北海道美術ネット別館

美術、書道、写真などの展覧会情報や紹介。毎日更新しています。2013年7月末、北見から札幌に帰還。コメントはお気軽に。

平和を。 John Lennon - Happy Xmas (War Is Over)

2017年12月24日 06時46分17秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
John Lennon - Happy Xmas (War Is Over)


 クリスマスといえば、この曲です。

 現在の国際秩序というのは、第2次世界大戦をきっかけに
「もうあんな戦争はこりごり。繰り返してはならない」
という動機でつくられたものが多いのですが、どうも最近、そのあたりを忘れている政治家・指導者や、それに阿諛追従する人々が目に付くようです。

 きたる2018年が、平和でおだやかな年でありますように。

 
コメント

■伊藤隆介作品上映会 (2016年12月30日、札幌)と「第2マルバ会館」 ※訂正あり

2017年01月16日 21時39分03秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
※訂正。「第2まるバ」を「第2マルバ」と改めました。2017年4月5日




 この記事は本来は昨年8月の近藤寛史さん上映会の際か、あるいはもっと早く書くべきでした。近藤さんの上映会の記事をまだ書いていないために、こんなに遅い紹介になってしまいました。申し訳ありません。


 「まるバ会館」は1999年、札幌市南区澄川、地下鉄南北線自衛隊前駅のすぐ前に、映像作家の吉雄孝紀さんや伊藤隆介さんが中心となって開設した、自主映画の上映スペースです。2004年に閉鎖になるまで、両人の作品はもちろん、道内外・海外のインディーズ映画を毎月上映していました。
 2003年には学生ら常連客が中心となり、3日間にわたるイベント「北海道映像の新世代」を札幌中心部で開くなど、まるバ会館は、間違いなくこの時期の北海道アートシーンに大きな刻印を残したと言えると思います。

 この、いわば伝説のインディペンデントスペースが、なんと2016年に「第2マルバ会館」として復活を果たしたのです。
 場所も、旧スペースのすぐ近く。かつてクリーニング店だったところで、当時の看板はそのままになっています。
 自衛隊前駅で地下鉄を降り、改札口を出て右側出入り口から外に出ると、目の前です。左側はセブンイレブンで、これは迷いようのない好立地です。

 春から月1回の上映会を開いています。
 なぜか中には、昔の洋楽のアルバムや、古いビデオなどがいくつも置いてあります。
 大手の映画館はほとんどがデジタル上映に移行するなかで、フィルム上映のできる設備は貴重なものだといえるかもしれません。



 札幌在住ながら道外や海外での発表のほうが圧倒的に多い伊藤隆介さんの上映会が、こんな手作り感満載のこぢんまりした会場で開かれるというのは、おもしろいと思いますし、若い人はおおいにありがたがって、見に、駆けつけるべきではないでしょうか。

 この日の上映作品は

版 #19-22 (2003)
Plate #23 songs (2003)
House hold Movie (2005)
Plate #26-29 (2007)
A Flat,Split Reel(2008)
Plate 43-44 (The Folked Tougues) (2009)

 最後の1本は「私がスパイだったら」の改作のようですが、日本語の題名表示がありません。

 「版」(英語表記で Plate )シリーズは、古いフィルムをカットアップして切り貼りし1枚の平面作品に仕上げ、それをずらして映すもの。
 他の2本も同様のスタイルで作られています。
 短い映像とノイズが繰り返される実験的な作品で、パーフォレーション(両サイドの穴)などが画面を横断するたびに、フィルムの物質性があらわになります。

 おまけとして、これから素材にしようとしている映画の関連フィルム(予告編というより、何かの宣伝?)が流されて、1970年代のB級邦画のトンデモなさに、会場から笑いが起きていました。

 この後、伊藤さんのトークがあり、忘年会となりました。
 伊藤さんのお話は、ひさびさに? 名調子でした。

 


□第2マルバ会館 https://malva2.jimdo.com/
□第2マルバ会館 Facebook https://www.facebook.com/2malva/

□Ryusuke Ito http://www.ne.jp/asahi/r/ito/indexjpn.html

関連記事へのリンク
そらち炭鉱の記憶アートプロジェクト2014
私がスパイだったら~イメージフォーラム・フェスティバル (2014)
札幌国際芸術祭2014プレイベント第1弾「札幌の芸術文化史を知ろう!」札幌芸術文化史公開トーク 全10回開催 3・札幌アートのリニューアル―ベルリンの壁崩壊以降の流れ― (2013)

幻影をもとめて (2012)
【告知】第4回恵比寿映像祭:映像のフィジカル (~2012年2月26日、東京)
森山大道×伊藤隆介トークショーを、Ustream放送で見て

【告知】ウルトラマン・アート!(2010年9月18日~11月28日、道立旭川美術館)
ラブラブショー(2)
サンフランシスコ・SFMOMAで伊藤隆介作品を見る「Measurement in the Impermanence:Contemporary Japanese Avant-Garde Film」
伊藤隆介さんから来ていたメールをわすれていた
SAPPORO ART PLANETS展
(以上、画像なし)

伊藤隆介「Realistic Virtuality」 (2008)

SCAN DO SCAN (07年)

FIX! MIX! MAX! 現代アートのフロントライン(06年11月)
06年の個展(札幌芸術の森美術館)
Interaction ドイツ展帰国展(06年1月)

04年の個展「Japanese Style」
伊藤隆介映像個展(03年)
伊藤隆介展(03年)
ビデオレター sapporo映像短信(03年)
アジアプリントアドベンチャー2003

ぼくらのヒーロー&ヒロイン展(02年)
northern elements (02年)
札幌の美術2002
コメント

■SENSE EXHIBITION 01 (2016年5月3~31日、札幌)

2016年05月14日 21時02分12秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
 札幌を拠点とする「Sen Se」レーベルの、ミュージックビデオや、グラフィックの展覧会。

 入り口附近のモニターで上映されていた、Anokosの「20140504―20150804」が抜群にカッコイイ。
 ある公園の斜め向かい側の同じ位置にムービーカメラを設置し、長期間にわたる映像を細切れにしてつないでいる。
 定点から撮った長い時間の映像を短時間に詰め込んで、速回しのように流すという手法は、ありふれている。ある公園の春夏秋冬を3分間に縮めてみました、という映像なら、ふだんからよく見かける。
 ところがこの作品は、映像がめまぐるしく入れ替わり、ところどころで時系列が逆行して、園内の木に桜が咲いたかと思えば周囲がすっぽり雪で覆われ、また数秒後には紅葉の風景が出てくるなど、映像のつなぎ方に意外性とひらめきがあり、演歌的なウエットな情緒からまぬかれているのだ。
 そして音楽。Sen Se レーベルはデジタルを主戦場としてきただけに、さすがのシャープなできばえ。
 個人的な思いですが、デジタルミュージックと映像の組み合わせで、これほどまでに「カッチョイイ!」と感じたのは、10年余り前に近藤さん(当時、道教大の院生)の映像を見て以来ではないかと思います。

