北海道美術ネット別館

美術、書道、写真などの展覧会情報や紹介。毎日更新しています。2013年7月末、北見から札幌に帰還。コメントはお気軽に。

■特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」=東京'18(イ)ー16

2018年03月09日 20時51分00秒 | 道外で見た展覧会
承前)

 2月15日以来、約4週間ぶりに「東京'18(イ)」の項の続き。

 図録を熟読して仏像などについてくわしく記すつもりでいたが、そんなことをしようとすると、例によっていつまでたっても先に進まないので、とりあえず概略のみ。

 筆者は北海道に住んでいることもあって、国宝や重要文化財を鑑賞する機会は、それほど多くない。
 上京した折に展覧会などに足を運び、何点か目にする―というのが一般的なパターンだ。
 この展覧会で会場に並んでいる国宝や重要文化財の数はすごい。日本美術の常で会期中の展示替えがあるため(油絵などに比べて傷みやすいものが多い)、行ったら何点見られるかを単純に言うことはできないのだが、公式の特設サイトには、国宝24点、重文74点がリストアップされている。

 これは要するに

これまで何十年かで見た国宝・重文の合計よりも、この日、半日間で見た国宝・重文の数の方が多い
ということなのだ。

 北海道民としては、国宝・重文は1点でもあったらありがたや~、というのが正直な思いだが、それが大量に陳列されているのだから、もう大変である。

 仏像でも、9世紀や10世紀のものがふつうに並んでいる。
 そのうち感覚が麻痺してきて、江戸期の絵や資料を見ても
「なんだ、新しいな」
ぐらいにしか思えなくなってくる(笑)。


 画像はいずれも、僧侶の修行道場のため通常非公開の仁和寺観音堂内部を、博物館内に再現したもの。
 ここだけが撮影可となっているので、世の中のブログなどにはここの一角の写真がアップされている。

 仁和寺にん な じは「徒然草」に登場し、中学高校の古文の教材としてよく用いられるので、名前は聞いたことがあるが、訪れたことはなかった。これほど皇室とのかかわりが深い寺院だとは知らなかった。
 そのため、貴重な仏像や資料が数多く残っているのだろう。

 筆者がいちばん感動したのは仏像類でも曼荼羅でもなくて、空海ゆかりの国宝「三十帖冊子」だった。
 全巻の公開は会期中わずか2週間だったが、ちょうどその期間だったのだ。

 これは仏教を学ぶため唐に留学した空海が、仏典を持ち帰ろうと、書き写した冊子。大きさとしては「月刊民芸」「はこだて 街」など、横長の小冊子に近い。学僧たちの筆にまじって、空海の直筆の部分もある。
 まず、1200年前の文字が現在まであせずに残っていることがすごい。
 しかも書の神様とでもいうべき弘法大師の真筆である。
 唐に赴くこと自体、今なら宇宙旅行に行くような覚悟が必要な大事業であったろう。
 いまと違って、テレビやネットはもちろん、印刷物はほとんどない。命がけで遠国に旅し、ようやくのことで見ることができた仏典だ。さらに、現代とは比べものにならないほど紙も貴重品である。小さな文字を紙の端っこまでびっしり書かなくてはならない。修正液もないから、書き損じもうっかりできない。
 空海たちがどういう思いを抱きながら必死で筆を動かしていたのだろうーと考えると、胸が熱くなってくるのだ。



 じつは、この日に何を見るかについては、けっこう迷った。
 千葉の山口晃展も候補のひとつだったし、府中市美術館の「絵画の現在」展や、21_21 DESIGN SIGHTの「野生展:飼いならされない感覚と思考」には北海道ゆかりの作家も出品していたから、本来なら見に行くべきであったと思う。
 ただ、めったに目にする機会のない秘仏を数多く含むこの展覧会は、まさに空前絶後といっていい規模と内容だろうから、やはり、足を運んで正解だったろう。

 まだ会期が始まったばかりで、比較的客が少なかったのも幸いだった。


 このあと、トーハクの所蔵品についていくつかの記事が続く予定。


2018年1月16日(火)~3月11日(日)
東京国立博物館 平成館(上野公園)

□特設サイト ninnaji2018.com/





(この項続く) 
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■渡邊耕一展 Moving Plants (2018年1月13日~3月25日、銀座)=東京'18-イ(10)

2018年02月08日 13時36分50秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 道内ではあまり見る機会がないが、近年世界的に現代アートの手法として広く普及しているものに
「リサーチ型」
がある。
 筆者はこのタイプの展覧会を見るといつも、夏・冬休みの自由研究を思い出す。決してばかにしているのではなく、写真や映像、パネルを使って特定の問題を調べ、現地に足を運び、人に話を聞いていくそのプロセスが、自由研究に似ていると思うのだ。
 子どもの自由研究が、本や(近年はインターネット)で調べ、1人か2人に聞いたことを模造紙やノートにまとめたものであるのに対し、大人の「リサーチ型」は、写真や映像を投影したり、資料を借りてきたりして、相当に本格的なのである。

 さて、この渡邊耕一さんの個展「Moving Plants」も、見た目はイタドリという多年草をテーマにした写真展なのだが、いわゆるネイチャーフォトとはぜんぜん違う。
 日本にある草が、どうやって欧洲に渡り、かの地で迷惑がられるまでにはびこったのかを、実際に欧米に渡って調査した労作なのだ。
 このテーマに着目したのが、渡邊さんが北海道を訪れたときだという。

 筆者は、イタドリが英国などで急速に勢力を広げて迷惑がられていることを朝日新聞の科学面かなにかで読んで知っていたが、日本で見つけて欧洲にもたらしたのはあのシーボルトであり、欧米の園芸業者が「お庭にどうですか?」と積極的に普及を図っていたことをこの個展で初めて知った。
 会場にはシーボルトの本や100年以上前の園芸雑誌まで置いてあるのだ。
 なんだ、日本人悪くないじゃん。

 それにしても、ニューヨークの郊外やオランダの線路沿い、東欧の野原など、イタドリはいたるところに生えているようである。

 ただひとつ心配になったのは、筆者は北海道人なので、イタドリはとても身近な草であるのだが、東京の人には、それがどこまで伝わったのだろうかということ。
 フキ、クマザサとならんで
無駄に大きくなる三大バカ植物
のひとつで、このブログでも、こことか、ここに画像が載せてある。
 草なので、春先には影も形もないが、5月以降にどんどん伸び、夏には人の背丈を追い越すほどになるが、9月には立ち枯れてまるで野火の跡のような姿をさらすのである。

