北海道美術ネット別館

美術、書道、写真などの展覧会情報や紹介。毎日更新しています。2013年7月末、北見から札幌に帰還。コメントはお気軽に。

小樽内橋を見た。新川の河口近くにある、もう通れない断橋

2018年07月12日 09時40分47秒 | さっぽろ川あるき
 2016年春の「新川の河口に橋があったのか。」という記事で小樽内橋について書いたが、まさか2年後に現地を訪れることができるとは思わなかった。




 この橋の由来については、その記事、あるいはサイト「花畔ばんなぐろ・網」、ブログ「第六の絶滅」の該当ページがくわしい。
 要するに、ここには江戸末期の1858年から橋が架けられていたが、たびたび洪水で流出し、1980年代には、真ん中が鋼製で、両端が木製という構造になっていた。
 85年(?)に右岸の木造部分が老朽化のため崩落し、現在に至るまで通行止めが続いている。






 徒歩ならなんとか橋まで上れるので、上ってみる。
(「立ち入り禁止」などの表示は見当たらなかった。そもそも人の通行がほとんどない場所)
 舗装もされているので、両端が健在なら車も通れそうだ。しかし幅が広いので、橋上ですれ違うのは無理だろう。

 欄干の下には、カニの屍骸や貝殻がいくつも落ちていた。
 ここまで水位が上昇したとは思えない。鳥が、餌のうち食べられない部分を、捨てていくのだろうか。




 橋上から新川の河口が見える。
 手前は橋の欄干。さびが進んでいる。


 橋を管理する小樽市の調査によると、橋脚のさびは、危険なほどまでに進行しているという記事が、北海道新聞の小樽後志版に載っていた。

 橋の向こう側(右岸側)には、小樽内という集落があったが、1970年代ごろに皆が去って消滅したという。
 したがって、橋の通行を再開してほしいという要望もないらしい。
 仮に橋が通れたとしても、すでに西の大浜側(小樽市側)には道路らしい道路もないのだ。
 市としては、2017年度にも解体撤去に着手するということだったが、今回見た限りでは、何らかの工事に取り掛かっているという形跡はないようだ。

 この近くにも澁谷俊彦さんの「河口」展参加作品が設置されている。
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重兵衛沼は札幌市中央区北4西26の「共栄公園」にあったのではないか

2018年06月11日 23時59分00秒 | さっぽろ川あるき
 この「さっぽろ川あるき」というのは、アートとあまり関係ない、純粋な趣味のカテゴリーです。 


 重兵衛沼は、札幌市中央区北3~4条の西26丁目附近にあったとされる沼沢地である。
 これまで筆者は、この沼の跡が、北3西26であると信じていた。
 下の地図で見るとわかるように、道路の形状が将棋の駒を横倒しにしたような、札幌では珍しい区画になっているからである。

 しかし、2018年6月10日にはじめて現地に赴き、この附近ではなく、もう少し北側の、北4西26にある児童公園「共栄公園」がかつての沼であったことを確信した。




 なぜ、そう思ったのか。

 公園の形状が、きれいな多角形ではなく、外郭が曲線を描いているからだ。

 開発当初から公園用地を確保したのではなく、湿潤さゆえに家を建てたり畑にできなかったりして残された場所を公園にしたためだろう。

 これは桑園公園=下の地図参照=の事情と似ている。




 桑園公園も一部が曲線で囲まれているが、知事公館などから流れる小さな川が合流して沼になっていた場所と一致する。 

 札幌市内で、変わった形をしている緑地や公園は、多くの場合、川や沼が絡んでいる。
 北大植物園しかり、エルムの森公園(北区北26西13)しかり、やちだも公園(中央区北7西23)しかりである。
 中島公園やモエレ沼公園を思い出してもらってもいいかもしれない。



 これまでずっと沼の場所だと思い込んでいた北3西26の、珍しい形状の道路。

 将棋の駒の左肩にあたる位置から、西に向けて、なぞの行き止まり道路がある。
 

 北3西26の中央部、つまり、将棋の駒の先端にあたる部分は、意外と更地が多い。

 この更地が、古い家の取り壊された跡なのか、あるいは、昔から未利用地なのかは、なんとも判断がつかない。


 



 共栄公園の中。
 家の裏手に、なかば隠れるようにして存在している。

 この公園こそが昔の沼地であることは、あらためて検索してみれば、テンポラリースペースの中森さんのブログ「テンポラリー通信」にも記載があるし、札幌の歴史について貴重な証言を載せているエッセーのサイト「札幌古地名考」の「琴似川の巻」にも

円山の古老談によると、「大正の円山は主流2流が並行北流し、北4条西25、6丁目のあたりにあった通称〈重兵衛沼〉にそそぎ、それより北行して村界のヨコスベツ川と合流していた」と、いう思い出が残されている。


