画の現在」展や、21_21 DESIGN SIGHTの「野生展:飼いならされない感覚と思考」には北海道ゆかりの作家も出品していたから、本来なら見に行くべきであったと思う。
 ただ、めったに目にする機会のない秘仏を数多く含むこの展覧会は、まさに空前絶後といっていい規模と内容だろうから、やはり、足を運んで正解だったろう。

 まだ会期が始まったばかりで、比較的客が少なかったのも幸いだった。


 このあと、トーハクの所蔵品についていくつかの記事が続く予定。


2018年1月16日(火)~3月11日(日)
東京国立博物館 平成館(上野公園)

□特設サイト ninnaji2018.com/





(この項続く) 
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■渡邊耕一展 Moving Plants (2018年1月13日~3月25日、銀座)=東京'18-イ(10)

2018年02月08日 13時36分50秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 道内ではあまり見る機会がないが、近年世界的に現代アートの手法として広く普及しているものに
「リサーチ型」
がある。
 筆者はこのタイプの展覧会を見るといつも、夏・冬休みの自由研究を思い出す。決してばかにしているのではなく、写真や映像、パネルを使って特定の問題を調べ、現地に足を運び、人に話を聞いていくそのプロセスが、自由研究に似ていると思うのだ。
 子どもの自由研究が、本や(近年はインターネット)で調べ、1人か2人に聞いたことを模造紙やノートにまとめたものであるのに対し、大人の「リサーチ型」は、写真や映像を投影したり、資料を借りてきたりして、相当に本格的なのである。

 さて、この渡邊耕一さんの個展「Moving Plants」も、見た目はイタドリという多年草をテーマにした写真展なのだが、いわゆるネイチャーフォトとはぜんぜん違う。
 日本にある草が、どうやって欧洲に渡り、かの地で迷惑がられるまでにはびこったのかを、実際に欧米に渡って調査した労作なのだ。
 このテーマに着目したのが、渡邊さんが北海道を訪れたときだという。

 筆者は、イタドリが英国などで急速に勢力を広げて迷惑がられていることを朝日新聞の科学面かなにかで読んで知っていたが、日本で見つけて欧洲にもたらしたのはあのシーボルトであり、欧米の園芸業者が「お庭にどうですか?」と積極的に普及を図っていたことをこの個展で初めて知った。
 会場にはシーボルトの本や100年以上前の園芸雑誌まで置いてあるのだ。
 なんだ、日本人悪くないじゃん。

 それにしても、ニューヨークの郊外やオランダの線路沿い、東欧の野原など、イタドリはいたるところに生えているようである。

 ただひとつ心配になったのは、筆者は北海道人なので、イタドリはとても身近な草であるのだが、東京の人には、それがどこまで伝わったのだろうかということ。
 フキ、クマザサとならんで
無駄に大きくなる三大バカ植物
のひとつで、このブログでも、こことか、ここに画像が載せてある。
 草なので、春先には影も形もないが、5月以降にどんどん伸び、夏には人の背丈を追い越すほどになるが、9月には立ち枯れてまるで野火の跡のような姿をさらすのである。

 植物は本来は移動しない。
 しかし、人間が移動すると、それにつれて世界へ広がっていくのだ。イタドリの移動も、人間の歴史を反映している。


2018年1月13日(土)~3月25日(日)午前11時~午後7時(日祝~午後6時)、月曜休み
資生堂ギャラリー(中央区銀座8-3-3 東京銀座資生堂ビル地下 www.shiseidogroup.jp/gallery )




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■伊藤隆道「銀座採光」=東京'18-イ(9) 東麻布から銀座へ

2018年02月07日 17時21分00秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 いちばん見たかった個展の会場を、満足しつつ後にして、東麻布の街中を抜ける。

 どこかで目にしたことのある店が何軒かあるなあ―と思っていたら、どうやら「アド街ック天国」で流れていたようだ。
 全国的な名所ならいざ知らず、非常にローカルな店などが全国に流れてそれを自分が知っているのもなんだかおかしな気がする。あの番組でとりあげるのは東京がほとんどなので、景勝地などがほとんどないのも、道民からすると不思議。

