北海道美術ネット別館

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ピーター・シャイアー「宇宙」

2019年07月15日 11時34分41秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 ところが、驚いたことに、先に書いた「母子像」から奥にも舗装されていない道が続いており、ぶらぶらと歩いていくと、巨大な野外彫刻に出くわした。

 こちらはちゃんと銘板がついている。
 ピーター・シャイアー「宇宙」。

 2006年10月28日の北海道新聞オホーツク面には、マウレ山荘が、マウレ・メモリアル・ミュージアムまでの散策路を整備し、野外彫刻を置く計画であることを報じる記事が掲載されており、この作品については次のように書かれている。

新たに陳列した作品は、米国在住の彫刻家、ピーター・シャイアー氏の高さ七メートル、幅十メートルもの巨大オブジェ「宇宙」。同氏はかつて「サッポロファクトリー」で、使われなくなった機械や設備品をインテリアとして再利用するサルベージアートを担当。モニュメントの制作などを手掛けた。


 ご本人のサイトはこちら(http://petershirestudio.com/)。

 このサイトのページ(http://petershirestudio.com/?galleries=public)に、酷似した作品の画像がある。
 もっとも、タイトルは宇宙ではなく、「NewFrontier」となっている。

 シャープな造形とポップな色彩、工業製品のようなテイストは、その巨大さも含めて、いかにも米国の戦後美術らしい。

 このシャイアーさん、筆者は知らなかったが、1995年4月に札幌のさいとうギャラリーで個展を開いている。

 当時の北海道新聞文化面(ああ、当時の道新は、こういうギャラリーの個展にもちゃんと目配りしていたのだ)には

<接合されたあらゆる形の金属部品は一見何の脈絡もないよう。が、微妙なバランスを保っていて、生物や都市を連想することもできる。工業製品の機能美を新たに構成しなおすセンスが、作品に不思議な存在感をもたらしているようだ。>

と書かれている。


 左手前には石がいくつか置かれている。
 銘板の位置や、作風から判断して、シャイアーさんの作品の一部ではないようだ。

 ただ、別作家のアートなのか、それとも自然物なのかは、判断できない。





 この彫刻の近くには、こんな作品もあった。

 こちらは銘板もサインもなく、荒井さんの作品を知る際の助けになった、旅行会社の楽天トラベル( https://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/49357/gallery.html )と、るるぶトラベル( https://rurubu.travel/A01/01/0108/010806/0155501/1224A01/photolist.html )のページにも全く記載がない。

 この作品について言及したサイトやブログなどもなく、完全にお手上げである。



 個人的には堀内正和を思い出す(札幌芸術の森野外美術館に「のどちんことはなのあな」がある)のだが、どうも違うようだしなあ。


 山奥の緑のなかに、ひっそりと、鉄の彫刻の大作が置かれている。

 そのたたずまいは、なかなかにすてきだと思う。


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荒井俊也? の母子像

2019年07月14日 13時31分33秒 | 街角と道端のアート
 オホーツク管内遠軽町丸瀬布は、湧別川に沿った山あいの静かな集落だが、さらにそこから支流をさかのぼって車で十数分行くと、「いこいの森」やリゾートホテル「マウレ山荘」などがある。
 いこいの森は、日本で唯一、昔の森林鉄道の蒸気機関車を動態保存している、SLファンの聖地ともいうべき観光地であり、キャンプ地や昆虫生態館などもあり、親子連れなどが半日以上楽しめる。
 さらに上流に行ったところにある丸瀬布温泉マウレ山荘も、筆者は一度泊まってみたいと思っているおしゃれなホテルだ。

 筆者は2013年、この地を訪れてホテルで食事をし、布川俊次「ガラスブロック」
清水九兵衛「月簪」の二つの野外彫刻を見て帰ってきた。どちらもすばらしい作品であり、とりわけ前者は筆者イチ押しだ。

 当時のブログに

帰宅してマウレ山荘のサイトを見ると、どうやらこの二つ以外にも野外彫刻が周辺にありそうである。

と書いている。



 6年ぶりに丸瀬布上武利の地を訪れる機会があり、せっかくなので、マウレ山荘の奥にこっそり車を走らせた。

 すると、同山荘のコテージのかたわらにあったのが、この母子像である。

 作者名などを記した銘板はどこにもなく、サインも見当たらない。

 しかも、マウレ山荘のサイトは、ホテルを昨年リニューアルした際に作り替えたのだろうか、「ガラスブロック」「月簪」を含む野外のオブジェについて、紹介しているところが見当たらない。

 ただ、旅行会社の楽天トラベル( https://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/49357/gallery.html )と、るるぶトラベル( https://rurubu.travel/A01/01/0108/010806/0155501/1224A01/photolist.html )のページに、マウレ山荘の写真がたくさん掲載されており、それらによると、これは荒井俊也という作者の母子像だということである。