 植物は本来は移動しない。
 しかし、人間が移動すると、それにつれて世界へ広がっていくのだ。イタドリの移動も、人間の歴史を反映している。


2018年1月13日(土)~3月25日(日)午前11時~午後7時(日祝~午後6時)、月曜休み
資生堂ギャラリー(中央区銀座8-3-3 東京銀座資生堂ビル地下 www.shiseidogroup.jp/gallery )




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■伊藤隆道「銀座採光」=東京'18-イ(9) 東麻布から銀座へ

2018年02月07日 17時21分00秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 いちばん見たかった個展の会場を、満足しつつ後にして、東麻布の街中を抜ける。

 どこかで目にしたことのある店が何軒かあるなあ―と思っていたら、どうやら「アド街ック天国」で流れていたようだ。
 全国的な名所ならいざ知らず、非常にローカルな店などが全国に流れてそれを自分が知っているのもなんだかおかしな気がする。あの番組でとりあげるのは東京がほとんどなので、景勝地などがほとんどないのも、道民からすると不思議。

 それはさておき、帰りは、最寄り駅の都営大江戸線・赤羽橋駅を利用する。

 赤羽橋駅の次の大門駅で、都営浅草線に乗り換えて、東銀座を目指す。


 ところで、大門から乗った浅草線は
「エアポート特快」
と呼ばれる系統で、なんと東銀座などは通過するのである。
 筆者は
「東西線や都営新宿線の郊外部分は別にして、地下鉄は各駅に停車するものだ」
という固定観念があったので、正直なところびっくりした。

 新橋で降りて、次の各駅停車を待ったのだが、よく考えてみたら、次の目的地である資生堂ギャラリーは銀座7丁目なのだから、新橋で降りて歩けば良かったのだ。
 やはり、夕方になり、疲れて判断力が鈍っていたようだ。

 しかも、駅を降りたが、方角がまるでわからない。
 銀座シックスの通路を経由して地上に出る。この通路のデザインは美しいけど、釣り天井になっているので、メンテナンスを怠ると、いつか事故が起きるかもしれないと思う。
 

 ギャラリーのビルのショーウインドウを見て、心がひかれた。
 シンプルで、美しい。

 近づいてみると、札幌出身で、あの「ホワイトイルミネーション」のスタートにあたって貢献した伊藤隆道さんの作品ではないか!
 全くノーマークだった。
 道立近代美術館の前でぐるぐる回っている金属の彫刻で知っている人も多いだろう。

 伊藤さんはかなり以前から資生堂のディスプレイなどを手がけているらしい。
 日本でいちばん華やかな街・銀座にふさわしい、きらびやかさがある。

 ただし、近くのもうひとつのビルでも展示していることは、札幌に戻ってインターネットで調べるまで知らなかった。もったいないことをしたと思う。


資生堂銀座ビル:2017年12月18日(月)~2018年3月16日(金)/
資生堂パーラービル:2017年12月26日(火)~2018年3月31日(土)


https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001025.000005794.html

 関連記事へのリンク
伊藤隆道「北・光の軌跡」 (オホーツク管内小清水町)
伊藤隆道「よろこび・愛」
伊藤隆道「北の空、香る」
伊藤隆道「ひらく花」
「空・ひと・線」
伊藤隆道「廻る3本・ひかり」
伊藤隆道「そよぐ春」

伊藤隆道展(06年、道立近代美術館)





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■川田喜久治写真展 ロス・カプリチョスーインスタグラフィー2017-(2018年1月12日~3月3日、赤羽橋)=東京'18-イ(8)

2018年02月06日 08時59分20秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 川田喜久治さんは1933年(昭和8年)生まれの写真家。
 エージェンシーVIVOを、奈良原一高、東松照明、細江英公氏らとともに発足させた(1959~61)、日本の戦後写真界を代表する一人である。
 第12回東川賞を受賞している。
 筆者は2009年、今回足を運んだPGIのギャラリーがまだ湾岸の芝浦にあったころに彼の個展を見て、驚嘆した。なので、今回の上京にあたって、いちばんはじめに見ることを決めたのは、実はこの個展なのである。

 写真集もほしいのだが、代表作である『地図』は、復刊されたものの、5万円(税別)なのでちょっと手が出ない(PGIは、ギャラリーのほか店舗も併設していて、これらの写真集も置いてあった)。
 東松照明や森山大道は多くの人に巨匠として知られているが、川田喜久治の認知度はまだ足りないのではないかと思う。多くの人に見てもらいたい個展だ。

 さて、この個展について、PGIのサイトから引用します。

「ロス・カプリチョス」は、1972 年に『カメラ毎日』で連載したのを皮切りに写真雑誌で散発的に発表され、1986 年にはフォト・ギャラリー・インターナショナル(現PGI)で個展を開催しましたが、その後1998 年に「ラスト・コスモロジー」、「カー・マニアック」と共に、カタストロフ三部作の一つとして写真集『世界劇場』にまとめられただけで、「ロス・カプリチョス」として一つの形にまとめられたことはありませんでした。

本展「ロス・カプリチョス –インスタグラフィ– 2017」は、1960 年代から1980 年代初めまでに撮影された中から、未発表作品を含め新たに New Edition として再構成し、更に近年2016 – 2017 年に撮影した作品を『続編』として編んだものです。


 「ロス・カプリチョス」がスペインの大画家ゴヤの版画集で、人間の愚かしさを寓意や幻想を織り交ぜて表現した、「戦争の惨禍」と並ぶすごい版画集であることは、読者の皆さんもご存じだと思う。

 川田の写真自体は、夢魔が出てきたり、魔女がほうきにまたがって空を飛んだりといった表現が出てくるわけではないし、あからさまに風刺的であるわけではない。
 また、副題に「インスタグラフィー」とあるが、画面が正方形になっているわけでもない。
 1959年の「Pink room(茨城)」から、昨年に東京の街角で撮ったものまで、雑多なイメージがスナップ的な手法で、平面インスタレーションのように陳列されている。ちなみに、59年の写真はカラーで、ピンク色の室内の花をとらえたもの。モノクロでは、60年に東大で撮った「The Embryo by accident」が最も古い(ホルマリン漬けの畸形の胎児を写している)。数えたら全部で89枚だった。