 それはさておき、帰りは、最寄り駅の都営大江戸線・赤羽橋駅を利用する。

 赤羽橋駅の次の大門駅で、都営浅草線に乗り換えて、東銀座を目指す。


 ところで、大門から乗った浅草線は
「エアポート特快」
と呼ばれる系統で、なんと東銀座などは通過するのである。
 筆者は
「東西線や都営新宿線の郊外部分は別にして、地下鉄は各駅に停車するものだ」
という固定観念があったので、正直なところびっくりした。

 新橋で降りて、次の各駅停車を待ったのだが、よく考えてみたら、次の目的地である資生堂ギャラリーは銀座7丁目なのだから、新橋で降りて歩けば良かったのだ。
 やはり、夕方になり、疲れて判断力が鈍っていたようだ。

 しかも、駅を降りたが、方角がまるでわからない。
 銀座シックスの通路を経由して地上に出る。この通路のデザインは美しいけど、釣り天井になっているので、メンテナンスを怠ると、いつか事故が起きるかもしれないと思う。
 

 ギャラリーのビルのショーウインドウを見て、心がひかれた。
 シンプルで、美しい。

 近づいてみると、札幌出身で、あの「ホワイトイルミネーション」のスタートにあたって貢献した伊藤隆道さんの作品ではないか!
 全くノーマークだった。
 道立近代美術館の前でぐるぐる回っている金属の彫刻で知っている人も多いだろう。

 伊藤さんはかなり以前から資生堂のディスプレイなどを手がけているらしい。
 日本でいちばん華やかな街・銀座にふさわしい、きらびやかさがある。

 ただし、近くのもうひとつのビルでも展示していることは、札幌に戻ってインターネットで調べるまで知らなかった。もったいないことをしたと思う。


資生堂銀座ビル:2017年12月18日(月)~2018年3月16日(金)/
資生堂パーラービル:2017年12月26日(火)~2018年3月31日(土)


https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001025.000005794.html

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伊藤隆道展(06年、道立近代美術館)





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■川田喜久治写真展 ロス・カプリチョスーインスタグラフィー2017-(2018年1月12日~3月3日、赤羽橋)=東京'18-イ(8)

2018年02月06日 08時59分20秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 川田喜久治さんは1933年(昭和8年)生まれの写真家。
 エージェンシーVIVOを、奈良原一高、東松照明、細江英公氏らとともに発足させた(1959~61)、日本の戦後写真界を代表する一人である。
 第12回東川賞を受賞している。
 筆者は2009年、今回足を運んだPGIのギャラリーがまだ湾岸の芝浦にあったころに彼の個展を見て、驚嘆した。なので、今回の上京にあたって、いちばんはじめに見ることを決めたのは、実はこの個展なのである。

 写真集もほしいのだが、代表作である『地図』は、復刊されたものの、5万円(税別)なのでちょっと手が出ない(PGIは、ギャラリーのほか店舗も併設していて、これらの写真集も置いてあった)。
 東松照明や森山大道は多くの人に巨匠として知られているが、川田喜久治の認知度はまだ足りないのではないかと思う。多くの人に見てもらいたい個展だ。

 さて、この個展について、PGIのサイトから引用します。

「ロス・カプリチョス」は、1972 年に『カメラ毎日』で連載したのを皮切りに写真雑誌で散発的に発表され、1986 年にはフォト・ギャラリー・インターナショナル(現PGI)で個展を開催しましたが、その後1998 年に「ラスト・コスモロジー」、「カー・マニアック」と共に、カタストロフ三部作の一つとして写真集『世界劇場』にまとめられただけで、「ロス・カプリチョス」として一つの形にまとめられたことはありませんでした。

本展「ロス・カプリチョス –インスタグラフィ– 2017」は、1960 年代から1980 年代初めまでに撮影された中から、未発表作品を含め新たに New Edition として再構成し、更に近年2016 – 2017 年に撮影した作品を『続編』として編んだものです。


 「ロス・カプリチョス」がスペインの大画家ゴヤの版画集で、人間の愚かしさを寓意や幻想を織り交ぜて表現した、「戦争の惨禍」と並ぶすごい版画集であることは、読者の皆さんもご存じだと思う。