 もうひとつの壁面には、同レーベルが作ってきたミュージックビデオがループで流れている。計24分ほどある。これもカッコイイ。

 Sen Seは、音源の発表だけでなく、エレキネシスというイベントの開催などを通じて、札幌のデジタルミュージック・シーンの活性化を図ってきたらしい。

 まあ、音楽の場合、好き嫌いという要素は大きいのですが、かつてスクエアプッシャーやエイフェックス・ツインを好んで聴いた自分にとっては、「ツボ」ともいえる音色。この手の曲が好きな人には、おすすめです。


2016年5月3日(火・祝)~29日(日)午前11:00~午後7:00(月曜・第3火曜休み)
クラークギャラリー+SHIFT (札幌市中央区南3東2 MUSEUM 2階)

□SenSe http://sense-sapporo.jp/
http://uncannyzine.com/posts/35443




・地下鉄東西線バスセンター前駅3番出口から約330メートル、徒歩5分

・地下鉄大通駅36番出口から約400メートル、徒歩6分

・地下鉄東豊線豊水すすきの駅1番出口から約450メートル、徒歩6分
コメント

■建築家 田上義也のスケッチ展 (2016年4月2~17日、札幌)

2016年04月13日 01時11分11秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
 ギャラリー創は建築家がオーナーであるだけに建築をテーマとした企画展をたびたび開いています。
 今回は、北海道の建築家の草分け、田上義也たのうえよし や の、遺族から借り受けたスケッチ帳がテーマ。かなりのページをカラーコピーしており、それらは自由に見ることができます。

 田上義也(1899~1991)は、著名な建築家フランク・ロイド・ライトに師事して帝国ホテル(東京)の設計に携わりますが、ホテル落成の日に、関東大震災(1923)に見舞われ、バイオリンを手に北海道へと渡ります(谷崎潤一郎や岸田劉生ら、震災を機に関西へ移転した文化人は多いのに、田上さん! YOUは何しに北海道に? と思いますよね)。

 田上は来道と同時に、道東北や千島にも旅しています。
 今回は、大震災の被害状況や、列車の車窓から見た道東北の風景(車内の人物を含む)のスケッチが多く見られます。
 「留萌」「豊頃」といったただし書きのあるスケッチは、走りがきなので、それほど顕著な絵画的、建築的な興味を抱けるわけでは、正直なところ、ありません。

 個人的に驚いたのは、関東大震災のスケッチです。上野の山から燃える家並みを見たり、赤坂見附で倒れる神馬を、一部着彩して描いているのですが、作品から受ける印象が、宮崎駿氏の長編アニメーション「風立ちぬ」のそれと、よく似ているように思われるのです。

 筆者がもともと関東大震災について抱いていたイメージ(映像的印象)は、教科書や歴史の本に載っていた、不鮮明なモノクロ写真に負う部分が大きいです。
 だから「風立ちぬ」を見たときは、海の波のようにうねる屋根の列や、上野でごった返す被災者など、鮮明なイメージの連続に、意外な感に打たれるとともに、「さすが宮崎駿」という感想を抱いたものです。
 「風立ちぬ」制作にあたって田上義也のスケッチを参照したとは思われないので、宮崎駿のイマジネーションの力に、あらためて脱帽しました。あるいは、田上のスケッチ力と観察眼の確かさをほめるべきなのかもしれませんが。

 もう一つ驚いたのは、田上義也の精力的な仕事ぶりです。

 彼の名前が新聞などに載るときは、坂牛邸などの古い家や道内各地のユースホステルについての記事のときがほとんどですが、略年表が会場にあり、それを見ると、手がけた建物があるわあるわ。
 札幌市教育文化会館や彫刻美術館、北1条の教会、後志管内岩内町のうきよ、北海道銀行本店などは知っていましたが、カナリヤ(南1西2の布を売る店)や渡島管内八雲町役場は、知らなかったなあ。


2016年4月2日(土)~17日(日)午前11時~午後6時(最終日~5時)、火休み
GALLERY 創(札幌市中央区南9西6)

16日(土)午後4時からギャラリートーク:角幸博、田上茂の両氏





・市電「山鼻9条」から約110メートル、徒歩2分
・地下鉄南北線「中島公園」から約350メートル、徒歩5分

・ジェイアール北海道バス山鼻環状線「南9条西7丁目」から約180メートル、徒歩3分
・中央バス西岡平岸線「中島公園入口」から約670メートル、徒歩7分
・じょうてつバス「南9条西11丁目」から約750メートル、徒歩9分

・トオンカフェから約500メートル、徒歩7分ぐらい


関連記事へのリンク
早春の網走へ オホーツクところどころ(14)=田上義也の代表作、網走市立郷土博物館の外観写真が載っています

井内佳津恵「田上義也と札幌モダン 若き建築家の交友の軌跡」(北海道新聞社 ミュージアム新書) =本の紹介のページです
コメント

ジョージ・マーティン追悼

2016年03月10日 01時01分01秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
 北海道にもアートにも関係ないのだけれど、ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンが亡くなった。90歳だった。
 もし彼がいなければ、ビートルズは、リバプールのローカルなロックンロール・バンドとして活動し、解散していた可能性が大きい。その意味では、20世紀後半の音楽、若者文化を変えるきっかけを作ったのは、まさに彼だった。
 楽譜も読めなかった4人に対し、レコーディングの何たるかを教えられたのは、彼をおいていない。

 ジョージ・マーティンはビートルズの仕事だけをしていたわけではない。
 EMIに勤め、エラ・フィッツジェラルドやジュディ・ガーランド、スタン・ゲッツなど多くのミュージシャンのレコードを手がけているし、ビートルズの後でもジョン・マクラフリンやジェフ・ベックのプロデュースを担当している。
 また、ビートルズ以前にも、コメディレコードなどを多くプロデュースしており、その引き出しの多さが、ビートルズのレコーディングに大いに貢献している。

 「ロックンロール・ミュージック」で、ジョンやポールとごきげんなピアノ演奏を聞かせているのも彼なら

 「イン・マイ・ライフ」のチェンバロ間奏をみごとに弾いているのも彼だし、

 「イエスタデイ」の弦楽四重奏のスコアも書いたし、

 「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」のレコーディングで、ピッチもキーも違う二つのテイクをつなげてほしいというジョン・レノンの無理難題に応えたのも彼だ。