 誰が見ても社会風刺に見えるイメージではないのだが、見ているうちにじわじわくる作品が多い。
 ギャラリーのサイトでもメインビジュアルとして採用されている、暑さのために溶融してゆがむアスファルトの矢印や、住宅地の中で所在なさげに立つゴジラの模型、アポロ計画で月面に立つ宇宙飛行士を描いた壁画の下で座り込んで行列をつくって何かを待っている家族連れ(The Space Square 78年、東京―とある)…。
 「Jumbo jet 1978、東京」という作品は、銀色に輝く飛行機の風船が公園らしい緑地に落ちている光景。何でもない風景なのに、現実の飛行機事故などを連想させずにはおかない。
 「Black Rain」は、塗料がいくつかの筋になって流れ落ちているような模様を撮っているが、撮影地が「Hiroshima」となっていることで、見る人の意識を被爆地へと連れ去る。

 筆者がいちばんどきっとしたのは、茨城で75年に撮影された「Car Wash」。
 自動車が洗車場に入っていく場面のスナップなのだが、洗車場の入り口にのれんのようにつり下げられている赤い垂れ幕がちぎれていて、まるで摩天楼が炎上しているように見えたのだ。

 川田喜久治は言葉であからさまに語るわけではない。しかし、先の戦争に対し、米国に対し、日本社会に対し、<何か>を言いたがっていることは、ひりひりとした感覚を伴って、伝わってくる。
 彼の写真は、なにげないスナップであるにもかかわらず、プリントされたものと向き合うことがすなわち戦後という時代に向き合うことに直結するような、そんな写真なのだと思う。


2018年1月12日(金)~3月3日(土)午前11時~午後7時(土曜~午後6時)、日曜祝日休み
PGI PHOTO GALLERY INTERNATIONAL(港区東麻布2-3-4 TKBビル3階)




関連記事へのリンク
2009年5月13-15日 ポンカメ購入
川田喜久治写真集
川田喜久治作品展「遠い場所の記憶:メモワール1951-1966」 09年東京(11)


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■戦前の出版検閲を語る資料展「浮かび上がる検閲の実態」(2018年1月10日〜2月3日、神田小川町)=東京'18-イ(6)

2018年02月01日 21時34分26秒 | 道外で見た展覧会
承前)

 用事で神田小川町近辺に行ったあと、また少し時間ができた。

 せっかくなので、ツイッターでときどき会話している「Shirosan001」さんからおすすめされていた、古書会館での「浮かび上がる検閲の実態」展をのぞいてみることにした。
 美術展ではないが、冒頭画像にあるような美術関連書も展示されていた。


 筆者は以前『検閲と文学 1920年代の攻防』を読んだことがあり、この分野の基礎知識はあるつもりだったが、新たに知り得たことも多かった。
 左の画像は、検閲にひっかかった新聞をすばやく押収するために、配布ルートを当局が把握していたことなどを示したパネル。

 ところで、戦前の検閲の標的といえば、まず左翼関係の書物という印象があったが、「風俗壊乱」もターゲットになっていたようだ。
 安田徳太郎は、ドイツでベストセラーになったシュトラッツ著『女性美の研究』という本を翻訳してアルス社から出版しようとしたところ、検閲官が註文をつけ、やむなく図版の多くを削除せざるをえなかったという。
 今回、そのことを後書きで不満を漏らしているページが、開かれていた。
 安田は医師で、戦後はフックスの大著『風俗の歴史』(全9冊、角川文庫)の翻訳など、手がけた本は多い。戦前から左翼シンパであったが、自らは左翼ではないと言い、検閲にひっかかりそうなところで筆を納めてしまう巧みさで発禁をまぬかれていた-というくだりをパネルで読んで、少し笑ってしまった。


 あと、左翼だけではなく、右派の本にも検閲官は目を光らせていたようだ。
 というのは、右翼なので、皇室をめぐる記述などがたくさん出てくるのだが、その用語が誤っていたりすると、畏れ多いということになるのである。

 神田は世界最大級の古書のマチであるだけに、戦時中の古書の流通統制についても説明パネルがあった。
 お上は、高値の稀覯本を取り締まり、古書価格を下げたがっていたようだが、そんなことがうまくいくはずがないのであった。

 ともあれ、日本を含む世界各国で政府の強権的な姿勢が目立つ昨今、戦前とおなじような検閲制度が復活することはなくても、インターネットなどで、安全保障や機密保持を掲げた統制が強まる可能性もないとはいえず、その意味ではタイムリーな展示だったと思う。
 

2018年1月10日(水)〜2月3日(土)
東京古書会館2階(千代田区神田小川町3-22)




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■藤本由紀夫「STARS」 (2017年12月2日~18年2月3日、六本木)=東京'18-イ(5)

2018年02月01日 12時07分26秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 六本木でもう2カ所、Shugo Arts(シュウゴアーツ)と小山登美夫ギャラリーに立ち寄った。いずれも、おなじ「complex666」ビルの中にあり、前項で立ち寄った「ピラミドビル」や、地下鉄の六本木駅に近い。
 なかなかしゃれた建物だが、先のWAKO WORKS OF ART といい、このビルといい、若いアート好きが引きも切らず訪れているので、それほど気後れすることなく入ることができる。

 これが札幌だったら、土曜でも、現代アートのギャラリーには自分のほかにあまり客はいないだろうし、いたとしてもかなりの確率で自分の知り合いだったりするんだろうな~などと思う。
 そういえば筆者はかつて東京に住んでいたころ、国立フィルムセンターやアテネフランセ文化センターの自主映画上映会などにずいぶん足を運んだものだが、そこで行列をいっしょにつくっていた人たちとは、ついに知り合いになることがなかったな、などと思い出す。

 それはさておき、藤本由紀夫さんの個展。
 藤本さんは1950年、名古屋生まれ。音を使った現代アートの作品を数多く発表している。
 道内では2011年にギャラリー門馬でのグループ展に出品したことがある。