 川田の写真自体は、夢魔が出てきたり、魔女がほうきにまたがって空を飛んだりといった表現が出てくるわけではないし、あからさまに風刺的であるわけではない。
 また、副題に「インスタグラフィー」とあるが、画面が正方形になっているわけでもない。
 1959年の「Pink room(茨城)」から、昨年に東京の街角で撮ったものまで、雑多なイメージがスナップ的な手法で、平面インスタレーションのように陳列されている。ちなみに、59年の写真はカラーで、ピンク色の室内の花をとらえたもの。モノクロでは、60年に東大で撮った「The Embryo by accident」が最も古い(ホルマリン漬けの畸形の胎児を写している)。数えたら全部で89枚だった。

 誰が見ても社会風刺に見えるイメージではないのだが、見ているうちにじわじわくる作品が多い。
 ギャラリーのサイトでもメインビジュアルとして採用されている、暑さのために溶融してゆがむアスファルトの矢印や、住宅地の中で所在なさげに立つゴジラの模型、アポロ計画で月面に立つ宇宙飛行士を描いた壁画の下で座り込んで行列をつくって何かを待っている家族連れ(The Space Square 78年、東京―とある)…。
 「Jumbo jet 1978、東京」という作品は、銀色に輝く飛行機の風船が公園らしい緑地に落ちている光景。何でもない風景なのに、現実の飛行機事故などを連想させずにはおかない。
 「Black Rain」は、塗料がいくつかの筋になって流れ落ちているような模様を撮っているが、撮影地が「Hiroshima」となっていることで、見る人の意識を被爆地へと連れ去る。

 筆者がいちばんどきっとしたのは、茨城で75年に撮影された「Car Wash」。
 自動車が洗車場に入っていく場面のスナップなのだが、洗車場の入り口にのれんのようにつり下げられている赤い垂れ幕がちぎれていて、まるで摩天楼が炎上しているように見えたのだ。

 川田喜久治は言葉であからさまに語るわけではない。しかし、先の戦争に対し、米国に対し、日本社会に対し、<何か>を言いたがっていることは、ひりひりとした感覚を伴って、伝わってくる。
 彼の写真は、なにげないスナップであるにもかかわらず、プリントされたものと向き合うことがすなわち戦後という時代に向き合うことに直結するような、そんな写真なのだと思う。


2018年1月12日(金)~3月3日(土)午前11時~午後7時(土曜~午後6時)、日曜祝日休み
PGI PHOTO GALLERY INTERNATIONAL(港区東麻布2-3-4 TKBビル3階)




関連記事へのリンク
2009年5月13-15日 ポンカメ購入
川田喜久治写真集
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■戦前の出版検閲を語る資料展「浮かび上がる検閲の実態」(2018年1月10日〜2月3日、神田小川町)=東京'18-イ(6)

2018年02月01日 21時34分26秒 | 道外で見た展覧会
承前)

 用事で神田小川町近辺に行ったあと、また少し時間ができた。

 せっかくなので、ツイッターでときどき会話している「Shirosan001」さんからおすすめされていた、古書会館での「浮かび上がる検閲の実態」展をのぞいてみることにした。
 美術展ではないが、冒頭画像にあるような美術関連書も展示されていた。


 筆者は以前『検閲と文学 1920年代の攻防』を読んだことがあり、この分野の基礎知識はあるつもりだったが、新たに知り得たことも多かった。
 左の画像は、検閲にひっかかった新聞をすばやく押収するために、配布ルートを当局が把握していたことなどを示したパネル。

 ところで、戦前の検閲の標的といえば、まず左翼関係の書物という印象があったが、「風俗壊乱」もターゲットになっていたようだ。
 安田徳太郎は、ドイツでベストセラーになったシュトラッツ著『女性美の研究』という本を翻訳してアルス社から出版しようとしたところ、検閲官が註文をつけ、やむなく図版の多くを削除せざるをえなかったという。
 今回、そのことを後書きで不満を漏らしているページが、開かれていた。
 安田は医師で、戦後はフックスの大著『風俗の歴史』(全9冊、角川文庫)の翻訳など、手がけた本は多い。戦前から左翼シンパであったが、自らは左翼ではないと言い、検閲にひっかかりそうなところで筆を納めてしまう巧みさで発禁をまぬかれていた-というくだりをパネルで読んで、少し笑ってしまった。


 あと、左翼だけではなく、右派の本にも検閲官は目を光らせていたようだ。
 というのは、右翼なので、皇室をめぐる記述などがたくさん出てくるのだが、その用語が誤っていたりすると、畏れ多いということになるのである。