と、北4条であることが明記されている。

 なぜ筆者が北3条に「重兵衛沼」があると思い込んでいたかというと、往事の地図に、重兵衛沼が登場しないことも理由である。筆者はこれまで一度も見たことがない。

 先の地図は「札幌歴史地図<昭和編>」(北海道新聞社)に転載された「札幌市公区連合地図」(1940年)を接写したもの。
 現在タワーマンションが立っている場所など北1条から北2条にかけて、三つも沼が載っているにもかかわらず、くだんの重兵衛沼は掲載されていないのだ。



旧円山川、よこちべつ川、そして界川 (2008)
よこちべつ川と旧円山川
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二里川支流の源流をさぐる(大谷地の森公園)

2017年05月06日 12時12分00秒 | さっぽろ川あるき
 二里川は、札幌市東部を流れる厚別川のちいさな支流です。

 いちばん下流の、厚別川との合流点に近い橋は、国道12号にかかる「釣橋」という橋で、ジェイアール北海道バスの停留所名にもなっていたので、ご存知のかたもいるでしょう。
 吊り橋でもないのに、ふしぎな名前がついています。

 もう少しさかのぼると、大谷地バスターミナルや北星学園大のわきを通ります。
 「わらび緑地」から南側はほとんどが暗渠になっていますが、平岡北公園やイオン平岡店敷地内の池はその上流部の名残りと思われます。

 その二里川に注ぐ小さな流れで、川の源流域を、ほぼ自然のままの姿で見ることができる場所があります。




 地下鉄東西線大谷地駅から歩いていける「大谷地の森公園」です。

 名前のとおり、敷地の半分以上は原生林となっています。
 どんぐりで知られるコナラの原生林の北限に近いそうです。










 川のいちばん上流には、池や沼があるわけでも、泉がわいているわけでもないことが一般的です。
 このように、じわっと水がしみ出して、しだいに小さな流れになっていくのです。
 最初のしみだした、湿った部分を、この森では観察することができます。

 筆者が行ったのは5月上旬で、すでにミズバショウの見ごろは終わっていました。
 4月20日ごろに行けば、たくさん見ることができたと思います。

 まだ虫がほとんどおらず、下草も少ない5月前半が川の源流域を見るチャンスだと思います。
 もちろん、歩きやすい服装と靴で行ったほうがいいです。園内には、それほど明確な散策路があるわけではありません。

 公園には駐車場がありません。
 地下鉄で行くか、キャポ大谷地の駐車場を利用して、公園まで15分ほどかけて歩いていくしかないでしょう。


 それにしても、住宅地の真ん中にこんな森林と、天然の小川が残っている札幌って、すてたもんじゃないと思います。
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チライウシナイトーあるいはトキサ沼

2016年06月28日 00時47分12秒 | さっぽろ川あるき
 アートとは無関係の話です。

 道央道を苫小牧東インターチェンジでおりて、国道36号に出るまでの間、道路の右側にちらちらと見える低地が、以前から気になっていた。

 しかし、ハンドルを握りながらでは、注意して観察することができない。

 今回、バスに乗って、車窓からその姿をとらえることができた。





 「トキサ沼」という名らしいが、由来はわからない。

 地図を見ると、沼の上を道路がまたいでいる。

 苫小牧市美術博物館の展示によると「チライウシナイトー」となっている。

 「チライ」はアイヌ語で「イトウ」の意だから、かつてはあの巨大な淡水魚がたくさんすんでいたのかもしれない。



 札幌とは関係ないのだが、このカテゴリーに入れておいた。



□苫小牧の湖沼を見てみたい! http://www.ne.jp/asahi/snow/office/tanken/tomakomainumatizu/numa04.htm

□ATOK土木用語製作所オホーツク工場&MS-IME土木用語研究所えりも分室 http://plaza.rakuten.co.jp/doboku/diary/201503220001/
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東橋、東橋通、東橋公園

2016年06月10日 01時01分01秒 | さっぽろ川あるき
 東橋あずまばしは、札幌の一大幹線道である国道12号の橋である。
 市内随一の川である豊平川に架かる橋としては、一条橋、豊平橋、幌平橋、藻岩橋と並ぶ、歴史のある橋だ。

 札幌の中心部から、市内屈指の主要道路である「北1条通」を、東に13丁目まで進み、交叉点で右折したところに架かっている。
 橋を渡れば白石区であり、国道は岩見沢から旭川へと続いている。
 ちなみに、その交叉点から、直進すれば国道274号であり、左折すればJR苗穂駅に突き当たる。札幌の交通の要衝といってもいい場所だ。

 冒頭画像は、橋の北側(札幌中心部から見ると手前側)にある、東橋バス停である。

 ただし、筆者の記憶では、ジェイアール北海道バスは「東橋」だが、中央バスと夕鉄バスは「東橋通あずまばしどおり」と、停留所名が異なっていたように思う。
 先日、都市間高速バスに乗った際も、車内のアナウンスや運賃表示灯は「東橋通」となっていた。
 中央バスの路線は、札幌市営バスから引き継いだものなので、市営バス時代から「東橋通」だったのだろう。

 夕鉄バスは2014年に「東橋」に改称したという記録が、サイトに残っていた(pdf)
 もっとも、改称前に「東橋通り」と送りがながついていたかどうかは、疑問なしとしない。
 ちなみに、夕鉄バスは路線の大半を大谷地ターミナル発着に集約してしまったので、この停留所には1日1本しかバスがやってこない。