 彼の「耳こそはすべて」を読むと、当初はジョージ・マーティンとビートルズは、先生と生徒のような関係だった。しかし、物覚えの速い4人はすぐにレコーディングについても理解し、あっという間にアイデアを出してレコーディングをリードするようになっていったとある。
 「サージェント・ペパース」のレコーディングで、どんどんわいてくる4人のアイデアを、うまくさばいていったのも、彼の手腕によるところが大きい。これが、わずか4トラックで録音されているということ自体、いまのレコーディングの水準からして、まったく信じがたいことだ。
 ヘッドフォンで彼らの曲を聴くと、ジョンもポールも、自分の耳元で歌っているような錯覚に陥る。
 これこそ、ジョージ・マーティンのマジックだ。
 そうとしか、言いようがない。


 世界を変えた人物のひとり、逝く。
 ご冥福を祈ります。



「5人目のビートルズ」ジョージ・マーティンさん死去 90歳
コメント

映画「黄金のアデーレ 名画の帰還」

2016年01月08日 23時10分40秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
お題「2015年ベスト映画は?」に参加中!
 きのうちょっと興奮してツイートしたけれど、同じ趣旨のことをもう一度いいます。

 宇宙人も、派手な撃ち合いも、ゾンビや吸血鬼も、ベッドシーンや恋の駆け引きも、ペットも、登場しないのに、どうしてこんなにおもしろいんだろう!


 物語などは、公式サイトや予告編をごらんになればわかりますが、ナチスドイツに追われるようにウイーンから米国に逃げてきたロサンゼルス在住の80代のユダヤ人女性が、ナチスに奪われて現在はオーストリアの至宝とも呼ばれているクリムトの名画の返還を求めて、オーストリア政府を相手取って訴訟を起こす―というもの。
 タッグを組むのは、知人の息子の弁護士。実は、20世紀音楽を代表するシェーンベルクの子孫です。ようやく大手弁護士事務所に務めるようになったばかり。最初は、気乗りがしなかったのですが、くだんの絵が1億円以上もすると知って、ウィーンに二人で乗り込みます。そのうち、この案件に没頭し、事務所もやめてしまいますが、その甲斐あって連邦最高裁まで持ち込むことに成功します。

 主人公女性はウィーンでは豊かな家に生まれました。クリムトの名画のモデルは彼女の伯母でした。
 しかし、伯母は若くして亡くなります。結婚式の直後、ナチスドイツがオーストリアを併合し、ユダヤ人は自由を奪われ、自宅の美術品は将校が持ち去っていきます。
 伯母の豪華な首飾りは、ゲーリンク夫人のものになったり、絵はウィーンの美術館に移されました。

 これらの話が、すべて史実だというからおどろきです。
 おそらく、映画のシナリオに仕立てるなら、もうすこしうまいやり方があるような気がしますが、事実ということの重みが、見る者を圧倒します。

 ですから、年に100本映画を見ているような評論家からすれば、この作品は「映画ならではの驚き」に乏しく、普通の撮り方に過ぎるように感じられるかもしれません。でも、筆者のようなふつうの人からすれば、登場人物が少なく、複雑でないシナリオや撮り方のほうがありがたいのです。



 ただし、過去の場面への転換は、じつに鮮やかでかつ自然です。
 とくに、主人公がウィーンの薬局で、ナチスの監視下から間一髪で逃亡を遂げた過去を想起する場面は、劇的としかいいようがありません。

 
 美術、絵画が好きな人には、絶対におすすめします。
 2015年の私のベストワンです。

□公式サイト http://golden.gaga.ne.jp/


 追記1

 ウィーンでふたりに協力を申し出る雑誌記者の存在は重要だと思います。
 自国の過去の暗い歴史から顔を背けず、それを明らかにすることで、正義を実現する。それこそがほんとうの「愛国者」なのだということが、あらためてわかります。


 追記2

 この雑誌記者を交えて3人が、調停の合間に休む遊園地って、あの「第三の男」でオーソン・ウェルズが登場するところですかね。


 追記3

 日本語字幕ではわかりませんが、主人公女性が、オーストリア政府が絵画を返還するかもしれないというニュースを最初につかんだのは、ニューヨークタイムスでした。
 同紙は、米国を代表する新聞として知られますが、カリフォルニアでも印刷、配布しています。主人公は、小さなブティックの店主ですが、実は情報に敏感なインテリだったのかもしれません。


 まとめ

 やっぱり全体主義や戦争や人種差別はまっぴらですね。

(追記) ヒトラーが受験に失敗したことで有名なウィーンの美術アカデミーが画面に映り、「ヒトラーが合格していれば」という冗談めかしたせりふがあったけど、いや、冗談抜きで、合格していればよかったのにと思うよね。
コメント

札幌交響楽団第583回定期演奏会を聴いて。

2015年12月03日 09時50分53秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
We hated all the shit they wrote and talked about Beethoven and ballet, all kidding themselves it was important. Now it's happining to us. None of it is important.
(John Lennon)


 筆者はクラシック音楽に明るくない。
 ぼんやりと聴いていること自体は好きだが、現代のクラシック音楽業界には何の興味もないし、正直どうでもいいと思っている。もう少し正確にいえば、バッハやシューマンは偉大だと思うし、好きだが、この指揮者のこの演奏は金管の響きがどうで、ピアノのリズムがどうのという言説にはどんな意味があるのかわからないのである。(あらゆる芸術ジャンルの中でそんな言説が批評としてまかり通っているのは、クラシック音楽と一部の舞踊だけだと思う)

 だから、筆者がクラシック音楽の演奏会に行って、何かを書くことにも、ほとんど意味はないと思うのだが、めったにない機会であるし、詳しくない人は語ってはいけないという空気がことさら強い業界であるようにも感じられるので、あえてしろうとの感想をいくらか記すことにしたい。

 1. 会場

 筆者がこの晩、札幌コンサートホールKitara に足を運んだのは、むろん仕事にかかわりがあるからだが、指揮者がウラディーミル・アシュケナージだったからという、ミーハー的な理由もあった。
 アシュケナージは世界的なピアニストだが、近年は指揮活動に軸足を移している。
(もっとも、CDなどで聴く限り、アシュケナージのピアノ演奏は生真面目で、天才的きらめきには乏しい)

 有名なオーケストラが東京と関西に集中しているなかで、札幌交響楽団は、地方オーケストラの雄として、群馬交響楽団と並んで有名な存在らしい。ちなみに札響のメンバーは全員プロである。