 ただ、母子像というのは一般名詞であり、この作品のタイトルが「母子像」というのかどうかは、わからない。

 また、荒井俊也という作者について、筆者は不勉強ながらまったく知らなかった。
 ネット検索すると、東京藝大を卒業し、東北工業大で教壇に立ちながら、制作をしている人のようだ。仙台で発表もしている。

 道立函館美術館で2007年に開かれた「奥の若手道 N.E.blood21 ~東北・北海道の明日~」展にも、24人の出品者の中に「荒井俊也」の名がある。

 もっとも、画像検索すると、この作品のような具象彫刻はまったくヒットしない。
 若い頃の作品だろうか。
 まさか、同姓同名の彫刻家が別にいるのだろうか。


 裸婦(母親)が両腕で幼子を高く掲げるーというもので、母親は脚を少しだけ前後に開き、右足のかかとを浮かせている。
 この結果、母親は軽く背中をそらせるような格好となり、全体に安定感が増している。

 裸婦は、しっかりした骨組みの持ち主で、健康な色気のようなものを感じる。
 台座が高いのと、両腕を開かずにまっすぐ突き出しているため、どの角度に回っても、表情がはっきりとはわからない。

 後ろに回ってみると、赤ちゃんのほうも、とくに特徴的な表情をしているというわけではなさそうだ。

 赤ちゃんは、わきの下をしっかり支えられ(だっこするときの基本!)、片手を軽くあげている。

 あんまり書くとセクハラおやじみたいになってしまうが、女性の臀部の豊かさにあらためて感服する。
 最近はやせたモデルなどが多く、社会問題にもなっているが、この母親はやせすぎず太りすぎず、あくまで男性からの見かたではあるけれど、あるひとつの理想的な姿態を示しているように思う。




 初々しさと健康さ、未来への希望にあふれた母子像だ。


関連記事へのリンク
布川俊次「ガラスブロック」(遠軽町丸瀬布)
清水九兵衛「月簪」 (遠軽町丸瀬布)



・JR丸瀬布駅から遠軽町営バス「丸瀬布上武利線」に乗り、終点「丸瀬布温泉マウレ山荘」降車。約210メートル、徒歩3分
(町営バスは所要20分。1日3往復)



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浅井憲一「風のメロディー」 苫小牧の野外彫刻(17)

2019年07月13日 08時44分11秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 札幌市南区石山にアトリエを構える彫刻家、浅井憲一さんの作品。

 苫小牧のメインストリートである国道36号沿いの角にあります。
(実は最初に苫小牧の野外彫刻を探し始めたときは、見つけることができなかったのでした)

 少女が一輪車を乗り回していて、躍動感にあふれています。
 彫刻はいうまでもなく、静止しているものですが、これほど「動き」を感じさせる作品もめずらしいのではないかと思います。

 両腕を違う方向に、いっぱいにのばしているので、見る角度によって形態がガラリと変わるのが特徴です。


 近くには、宮澤賢治の「牛」の詩碑もあります。

一ぴきのエーシャ牛が
草と地靄に角をこすってあそんでゐる
うしろではパルプ工場の火照りが
夜なかの雲を焦がしてゐるし
低い砂丘の向ふでは
海がどんどん叩いてゐる
しかもじつに掬っても呑めさうな
黄銅いろの月あかりなので
牛はやっぱり機嫌よく
こんどは角で柵を叩いてあそんでゐる


 賢治は花巻の農業学校で教師をしていた頃、修学旅行の引率で、樺太と北海道を訪れています。
 苫小牧にもこのとき立ち寄っているとのことです。


 この苫小牧シリーズは、いったんこれで終了です。
 駅前通にもかなりの数の野外彫刻があるらしいので、何年先になるか分かりませんが、機会があれば探ってみたいものです。


□浅井憲一 AZプロジェクト http://www5f.biglobe.ne.jp/~az_asai/

関連記事へのリンク
浅井憲一作品展 イキノアリカ(2019年4~5月)
浅井憲一「メロディ」 苫小牧の野外彫刻 (6)

浅井憲一展「美しい影」 (2018)

浅井憲一 トルソー むこうがわの風景 (2016)

浅井憲一作品展 夢の中 (2014)

浅井憲一展-むこうがわの風景 (2013)
【告知】浅井憲一作品展 むこうがわの風景 (2012年7月11~16日、札幌)

浅井憲一「夢の中」 ハルカヤマ藝術要塞

浅井憲一さん、東京の個展報告会(2009年)

鉄 強さとやさしさの間で(2007年、画像なし)
春展-浅井憲一・幸子作品展(2007年)

2004年11月の個展
■同3月の個展(画像なし)
■03年の個展
■02年の個展

「川」 釧路の野外彫刻


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七夕で驚きの変身。関根伸夫と環境美術研究所「上湧別開基百年記念塔」(オホーツク管内湧別町中湧別)