 バス停の附近、北1条通(国道12号)と豊平川に挟まれた三角地帯は「東橋公園」となっている。



 公園には、れんがの構築物が置かれ、ポプラの大きな木が何本もはえている。




 おなじ場所にある停留所の名がバス会社によって違うのは分かりづらい―という声が上がっても、それは理解できる。
 ここで、ちょっと気になるのが「東橋通」の位置。

 とうぜん東橋と苗穂駅を結ぶ道路の名前かと思いきや、サイト「札幌古地名考」は、それは誤りとしている。

http://h-ab.com/sapporo/feature/kochimeikou/sono44.htm

 以前、東橋は、現在よりも約300メートル西側に架かっていた。
 したがって、東橋通も、そこにつながる道路に名付けられたというのだ。東12丁目を南北に貫く道路がそれに当たることになる。

 東橋通の南端は、豊平川に沿った道路が、東橋公園に突き当たって直角に折れ曲がり北1条通に合流する地点となっている。

 先述のサイト「札幌古地名考」には
<三角公園と現「水道局」の庁舎にはさまれた部分には物資輸送用の「馬つなぎ場」があって、現存している数条の小路はその名残りである。>
とある。




 いわれてみればたしかに、大通東12丁目かいわいの中通りは、札幌としては非常に道幅が狭い。

 古い建物が多い一帯である。




 以上、川巡りではないが、川沿いの地区を散歩したので、簡単に紹介してみた。
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新川の河口に橋があったのか。

2016年04月11日 23時27分14秒 | さっぽろ川あるき
 北海道新聞「どうしんウェブ」から。4月7日アップの記事。

 厳密に言うと小樽市内の話なので「さっぽろ川あるき」というカテゴリーには入らないような気がするし、ましてやアートとは全く関係のない話ですが、個人的に興味深いのでアップします。
 なお、確かに現地は小樽ですが、新川の流域は大半が札幌市内です。

30年渡れず…小樽内橋撤去へ 市、来年度以降に着手 最初の橋は江戸時代

 【小樽】小樽市は銭函3と銭函4の間を流れる新川の河口にかかる小樽内橋を撤去するための設計費として、2016年度予算に500万円を計上した。最初に橋が架けられたのは江戸時代。現在は付近に住民はおらず、一部が崩落してから30年間、通行止めになっている。市は多額の費用がかかるために二の足を踏んできた撤去作業を17年度以降に始める計画だ。

 市建設事業課によると、現在の小樽内橋がある位置に初めて長さ55メートルの橋が造られたのは1858年。1807年には付近に180人が住んでいた記録が残っている。新川が開削された86年(明治19年)、広がった川幅に合わせて架け替えられたとみられている。

 1964年に水害で流され、架け替えられたときは新川が小樽市と石狩管内石狩町(現・石狩市)の境界だったため、橋も両市町で管轄。しかし、75年に行政区域が変更され、両岸とも小樽市となったため、小樽市のみの管轄となった。このころまでには、付近に残っていた漁業者宅は全て転居し、利用者はほとんどいなくなった。

 木製だった橋はたびたび水害に遭い、流された部分を鉄製に更新。長さ139メートルのうち石狩側に残っていた44メートルの木製部分が85年に老朽化で崩落し、通行止めになった。(以下略)





 この記事にはありませんが、この橋の名の「オタルナイ」こそ、「小樽」の地名の起源です。
 江戸期、「ヲタルナイ場所」がこのあたりにあり、サケやニシンなどをとっていました。18世紀にヲタルナイ場所の中心が、現在の小樽市入船あたりに移り、「ヲタルナイ(あるいはヲタナイ)」の地名も一緒に移動したようです。この附近には「小樽内」の地名は残ったものの、上の記事にあるとおり、1970年代までには住民がいなくなりました。

 もっとも、新川の開削以前、この下流部は、旧星置川のものだったと思われます。「星置」と「小樽内」では、えらい違いです。上中流と下流では、呼び名が異なったのでしょうか。アイヌ語で「オタ」「ウタ」は砂浜、「ナイ」は川ですから、地勢に合っているといえそうですが。
 先の地図の左下のほうで、海岸線とほぼ並行して流れる細い流れが、旧星置川(現在の名は「清川すみかわ」)です。

 ややこしいことに、いまは「小樽内川」といえば、豊平川の支流で、札幌国際スキー場のあたりを流れて定山渓で豊平川に注ぐ川なのです。
 

 ところで、筆者はこの「小樽内橋」のことを知りませんでしたが、廃橋マニア? や郷土史好きなどの間ではそれなりに有名だったようで、ネット検索をすると、たくさんのサイトやブログがヒットします。
 一部を、下にリンクさせておきました。
 ただ、下のリンク先はきちんと書かれていますが、それ以外には、ろくに調べもしないででたらめな推測をしているブログも多く、びっくりします。