 会場で目立ったのは、60代以上の、とくに男性。
 年齢層はかなり高かった。カルチャーセンター帰りの絵画好きが多い平日の都心のギャラリーみたいだ。ギャラリーに比べると、男女比で、男性が多いようだった。

 これはある意味、やむをえないだろう。
 1950年代前半まで、音楽に熱中しようとしたら事実上、クラシックしか対象がなかったのである。
 ジャズはまだにぎやかな大衆音楽と位置づけられていたことは、アドルノの罵倒によってもわかるだろう。
 1966年、ビートルズが来日した際、社会現象として論じる人は多かったが、音楽として向き合った人はほとんどいなかった。当時、ビートルズは流行ととらえられていたのだ。ようやくモダンジャズが、批評したり、聴き比べたりする対象になり始めた時期だった。

 しかし、これからのことを考えたとき、この年齢層の偏りは、あまり喜ばしいことではないだろう。


2. モーツァルト

 この日、札幌交響楽団が演奏したのは次の3曲である。

・ベートーヴェン「プロメテウスの創造物」序曲

・モーツァルト ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503
(「K」はケッヘルと読み、モーツァルトの曲を整理して番号をつけた人の名前です)

・ショスタコーヴィチ 交響曲第10番ホ短調

 1曲目は5分程度の短く、優しさに満ちた曲だった。
 最初に短い曲がくると、遅刻した人が会場に入りやすいという利点もある。

 モーツァルトは、筆者はツイッターには第21番と書いていたが、間違いでした。すみません。
 まあ、筆者のレベルでは、モーツァルトの音楽は、最晩年を別にすれば、ほとんど区別がつかない。どれも、まるで天使が作曲したような、陰りのない美しい音楽なのだ。

 聞いていると、映画「アマデウス」に登場するような貴族社会を思い出す。
 モーツァルトの音楽は、一般大衆にはなんの関係もない音楽なのだ。
 そして、そのかげりのない美しさは、現実社会から独立して聴くことを、わたしたちに強いるように思う。

 かつてモーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」というオペラを聴いたことがあるが、真っ先に抱いた感想は、よくもこんなくだらない劇に、モーツァルトは全力で音楽をつけたなあ、というものだった。
 「コシ・ファン・トゥッテ」の劇は大人の鑑賞に堪えるものではない。当時の貴族社会のレベルが推して知れる。モーツァルトは、劇の筋書きや貴族社会のばかばかしさを括弧にくくらないと、鑑賞できないのである。
 それは、すぐれてモダンの芸術のあり方に共通する。文脈や社会から切断された純粋さが尊ばれる世界なのだ。


 そんなことを考えながら聴いていると、第1楽章のカデンツァで、フランス国歌の出だしが引用されて驚いた。これは、ピアノ奏者のアドリブだろう。
 テロ事件が起きたばかりのパリの人々へ、連帯の意思の表明だろうか。
 筆者は、クラシック音楽というのは、現実社会への意見を表明しづらいジャンルだと考えてきたが、やりようはあるのだなあと感心したのだった。


3. ショスタコービッチ

 ショスタコービッチはソヴィエトの作曲家であり、20世紀を代表する音楽家のひとりである。

 ソヴィエトの全体主義は芸術家に過酷な運命を強いた。
 多くは、粛清・弾圧されるか、亡命するか、共産党に迎合して御用作家になるかの三つの道しか残されていなかった(アシュケナージは事実上、第二の道を選び、ソヴィエトには戻らなかった)。
 ショスタコービッチは、そのいずれでもない。共産党政権に厳しく批判されながら、ときには共産主義礼賛の曲を書き、微妙なスタンスを取りながらソヴィエトに残り続けた稀有なアーティストだったのだ。

 交響曲第10番は、独裁者スターリンの死んだ直後に発表された。
 この時期のショスタコービッチの作品は、単純に批判されないようわざと難解に作られているという説があるが、じっと聴いていると、メロディーがどこに着地するのかわからず、実にスリリングな展開をするのだ。感情を抑えたところと高揚させたところが交互に訪れ、一時も耳を離せない展開が続く。
 この曲は、管楽器のソロパートも多い。オーボエ、ファゴット、ピッコロなど、それぞれに健闘し、静かな部分の演奏を支えていた。そしてクライマックスでは、金管がほえ、弦楽器が鳴りまくり、どらが響き渡った。
 髪を振り乱すように激しく演奏する弦楽器パートを見ていると、Zepp Sapporo でのブランキージェットシティのラストライブでオーディエンスがうねりのように左に右に動いていた情景を思い出すのだった。

 第1楽章のクライマックスがピークであり、第2楽章以降は、すでに聴きどころを終えたあとの演奏であったといえなくもない。もちろん、テンションの高さは最後まで持続していた。
 決して易しくはないであろうこの曲を、最後までじゅうぶんに演奏しきったアシュケナージと札響には、大きな拍手を送るべきだろう。見事な演奏だったと思う。


 ショスタコービッチがこんなにすばらしいのなら、これからどんどん聴いていきたい。
 その一方で、このテンションの高さだと、エレクトリック・マイルスと同様に、1曲聴き終わると、どっと疲れが出るんだろうなあ。
コメント

2015年6月14日は5カ所(3) 「忠治旅日記」「くもとちゅうりっぷ」ほか

2015年06月16日 22時15分49秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
(承前)

 道立近代美術館からジェイアール北海道バスに乗る。なんとかすわったが、やはり混雑している。
 時計台前で降車。NHKギャラリーで衆樹会風景画展を見る。沖本さんが当番でいらした。

 そこから創成川沿いに南下し、狸小路を西進して、5丁目の札幌プラザ2・5へ。
 札幌映画サークルが、東京国立美術館フィルムセンター所蔵のフィルムを上映するので、4プログラムのうち二つを見る。

 一つ目は、幻の映画といわれた「忠次旅日記」。
 伊藤大輔監督、大河内伝次郎主演で、国定忠治の「その後」を描いた。ユーモアあり、殺陣あり、恋あり、親子の悲しい別れありの、いわばオールラウンダーな作品で、50年代半ばにキネマ旬報が行ったオールタイムベストテンで1位に輝いたのもうなずける。
 活動写真弁士と薩摩琵琶の楽士つきで、楽士の演奏は映像に良い陰影を与えていたと思う。
 弁士のほうは、口ごもるところもあり、不慣れな映画だったためなのはやむをえないとしても、「~のうち」を「なか」と読み、頭目の意味で「かしら」を「あたま」と読み、「在」を「庄」と読むようでは、基本的な日本語の素養が足りないのではないかと言わざるを得ない。「真逆」を「まぎゃく」と言ったのには、文字通り「まさか!」と、いすから転げ落ちそうになった。「まぎゃく」などという日本語はもともと無い。
 ただし、当時のフィルムは1秒に18こま映写するように撮影されており、現在の映写機(1秒に24こま)にかけると、かなり速く、とりわけ字幕を読むのは大変である。だから弁士の存在は欠かせないのである。