 今回は高さ185センチぐらいの縦長の木の箱を18個、壁際に、間隔をあけて並べている。
 いずれも同じ外観をで、外側を黒く、内側は落ち着いた緑色に塗り、縦に三つ小さなねじが取り付けてある。
 来場者がねじを回すと、中に仕込んであるオルゴールが鳴る。奏でるのはひとつの音なので、まるで「音楽」と呼べるものではないのだが、会場内のあちこちから音が聞こえてくると、人間とはふしぎなもので、ばらばらの音に連なりを聞き取ってしまうのである。

 ギャラリーの若く美しい女性が、オルゴールの音はもともと、上から「G線上のアリア」「ムーン・リバー」「マイ・フェイバリット・シングス」の旋律だと教えてくれた。
 しかし、そもそも、それぞれのオルゴールからは単音しか出ないので、それらの曲が聞こえるわけもないのだ。


 「STARS」は星座の意味をこめて付けたタイトルだという。
 星座も、ばらばらに点在している星々を、地上の人間がかってに結んでつなげたものだ。
 人間はいろいろなところに、つながりや意味を見いだしてしまう存在なのかもしれない。

 そんなことを考えさせる、シンプルで美しい個展だった。


 なお、同じ建物の隣室にある小山登美夫ギャラリーは桑久保徹展。
 巨大な風景画の画面の中に、スーラの代表作がイーゼルなどに置かれて点在している絵など、楽しいパロディー(というか、引用の)絵画。
 フェルメールやゴッホ、ピカソのバージョンもあり、ピカソのは、「ゲルニカ」にあわせてモノクロームに仕上げていた。

 ここで所用のため、いったん半蔵門に戻った。


2017年12月2日(土)~18年2月3日(土)午前11時~午後7時、日月曜・祝日休み
Shugo Arts (港区六本木6-5-24 complex665 3階 http://shugoarts.com/




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■ゲルハルト・リヒター “Paiting Works 1992 - 2017” (2017年12月16日~18年1月31日、六本木)=東京'18-イ(4)

2018年01月31日 11時11分11秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 渋谷を出て、メトロの半蔵門線と都営地下鉄大江戸線を乗り継いで、六本木へ。

 リヒターは1932年生まれ、ドイツの画家。
 画廊は手前の大きな部屋と奥の小さな部屋からなっており、手前に「abstract paiting」の新作(世界初公開作を含むという)が、奥には1992年からの旧作が展示されている。
 遠くから見ると一見風景写真に思われる作品などがあり、この画家が「写真がある時代にあえて絵を描くとはどういうことか」といった根源的な疑問を念頭に置きながら制作してきたことが、つたわってくる。

 手前の部屋の「抽象絵画」は「947-3」「950-2」「943-2」「945-2」などと副題がついている。
 カラーフィールドペインティングでも、カンディンスキー流にバイオモーフィックな形態が浮遊する画面でもなく、黄緑や白、ピンクなどさまざまな色が激しく混ざり合っている。
 おそらく、塗った色がよく乾かないうちに、ローラーで新たな絵の具を重ねた結果、多くの色が混じり合い、重なり合ったのだろう。ただし、場所によっては、下の層とあまり混ざっていないところもある。ローラーは画面の4辺に平行、あるいは垂直に走っているが、時折斜めにも転がされている。
 絵の具のレイヤー(層)を確認しているうち、あれっ? と思ってしまうことがあるのは、同じ絵の具の層が、画面の位置によって下の方にあったり、上の方にあったりするからのようだ。
 ポロックやフランケンサーラーなどとはまた異なる、肉体の動きのあとを取り入れた独自の抽象画が、展開されていたのだ。


2017年12月16日(土)~18年1月31日(水)午前11時~午後7時、日月曜・祝日休み
WAKO WORKS OF ART(東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル3階 www.wako-art.jp/




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■神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の驚異の世界展 (2018年1月6日~3月11日、渋谷)=東京'18-イ(3)

2018年01月31日 00時01分00秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 昨年話題になったアルチンボルドの、果物を集めて人の顔に見立てた絵が、フライヤーなどのメインビジュアルに使われているけれど、展示されているのは美術品だけではない。1576年から1612年(日本で言えば安土桃山時代から江戸時代初期)に神聖ローマ帝国に君臨した皇帝が集めた天文学や錬金術などの書籍、珍しい動物剝製はくせい、精巧な器械などをも含めて幅広く紹介した展覧会だ。ちなみに、冒頭の画像は、アルチンボルドの絵に基づき、現代美術家のフィリップ・ハースという人が作った立体が出口附近に展示され、そのコーナーだけが写真撮影可だったので、ここに掲げたというだけで、深い意味はない。
 たとえば<天球儀>と<イッカクの牙>と<錬金術の本>と<花の絵画>を同じスタンスで一緒に蒐集しゅうしゅうするのは、現代から見ればかなり奇妙なことに思われるだろうが、科学的なものも非科学的なものも混在していると感じるのはあくまで現代の科学の水準が前提とされているのであって、大航海時代の進展にともなって新奇な文物が欧洲に集まってくる当時にあっては、おそらく新奇さという観点から、少なくともルドルフ2世にとってはおなじようにカテゴライズされていたのだろう。
 あるいは、近代とはまったく異なる分類のありかたや認識のしかた、あるいは世界観を「エピステーメー」と呼ぶべきなのかもしれない。


 しかし、当時の「知」の枠組みを総体的に語るのは、筆者の手に余るので、気のついたことをばらばらに記しておきたい。
 まず、この展覧会全体が、どことなく
「プラハ目線」
で語られていることに気づく。
 ルドルフ2世はハプスブルク家の出だが、自らはウィーンからプラハに城を移し、そこでコレクションに励んだのだった。
 後にスウェーデンのグスタフ・アドルフ王が欧洲大陸の三十年戦争に介入した際、コレクションの数々を持ち去ったことから、同国のスコークロステル城の所蔵品も多く出品されている。

 王室が置かれたことはプラハの発展を支えたが、欧洲の政治や、イスラム勢力との対決といった課題から逃げるための遷都であったといえなくもないようだ。
 三十年戦争の後、ハプスブルク王朝はウィーンに戻ってしまうため、プラハは繁栄から取り残されてしまう。


 美術品について。
 アルチンボルドとブリューゲル(父)の作品が1点ずつ。
 アルチンボルドは1点だが、彼の追随者による、似たような絵があった。
 あんなアホな絵を描く画家がほかにいるとは思わなかったが、あの様式の流行は、意外に長く続いたらしい。