2019年07月10日 08時52分22秒 | 街角と道端のアート
 2013年にアップした
滝錬太郎「和と輪」 湧別町のパブリックアート(8)」 
という記事で

「筆者の知る限りでは、これまで挙げた以外に町内に野外彫刻は設置されておらず、このシリーズもこれで終了である。」

と書いたのだが、まさかその6年後に、オホーツク管内湧別町のパブリックアートについて新たな記事を書くことになるとは思ってもみなかった。

 理由は簡単。

 中湧別駅跡を訪れたことはあるのだが、この塔は

大きすぎて気づかなかった

のだ。

 制作にあたったのは「もの派」の創始者として戦後美術史に残る関根伸夫と、彼が主宰する環境美術研究所。

 湧別町と合併する前の上湧別町の「開基100年」を記念する事業として、1996年に建設された。
 9月29日の記念式典後、除幕式が行われた。

 高さは21世紀を目指すべく、21メートル。
 何をもって「野外彫刻」とするか、厳密な定義はないが、おそらく道内にある野外彫刻でも最大ではないだろうか。

 「開基百年 上湧別町史」には、次のようにある(275ページ)。

 関根伸夫(環境美術研究所)は、作品のタイトルを「かみゆうべつ われらの心の調べ」とし、「この記念塔は日本一の巨大な風のハープで、屯田兵がこの地に鍬をおろし安住の地と定めてから一〇〇年、過酷な自然と闘いながら、それでも美しいこの大地に理想郷を実現しようとしてきました。そして大きな節目となる開基百年記念塔は“もの”から“心”の時代を告げる二十一世紀を目指すものでなければなりません。そんな熱い心を受けて、私の提案する記念塔«かみゆうべつ われらの心の調べ»は巨大なハープ形、熱情を伝える赤いハート形、そして大地の底から放たれた矢がハート形を突き抜ける姿を形象化しました。風がハープの弦を鳴らし、環境音楽となってこの場に近づいた人々の心の調べと同調する…なお上部の形態は矢の先端で、未来を摑む手、風の音のイメージである」と述べている。


 建設費は約5千万円。
 上湧別開基百年記念塔建設事業協賛会が集めた2775件、総額約4千万円の寄附に加え、町の負担でまかなったという。
 寄附した人々の氏名は、周辺に、低く長い大理石を設置してそこに刻まれている。

 また、石の表面に刻まれている当時の町長の言葉は次の通り。

 この塔は、東京都の環境美術家、関根伸夫先生と、環境美術研究所の作品で、上湧別の屯田兵等の先人が厳しく辛い開拓に、皆で励まし助けあって頑張りつづけられた心意気を象徴して、開拓の源である「心」を開基百年記念塔に形象化されたものです。
 塔は巨大なハープを想像できますが、高い空から見るとハートに、その中央には一本の芯が入っているように見えます。これは町民の心が結集して大きく真っ赤に燃えたハートの威力によって宇宙に向けて飛翔する矢が放されようとしているものですが、正に上湧別町が未来に向かって繁栄する姿をイメージしたものであり、ハープの爽やかな音色は、あなたの心をときめかせてくれます。

 1996年(平成8年)9月26日
 上湧別町長 松田 隆


 このハープ、音が出るのか。

 知らなかった。

 オレンジ色の形が、上から見るとハートマークというのも、これを読むまで気づかなかった。

 なお「開基」という語は、現在、北海道新聞などではいっさい使わない。
 もっと昔から住んでいるアイヌ民族の側からすれば、たしかに「なんじゃそりゃ」というような言葉だからである。



 上湧別町は2009年、湧別町と合併して、新しい「湧別町」が発足する。
 町名は湧別で、役場所在地は上湧別という、平成の合併ではよくある「痛み分け」パターンである。

 ちなみにこの広場は、上湧別の役場の近くにあるのではない。

 旧湧別町と旧上湧別町の中間あたりに、中湧別という駅があった。
 ここが鉄道が四方に伸びる、交通の要衝となっていたため、お店も中湧別のほうが多い。
 電話局も北海道銀行支店も中湧別にあるのだ。

 この塔や広場などは、かつての中湧別駅や保線区などの鉄道施設跡の土地を利用して、設けられているのである。






 ところで、この塔のもうひとつすごいところは、「屯田七夕まつり」当日(ことしは7月7日)になると、オレンジのハート形のところに、七夕飾りが提げられることである。
 日本広しといえど、関根伸夫作品に七夕飾りを取り付けているところは、ほかにないのでないかと思われる。

(もちろん、それが悪いことだとは思わない。芸術だからとありがたがって敬遠するよりも正しい使い方ではないだろうか)







関連記事へのリンク
「もの派」の出発点。関根伸夫さん死去

森のゲート(北広島)
北のまつり(札幌)
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あれ? 森迫さん? (オホーツク管内湧別町)