 二つ目は短編アニメ集。
 現存する日本のアニメで最も古い「なまくら刀」は1917年の作品(おそらく断片)である。
 名は以前から知っていた「くもとちゅうりっぷ」(1943)は、やはりすごい。被写界深度を浅くして、奥をわざとぼかしたり、くもの不在を転がるパイプで暗示したり、音楽とのシンクロ度もあわせて、非常に完成度の高い一品。
 教訓めいた要素や、好戦的な部分も無く、とても戦中に作られたとは思えない。

 ほかに「東京行進曲」「黒ニャゴ」「村祭」「國歌 君が代」「大きくなるよ」「茶目子の一日」「浦島太郎」「瘤取り」「二つの世界」。
 「黒ニャゴ」は29年、「村祭」は30年で、人物の動きはほとんど左右に限定されている。手塚治虫以前の「のらくろ」などが、まるで芝居の書割のごとく、登場人物が左右にしか動かないのと、軌を一にしているといえる。
 上下、前後に、自在に登場人物が動くようになるのは「瘤取り」(29年)に萌芽がみられ、「くもとちゅうりっぷ」では動きが自在になる。

(この項終わり) 
コメント

■美術と建築、これからの札幌 (2014年10月11日~15年1月23日、札幌)

2015年01月23日 22時07分46秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
 
 建築の展覧会、というのは珍しいのだろうか。

 筆者の個人的な印象では、札幌では珍しいというほどではないだろう。

 建築の展覧会は、実物を持ってくるわけにはいかない。
 展覧会というスタイルを取らず、2時間くらいをかけて街中で実際の建築を鑑賞してまわるツアーをやればおもしろいと思うのだが、こちらはそんなに頻繁に行われているわけではないと思う。
 それはさておき、実際の建築を搬入するのは無理なので、展示方法はほとんど2種類となる。
 ひとつは、模型の展示を軸とするもの。
 もうひとつは、パネルの展示である。

 前者は、すでに実現して建っているものや、実現可能性が高い場合によく採用される。
 今回は、北海道を代表する建築集団のひとつであるアトリエ・ブンクは、あの狭い500m美術館のパネル内に模型をうまく押しこんでいた。
 ただ、立体模型というのは、どの角度からも見ることができるからすぐれているのであって、この会場では、その効果があまり発揮できないのは、致し方ないとはいえ、残念さがのこる。

 後者のパネルは、その反対で、実現できるメドがたっていない建築の場合に採用されることが多い。
 だから、学生の卒展ではパネル展示がほとんどになる。
 道都大は毎年、道内の古建築の巨大な模型を発表していたが、それを別にすれば、道都大、札幌市立大、北海道デザイナー専門学校、北海道東海大など、学生の卒業発表はほとんどがパネルである。



 今回、パネル形式をとっていたのは、例えば、隈研吾設計事務所の発表だった。
 これは、実際に十勝地方で続けられているプロジェクトの報告であり、北海道の風土を考慮しながら次代の建築を考えていくもの。そのこと自体は評価したいが、「札幌」というテーマから離れている点が、唯一気になった。


 筆者は「建築されない建築」を発表することが無意味だとは思わない。
 建築家の訓練にもなるし、いまは夢でも、将来的に技術水準が上がるなど環境が変化して実現可能性が出てこないと限らないからだ。
 ただ、建築家自身には、自分のプランが、果たして実現可能性があるのかないのか、冷静に認識しておいてほしいとは思う。
 その認識が足りないから、とうてい実現しそうにない建築がコンペを通過してしまい、問題になっているのが、国立競技場の件ではないのだろうか。

 今回の展示では、実現したら困るもの(=こんなものが大通公園に実際に建ったら景観ぶちこわしやねん、というビル)や、実現のことを考えていなさそうなもの(=きれいだけどさー、雪が降ったらどうすんのこれ?)のプランを書いたパネルがけっこう多かった。
 通勤客が足早に通り過ぎる通路で、文字の小さなパネルを読み続けるのは疲れたし、まさにいま大雪で都心の交通機能が大きな打撃をこうむっているさなかで、そんなことにはまったく頓着していないプランの数々に触れるのは、さらに疲れることだった。
 そのくせ、コンセプトの文章は、とても麗々しいのだ。

 筆者は、能書きはどうでもいいので、利用しやすい建築、住みやすい家、周囲の景観と調和する施設であってほしいと思う。
 大通公園の東側に建つタワーマンションとか、道警本部を見ていると、建築家の中には、周囲との調和について全く意を用いない人がいることがよくわかる。



 けっきょく、見ておもしろかったのは、先ほど挙げた2類例、つまり模型でもプランパネルでもないものであった。
 冒頭は、森傑研究室、北海道大学・建築計画学研究室の展示。
 札幌の街角で撮った写真を題材に、天窓や減築、広場など、さまざまなテーマについて考えさせる短い文章がついている。まさに、的を射た問題提起の数々だと思う。
 単なる建築ではなく、まちづくり・都市計画・街路形成などについて、いろんな視点から見ているのだ。



 もうひとつは、「時層―今までを読んで、これからを考える」と題した大きな展示。
 古い地図や写真、広告などを大量にコラージュしたもので、札幌の歴史について思いをはせることができるものだった。


 こういう地に足を付けた発想を持った建築家が増えないと、またぞろ、周囲から浮き上がったビルが建つだろうと、筆者は危惧しているのである。


2014年10月11日(土)~15年1月23日(金)午前7時30分~午後10時(最終日~午後5時)
札幌大通地下ギャラリー500m美術館

【告知】アトリエブンク展 (2013)
コメント

私がスパイだったら~イメージフォーラム・フェスティバル 2014May 東京(3)

2014年05月07日 21時52分19秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
承前)

 上野から新宿への最短経路は、筆者の学生時代は、山手線か京浜東北線で神田まで行き、中央線快速に乗り換えるというものだった。今も変わっていないはずである。
 ところが、筆者はふたつの点で、詰めが甘かった。
 ひとつは、来るときに上野駅の公園口があまりの混雑だったので、下谷口に回ったら、けっこうな遠回りだったこと。 
 もうひとつは、次の予定地である西新宿のハイアットホールが、新宿駅からえらく遠かったことである。
 西新宿といえば、損保ジャパン美術館ぐらいの感覚しかなかったのだ(しかも、新宿駅の中央線ホームの南端をおりても、南口=甲州街道には出られないとは知らなかった)。