 いずれにしても、一度は行ってみたいものです。
 公共交通機関ではかなり不便だと思いますが。


http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doo/1-0256377.html

参考
北海道バンザイ「【小樽発祥の地!】オタルナイ集落跡」
渋川新聞販売所 Webぽれーる 第108号 星置の歴史を歩く(第6回)
□ブログ「第六の絶滅」 小樽樽川三線 小樽内橋について その2
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ギャラリー犬養に貼ってあった地図

2015年12月21日 09時35分29秒 | さっぽろ川あるき
 
 飴屋晶貴さんの鉛筆画展「菊乃と佐兵と青沼静馬」がギャラリー犬養(札幌市豊平区豊平3の1)で12月16~21日に開かれています。
 この鉛筆画は、かなり精緻なものですが、今回はその紹介ではなくて(飴屋さん、すみません)、会場の一角になぜか貼ってあった、1964年の札幌市地図が気になったので、そのご報告です。



 これほど、伏籠ふしこ川の下流域をいきいきと描いた昭和期の地図は珍しいと思います。
 当時ほんとうにこれだけの水量があったかどうかは別にして…。

 この6年後、1970年ごろの地図となると、札幌小学校(冒頭地図の「伏籠公園」の右側の上にある「文」マーク)より上流には、川は描かれていないのです。

 ちなみに、冒頭地図のちょうど中央、道が「へ」の字になっているあたりに、農協支所があり、それは現存しています。品品法邑からモスバーガーのほうに歩いていったあたりです。

 いまでも品品法邑から南側を見ると、道路が大きくへこんでいるのがわかります。
 これは、大友堀の跡というよりも、伏籠川の跡というべきなのでしょうか。

 そして、北16条以南に「東16丁目通」がないのもすごい。
 北16条以北の東16丁目通もなんだか細くて、このあたりに人家がほとんどないことが推察されます。とても、いま地下鉄が走っているとは思えないのです。






 円山北地区の地図。
 卸売市場の近くを、蛇行しながら流れるさかい川、そして西21丁目附近を流れる支流(札幌市と旧円山村の境界である)がはっきりとわかります。

 北5条通と西20丁目通にも市電が走っていました。

 北1西24(模型店のあたり)には、むかし「円山映劇」がありました。
 入ったことないけど、「三大怪獣の決戦」のポスターが貼ってあったのをおぼえています。
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■本郷新記念札幌彫刻賞受賞記念 谷口顕一郎展 凹みスタディ―札幌―(2015年7月11日~9月27日、札幌)

2015年10月09日 21時17分08秒 | さっぽろ川あるき
 
 この展覧会について紹介するなら、まずは次の3項目について書くのが常道だろう。

1. 谷口顕一郎さんはどんな人か

2. へこみとはどういう概念か

3. 本郷新記念札幌彫刻賞とは何か

 しかし、順序立てて述べていくのもつまらないので、ここでは、谷口さんが今回の個展のテーマに据えた琴似川のことから書き始めたい。

 豊平川はもちろん、厚別川や新川などとくらべても、札幌の中での琴似川の存在感は小さい。
 しかし、琴似川の水系は、札幌を流れる天然河川でも、いちばん中心に近いところを通っている。

 冒頭の画像は「札幌市東区北51条東10丁目 栄緑小学校前」。
 この題名を見て、琴似川マニアの筆者は、思わずニヤリとした。

 栄緑小学校の裏手に、旧琴似川(琴似川の本来の下流部分)が暗渠から地上に顔を出す地点があるからだ。





 アイヌ民族はかつて、川を、山から海へと下っていくというとらえ方ではなく、海や合流点から山へとさかのぼっていく存在と見なしていた。
 ここではそれに倣って、茨戸川(かつての石狩川)から、山の中へと、琴似川の流れをたどっていきたい。

 山田氏の著書「札幌のアイヌ語地名をたずねて」などによると、琴似川の旧称は「ケネウシペツ」。
 「コトニ」というのは、現在の知事公館に端を発する小川をさしていたらしい。
 琴似から遠く離れた北大構内を流れる小川に「サクシコトニ川」という名がついているのは、その、知事公館からの流れの支流だからである。
 ケネウシペツとコトニの合流点よりも下流は「シノロ」と称した。
 言うまでもなく、篠路の語源である。

 現在、「篠路川」は、伏籠川下流の分流についた名である。




 筆者はまだ現地に足を運んだことがないが、地図を見ただけで、うれしくなってくる。
 190万都市札幌の市内に、原始の蛇行の跡をこんなにも残した川が流れているのだ。

参考リンク:川の名前を調べる地図 http://river.longseller.org/rc/8101030006.html


 現在、ガトーキングダムのあるあたり、「茨戸公園」には、明治期に、自然との調和を図った石狩川の治水計画をまとめた若手技師、岡崎文吉が設計した護岸ブロックが今も残っているという。
 今回、谷口さんが、美術館の吹き抜けに設置した大作「岡崎文吉のための凹みスタディ―札幌市東茨戸―#1(3倍スケール)」は、岡崎に寄せて制作されたものだろう。