2019年07月08日 08時06分49秒 | 街角と道端のアート
 …という題を記事にはつけましたが、これが森迫暁夫さんの絵かどうかはわかりません。

 オホーツク管内湧別町中湧別の「道の駅」の男性お手洗いに掛かっていました。

 筆者としては、となりまちの紋別市立博物館にあった森迫さんの「ウラニワノソフボ」を思い出します。
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遠軽、湧別地方のパブリックアート

2019年07月03日 08時55分27秒 | 街角と道端のアート
 2010~13年の間に撮影した、遠軽支局管内の野外彫刻などの紹介記事は、計18本もある。

 まさか、こういう事態になると分かっていなかったのだが。

 これ以外にも探せばありそうなので、気がつけば、随時紹介していきます。


 遠軽
滝錬太郎「姉妹像」
鈴木順三郎「めばえ」
遠軽の街角で
遠軽のシャッターアート

 遠軽町生田原
藤原秀法「夏」
オホーツク文学館に展示されていた4枚の絵
滝錬太郎「オホーツクの風」

 遠軽町丸瀬布
清水九兵衛「月簪」
布川俊次「ガラスブロック」
滝錬太郎「神鳥ふくろう」


 湧別町
滝錬太郎「和と輪」
坂坦道「飛翔」
湧別町のパブリックアート(6)
滝錬太郎「やすらぎ」
宇多花織「風の子たち」
豊島輝彦「湧別大景」
田中昭「幼嬬」
竹内洋嗣「想う」
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吉田芳夫「大泉源郎氏寿像」 苫小牧の野外彫刻(16)

2019年06月20日 07時08分35秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 昨年秋から断続的に掲載しているこのシリーズもそろそろ一区切りつけたい。
 次の(17)で、とりあえず終了の予定だ。

 ただし、これまで紹介してきたのは、出光カルチャーパークとその周辺の野外彫刻であり、苫小牧駅方面の作品はまだ見ていない。
 数年後に、この続きが再開される可能性もある。




 この胸像は、苫小牧市美術博物館の近くに立っている。



 1910年(明治43年)生まれ。
 1963年に苫小牧市長に初当選し、5期20年務めた。
 この間、苫小牧市には多くの企業・工場が進出し、苫小牧港の開発も進んで、同市の発展に力を尽くしたとして、名誉市民に選ばれている。

 なお、この像については、苫小牧市のサイトの「苫小牧の彫刻 野外彫刻について」には記載がないようだが、作者は吉田芳夫という人であるらしい。

 東京文化財研究所のサイトによると、吉田芳夫は1912年、東京の、代々彫刻を家業とする家に生まれる。
 東京美術学校(現東京藝大)彫刻科塑像部を卒業。
 本郷新、山内壮夫、佐藤忠良らとともに新制作派協会彫刻部の旗揚げに参画する。
 76年、旭川市が主催する中原悌二郎賞を「百道」で受賞。
 89年歿。
 




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笹戸千津子「少女座像」 苫小牧の野外彫刻(15)

2019年06月11日 21時32分23秒 | 街角と道端のアート
(承前)







 佐藤忠良のモデルを長く務め、その後は具象彫刻家として活動している笹戸千津子さん。

 札幌市教育文化会館の東側にある「洋」が、札幌の美術ファンには知られていると思う。

 苫小牧の出光カルチャーパークにあるこの作品は、ワンピースの少女がなにかを強くこいねがっている姿のようだ。
 岩にすわっているので、考えようによってはこの作品も、「花の調べ」などと同様な、ベンチ兼用の作だということもできるかもしれない。


関連記事へのリンク
笹戸千津子「若き立像 89」 (空知管内上砂川町)
笹戸千津子「女の子」 (歌志内)



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西山昇「リスと少女」 苫小牧の野外彫刻(14)

2019年06月01日 23時59分09秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 出光カルチャーパーク内の彫刻の続き。

 ワンピースを着たポニーテールの女の子が丸い台座の上にはらばいになって、上体をひねっています。
 軽く上げた足の裏にリスをのせているのがユニーク。

 さらに、小さなリスの彫刻が周辺の地面に2点配してあって、全部で3点組みになっているところが、野外彫刻としてはかなり珍しい構成といえるのではないでしょうか。



 したがって、すべてを同じ画面におさめるのは、意外と難しいです。



(この項続く) 
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青木三四郎「わらべ」 苫小牧の野外彫刻(13)

2019年05月25日 22時04分56秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 苫小牧市のカルチャーパークにある野外彫刻で、美術博物館のすぐ前にあることから、目にした人も少なくないと思います。

 まるまると太った子どもが青木三四郎さんの作品の特徴のようです。
 

 武田厚さんが日本の101人をとりあげた『彫刻家の現場アトリエから』で、青木さんは

「先ず生まれてくる子供への特別の思いがあった。それは同時に自らの幼い頃の思い出へと連動するようなものとなり、さらにそれが、誰ということのない子供というものの将来の姿を遠くイメージするようなものとなっていった」