 歩きつかれてようやくたどり着いたハイアットホールで開かれていたのは、自主映画・実験映画の祭典「イメージフォーラム・フェスティバル」。
 4日の午後1:45からの回に、伊藤隆介さんの新作「私がスパイだったら」が上映されるのである。
 この作品は、ノイズを発しながら画面をななめに擦過していくフィルムの質感などに従来の「版」シリーズのスタイルを残しつつも、ゴジラ映画などの引用をリミックス、カットアップした7分間の作品。
 引用の主部分は「私がスパイだったら」というモノクロ映画。原題を見ても、英独仏伊露といった欧洲の主要言語ではなく、ポーランドなのかチェコなのかデンマークなのか、わからない。トーキーで、ちょっとハワード・ホークスっぽい犯罪映画の薫りが感じられる。
 見終わると、そこはかとない不安感が、筆者の胸に残った。その前に見た作品が、戦争体験者のインタビューだったからかもしれない。

 ところで、イメージフォーラム・フェスティバルはことしで27回目。なんと、24ものプログラムで73作品が上映される。
 4月27日~5月6日は東京で、続いて17~23日に京都に巡回する。

 プログラムの終了後、上映作の監督があいさつしたが、伊藤隆介さんは来ていなかった。
 残念。

 もっと残念なのは、いまプログラムを見ていたら、隆介さんのインスタレーションが会場に設置されていたと書いてあるのだ。「Realistic Virtuality」シリーズの新作「鼠と猫のための習作」とのこと。
 うひょ~!   
 知っていたら、見ておくんだったよ…。わざわざ新宿まで来たのに。


 さて、次は「国立新美術館」に中村一美展を見に行く。

コメント (2)

The Beach Boys 札幌公演を見て - 世界を肯定する音楽、あるいは、かつて肯定されていた世界

2014年03月25日 23時19分55秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
 米国西海岸ロックバンドの「伝説」ともいえるThe Beach Boys(ザ・ビーチボーイズ)の札幌公演が2014年3月25日、ニトリ文化ホール(旧北海道厚生年金会館)で行われ、筆者も出かけてきた。職業柄、仕事とまったく無関係でもないのだが、記事はいっしょに行ったZ記者が書くので、とくに何もすることはない。
 渡された入場券を見ると

1階 1列 51番

と印字されている。
 なに~!? 最前列か!

 筆者はべつにビーチボーイズのファンでもなんでもない。
 なのに、いちばん前だなんて、ビーチボーイズ・ファンクラブ札幌支部ゴールド会員(←そんなものあるのか)に申し訳ないではないか。
 最前列で「よくわかんな~い」という顔をしておれば、ミュージシャンもやりづらいだろうし。

 心配は無用だった。
 ビーチボーイズの場合、特別な予習は必要ないのだ。
 わかりやすいメロディー。ほとんどは1曲2~3分。シンプルな構成。

 なにも頭を悩ませる必要はない。そのまま楽しんで、手をたたいていればいいのだ。


The Beach Boys - California Girls (with lyrics)



 ただ、それは演奏がお粗末であることでは、まったくない。
 派手なギターソロがあるわけでも、すごいドラムロールを繰り広げるわけでもない。
 しかし、演奏は手堅い。

 そして、なにがすごいといって、まあいまさら筆者が言うことでもないのだが、コーラスの見事さ!
 とにかく、ハモる。ただハモるだけでなく、追いかけたり、3部に分かれたり、じつに複雑なことをやっている。
 しかし、複雑に聞こえるのではなく、爽快にきこえるのが、彼らのすごいところなのだ。



The Beach Boys ~ Surfer Girl



 こんな曲もやった。
 オリジナルメンバー(結成は1961年!)のマイク・ラヴが、ジョージ・ハリソンにささげた歌だ。
 ジョージとマイクは、60年代後半に、ハレ・クリシュナに教えを請うためインドに行ったりして、交友があったようだ。

Pisces Brothers - Mike Love



 演奏の最中、ステージの背後に映し出される映像は、サーファーに興ずるビキニスタイルのお嬢さんだったり、カーレースを楽しむ青年だったり、西海岸やハワイの真夏の景色だったりした。
 ビーチボーイズの演奏には影がない。罪もない。ただ、現世を楽しむことを、全肯定する音楽なのだと思う。

 考えてみれば、いまのわたしたちは、1961年の青年のようには、現世を肯定できないだろう。

 1961年は、相当な昔のように思われるが、基本的なところは変わっていない。
 おおかたの人は飢えることなく、職を得て、日々を楽しんでいた。
 遠くの人と話ができる手段があり(電話)、その気になれば時速100キロで走ることができ(自動車)、翌日には海外にも飛べた。家庭にはテレビがあり、新聞が発行され、グラビア雑誌でカラー写真も見られた。台所には冷蔵庫とガスレンジがあり、熱いもの、冷たいものが調理して食べられた。
 テレビがパソコンになり、ジュークボックスがCDやYou tubeになり、手紙や電話がメールやSNSになっても、それは複雑になりスマートになっただけだ。生活の大勢が変わったわけではない。
 むしろ、貧しくなった人が増えたような気さえする。

 じゃあ、なんのためにぼくたちは、あくせく働いてきたのか。
 この半世紀で、数字上の富は何倍にもなったけれど、人々は何倍も豊かになっただろうか。





 ビーチボーイズが、すなおにサーフィンUSAを歌えた時代は、幸せだった。
 その幸せは、欧米や日本などに限られたものかもしれないが、それでも、ぼくらがリアリティーを感じるのはむしろ「Hotel California」であって、底抜けに明るいサーフィンの歌ではない。
 ビーチボーイズは、例外的に幸せな時代を、体現しているのだ。
 幸せな時代の生き残りとして、今でも歌い続けているのだ。そう思う。


 ま、でも、基本的に、楽しかったです。
 70歳を超えたメンバーの元気な様子を見て、伝説に立ち会ったみたいな気分になりました。
 ペットサウンドの曲をやるときだけ「なんで、こんな複雑なことしとるねん」と思いましたが、それはそれとして。

The Beach Boys - Help Me Rhonda


The Beach Boys-Sloop John B




 あ、これはおまけです。


コメント

■鈴木敏司 井端明男展 (2014年2月28日~3月9日、札幌)