 神田は世界最大級の古書のマチであるだけに、戦時中の古書の流通統制についても説明パネルがあった。
 お上は、高値の稀覯本を取り締まり、古書価格を下げたがっていたようだが、そんなことがうまくいくはずがないのであった。

 ともあれ、日本を含む世界各国で政府の強権的な姿勢が目立つ昨今、戦前とおなじような検閲制度が復活することはなくても、インターネットなどで、安全保障や機密保持を掲げた統制が強まる可能性もないとはいえず、その意味ではタイムリーな展示だったと思う。
 

2018年1月10日(水)〜2月3日(土)
東京古書会館2階(千代田区神田小川町3-22)




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■藤本由紀夫「STARS」 (2017年12月2日~18年2月3日、六本木)=東京'18-イ(5)

2018年02月01日 12時07分26秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 六本木でもう2カ所、Shugo Arts(シュウゴアーツ)と小山登美夫ギャラリーに立ち寄った。いずれも、おなじ「complex666」ビルの中にあり、前項で立ち寄った「ピラミドビル」や、地下鉄の六本木駅に近い。
 なかなかしゃれた建物だが、先のWAKO WORKS OF ART といい、このビルといい、若いアート好きが引きも切らず訪れているので、それほど気後れすることなく入ることができる。

 これが札幌だったら、土曜でも、現代アートのギャラリーには自分のほかにあまり客はいないだろうし、いたとしてもかなりの確率で自分の知り合いだったりするんだろうな~などと思う。
 そういえば筆者はかつて東京に住んでいたころ、国立フィルムセンターやアテネフランセ文化センターの自主映画上映会などにずいぶん足を運んだものだが、そこで行列をいっしょにつくっていた人たちとは、ついに知り合いになることがなかったな、などと思い出す。

 それはさておき、藤本由紀夫さんの個展。
 藤本さんは1950年、名古屋生まれ。音を使った現代アートの作品を数多く発表している。
 道内では2011年にギャラリー門馬でのグループ展に出品したことがある。

 今回は高さ185センチぐらいの縦長の木の箱を18個、壁際に、間隔をあけて並べている。
 いずれも同じ外観をで、外側を黒く、内側は落ち着いた緑色に塗り、縦に三つ小さなねじが取り付けてある。
 来場者がねじを回すと、中に仕込んであるオルゴールが鳴る。奏でるのはひとつの音なので、まるで「音楽」と呼べるものではないのだが、会場内のあちこちから音が聞こえてくると、人間とはふしぎなもので、ばらばらの音に連なりを聞き取ってしまうのである。

 ギャラリーの若く美しい女性が、オルゴールの音はもともと、上から「G線上のアリア」「ムーン・リバー」「マイ・フェイバリット・シングス」の旋律だと教えてくれた。
 しかし、そもそも、それぞれのオルゴールからは単音しか出ないので、それらの曲が聞こえるわけもないのだ。


 「STARS」は星座の意味をこめて付けたタイトルだという。
 星座も、ばらばらに点在している星々を、地上の人間がかってに結んでつなげたものだ。
 人間はいろいろなところに、つながりや意味を見いだしてしまう存在なのかもしれない。

 そんなことを考えさせる、シンプルで美しい個展だった。


 なお、同じ建物の隣室にある小山登美夫ギャラリーは桑久保徹展。
 巨大な風景画の画面の中に、スーラの代表作がイーゼルなどに置かれて点在している絵など、楽しいパロディー(というか、引用の)絵画。
 フェルメールやゴッホ、ピカソのバージョンもあり、ピカソのは、「ゲルニカ」にあわせてモノクロームに仕上げていた。

 ここで所用のため、いったん半蔵門に戻った。


2017年12月2日(土)~18年2月3日(土)午前11時~午後7時、日月曜・祝日休み
Shugo Arts (港区六本木6-5-24 complex665 3階 http://shugoarts.com/




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■ゲルハルト・リヒター “Paiting Works 1992 - 2017” (2017年12月16日~18年1月31日、六本木)=東京'18-イ(4)

2018年01月31日 11時11分11秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 渋谷を出て、メトロの半蔵門線と都営地下鉄大江戸線を乗り継いで、六本木へ。