と話しています。

 青木さんは1947年千葉県生まれ、東京藝大卒、同大大学院の彫刻家修了。
 新制作展の会員として活躍中。




 子どものシリーズは、十勝の中札内美術村にかなり大きなスケールの作品があるらしいので、一度見に行きたいなあ。



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黒川晃彦「花の調べ」 苫小牧の野外彫刻(12)

2019年05月09日 10時56分23秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 昨年11月に取材した「苫小牧の野外彫刻」の続き。

 美術博物館や図書館のある「出光カルチャーパーク」と、体育館などのある一角との境界あたりに設置されている作品だ。 

 黒川晃彦さんは1946年生まれ。

 太った男が金管楽器を奏でる像をベンチと一体化させた作品で知られ、景気の良い時代には全国各地の自治体から註文があった。
 かつて道立近代美術館に勤めていた武田厚さんが彫刻家101人を訪問して書いた『彫刻家の現場アトリエから』によれば、多いときは2カ月に1体のペースで制作していたという。
 道内でも、旭川・買物公園の「サキソフォン吹きと猫」はわりあい広く知られているだろうし、札幌にも、清田区真栄に「切株に座って」という作品があるそうだ。

 まあ、わかる気はする。
 アートや彫刻が好きな人は別にして、一般の人は、街角の彫刻には大して気をとめていないことが多い。
 ありふれた人物像などは、ぜんぜん記憶に残っていない場合がよくある。
 そういう彫刻にくらべれば、黒川さんの作品は、太った男が楽器を奏でているという特徴あるモティーフで、いかにも芸術でござい―というかしこまったところが少なく、親しみやすいのだ。

 しかも、ベンチと一緒になっている作品が多い。
 これは多くの野外彫刻と異なり、実用性を備えているということだ。
 像のとなりに腰掛けて記念写真をパチリ、というのにもうってつけだ。

 男性はどうして上半身裸なんだろう。

 武田さんの『彫刻家の現場から』には

「ハダカで管楽器を吹いている姿にちょっと驚いてくれればいい。注目させることが先ず大事でそれが彫刻と人々の触れ合いの最初となり、作家と一般との触れ合いの最初になる」

という黒川さんの答えが載っている。

 ただ街角に設置さえすれば良いというのではなく、彫刻の「居場所」についても作者が考えている、ということなのだろう。


 ところで、この作品がユニークなのは、ベンチも彫刻も二つあって、片方から見ればサックス男なのだが、反対側では、帽子をかぶった女性がひざをそろえて腰掛け、鉢植えの花を手にしているのだ。
 性別も、座る姿勢や位置も、体格も、いろんな意味で対照的な二人といえる。

 この二人はどういう関係なんだろうと考えるのもおもしろい。
 野外彫刻は多くの場合、1体でぽつんと立っていて、2体の場合も同じような人物が対になっていることが少なくない。同じ作品の中で、人間の関係にあれこれ想像を巡らせることができることは、そう多くはないのだ。
 まだお互い知らない二人の間にどんな物語が始まるのだろうとか、想像が膨らむ。


 ちなみに、黒川さんの彫刻で男性が演奏する楽器は、サックスだけではなく、いろいろな種類があるとのことだ。






(この項続く) 
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網走新聞のシリーズ記事「まちの彫刻」

2019年05月08日 09時17分46秒 | 街角と道端のアート
 2004年に廃刊となった「網走新聞」が、2000年に「まちの彫刻」という記事を断続的に載せていたことを、網走市立図書館の郷土資料コーナーで知った。

 第1回は、本郷新「オホーツクの塔」で、1ページすべてを使っているような大型記事だが、第2回以降はふつうの寄せモノの大きさである。
 しかも、第1回が1月1日付の元日号、最終回の22回が10月8日なので、連載というには間隔があきすぎている。
 筆者の知らないことがいろいろ書かれており、学ぶことが多かった。

 各回の内容は次の通り。
 かっこ内は掲載日。




1) 本郷新「オホーツクの塔」

 モデルはこの近くの漁師で1996年に69歳で亡くなった脇本直良さんという方。
 地元経済界の募金で建てられ、コンクリートの柱の高さは10メートル、御影石の台座は2メートル、像自体の高さは3メートルという大作だ。
 完成を祝して、音羽時雨作詞、八州秀章作曲の「オホーツクの海」という曲が作られ、網走混声合唱団とはまなす女声合唱団により披露されたという。
 なお、拠出金が余り、そのお金で市立美術館前庭の五つの像がたてられた。



2)圓鍔勝三「あけぼの」(1月6日)