 「岡崎文吉のための凹みスタディ―札幌市東茨戸―エディション5」「岡崎文吉のための凹みスタディ―札幌市東茨戸―#2」。




 さて、旧琴似川が、伏籠川に注ぐのは、龍雲寺のすぐ近くである。
 この寺は明治29年の地図にすでに記載されており、当時から、合流点はほとんど変わっていない(伏籠川の流路は相当、人為的に直線にされてしまったが)。
※上記センテンス、10月20日に追記しました。

 ここから上流のほうへたどると、まさに篠路駅の東側、旧篠路村の中央部を流れていることがわかる。



参考リンク:川の名前を調べる地図 旧琴似川 http://river.longseller.org/rc/8101030016.html


 「札幌市北区篠路 たまねぎ倉庫」は、JR篠路駅の近くにあった石造りの倉庫から凹みを採取したものだろう。

 今のようにトラックが物流の主役になる前は、駅のそばに農業用の倉庫があるのは、ごく当たり前の光景であった。
(現在でも、あちこちの駅の近くに倉庫が残っている)

 篠路村の中央部からさらに上流側で、旧琴似川は「百合が原公園」の境界線を流れている。
 そして、栄緑小のあたりで、地下にもぐってしまう。

 近くの、文教堂やラッキーの駐車場の土地区分が、曲線になっているのは、むかし旧琴似川が流れていた時代の名残だ。

 旧琴似川は、北49条附近で、創成川をまたぐように流れていた。
 ただし、創成川よりも上流側は、早くに流れがなくなってしまったため、かつての流路をたどるのは極めて困難だ。
 大正時代の地図を見ると、和光小のあたりに川が記されているが、現在そこを訪れても、川の痕跡は全くない。

 地図上で比較的わかりやすいのは、北26西13にある「エルムの森公園」。
 この公園の外周は曲線になっているが、これは旧琴似川の流路をほぼ踏襲している。




 同公園から南下すると、北大の第二農場に突き当たる。
 そこから、さして遠くない地点で、琴似川が再び地上に出てくる。
 サクシコトニ川(正確には、サクシコトニ川を合わせた桑園新川)と琴似川の合流地点である。ここから先は「旧琴似川」ではなく「琴似川」である。

 この地点から、北西方向に一直線に石狩湾をさして流れているのが、明治期に開削された人工の「新川」である。
 手稲、発寒地区の水はけが悪かったため、一帯に滞留している水を抜くために掘られたのだが、琴似川の水は、ほとんどこの「新川」に奪われる格好になった。
 先ほど「早くに流れがなくなってしまった」と書いたが、これは新川のためだ。

 なお、琴似発寒川との合流地点までは、「新川」下流部に「琴似川」という正式名称が付けられているが、この命名は、本来の琴似川と何の関係もない。

 この附近は、武蔵女子短大や脳神経外科病院のある閑静な地区だが、札幌五輪前までは家畜の屠殺場があった。琴似川が、牛や豚の血で赤くなっていたという話も聞いたことがある。


 ところが、ようやく地上に顔を出した琴似川は、数百メートル上流で再び道路の下にもぐってしまう。
 1970年代に、片側3車線の「環状通」が整備された際、琴似川の流路が利用されたのだ。
 むろん、自然河川の琴似川がこんなにまっすぐなはずはなく、60年代以前の地図を見ると、もっと蛇行していた。
 蛇行は札幌競馬場の敷地に吸収され、今は跡があるかどうかも分からない。

 鉄工団地通(JR函館線の北側を並行している道路)に架かっていたのが「琴似橋」である。
 70年頃まで、近くには釣り堀があったようで、いろいろな地図に掲載されている。


 簡潔に書いてきたつもりだが、長くなってしまったので、上流部分は別稿にゆずります。もう少し、おつきあいください。


2015年7月11日(土)~9月27日(日)
本郷新記念札幌彫刻美術館(札幌市中央区宮の森4の12)


参考リンク
河田雅文さんの個展を見て、琴似川を思う
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澄川排水(4)

2014年12月22日 23時14分00秒 | さっぽろ川あるき
(承前)

 前項(3)で予想したとおり、右手の道は、旧河道に沿っているらしい。

 上の画像で見るとわかるが、左側が小さながけになっている。
 そこを、かつての澄川排水が流れていたようだ。
 



 もっとも、左側(西側)のへこみがはっきり分かるのは、短い区間で、あとは住宅地の中に埋没してしまう。



 川はさておき、この一帯(豊平区平岸4条16丁目)の一大特徴は、札幌市にしては極めて道路幅が狭いことである。画像からも一目瞭然である。

 札幌は冬の積雪に備える意味もあって、本州以南のマチに比べると、道路幅は一般に広い。
 すすきのの外れから山鼻北部にかけての一帯や、東橋周辺など、狭いところもあるにはあるが、どこもみな直線道路である。
 この平岸4の16のように、道幅が狭い上に、曲がりくねっているという地区は、札幌ではほかに、琴似の一部にしか見られない。