 リヒターは1932年生まれ、ドイツの画家。
 画廊は手前の大きな部屋と奥の小さな部屋からなっており、手前に「abstract paiting」の新作(世界初公開作を含むという)が、奥には1992年からの旧作が展示されている。
 遠くから見ると一見風景写真に思われる作品などがあり、この画家が「写真がある時代にあえて絵を描くとはどういうことか」といった根源的な疑問を念頭に置きながら制作してきたことが、つたわってくる。

 手前の部屋の「抽象絵画」は「947-3」「950-2」「943-2」「945-2」などと副題がついている。
 カラーフィールドペインティングでも、カンディンスキー流にバイオモーフィックな形態が浮遊する画面でもなく、黄緑や白、ピンクなどさまざまな色が激しく混ざり合っている。
 おそらく、塗った色がよく乾かないうちに、ローラーで新たな絵の具を重ねた結果、多くの色が混じり合い、重なり合ったのだろう。ただし、場所によっては、下の層とあまり混ざっていないところもある。ローラーは画面の4辺に平行、あるいは垂直に走っているが、時折斜めにも転がされている。
 絵の具のレイヤー(層)を確認しているうち、あれっ? と思ってしまうことがあるのは、同じ絵の具の層が、画面の位置によって下の方にあったり、上の方にあったりするからのようだ。
 ポロックやフランケンサーラーなどとはまた異なる、肉体の動きのあとを取り入れた独自の抽象画が、展開されていたのだ。


2017年12月16日(土)~18年1月31日(水)午前11時~午後7時、日月曜・祝日休み
WAKO WORKS OF ART(東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル3階 www.wako-art.jp/




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■神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の驚異の世界展 (2018年1月6日~3月11日、渋谷)=東京'18-イ(3)

2018年01月31日 00時01分00秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 昨年話題になったアルチンボルドの、果物を集めて人の顔に見立てた絵が、フライヤーなどのメインビジュアルに使われているけれど、展示されているのは美術品だけではない。1576年から1612年(日本で言えば安土桃山時代から江戸時代初期)に神聖ローマ帝国に君臨した皇帝が集めた天文学や錬金術などの書籍、珍しい動物剝製はくせい、精巧な器械などをも含めて幅広く紹介した展覧会だ。ちなみに、冒頭の画像は、アルチンボルドの絵に基づき、現代美術家のフィリップ・ハースという人が作った立体が出口附近に展示され、そのコーナーだけが写真撮影可だったので、ここに掲げたというだけで、深い意味はない。
 たとえば<天球儀>と<イッカクの牙>と<錬金術の本>と<花の絵画>を同じスタンスで一緒に蒐集しゅうしゅうするのは、現代から見ればかなり奇妙なことに思われるだろうが、科学的なものも非科学的なものも混在していると感じるのはあくまで現代の科学の水準が前提とされているのであって、大航海時代の進展にともなって新奇な文物が欧洲に集まってくる当時にあっては、おそらく新奇さという観点から、少なくともルドルフ2世にとってはおなじようにカテゴライズされていたのだろう。
 あるいは、近代とはまったく異なる分類のありかたや認識のしかた、あるいは世界観を「エピステーメー」と呼ぶべきなのかもしれない。


 しかし、当時の「知」の枠組みを総体的に語るのは、筆者の手に余るので、気のついたことをばらばらに記しておきたい。
 まず、この展覧会全体が、どことなく
「プラハ目線」
で語られていることに気づく。
 ルドルフ2世はハプスブルク家の出だが、自らはウィーンからプラハに城を移し、そこでコレクションに励んだのだった。
 後にスウェーデンのグスタフ・アドルフ王が欧洲大陸の三十年戦争に介入した際、コレクションの数々を持ち去ったことから、同国のスコークロステル城の所蔵品も多く出品されている。

 王室が置かれたことはプラハの発展を支えたが、欧洲の政治や、イスラム勢力との対決といった課題から逃げるための遷都であったといえなくもないようだ。
 三十年戦争の後、ハプスブルク王朝はウィーンに戻ってしまうため、プラハは繁栄から取り残されてしまう。


 美術品について。
 アルチンボルドとブリューゲル(父)の作品が1点ずつ。
 アルチンボルドは1点だが、彼の追随者による、似たような絵があった。
 あんなアホな絵を描く画家がほかにいるとは思わなかったが、あの様式の流行は、意外に長く続いたらしい。