 市民有志による彫塑像建設委員会が900万円を集めて建てた。
 圓鍔さんは網走新聞に
「北国の暗い先入観とはうって変わって、明るく広大な自然の景観に感嘆した。このすばらしいまちにふさわしい像でありたいと、制作に一段と気概がこもった」
と話していた。



3)「合田綾一先生像」(1月8日)

 1922年(昭和7年)から33年にかけて網走小の校長を務めた合田氏の胸像。1956年、校庭に設置された。
 高さは72センチ。

 なお紙面では「作者は中聖正一となっているが詳細は不明」とあるが、これは「中野五一」の誤りではないだろうか。



4)「遠藤熊吉翁像」(1月23日)

 高さ3.5メートル。
 これも記事では作者が「中野吾一」となっているが、中野五一と同一人物と思われる。



5)中野吾一「高田源蔵像」(1月29日)

 高田源蔵は嘉永3年(1850年)、滋賀県に生まれ、大阪の商店に奉公した近江商人。明治16年に根室支店総支配人になると、翌年には函館、同26年には本店の総支配人を任された。その後は網走を拠点に汽船、ホタテなど手広く事業を手がけた、大経済人であったという。
 1961年に孫の太郎氏が市内南7東6に建てた高さ50センチの胸像。



6)本田明二「朝翔・夕翔」(2月6日)

 網走新聞社の佐藤久社長が提唱し、島田光・島田建設社長や市漁協の資金提供を受けて1980年、新たに架けられた中央橋に設置。高さ110センチ。


7)前田優治「蒲公英」(3月5日)


 ステンレス部分は高さ8メートル。
 前田さんは1950年生まれ。
 テーマは「gerination(発芽)」。
 頭の部分はもともとゆらゆらと動く設計になっていたという。
 1991年の設置。



8)石田武至「健やか」(3月22日)

 
本郷新「オホーツクの塔」の剰余金で設置された、市立美術館前の作品のひとつ。  
愛知県豊田市にある同様の作品の、2分の1の大きさのエスキスだという。  
ただし、豊田市のものにくらべ、鳥が1羽少ないのだそうだ。


9)茄子川石材工業所「友愛」
(3月30日)

 網走ライオンズクラブが、網走市総合体育館横に、クラブ創立20周年を記念して1983年に設置した。
 高さ1メートルの台座の上に、40センチの黒御影石の球体が載っている。


10)圓鍔元規「少年の像」(4月1日)

 網走ライオンズクラブと網走桂ライオンズクラブが1979年、第25回年次大会の開催を記念して設置。同年が国際児童年だったことも加味した。
 コンクリートの台座を含めた高さは約3メートル。

 しかし、筆者のブログには「少年少女像」とある。これはどういうことだろう。


11)小川研「移動方形」(4月9日)
=冒頭画像

 作者の小川さんは広島県呉市出身、1948年生まれ。
 武蔵野美大を卒業して、北見を拠点に活動を続けている。
 この作品は250×380×120センチ。白御影石の正方形が10個連なっていて、連続写真のようだ。
 小川さんは「流氷、風、森羅万象、なんでも見てくれていい」と話していたとのこと。
 ライオンズの第38回年次大会を記念して網走ライオンズクラブが設置し網走市に寄贈した。


12)河田卓「平和祈念(母子)像」(4月16日)

 1991年、網走市が平和都市宣言を行ったのを記念し、市が100万円、網走と網走桂の両ライオンズクラブが合わせて250万円を出して1992年に設置した。
 高さは3メートル。


13)河田卓「網走鮭定置漁業発祥の地像」(5月14日)

 マルキチの根田良一会長が二ツ岩地区への市の寄付を元手に1993年に、同地区入り口に設置した。
 高さ1.6メートルのFRP製で、70センチの台座に載っている。


14)伊佐周「流氷」(5月28日)

 市が1973年、「市制25周年 開基100年」を記念して、100万円をかけ、旧浜網走駅跡に整備した中央公園に設置した。
 上のリンク先で筆者は、彫刻が見えづらいことに文句を言っているが、これは設置当初、子どもたちがすべり台がわりに遊んで危険なため、苦肉の策として周囲に木を植えたためらしい。
 伊佐さんは1966年、東京藝大大学院彫刻専修を終えて、前田商事屋外美術研究所に就職した。この作は、職を得て間もないころのデザインだという。


15)前田優治「オホーツクの子」(6月4日)

 市が1982年、南公園の入り口に設置。
 高さ1.4メートルのポリエステル製。
 前田さんは前述の「蒲公英」の作者で「古典的な技術をつかった最後の作品」と述べている。


16)河田卓「仰げ大空」(6月28日)

 1989年、網走職業訓練協会の会員200人から250万円の寄付を得て、網走市能力開発センター落成と網走高等職業訓練校創立30周年を記念して設置した。
 高さ2.9メートルのブロンズ製で、コンクリートの台座に載っている。