 このことは、わざわざ現地に行かなくても、地下鉄南北線の真駒内行きに乗り、南平岸駅を過ぎたあたりから、シェルター越しに確認できる。




 このあたりに来ると、川の跡は、まったく確認できない。





 HTBへと上る坂道。
 南平岸駅まで来たので、ここで澄川排水の探索はいったん終了することにする。

 後半の、白石方面への下流の探索は、後日に譲りたい。


(後半の再開時期は未定) 


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澄川排水(3)

2014年12月16日 22時42分00秒 | さっぽろ川あるき
(承前)

 引き続き、北へ向かって歩く。
 地下鉄南北線の澄川―南平岸間と、平岸霊園がある高台の間の地区を、かつて流れていた「澄川排水」の跡をたどる小さな旅の続きである。

 このあたりは、高層住宅が多い。
 ただし、5~8階ぐらいの建物が多く、それほど新しいものではなさそうだ。

 冒頭画像、右手に高層住宅が見える。その下の道路のあたりを、昔は澄川排水が流れていたものと推察される。



 左側の住宅の1階には、地元コンビニエンスストアであるセイコーマートが入居している。




 セイコーマートが画像の左手(つまり北)にあたる地点で撮影。
 東側を望んで、わずかに道路がくぼんでいるのが分かる。

 ちなみに、この道路は、南区澄川と豊平区平岸との境界になっている。




 豊平区に入り、さらに北へと歩を進める。
(画像は、南側を向いて撮影)

 左手の高層住宅「モンテベルデ澄川」は、築40年前後は経過していると思われる。
 3フロアごとに廊下があり、エレベーターがとまる、というスタイルは、まだ高層住宅が珍しかったころに採用された。たとえば、6階や8階の住民は、7階でエレベーターをおりて、階段を上がったり下がったりして自室に到達するのである。

 気になるのは、1970年ごろの地図では、この住宅のあたりは、縦長のくぼ地になっていること(地図で見ると、蚕か芋虫がそこにいるかのようだ)。
 川の跡の地形かもしれないし、この大きな建物の工事のために生じたくぼ地かもしれない。




 これも、南側を向いて撮影。




 さて、さらに進んでいくと、道が二股にわかれている。




 札幌は直線道路が多く、こういう風景は非常にめずらしい。

 右側の道のカーブがなんとなくあやしい。
 右側の道を歩いてみることにする。

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澄川排水(2)

2014年12月06日 01時19分00秒 | さっぽろ川あるき
(承前)

 札幌市南区澄川4の2、4の3附近は、福住桑園通と、澄川駅の裏を斜めに走る道路との三叉路があって、このあたりでも最も交通量の多いところ。澄川排水は、この三叉路の近くを流れていたと考えられる。



 三叉路の道路わきに立つ町内交通安全の碑。

 大正期に出た5万分の1地図では、この三叉路の附近(当時、福住桑園通はまだ全通していない)を南北に貫くように、水田の区域が走っている。
 当然、川に沿って水田が開かれたとみるべきだろう。

 上の画像で、左側の歩道わきに狭い三角形の庭があり、その一角に
「澄川水田発祥の地」
という小さな石碑が建っていた。
 ところが、あろうことか、昨年、駐車場にするために庭は整地され、碑も取り去られてしまったのだ。

 確かに、札幌や北海道の水田ならともかく、澄川の水田というのは、マイナーかもしれない。
 それにしても、1台か2台分の駐車スペースのために、歴史あるものを撤去してしまうというのは、どういうことなんだろうと驚く。



 狭い通りだが、路線バス(ただし上りのみ)も通っている。
 この道路と、福住桑園通、平岸街道の3本の道が、直角三角形をかたちづくっている。

 画像の、左側の家は、ろまん亭というお菓子屋さん。

 


 澄川4条2丁目の8と7の間の道を、先述のななめ通りから眺める。

 あきらかに、道がくぼんでいる。

 今回歩いてみて、澄川排水の跡を初めて認知できた。




 ここも真ん中が低くなっている。
 かつての河道の跡であろう。




 澄川4条2丁目から4条1丁目にかけては、澄川排水によって形成された河岸段丘とおぼしき高低差もある。






 澄川4条1丁目の2と3の間の道は、途中で階段となる。

 この段差のすそが、河道とイコールかどうかはわからないが…。


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澄川排水(1)

2014年12月02日 23時13分00秒 | さっぽろ川あるき
 
 「澄川排水」とは、1960~70年代初頭の地図に記されている小さい川である。流域の大半は直線化されているが、おそらく元々は自然の河川であると推察される。

 国土地理院が1971年に発行した「札幌 1万5千分の1都市機能図」に記載されている最も上流の地点は、現在の札幌市南区澄川4条5丁目と6丁目の境界附近。
 そこから、地下鉄南北線と、平岸霊園のある丘陵の間の低地を流れる。
 同上の地図では、豊平区平岸3条17丁目附近でいったん消失しているが、その後、東山小の南側でふたたび姿を見せ、北東方向にジグザグに流れる。
 そして、平岸街道を流れていた排水から分流した流れと、平岸6の9の「やまばと公園」のあたりで合流。その後、美園12の6から、豊園小の横を通る幹線道路に沿って流れ、最終的には、白石区中央の白生公園や西白石小の近くで、望月寒(もつきさむ)川に合流していたようだ。