2014年03月08日 01時23分45秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
 建築系の展覧会というのはときに、「前説」というか「御宣託」の類が長すぎて、「理屈より、住みやすいか、使いやすいかが大事だろ!」と辟易することがあるが、ギャラリー創でときどき開かれている建築家の展示は、そういう弊に陥っていることはない。
 今回も、苫小牧の「イコロの森」などの模型が2、3置かれているほかは、ふたりの作品を写した写真が、2列にずらーっと展示されているだけ。しかし、写真を見ていると、長々とテキストを書き連ねなくてもじゅうぶんに分かることって、たくさんあるんだよな。木をふんだんに用いた小学校の校舎。天井から太陽光が漏れ、大きな吹き抜けがある。そんな校舎は、とくに理念を文字にしなくたって、そこで学ぶ子どもたちが楽しい思いをすることぐらい、わかるのだ。

 この展覧会を、当ブログの読者におすすめしたいのは、道立帯広、小川原脩記念という二つの美術館が、この二人の作として挙げられているからだ。
 帯広美術館は、展示室の途中で渡り廊下のようなところをかならず通る設計になっている。これが、展示の制約になるよりもむしろ、鑑賞者の導線に独特のリズムを生んでいることは、同館を訪れたことのある人は誰しもがうなずけるところだろう。
 一方、後志管内倶知安町の小川原脩記念美術館は、ふたりの合作。「借景」として機能している羊蹄山の眺望を妨げることなく、落ち着いたたたずまいを見せている。
 さらに、北大の遠友学舎は、鈴木さんの設計である。

 井端さんは、仕事のほとんどが、道内の公共建築であるという。
 それはしあわせなことですね、建築家冥利につきるのでは? と尋ねると、うなずきながらも、いいことずくめというわけでもない、と話しておられたが、それでも、自分の仕事の結晶が、こうして多くの人に親しまれているのは、すてきなことだと思う。


2014年2月28日(金)~3月9日(日)午前11時~午後6時、火曜休み
GALLERY創(中央区南9西6)



・市電「山鼻9条」から約110メートル、徒歩2分
・地下鉄南北線「中島公園」から約350メートル、徒歩5分

・ジェイアール北海道バス山鼻環状線「南9条西7丁目」から約180メートル、徒歩3分
・中央バス西岡平岸線「中島公園入口」から約670メートル、徒歩7分

・トオンカフェから約500メートル、徒歩7分ぐらいです
コメント

「ハンナ・アーレント」がキネマ旬報1位になったことについて

2014年02月04日 22時08分09秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
ハンナ・アーレント 予告編


 先日、札幌のシアターキノで「ハンナ・アーレント」を見てきた。
 表題のとおり、キネ旬の1位になるなど、各方面で話題になっており、これは見ておかないと、と思ったのだ。

 結論から言うと、悪い映画ではないが、1位になるほどの作品だろうかと、正直思った。
 この映画を絶賛している人は、劇中のアーレントのせりふや思想を評価しているのであって、映画そのものの持っている力とか美しさを評価しているのではないんじゃ? と思ってしまった。
 宮崎駿にしてもタルコフスキーにしても、その作品の中には
「これは、映画以外では表現が難しいし、映像としての出来がすばらしい」
というシーンがいくつも登場するが、はっきり言って、「ハンナ・アーレント」にはそういう場面を探すのがむずかしい。劇映画として、水準に達しているのだが、忘れがたい美しさの映像は出てこないのだ。

 ではなぜ、この映画が2013年から14年にかけて日本で非常な好評をもって迎えられたのだろう。

 それは、ヘイトスピーチデモや、反韓国・反中国本の氾濫、安倍政権による改憲志向などに象徴される、いまの日本社会の「いやな空気」の反映にほかなるまい。

 映画の中で主人公の思想家、ハンナが、ユダヤ人の旧友に言うせりふがある。

「わたしは一つの民族を愛したりしない」

 ある人を、●●人だから愛したり嫌ったりするというのは、ほんとうはくだらないことである。
 たとえば日本人にもいいヤツと人格者と泥棒とバカがいて、おおむねおなじような比率で韓国人にもいいヤツと人格者と泥棒とバカがいるだろう。
 日本人が全員いいヤツで、バカはいなくて、韓国人全員がバカで、いいヤツがいない、なんてことがあるはずがない。
 まじめに議論する気もおこらない、ごくあたりまえの話である。
 しかし、そういうのと同水準の言説が、いまの日本語のインターネットにはあふれかえっている。
 在日韓国・朝鮮人は、不当に生活保護を受けており、年間何兆円が支出されている―など、小学校で算数を習ってきていない人しか信じるはずのないデマが、拡散している。

 「本当の悪は平凡な人間が行う」
という、彼女が行った渾身の講義の中の言葉こそ、いまの日本社会にふさわしいものはないだろう。
 ファシズムを遂行するのは、悪魔ではなく、草の根の庶民なのだという、1930年代と現代の日本の現実を、われわれはあらためて、この映画からつきつけられるのだ。

 「人間なら、自分の頭で考えること」
 彼女のことばが、重い。



 ここで文章を終えてもいいんだけど、あとは蛇足を。

 このドイツ出身のユダヤ系女性思想家の映画をつくるのに、アイヒマン裁判に的を絞ったというのは、おもしろい。
 というのは、思想家・哲学者の一生なんてものは、政治家や軍人なんかに比べたら、それほど起伏に富んだものではない場合が多い。カントやフッサールを主人公にした映画なんて、誰も制作しないだろう。絶対、映画館で寝る。伝記がおもしろくないから学説の解説をする、なんてことになったら、もっと寝る。
 ところが、このアーレントの生涯はまさに波瀾万丈なのだ。若い頃のハイデガーとの恋愛、ヤスパースへの師事、最初は現象学の師弟だったのに反目しあうようになったハイデガーとヤスパースのあいだで胸を痛めたこと、ナチスの政権掌握とフランス亡命、カミュらフランスの若き知識人との交流、フランスで収容所入り、パリ陥落のどさくさにまぎれて脱出、後に夫になる恋人との奇跡的な再会、前夫の協力もあっての米国ビザ入手と米国亡命…。
 もうこれだけで、映画になりそうな気がしてくる。

 この映画のハイデガー役は、意外と俗物な感じがした。
 「20世紀最大の哲学者」が、女子学生(ハンナ・アーレント)と不倫の関係に陥り、しかも一時的とはいえナチスを支持していたという事実は、その後、哲学や思想を志す多くの人間にとって、解きがたい難問として残されている。

 しかし、ハンナとハイデガーが再会する回想シーンで、筆者(ヤナイ)は、いしいひさいちのマンガが思い出されてきて、ちょっと困った(笑)。
 映画ではふたりは、ホテルの中じゃなくて、そま道で会っていた。