 ブリューゲルは「陶製の花瓶に生けられた小さな花束」。
 40種を超す植物と、10種あまりの虫などが、別パネルですべて名指しされていたのがすごい。こんなことを調べている人も、世の中にはいるのか。

 鳥獣画をよくすることで知られるオランダ出身の画家サーフェリーの絵が13点もあった。
 さすがルドルフ2世に宮廷画家として仕えていただけのことはある。
 王宮に飼われていた鳥や動物の剝製をデッサンし、絵に生かしたこともあったらしい。
 かつて星座の物語を書いた本のなかで図版が掲載されていた、「動物に音楽を奏でるオルフェウス」も彼の作品だと知った(プラハ国立美術館の所蔵品だ)。
 この絵は、ギリシャ神話に材を得ている。オルフェウスは竪琴の名手であり、あまりの音色の美しさに、動物や鳥もうっとりと聞きほれていたという。
 文章だとそうでもないが、この光景を実際に絵にすると、
「そんなことあるわけないやん」
とツッコミを入れたくなってしまうのは筆者だけだろうか。しかも、どの動物や鳥もつがいになっている。ノアの箱舟の神話が影響しているのだろう。
 それにしても、さして大きくない画面に実にこまごまと鳥や獣を描き込んでいる。その技倆には感服せざるを得ない。


 いま星座の話を書いたが、幼いころにその手の話が好きだった筆者としては、ガリレイの『天文対話』の本や、各種の天球図など、天文関係の古書籍や古い図版が多いのがうれしかった。
 16世紀の星座早見盤アストロラーペもあったが、オオグマやケフェウスなどの星座の金属板を何重にも組み合わせて、ご苦労さまなことである。20世紀以降の人間なら、星とおもな星座の並びだけを図にして、星座早見盤を作るであろう。けっして、天馬や巨大ウミヘビをリアルな形状の金属板にして星座早見に搭載したり、天球儀に貼り付けようなどとは考えまい。
 そのあたりも、当時と現代では、「知のあり方」が根本的に変わってきているとしか言いようがない。
 

 イッカクの牙や天球儀を並べた「驚異の部屋」のコーナーは、後のミュージアム(博物館、美術館)の先祖をほうふつとさせ、興味深いのだが、ここでは詳述しないことにする。


 というわけで、絵画メインで見てもそれなりに楽しく、当時の「知」のあり方などを考えるきっかけにもなるという、なかなか珍しいタイプの展覧会であった。



2018年1月6日(土)~3月11日(日)午前10時~午後6時(金、土曜は~午後9時)。1月16日と2月13日のみ休み
Bunkamura ザ・ミュージアム (東京都渋谷区道玄坂2-24-1)




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東京2017-3(2)

2017年05月16日 01時00分00秒 | 道外で見た展覧会
承前)

 2017年5月11日。
 朝6時に家を出て、6時13分に新千歳空港行きの北都バスに乗車。
(自宅から札幌駅までが遠いので最近は快速エアポートはほとんど利用しません)

 空港に着いて搭乗手続きをした後、空港内のローソンで美術展のチケットをあらかじめ買いました。

 8時発のエア・ドゥ機で羽田へ。

 機内でジャガバタースープとパンのサービス。
 自宅で朝食は取ってきたのですが、まさかこれが事実上の昼食になるとは…。

 羽田に着いたら小雨、気温は16度。
 北海道とあまり変わりません。

 めずらしく、京浜急行ではなく、モノレールと山手線で上野へ。
 上野で降りて、これまたいつものように公園の中を突っ切って、東京都美術館へ向かいました。

 ブリューゲルの「バベルの塔」展は、窓口でほとんど並ぶことなく券を買うことができ、入場もスムーズでした。
 展覧会の内容はくわしくは別項にゆずります。
 会場の出口と、ミュージアムショップで、お土産用のクリアファイルなどを買いました。「荷物になるよなあ」とも思いましたが、これが結果的に大成功。
 というのは、国立新美術館のショップがえらい混雑だったのです。草間彌生のマスコットなどを買いたかったのですが、レジの前の長蛇の列を見て、あきらめざるを得ませんでした。


 都美術館にほど近い東京藝大で「バベルの塔」関連の展示をしていたのは、知っていましたが、今後の日程を考慮して断念しました。そして、上野駅の「パンダ橋」を渡って、地下鉄日比谷線で六本木に向かいました。

(この項続く) 
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2017年5月10日は4カ所 東京2017-3(1)

2017年05月13日 20時59分32秒 | 道外で見た展覧会
 前回4月の東京行きは、あまりにも下調べに慎重さを欠き、国立新美術館の休館日が火曜日だということを知らずに計画を立てていました。

 今回のとんぼ返り日帰り東京ツアーは、前回見ることができなかった同美術館の「草間彌生」と「ミュシャ スラヴ叙事詩」、それに東京都美術館の「ブリューゲル『バベルの塔』展」の三つが大きな目的でした。

 1カ月前の反省から、新聞で天気予報をチェックし、折りたたみ傘を持参しました。靴も、雨でも平気なものを履きました。
 また、チケット売り場の混雑が予想される国立新美術館の両展覧会は、新千歳空港のローソンチケットであらかじめ購入。上野までのモノレール・JR電車のきっぷも買いました。
(じつは、二つの展覧会の共通チケットを買えばさらに安くすんだのですが…)

 詳しくは追って書くことにして、この日見たのは―

・ブリューゲル「バベルの塔」展

→(地下鉄日比谷線で上野から六本木へ)

・国立新美術館で草間彌生展(22日まで)、ミュシャ展(6月5日まで)。
 国展(15日まで)をちょっとだけ

→(同線で六本木から銀座へ)

・銀座の奥野ビルのギャラリーカメリアで久野志乃展(14日まで)

→(地下鉄丸ノ内線と千代田線を乗り継いで明治神宮前へ)

・原宿のVACANTで、小泉明朗「帝国は今日も歌う」(11日で終了)


 どれも見応えがあり、わざわざ出かけて良かったです。

 あらかじめ書いておくとすれば

「バベルの塔」展とミュシャは、単眼鏡もしくはオペラグラスがあった方が絶対良い!