 この川についての文献は、筆者はほとんど見たことがない。

 ただ、以前、郷土史の冊子で、上記の美園から白石区中央に至る道路に沿った川について「人工の川ではない」と力説している古老がいる―というくだりを読んだ記憶がある程度である。


 筆者は、今のところ、平岸の南半分までしか、この川の跡を歩いていない。そして、その範囲では、川の痕跡らしきものを、全く発見できていない。

 冒頭に掲げた写真は、1971年当時の地図で、最も上流部にある附近。
 川の痕跡も、高低差も、わからない。

 したがって、この澄川排水が、このあたりの湧水を起源としていたのか、あるいは精進川の分流なのかを判断する材料も皆無である。

 


 当時から、この地域のランドマークになっているのが、林下病院。
 ただし、さすがに近年、建て替えたようで、地図と形状が変わっていた。

 1971年当時の地図では、平岸街道の交番附近から流れてきた流れが、同病院の南から東へと折れ曲がり、北東側で、澄川排水に合流するということになっている。




 病院と、手前にあるアパートとの間で、流れが折れ曲がっていたはずだが、現在は全く名残はない。




 1971年には田や畑のあった地域だが、完全な住宅地になっている現在では、川が流れていたことを想像することも困難である。

 区画整理の中に、すっかり埋没してしまったのだろうか。


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2013年9月1日は10カ所・続き (追記あり)

2013年09月02日 01時23分45秒 | さっぽろ川あるき
(承前)

※後半部分に、脱落がありましたので、もう一度アップします。



 前項の話を要約すると、「札幌彫刻美術館」から「ギャラリー門馬」まで公共交通機関を使って行こうとすると、

「円山公園駅バスターミナルでバスを乗りかえる」

という手段が一般的だと思われるが、それだと、円山の東側にいったん迂回するため遠回りになる。
 だったら、

円山の西側を南下して、あとは歩いたほうが近いじゃん!

ということだった。


 さっそく、円山の南の山すそを、東に向かって歩き出す。

 このルートでは、4本の川を渡る。最初は、円山西町排水である。「排水」といっても、自然の河川で、円山動物園の園内で、円山川に注いでいる。

 その200メートルほど東側でわたるのが、円山川。ここは少し谷になっていて、道はここまでゆるやかな下り坂となっている。
 
 円山川を越えると、道は上りになる。
 その附近から、振り返って後ろを見ると、神社山が見える。

 神社山は、円山の西側にある小さな山で、高さ、形状とも、円山によく似ている。
 ただし、札幌の市街地からは、円山に隠されて見えない。

 円山と神社山の間の谷間に広がるのが、円山動物園である。
 ちなみに、円山川は、この谷を流れている。
 具体的には、動物園の園内を流れてから、円山の北側の山すそを通り、円山公園の中を横断して、北1条通から北側は暗渠あんきょになっている。

 坂を上りきったところにあるのが「円山西町あおぞら公園」だ。
 ここからの眺望はすばらしい。
 まっすぐ眼下に旭ケ丘地区も見える。

 ここから双子山地区への道は、たいへん急な下り坂である。
 「円山西町2丁目」→「旭ケ丘」ならいいけど、その逆は、かなりつらそうだ。

 三叉路さん さ ろ を左に折れて、しばらく行くと「三角公園」が見えて、藻岩山麓通に合流する。
 双子沢を渡るが、水はまったくない。
 すぐに、界川さかいがわの四つつじである。
 この四つ辻のそばで、界川を渡る。双子沢は、界川の支流である。

 ここまでくれば、ギャラリー門馬はすぐだ。

 けっきょく、「円山西町2丁目」バス停から、ギャラリー門馬まで、徒歩20分だった。

 門馬とアネックスでは、京都造形芸術大学教員と北海道OB展を見た。

 門馬から都心までは、門馬のオーナー大井恵子さんに、車で送っていただいた。

 さいとうギャラリーで、長谷川雅志展など。

 南1条通は「だい・どん・でん」の会場になっており、大にぎわいだった。一輪車に乗った少女たちがぐるぐる回っていた。大林監督の映画を思い出した。

 大丸藤井セントラルは、サンクスセールのためかなりの混雑だった。
 7階のスカイホールで、北海道女流書作家集団展を見る。

 北2条まで歩き、白樺画廊で「ピルカ展」。
 次に、大同ギャラリーで浅川茂展
 浅川さんは帯広の画家だが、17年ぶりぐらいにお会いして、話をした。
 3日まで。

 さっぽろ駅から地下鉄南北線、東西線に乗る。

※以下の段落が脱落していたので、追加します。

 バスセンター前でおりて、市民ギャラリーへ。新道展を見る。
 展示点数は過去最多のようで、ややくたびれて、上の階のいすでうたた寝していたら、表彰式に出る前に会場を見に来ていた部長(上司)に目撃されてしまった。
 最古参会員の今荘義男さん、表彰式に呼ばれた阿部典英さんと評論家の柴橋伴夫さんに会う。典英さんは7月に置戸でお会いしているが、ほかの2人は久しぶり。