□公式サイト http://www.cetera.co.jp/h_arendt/
コメント

■建築家田中裕也 はかるとちえ展 ガウディ建築を解く (2013年8月23日~9月7日、札幌)

2013年09月05日 01時11分00秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
 田中さんは1952年、稚内生まれ。
 78年に国士舘大建築学科を卒業後、78年にスペインに渡り、カタルーニャ工科大学バルセロナ建築学部ガウディ研究室ドクターコース修了。学生時代に出会ったガウディに魅せられて、スペインに暮らしています。

 というのは、サクラダファミリア教会などの建築家としてのガウディを知らない人はいないと思うのですが、彼は、ふつうの建築家と異なり、図面というものを残していないのだそうです。
 同教会は、模型などを元に、建築が進められているのだそうです。




 そこで田中さんは、メジャーを持って、実際にガウディ建築の計測に取り掛かりました。
 今回の展覧会は、幅5メートルもあるグエル公園の実測図や、3メートルもあるサクラダファミリア教会の実測図(こちらは、たしか縮尺50分の1)を中心に展示しています。
 同教会はとくに、突起や彫刻が多く、正確に測るのは大変だったと思われますが、ロットリングという器械で、丁寧に線がひかれています。

 建築に詳しくない人が見ても、驚かされることはうけあいの個展です。



2013年8月23日(金)~9月7日(土)午前11時~午後6時(最終日~午後5時)、火曜休み
GALLERY 創(札幌市中央区南9西6)



・市電「山鼻9条」から約100メートル、徒歩1~2分
・地下鉄南北線「中島公園」から約400メートル、徒歩5分

・ジェイ・アール北海道バス「啓55」「啓56」「啓65」「啓66」で「南9条西7丁目」から約210メートル、徒歩3分
・じょうてつバス「南9条西11丁目」から約740メートル、徒歩9分
(7、8系統の定山渓、豊滝方面行きは通過します)
・中央バス、ジェイアール北海道バス「中島公園入口」から約700メートル、徒歩9分 (中央バスは79 西岡平岸線のみ)

※ト・オン・カフェから約560メートル、徒歩7分です


コメント

「風立ちぬ」(宮崎駿監督)はなぜ不親切な映画なのか。 【ネタバレ注意】

2013年08月17日 01時05分00秒 | 音楽、舞台、映画、建築など
 夜9時過ぎに仕事を終え、サッポロファクトリーにバスで向かった。
 9時半から「風立ちぬ」の上映があることを新聞の広告で知ったからだ。

 いまはツイッターやフェイスブックなどいろいろおそろしいものがあって、いくら気をつけていても、事前に映画の中身がかなりのところまでわかってしまう。
 例えば、この映画に喫煙シーンが多いことは、映画を見ていなくても相当な数の人がすでに知っているだろう(笑)。
 これ以上、【ネタバレ注意】の文言を、まるで地雷を避けるように気をつけるのにも、いいかげんくたびれてきたので、あいた時間をなんとか見つけて、出かけてきたのだ。
(そうはいっても、このブログの記事を書くにあたり、他のブログなどを当たる事はまったくしなかった。すでにたくさんの文章が書かれているので、図らずも論旨の一致する文章が既に存在するかもしれないが、とりあえず自分の足りぬ頭を使って考えた結果の記事である)

 見ているあいだ、考えたことは
「字幕が少なくて、不親切な映画だなあ」
ということ。

 そして、ユーミンの「ひこうき雲」が流れてきた瞬間に思ったことは
「えっ、これで終わり!?」
だった。

 まず、不親切の説明。

 いまのテレビのバラエティー番組みたいに、なんでもかんでも字幕をつけろというのではもちろんない。
 でも、急な峠の橋を上っていくアプト式機関車の場面だけで「ああ、軽井沢に避暑へ行くのだなあ」とすぐにわからない観客は多いだろう(とくに子どもにはムリではないか)。
 ふつうのテレビドラマであれば

昭和十一年、軽井沢

などと、画面中央に縦書き明朝体で註釈が入る場面である。

 次に「これで終わり?」についてだが、たとえば「カリオストロの城」でも「千と千尋」でもなんでもいいが、宮崎映画にはストーリーがクライマックスに向けて盛り上がるカタルシスがあったはずである。「もののけ姫」なんて、つじつまがあわないところを強引に結末にもっていくあたり、宮崎駿の力量はものすごいと感服した記憶がある。
 ところが、この映画はわりと最初から最後までたんたんとしていて、本来であればクライマックスになりそうな、新型飛行機の試験飛行成功の場面でも、主人公の次郎は冷静すぎるほど冷静である。そして、戦争の惨禍はほのめかされるだけで終わってしまうのだ。 

 宮崎駿は、なぜこんな作劇をしたのだろう。

 最終電車をおりて、家までの道を歩きながら、考えた。

 そして、思った。

 いくら注意していても、話題の映画だから、この作品が、関東大震災から第2次世界大戦に向けての時代、ゼロ戦を設計した天才技師の伝記に、堀辰雄の「風立ちぬ」をミックスしてできあがったという予備知識ぐらいは頭に入れて映画館に来ている。これは、しょうがない。

 でも、実はこの映画には「関東大震災」ということばも「零式戦闘機」という固有名詞も出てこないし、昭和何年(あるいは西暦何年)であるかを明示するせりふも一切ないのだ。

 もちろん、宮崎駿特有の(というか、そこから「オタク」的思考様式がスタートしたといってもよい)細部へのこだわりは、ますます磨きがかかっている。蒸気機関車ひとつとっても、その描写はすごい。
 とはいえ、「ヒトラー氏」や国際連盟脱退への言及はあるから、まず時代設定は間違いのないところなのだ。
 にもかかわらず、作品内部では、年の特定は、注意深く回避されている。

 これは、宮崎駿がわざとやったのではないか。
 あそこで「大正十二年」と特定してしまえば、見る人は「ああ、過去の話なんだな」と逆に納得して、自分には直接関係のない話だと安心してしまう。
 そうではなく、ただ単に「震災」とすることで、「これは2011年の話でもありうるんだよ」と観客に思わせようとしたのではないか。

 考えすぎかな?

 考えすぎか。

 逆に、牛が戦闘機をひっぱっていく場面を見て、
「ああ、これじゃ戦争に勝てるわけないよな」
と思うのが普通なのかもしれないな。







 「私的領域」と「公的領域」についても書いたほうがいいかなという気がしてきたが、それは機会を改めて。 
コメント (6)   トラックバック (1)