ということ。
 「バベルの塔」は、想像をはるかに超える小さな絵でした。人物の大きさが1、2ミリなので、大きな絵だとばかり思っていたのです。
 近くに、3倍に拡大した複製が展示されていましたが、これでも人物が小さすぎ、最前列でようやく判別できるほどでした。
 ブリューゲルの版画も相当数出ていますが、いずれも細かい絵です。

 またミュシャの「スラヴ叙事詩」は巨大すぎる絵なので、上のほうは近づいて見ることが物理的に不可能です。

 草間、ミュシャとも、券を買うのに行列ができていました。チケットのデザインにこだわりのない人は事前にコンビニで買っておくと時間が節約できます。朝イチは混みますが、最初にグッズ売り場に行くのも手かもしれません。時間帯によっては何十分もレジに並ぶようです。


(この項続く) 
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東京2017-2(11) まとめ

2017年05月09日 23時03分30秒 | 道外で見た展覧会
(承前。冒頭画像は、東京駅の構内)

 「蛍の光」が流れる Bunkamura ザ・ミュージアムを午後7時ちょっと前に出て、まっすぐ渋谷駅へ向かいました。
 スクランブル交叉点で写真を撮る時間もなく、山手線と京浜急行を乗り継ぎ羽田空港へ。
 その足で搭乗手続きを行い、「空弁」を買って、機内に乗り込みました。

 以上で、2017年4月11日に日帰りで上京した話の記録を終わります。
 最近、遠出しては、途中でブログ更新を放棄しているケースがあまりに多いので、全日程を書き終えることができて、ホッとしています。

 「東京2017-2」シリーズの、それぞれの記事へのリンクを貼っておきます。

(1) 多い反省点
(2) 葉山へ

(3)■コレクション展 躍動する個性―大正の新しさ
(4)■砂澤ビッキ展 木魂(こだま)を彫る (4月8日~6月18日、神奈川県)

(5)■蓬春モダニズムとその展開―創造と変革―
(6) 山口蓬春記念館

(7) 桜はあまり見られなかった

(8) ■パロディ、二重の声
(9) パロディ、二重の声を見て、イラストレーターの生きる道を考えた

(10) ■これぞ暁斎! ゴールドマン コレクション


 なお、このとき、国立新美術館で見ることができなかった草間彌生展とミュシャ「スラブ叙事詩」展については、すみやかにリベンジ上京を敢行します。

(この項、了) 
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これぞ暁斎! ゴールドマン コレクション 東京2017-2(10)

2017年05月09日 07時54分36秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 幕末から明治にかけて活躍した絵師、河鍋暁斎かわなべきょうさいの魅力にはまったのは、2002年、東京・原宿の太田記念美術館が開いた「初公開 イスラエル・ゴールドマンコレクション 河鍋暁斎展」でした。
 とりわけ「天竺渡来大評判 象の戯遊たわむれ」は、曲芸をしたり、らっぱを吹いたりする象の奇抜な絵がたくさん描かれており、いくら江戸っ子にとっては珍しい生き物だとしても「これはいくらなんでも無理だろう」と突っ込みを入れたくなる姿態に大笑いしたものです。今回、この作品に15年ぶりに再会することができただけでも、雨の渋谷の街路で道に迷いながらも展覧会に駆けつけた甲斐がありました。

 おもえば、2002年当時、筆者は恥ずかしながら暁斎のことをほとんど知りませんでした。
 これは、あながち筆者のせいだけともいえません。日本の美術史のなかで、江戸の浮世絵は安藤広重、小林清親らで幕を閉じるし、その一方で明治以降の近代は高橋由一あたりから記述が始まるのが通例でした。暁斎は、画家としてのキャリアのちょうど真ん中あたりに明治維新がくるために、双方の美術史から抜け落ちてしまっていたのではないでしょうか(実は、文学史では、この世代で取り上げるべき作家はほとんどいない)。
 さらに暁斎は、浮世絵師に弟子入りしていますが、狩野派の技法も身につけ、幽霊画も描けば錦絵も手がけるといった、ジャンルにこだわらない活動ぶりだったために、よけいに既存の美術史におさまりづらかったきらいがあると思います。
 02年に筆者が訪れた際の太田記念美術館はすいていました。

 しかし、1990年代なかばあたりから、暁斎の再評価はじわじわと進んでいたのです。
 これは、公益財団法人河鍋暁斎記念美術館のサイトの「他館での美術館」というページを見れば一目瞭然。94年から年間複数回の河鍋暁斎展が各地で開かれるようになってきます。
 2006年には岩波文庫から、当時のお雇い外国人で暁斎に弟子入りしたコンドルによる評伝「河鍋暁斎」が出るなど出版物が相次ぎ、08年に国立京都博物館で大規模な回顧展が開催されるなど、かなり知名度の高い存在になってきました。
 かつては「おまえら、河鍋暁斎を見ろ!」という気持ちだった筆者も、そこそこ観客の多く来ていた Bunkamura では「ああ、やっとここまで来たんだなあ」と、なんだか安らいだ気分になっていたのです。

 今回は、象のほか、烏の図のさまざまなバリエーション、カエルを主人公とした風刺画、踊るがいこつが印象的な「地獄太夫と一休」、山水図、寒山拾得、百鬼夜行、放屁合戦、羅漢、さらには春画など総計173点。
 京博のときよりもゴールドマンさんのコレクションは、笑える絵が多いようです。
 ナマズが長~いひげの先に手紙を結わえ付けて、ネコにはいっと渡したり、カエルの人力車の車輪がハスの葉になっていたり、見ていると口元が思わず緩みます。

 ともあれ、じゅうぶん満足しました。
 安らいだ気分というのは、たくさん見て満足という気持ちでもあったと思います。
 たっぷり鑑賞できたので、今後は本州でわざわざ見ることはないかもしれません。ただ、道内ではまったくといってよいほど展示がないので、一度は展覧会をやってもらいたいものです。


2017年2月23日(木)~4月16日(日)午前10時~午後7時、会期中無休
Bunkamura ザ・ミュージアム(東京都渋谷区道玄坂2-24-1)

次の会場に巡回
4月22日~6月4日、高知県立美術館
6月10日~7月23日、美術館「えき」KYOTO
7月29日~8月27日、石川県立美術館


関連記事へのリンク
絵画の冒険者 暁斎 近代に架ける橋 (2008、国立京都博物館)
河鍋暁斎展 (2002、太田記念美術館)