 ブリューゲルは「陶製の花瓶に生けられた小さな花束」。
 40種を超す植物と、10種あまりの虫などが、別パネルですべて名指しされていたのがすごい。こんなことを調べている人も、世の中にはいるのか。

 鳥獣画をよくすることで知られるオランダ出身の画家サーフェリーの絵が13点もあった。
 さすがルドルフ2世に宮廷画家として仕えていただけのことはある。
 王宮に飼われていた鳥や動物の剝製をデッサンし、絵に生かしたこともあったらしい。
 かつて星座の物語を書いた本のなかで図版が掲載されていた、「動物に音楽を奏でるオルフェウス」も彼の作品だと知った(プラハ国立美術館の所蔵品だ)。
 この絵は、ギリシャ神話に材を得ている。オルフェウスは竪琴の名手であり、あまりの音色の美しさに、動物や鳥もうっとりと聞きほれていたという。
 文章だとそうでもないが、この光景を実際に絵にすると、
「そんなことあるわけないやん」
とツッコミを入れたくなってしまうのは筆者だけだろうか。しかも、どの動物や鳥もつがいになっている。ノアの箱舟の神話が影響しているのだろう。
 それにしても、さして大きくない画面に実にこまごまと鳥や獣を描き込んでいる。その技倆には感服せざるを得ない。


 いま星座の話を書いたが、幼いころにその手の話が好きだった筆者としては、ガリレイの『天文対話』の本や、各種の天球図など、天文関係の古書籍や古い図版が多いのがうれしかった。
 16世紀の星座早見盤アストロラーペもあったが、オオグマやケフェウスなどの星座の金属板を何重にも組み合わせて、ご苦労さまなことである。20世紀以降の人間なら、星とおもな星座の並びだけを図にして、星座早見盤を作るであろう。けっして、天馬や巨大ウミヘビをリアルな形状の金属板にして星座早見に搭載したり、天球儀に貼り付けようなどとは考えまい。
 そのあたりも、当時と現代では、「知のあり方」が根本的に変わってきているとしか言いようがない。
 

 イッカクの牙や天球儀を並べた「驚異の部屋」のコーナーは、後のミュージアム(博物館、美術館)の先祖をほうふつとさせ、興味深いのだが、ここでは詳述しないことにする。


 というわけで、絵画メインで見てもそれなりに楽しく、当時の「知」のあり方などを考えるきっかけにもなるという、なかなか珍しいタイプの展覧会であった。



2018年1月6日(土)~3月11日(日)午前10時~午後6時(金、土曜は~午後9時)。1月16日と2月13日のみ休み
Bunkamura ザ・ミュージアム (東京都渋谷区道玄坂2-24-1)




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東京2017-3(2)

2017年05月16日 01時00分00秒 | 道外で見た展覧会
承前)

 2017年5月11日。
 朝6時に家を出て、6時13分に新千歳空港行きの北都バスに乗車。
(自宅から札幌駅までが遠いので最近は快速エアポートはほとんど利用しません)

 空港に着いて搭乗手続きをした後、空港内のローソンで美術展のチケットをあらかじめ買いました。

 8時発のエア・ドゥ機で羽田へ。

 機内でジャガバタースープとパンのサービス。
 自宅で朝食は取ってきたのですが、まさかこれが事実上の昼食になるとは…。

 羽田に着いたら小雨、気温は16度。
 北海道とあまり変わりません。

 めずらしく、京浜急行ではなく、モノレールと山手線で上野へ。
 上野で降りて、これまたいつものように公園の中を突っ切って、東京都美術館へ向かいました。

 ブリューゲルの「バベルの塔」展は、窓口でほとんど並ぶことなく券を買うことができ、入場もスムーズでした。
 展覧会の内容はくわしくは別項にゆずります。
 会場の出口と、ミュージアムショップで、お土産用のクリアファイルなどを買いました。「荷物になるよなあ」とも思いましたが、これが結果的に大成功。
 というのは、国立新美術館のショップがえらい混雑だったのです。草間彌生のマスコットなどを買いたかったのですが、レジの前の長蛇の列を見て、あきらめざるを得ませんでした。


 都美術館にほど近い東京藝大で「バベルの塔」関連の展示をしていたのは、知っていましたが、今後の日程を考慮して断念しました。そして、上野駅の「パンダ橋」を渡って、地下鉄日比谷線で六本木に向かいました。