17)佐藤順四郎「モヨロ人漁撈の像」(7月9日)


 1964年、網走新聞社の佐藤久の発案で、網走ライオンズクラブに話を持ちかけて網走駅前に設置された。
 77年、網走駅前の工事ため、ホテル網走湖荘が預かることになった。
 佐藤順四郎は常呂の根っからの放浪工芸家で、この像も、顔だけを作って制作を中断してしまい、白井四郎という人が急遽引き継いだらしい。

 ところで、記事ではホテルに移設したことになっているが、現在の網走駅前にはどうみてもこの像としか思えない像が置かれている。元に戻したのだろうか。


18)盛岡勇夫「遠藤熊吉翁之像」(7月29日)


 1982年、網走南ケ丘高校の同窓会が同校創立60周年を記念して、校門の横に設立した。
 高さは60センチ。
 題字は松橋素鶴が揮毫している。





19)石田清「鴻巣雄三氏像」/河田卓「山田道雄氏像」(8月13日)

 いずれも台座を含め高さ2メートルほどのブロンズ像。
 鴻巣氏は、オホーツクゴルフ場の山田道雄代表取締役が1980年にたてた胸像。
 石田清は日展の評議員という。
 山田氏像は1993年、オホーツクゴルフ場の樋口信夫代表取締役社長が設置した。


20)坂坦道「悶」(8月23日)

21)佐藤忠良「気どったポーズ」(8月24日)

 台座は、地崎組車止内隧道工事の加藤勇社長と網走市の丸岡組の厚意。
 モデルは娘の佐藤オリエといわれる。

22)谷口尉馬「裸婦座像」(8月27日)

 市立美術館のロビーにある石膏の作品。
 1940年の紀元二千六百年奉祝記念に出品されたもので、もとは市立郷土博物館の所蔵だったものを管理換えしたもの。


23)圓鍔勝三「北きつね物語」(10月8日)

 前回から1カ月も間隔があいたせいか、紙面では22回目と、誤った回数が記されている。
 高さ64センチで、市立美術館に83年に寄贈された。
 「あけぼの」の取材で網走を訪れ、小清水の写真家竹田津実さんのところでキツネのエピソードを聞いて作った作品だという。


 連載は以上で終わっている。
 3、5、9、13、15、18、19(2基)、23と、知らない彫刻が計25のうち9基もあった。

 ちなみに、エコーセンター前の「ロセトの像」は、この記事の直後、2000年後半に設置されたらしく、記事では取り上げられていない。
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さっぽろ駅の「アイヌ文化を発信する空間」(愛称ミナパ)に行ってきました

2019年04月01日 23時59分59秒 | 街角と道端のアート
 3月21日、地下鉄南北線さっぽろ駅構内で4年前から工事していた、アイヌ民族の歴史や文化に親しむ広場「アイヌ文化を発信する空間」(愛称ミナパ)がオープンしました。
 筆者は24日に見ました。

 木の柱が、北海道の森林をイメージさせます。


 なんといっても目を引くのが、貝沢徹さん作の木彫「イウォルン パセ カムイ」。

 シマフクロウが翼を大きく広げた像で、高さは2.5メートルもあるそうです。
 駅構内のいちばん南側(大通寄り)に立ち、広場全体を見渡しているようです。


 この引き締まった表情。
 カムイという名にふさわしい威厳をたたえていると思います。

 それと同時に、木という素材にふさわしいあたたかみも感じます。

 ところで、台座の部分は、アイヌ文様の服を着ているように、ファスナーがついているのがユニークです。



 大型9面マルチモニター(高さ約2メートル、幅約3.8メートル)を使ったメインシアターです。

 アイヌ語による道内各地の天気予報や、フランス人作家のボリス・ラベ氏が制作したアイヌ文様アニメーションなどを上映するそうです。






 ところで、さっぽろ駅のすぐ南側、札幌駅前通地下歩行空間(チ・カ・ホ)の入り口附近にも、アイヌ文様などを紹介するコーナーがあります(次の画像参照)。

 そのコーナーと「ミナパ」が著しい対照をなしているのは、前者が、無名の作り手による伝統的な工芸品であるのに対して、ミナパのほうは現代の作り手による作品であることだと思います。

 この双方が、札幌の玄関口で見られるのは良いことではないでしょうか。
 アイヌ民族は、いま、生きているのです。
 決して滅びゆく民族ではないし、古い文化だけをかかえているわけでもありません。

 いまの日本人が、さかやきをそってぞうりを履いているわけではなく、それでも日本の文化を続けているように、アイヌ民族も伝統を守りつつも、現代の文明とともに生きているわけで、自動車にだって乗るしパソコンだって使うでしょう。当たり前のことですが、ときどき忘れている人がいます。
 そういう偏見を拭い去るのに、ふたつの展示があるのは効果的だと思うのです。