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パロディ、二重の声を見て、イラストレーターの生きる道を考えた 東京2017-2(9)

2017年05月07日 08時09分00秒 | 道外で見た展覧会
(承前) 更新間隔があいて、申し訳ありません。

 冒頭画像。
 木村恒久の「ニューヨークの晩鐘」で、1981年の作である。

 これを見たとき、ほんとうに驚いた。
 2001年の事態をまるで予見しているようではないか。

 すぐれた表現は予言になりうるのだと思った。


 前項でも触れたパロディー雑誌「ビックリハウス」。
 1974~85年に出ていたというが、実は雑誌好きの筆者としては珍しいことに、一度も買ったことがなく、個人的な思い入れはほとんどない。

 ただ、ひとつ書いておきたいのは、図録の萩原朔美インタビューでも話題に上っていたが、表紙を担当していたイラストレーターの存在感の大きさが、あらためて印象的なことだ。
 エアブラシの山口はるみをはじめ、湯村輝彦、原田治、ペーター佐藤といった面々は、いまも表紙を見れば「ああ、あの人」と思い出すぐらいの個性を感じさせる。

 雑誌は違うが、「ぴあ」の及川正通なんかもそうだろう。

 ひるがえって、いま、そういうイラストレーターがどれだけいるだろう。

 雑誌の表紙はほとんど写真になってしまい、イラストレーターが時代の顔になる要素は、はるかに少なくなってしまったように思う。

 札幌の貸しギャラリーでは、昨今も若いイラストレーター志望者がグループ展を開いているけれど、こういう時代の移り変わりをどう考えているのだろうか。
 あんまり考えていないようにも見えるのだが…。

 別に、1980年代のようなスターになれないからイラストレーターになっても意味がないなどと言っているわけではない。
 札幌でもさまざまな画風で活動しているイラストレーターは少なくない。
 ただ、どういう仕事をどういうフィールドでやっていきたいのか、ということは、すこし考えておいてもいいんじゃないかな。志望する前に。

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■パロディ、二重の声―東京2017-2(8)

2017年04月28日 10時44分00秒 | 道外で見た展覧会
(承前)

 ひと言で言うと、大変な「労作」。
 この企画力と資料博捜力を目の当たりにすると、道内美術館が企画している展覧会の多くとは、次元が違うとしか言いようがない。
 それぐらい、すごい。

 パロディーという、これまで展覧会としてはあまり取り上げられてこなかった主題で、絵画や陶芸、グラフィックデザインといったアートの範囲に収まりそうな作品はもちろん、各種雑誌や映像、漫画の生原稿、裁判記録まで集めまくり、展示しているのだ。
 とりわけ、1970年代のパロディー文化を語る際に欠かせない月刊誌「ビックリハウス」のバックナンバー全号が並んでいるのは、壮観を通り越してすでにヘンタイとしかいいようがない(あ、ほめ言葉です)。

 後半の部屋には、いすにすわって雑誌を自由に読めるコーナーがあり、筆者は「OUT」の一冊を手に取った。
 月刊OUT(アウト)は、この雑誌がなければ「アニメファン」「おたく」と呼ばれる趣味人が存在せず、現代に続く「アニパロ」の淵源となったという意味で、20世紀後半の日本文化でも超重要な雑誌である。巻末のほうに、ファンジンというか同人誌(ああ、この語の意味も、アニメブーム以後のコミケ時代になって、すっかり変わってしまったのだ)紹介のページがあり、発行元の住所と名前が記されているのを見て
「インターネットがなくても、人はこうして連絡を取り合っていたのだなあ」
と、妙な感慨にふけった(それにしても道内の人が多いなあ)。

 話がそれたついでに、この展覧会の射程から外れてしまうことをここで述べれば、元来日本文化はパロディーときわめて親和性が高いのではないか。
 「歌枕」にしても「見たて」にしても、もじる対象を多くの人が知っていることが前提となっている表現手段である。
 謡曲や歌舞伎を知らないとさっぱり分からない浮世絵が多いのは、ガンダムやエヴァについての知識が必要不可欠な現代のアニパロ・イラストとおなじ構造ではないかと思うのだ。


 この調子でもっと書きすすめたいけれど、とりあえず、会場の半分以上が撮影可だったので、どしどし紹介するのを優先しよう。

 冒頭画像は山縣旭(レオ・ヤマガタ)による「歴史上100人の巨匠が描くモナ・リザ」。
 いずれも近作なので、JPC展受賞者として特別出品の扱いだが、ベラスケス調のモナ・リザ、フェルメールのモナ・リザ、背景を眺めるモナ・リザなど、みごとなパロディーというよりは、パスティーシュ。


 手前は吉村益信「PigLib」。
 これを見ることができただけでも、展覧会に来たかいがあったものだ。

 写真がへたなので、いまひとつわかりにくいが、ブタの体の断面が精肉になっているというもの。
 この作を図版で初めて見たときには、大きな衝撃を受けたものだ。

(もっとも、筆者の知り合いに、羊が円筒形の動物だと思っていた人がいたからなあ。ジンギスカン肉からの連想なんだろうけど)

 奥の壁には(監視のおじさんも写真に写ってしまっているけど)、立石大河亞の絵などが掛かっている。
 以前も書いたことがあるが、この人ほど歿後もあちこちの展覧会に引っ張りだこの作家は珍しい。


 右側の「ニュートンの耳」の作者は、「オブジェ焼き」で戦後陶芸界にその名を残す八木一夫。
 この作品は、堀内正和、関根伸夫、三木富雄の作品のパロディーだという。
 関根の「大地―移相」は、「もの派」の開始を告げる重要な作品だが、発表後数年でこのような作が出てくるとは、関根のこの作が発表直後からすでに伝説的だったのか、あるいは八木の好奇心の射程が並みの陶芸家とは桁外れなのか(たぶん、どっちもだろう)。
 耳はもちろん三木から。
 リンゴが、戦後を代表するトリッキーな彫刻家、堀内の「エヴァからもらった大きなリンゴ」だという。


 左側は鈴木慶則「非在のタブロー 梱包されたオダリスク」。
 いうまでもなく、19世紀フランス絵画の巨匠アングルの「オダリスク」を下敷きにしている。
 作品の裏側に見える部分も、描いたものである。