(この項続く) 
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2017年5月10日は4カ所 東京2017-3(1)

2017年05月13日 20時59分32秒 | 道外で見た展覧会
 前回4月の東京行きは、あまりにも下調べに慎重さを欠き、国立新美術館の休館日が火曜日だということを知らずに計画を立てていました。

 今回のとんぼ返り日帰り東京ツアーは、前回見ることができなかった同美術館の「草間彌生」と「ミュシャ スラヴ叙事詩」、それに東京都美術館の「ブリューゲル『バベルの塔』展」の三つが大きな目的でした。

 1カ月前の反省から、新聞で天気予報をチェックし、折りたたみ傘を持参しました。靴も、雨でも平気なものを履きました。
 また、チケット売り場の混雑が予想される国立新美術館の両展覧会は、新千歳空港のローソンチケットであらかじめ購入。上野までのモノレール・JR電車のきっぷも買いました。
(じつは、二つの展覧会の共通チケットを買えばさらに安くすんだのですが…)

 詳しくは追って書くことにして、この日見たのは―

・ブリューゲル「バベルの塔」展

→(地下鉄日比谷線で上野から六本木へ)

・国立新美術館で草間彌生展(22日まで)、ミュシャ展(6月5日まで)。
 国展(15日まで)をちょっとだけ

→(同線で六本木から銀座へ)

・銀座の奥野ビルのギャラリーカメリアで久野志乃展(14日まで)

→(地下鉄丸ノ内線と千代田線を乗り継いで明治神宮前へ)

・原宿のVACANTで、小泉明朗「帝国は今日も歌う」(11日で終了)


 どれも見応えがあり、わざわざ出かけて良かったです。

 あらかじめ書いておくとすれば

「バベルの塔」展とミュシャは、単眼鏡もしくはオペラグラスがあった方が絶対良い!

ということ。
 「バベルの塔」は、想像をはるかに超える小さな絵でした。人物の大きさが1、2ミリなので、大きな絵だとばかり思っていたのです。
 近くに、3倍に拡大した複製が展示されていましたが、これでも人物が小さすぎ、最前列でようやく判別できるほどでした。
 ブリューゲルの版画も相当数出ていますが、いずれも細かい絵です。

 またミュシャの「スラヴ叙事詩」は巨大すぎる絵なので、上のほうは近づいて見ることが物理的に不可能です。

 草間、ミュシャとも、券を買うのに行列ができていました。チケットのデザインにこだわりのない人は事前にコンビニで買っておくと時間が節約できます。朝イチは混みますが、最初にグッズ売り場に行くのも手かもしれません。時間帯によっては何十分もレジに並ぶようです。


(この項続く) 
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東京2017-2(11) まとめ

2017年05月09日 23時03分30秒 | 道外で見た展覧会
(承前。冒頭画像は、東京駅の構内)

 「蛍の光」が流れる Bunkamura ザ・ミュージアムを午後7時ちょっと前に出て、まっすぐ渋谷駅へ向かいました。
 スクランブル交叉点で写真を撮る時間もなく、山手線と京浜急行を乗り継ぎ羽田空港へ。
 その足で搭乗手続きを行い、「空弁」を買って、機内に乗り込みました。

 以上で、2017年4月11日に日帰りで上京した話の記録を終わります。
 最近、遠出しては、途中でブログ更新を放棄しているケースがあまりに多いので、全日程を書き終えることができて、ホッとしています。

 「東京2017-2」シリーズの、それぞれの記事へのリンクを貼っておきます。

(1) 多い反省点
(2) 葉山へ

(3)■コレクション展 躍動する個性―大正の新しさ
(4)■砂澤ビッキ展 木魂(こだま)を彫る (4月8日~6月18日、神奈川県)

(5)■蓬春モダニズムとその展開―創造と変革―
(6) 山口蓬春記念館

(7) 桜はあまり見られなかった

(8) ■パロディ、二重の声
(9) パロディ、二重の声を見て、イラストレーターの生きる道を考えた

(10) ■これぞ暁斎! ゴールドマン コレクション


 なお、このとき、国立新美術館で見ることができなかった草間彌生展とミュシャ「スラブ叙事詩」展については、すみやかにリベンジ上京を敢行します。

(この項、了) 
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