 3月22日付の北海道新聞から引用します。


 (前略)

 ミナパは長さ42メートル、幅7.6メートル。アイヌ文化や工芸品、道内のアイヌ関連施設を紹介するタッチパネル、アイヌ民族の伝統的な暮らしの映像を映し出すテーブルなどを備える。柱には木材を貼り付け、森林の雰囲気を再現した。

 愛称のミナパはアイヌ語で「大勢が笑う」の意味。札幌アイヌ協会の阿部一司会長は「市民や海外の人にアイヌのことを分かってもらいたい」と述べた。

 象徴となる木彫作品「イウォルン パセ カムイ」(その場所を見守る尊い神様)は、大木から飛び立とうと翼を広げるシマフクロウを表現。地中に埋まっていた樹齢400~500年のニレを使い、日高管内平取町の工芸作家貝沢徹さん(60)が約1年かけて完成させた。貝沢さんは「作品に手を触れ、記念写真を撮ってほしい」と話した。

 ミナパは2015年度から整備を進めてきた。総事業費は約3億2千万円。
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山本一也「碇」 苫小牧の野外彫刻(11)

2019年03月13日 23時19分54秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 苫小牧市のサイト「苫小牧の野外彫刻」には

 「苫小牧工業高校の発祥の地を永久に残そうと同校同窓会が1988年に建立」

とあります。

 素材は白御影石。
 何かと何かをむすぶ錠のようにも見える、力強い作品です。

 山本一也さんは1931年(昭和6年)生まれ、97年歿。
 石の彫刻家としては、道内でも草分け的存在です。

 かつて札幌彫刻美術館が1982年から毎年開いていた「北の彫刻展」では常連の出品者でした。
 札幌芸術の森が開いた「北の創造者たち'89 石の造形6人展」にも選ばれ「アンパイヤー」「等斜度」「鳥になった日」の3点を出品しています。

 全道展では1956年と58年に奨励賞を受け、60年に新会友。65年に会員に推挙されています。
 ちなみにこの65年は、小川清彦、神田比呂子、本郷暁の各氏と山本さんの計4人が同時に彫刻の会員に推挙という、珍しい年でした。
 
 また、自作以外にも、山内壮夫の代表作「石狩川の碑」で石材施工に携わるなど、縁の下の力持ち的な活動もしています。


 なお、苫小牧工業高校は、サイトによると、大正12年(1923)に創立されたそうです。
 北海道庁立苫小牧工業学校として設置認可とのことです。




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長万部の野外彫刻

2019年03月10日 20時41分37秒 | 街角と道端のアート
 長万部の学習文化センターの向かいには、本郷新の彫刻が何点か立っている。

 これほど代表作が集中しているのは、本郷新記念札幌彫刻美術館でも見られない光景である。

 2月に長万部に赴いた際、撮ってきた写真をまとめて上げる。

 冒頭画像は「北の母子像」と「鳥を抱く女」。
 前者は道庁の前庭にもある。









 「嵐の中の母子像」。道立近代美術館の前庭にも同じ作品がある。









 「鳥の碑」。札幌彫刻美術館の前庭にもある。









 「わだつみの声」。

 これも札幌彫刻美術館にある。











 その手前にあるのは、どう見ても本郷の作品ではない。









 こちらの3点は、函館の彫刻家で早世した池田譲の作品ではないかと思う。
 先の作者不詳作品も池田の作品かもしれない。



本郷新「相武吉治郎翁」 苫小牧の野外彫刻(4)
本郷新「緑の環」 苫小牧の野外彫刻(3)
本郷新「鳥の碑」(石狩)
彫刻倒れ職員けが 本郷新記念札幌彫刻美術館

本郷新「無辜の民」ー石狩・厚田アートの旅(2)

嵐の中の母子像
「マッサン」と、札幌・大通公園の彫刻「泉」の深い関係
本郷新「オホーツクの塔」

札幌から函館への旅・続き=JR室蘭線の錦岡―社台間の車窓から見える「緑の環」

魚の彫刻を正面から見るとヘンな顔になっている件について
本郷新「三輪龍揚像」「小林篤一像」
本郷新「オホーツク海」
宮の森緑地で

札幌第二中学の絆展 本郷新・山内壮夫・佐藤忠良・本田明二 (2009、画像なし)
独創性への道標-ロダン・高村光太郎・本郷新展(2009年、画像なし)

札幌市西区・宮の森緑地(Miyanomori-greenhill,Sapporo)
本郷新「石川啄木像」 釧路の野外彫刻(11)
本郷新「釧路の朝」 釧路の野外彫刻(9)
本郷新「道東の四季 冬」 釧路の野外彫刻(6)
南部忠平顕彰碑
「北の母子像」本郷新

札幌・宮の森緑地 (鳥を抱く女、太陽の母子)

網走の野外彫刻

本郷新「奏でる乙女」
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