 このレインボーカラーは、フルクサスにも参加した日本人アーティスト靉嘔あいおうのトレードマーク。
 左側の「レインボー北斎」は、浮世絵の春画のパロディーになっている。

 右側はの「グッドバイ・ムッシュー・ゴーギャン」は、ゴーギャンの代表作「われわれはどこからきたか、どこへ行くのか」の靉嘔的な変奏である。

 この部屋の奥では、横尾忠則の映像が流れたり、赤瀬川原平の作品が展示されていた。
 今回の展覧会で撮影不可は、この2人の作品に集中していた。
 とりわけ赤瀬川は、ハイレッドセンター、千円札裁判、「櫻画報」と、この手の展覧会では絶対に欠かせない人物である。
 そして、世のパロディーブームに愛想を尽かしたのも赤瀬川だった―という歴史認識が、この展覧会の大きな流れを支えているのである。

(なお、今回の展示品のうち「櫻画報永久保存版」のデザインは、やはり今展に展示されている木村恒久「焦土作戦」のパロディーであることは一目瞭然だろうし、全国のキャンパスに飛びかった火炎瓶をも語っている。また、2冊目の「櫻画報 激動の千二百五十日」の、ブランコに乗った人物のカバーイラストは、函館出身のイラストレーター味戸ケイコの作品のパロディーだろう。赤瀬川と味戸は、筑摩書房から出ていた雑誌「終末から」の重要人物でもあった)


 パロディーとアートという文脈でいえば、2度にわたる東京都知事選への出馬をとおして「政治のポップアート化」を企んだ秋山祐徳太子も、当然取り上げられており、当時の選挙ポスターも展示されている。

 話は変わりますが、彼の作品は夕張市が所蔵しているはず。
 また、秋山祐徳太子の『泡沫桀人列伝 知られざる超前衛』は、とにかくおもしろい本なので、見つけたら一読をすすめます。
 役に立つとか勉強になるとか、そういう本ではなくて、ひたすら笑える本です。


 平田篤の「DISCOVER JAPAN」。
 いうまでもなく、ここでまな板に載っているのは、国鉄が大々的に繰り広げたキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」。
 右は
<美しい田子の浦の私>
と記されており、万葉集にも歌われた、富士を見晴るかす海が、ヘドロで見る影もないさまを、皮肉っている。

 しかし、こうしてみると、日本の自然環境は公害で相当なダメージを負ったのだが、ずいぶん克服したこともまた事実なのだなあ。


 名古屋で1969~74年に活動した「ぷろだくしょん我S」による「週刊 週刊誌」。
 なんと全ページ白紙という、人を食った雑誌だが、実際に名古屋市内の書店で半年にわたって販売され、しかも実際にけっこうな部数が売れたというから驚きである。

 このほか、赤塚不二夫の編集する漫画誌、長谷邦夫によるパロディー漫画、マッドアマノの雑誌なども展示されていた。

 あまりに長文になってきたので、項を改めたい。


2017年2月18日(土)~4月16日(日)午前10時~午後6時(金曜は~午後8時)、入館は30分前まで。月曜休み(3月20日は開館し翌日休み)
東京ステーションギャラリー



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■蓬春モダニズムとその展開―創造と変革― 東京2017-2(5)

2017年04月19日 09時48分38秒 | 道外で見た展覧会
承前

 さて、神奈川県立近代美術館・葉山まで来たからには、道民としては、立ち寄らないで帰るわけにはいかない施設がすぐ近くにある。

 渡島管内福山町(現松前町)出身で、戦前から戦後にかけて日展などで活躍し「新日本画」の担い手といわれた日本画家、山口蓬春ほうしゅん(1893~1971年)のアトリエに設置された記念館である。




 近代美術館の前を走っている県道を渡ると
「山口蓬春記念館」
の看板がある。
 その矢印に従い、2人が並んで歩くのがやっとという細い小道(札幌あたりではまずありえない細さ!)を上っていくと、蓬春の東京美術学校(現東京藝大)以来の親友の建築家、吉田五十八が設計した彼のアトリエが見えてくる。これが、歿後に山口蓬春記念館となっている建物だ。

 山口蓬春はいまは、昔にくらべるとやや知名度が落ちている感もあるが、1977年に道立近代美術館が開館した際の所蔵品目録では、表紙に作品が掲載されるなど、北海道ゆかりの画家として代表的な存在であった。

 現在は「蓬春モダニズムとその展開―創造と変革―」と題した春季企画展を開催中。
 同館所蔵の蓬春の絵はもちろん、彼がコレクションしていたピカソやブラックの版画などもあわせて展示している。目玉は、東京国立近代美術館所蔵の「榻上の花」(展示は4月30日まで)だろう。

 ここでほめるのも気が引けるが、やはり蓬春のコレクションである尾形光琳「飛鴨図」が展示されており、これがすばらしい作なのだ。
 漫画のような補助線もなく、筆勢や筆触に頼ることもなく、鳥が生き生きと羽ばたいて飛んでいる動感を表現する力量は、あらためてすごいと言いたくなる。


 ところで、山口蓬春の画業を語るとき、よく「新日本画」という語が用いられていた。
 現代から見ると、どのあたりが「新」なのか、正直なところよくわからない。それ以前の日本画とさして変わらないようにも感じられる。横山操や加山又造などの形容として「新日本画」と言われるなら、まだしも理解できるのだが…。
 しかし「榻上の花」や、今回下図が展示されている「山湖」などを見ていると、「新日本画」「モダニズム」などと言われたのも、だんだんわかってくるのだ。

 蓬春の絵は、ひと言でいえば、明るい。
 陰影や湿っぽさにとぼしい、いわばライト感覚なのである。
 旧来の日本画にはあった輪郭線は引かれず、くまどりによって影を表現している。

 このライトさは、一種の折衷性かもしれないが、昭和の日本人に、感覚的に合っていたのではないかと思う。


 ところで、やはり戦後の代表作「望郷」の下図も展示されていたが、これって、ホッキョクグマの背後にペンギンが登場していることから、動物園の絵だということがわかる。
 「望郷」という題が良い。この題をみると、画家がたんにかわいらしい動物の絵を描こうとしていたわけではないことが、つたわってくる。 


2017年3月25日(土)~6月4日(日)午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)、月曜休み(5月1日は開館)
山口蓬春記念館(神奈川県三浦郡葉山町一色2320)

・一般600円、高校生以下無料

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