(以上追加)

 ふたたび東西線に乗って、「西11丁目」降車。
 市資料館に寄ってから、コンチネンタルギャラリーで大橋英児写真展。銀塩モノクロの美しさをひさびさに堪能した。
 こちらは5日まで。

 ふたたび東西線と南北線に乗り、大同ギャラリーに忘れた傘を取りに。
 いまは「チ・カ・ホ」と大同生命ビルがつながっていて、ギャラリーまでエレベーターで行けることを知り、ちょっと感動。
 さっぽろ駅から南北線で中島公園へ行き、ト・オン・カフェへ。久しぶりに中村さんと、国際芸術祭の話などをする。

 以上10カ所。
 太字で書いた展覧会は、近く別項で紹介する。

 ご案内をいただいていながら、まだ足を運べていない展覧会がいくつかあるが、平日のうちになんとか時間をひねり出して、お伺いする予定です。


 15451歩。
(ちなみに8月31日は6914歩)
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真駒内本町の裏道

2012年08月01日 22時59分44秒 | さっぽろ川あるき

 古い札幌の地図を見ると、札幌市南区の真駒内本町・曙町から豊平川へと北に向かって注ぐ小さい流れが書かれていることがずっと気になっていた。
 ごく短い川なのに、多くの地図に記載があるからだ。

(ただし、文献類でこの川に言及したものは、筆者は未見である。よって、名前もわからない)

 源流は、交番や神社のあるあたりのようだ。
 


 地図を見るとわかるが、真駒内神社から北へと向かう道はカーブしている。
 これは、道の東側が高くなっているためで、この段差は河岸段丘かもしれない。



 となると、この道がかつての小川にだいたい沿っていると考えられる。



 札幌の政令都市施行(1971年)以前からある住所表示板のスタイル。
 区の表記がないのは当然として、「真駒内」抜きで、いきなり「本町」になっている。

 突き当たりの緑は、地図で見ると真駒内神社と公園になっている。
 神社があると知っていたら立ち寄っていたと思う。
 湧水の場所に神社を建立したという可能性もあるからだ。

 なお、札幌は扇状地の上に建設された街なので、路面に階段が設置されている箇所は、ありそうで意外とない。
 小樽ならあちこちにあるのだが…。
 札幌で路面が階段になっているのは、中央区の伏見、南区の澄川ぐらいしか筆者は知らない。


 なお、1971年に地下鉄南北線が開通する以前は、真駒内本町が、真駒内の中心で、商店や飲食店などが並んでいた。
 ここには、札幌市営バスの営業所もあり、交通の要衝でもあった(現在は、じょうてつバスの営業所)。

 いまは、人の流れもバス路線もすっかり真駒内駅のほうに移ってしまった。
 真駒内本町で発着するバス路線もまだ何本かあるが、利用する側からすれば、ここでおろされても真駒内駅から遠いので、あまりうれしくないのだ。
 ゆっくりと真駒内本町はにぎわいを失いつつある。

 特撮映画「ガメラ2」では、真駒内本町の「ホシ チェーンストア」前を自衛隊の戦車が通過する場面がある。
 しかし、いまその建物からスーパーマーケットは撤退し、空き店舗になっている。

 真駒内本町の中心交叉点には、パチンコ屋があり、宇宙的なデザインの飾りが楽しい。
 いまも営業しているのだろうか。

 この交叉点から北に行くと、左手にすぐバス営業所があり、その先は藻岩橋で、石山通に通じている。
 右手に行くと、豊平川と自衛隊の駐屯地の間を通る国道だ。  



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旧小町川 (北見市中心部)

2011年12月05日 23時35分26秒 | さっぽろ川あるき

 まったくどうでもいい話ですみません。

 札幌在住時代はたまに小河川やその痕跡をさぐって散歩していましたが、北見でも先日、やってしまいました。

 とはいっても、それが目的の散歩ではなく、歩いていたらたまたま気がついた、という話。

 北見は札幌に比べると小河川が少ないように思います。
 常呂川と無加川という大きな川の合流する盆地にできたマチの割には。

 この小町川は、昔は北見市の中心部を流れていましたが、たびたび洪水を起こしたため、1970年代以降、流路を大幅に変更させられました。
 街中から外れたところに広い水路を掘ったのです。

 撮影地点は、下の地図の中心部分である。



 ちなみに、地図で「やなぎ歯科」と、南北に走る道路の間にわずかなすき間があるが、これも昔の川の跡。いまは単なる空き地。
 さらに、その南北の道路から東南東に走る細い道があるが、これもかつての小町川の跡につくられた遊歩道である。

 


 その川の跡を背にして立つ石碑。
 このあたりは、屯田兵の本拠地であったらしい。




 川べりの家々を、反対側から見た。

 こういう古い家は、北見には実に少ない。
 小樽や旭川を歩くと、古い家を眺めるのが楽しいのだが、北見は戦後急速に発展した都市であるため、そういう楽しみはほとんどない。
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