北海道美術ネット別館

美術、書道、写真の展覧会情報や紹介。2013年7月末、北見から札幌に帰還。コメント、トラバはお気軽に。略称「ほびねべ」

「低調」「展望がもてない」とまとめてしまうことについて

2006年01月26日 16時05分25秒 | 新聞などのニュースから
 北海道新聞1月19日夕刊に、道立三岸好太郎美術館の穂積利明主任学芸員さんによる「美術季評 2004年10-12月」が掲載されていました。
 構造社展を中心に筆を進めた後で、穂積さんは次のようにしめくくります。

 (以下引用)この時期に限ったことではなく、昨年はおおむね個展、グループ展が低調だった。
 今月末には、札幌市内の美術拠点として長年活動してきた伝説的ギャラリー「テンポラリースペース」が閉鎖されることが決まっている。また同様の「プラハ」も昨年七月に拠点を閉鎖し、一定の展示空間をもたない活動へと移行している。個展、グループ展の低調さと、こうした歴史的ギャラリースペースの閉鎖の底には、「現代の美術に展望や自信がもてない」という、同じ心理が横たわっているような気がしてならない。(引用終わり)

 「低調だった」
って、穂積さんはあいかわらずきびしいなあと思います。
 もっとも筆者は札幌にいなかったこともあり、その評言が、そのとおりなのか、それともきびしすぎるものなのかは、なんともいえません。 
 フリースペースPRAHAの拠点や、テンポラリースペースの閉鎖は、建物や土地の所有者の事情が理由であって、直接美術の状況と関聯しているわけではありません。ただし、穂積さんの目には、なにがしか通底するものがあると映るのでしょう。
 ことしは、「水脈の肖像」展が4年ぶりに道立近代美術館でひらかれ、北海道と韓国の中堅アーティストが競作するのをはじめ、札幌芸術の森美術館では「北の創造者たち」展と、「北の創造者たち・その後」と題した連続個展もひらかれると聞いています。見ごたえのある展覧会になれば、と思います(と、安直にまとめてしまった)。
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「Interaction」ドイツ展 帰国展(1月21日終了)

2006年01月26日 16時04分43秒 | 展覧会の紹介-現代美術
2004年に芸術の森美術館(札幌市南区芸術の森2)でひらかれた「北の創造者たち展 虚実皮膜」の出品メンバーのうち伊藤隆介、鈴木涼子、藤木正則、上遠野敏の4氏が、昨年8-12月、ドイツの美術館でグループ展をおこないましたが、その帰国展として企画された展覧会です。いずれも、道内を代表する現代美術家として活躍中だけに、興味深い展覧会となりました。

 藤木さんは、「Personal Frag」と題したシリーズのカラー写真6点と旗を展示しています。ハンブルクとヴェネチアで撮影されたものです。
 説明表示はありませんが、おそらく、両都市の人々に旗を描いてもらい、その旗を持って写真におさまってもらったものだと思います。

 これまでも藤木さんは一貫して「行為」をテーマにしてきました。展示されているのは「行為の記録」であって、大事なのは「行為」がなされた時点だというとらえ方もできるでしょう。
 たとえば、藤木さんは、名刺交換を「行為」ととらえ、その相手を写真で記録するということを、長い間つづけています。昨年、道立近代美術館でひらかれた「北海道の美術」に出品されていたビデオをごらんになった方もいらっしゃるでしょう。あのビデオが作品というよりは、札幌の4丁目のスクランブル交叉点に白線をひきつづけるという行為自体が作品なのだと思います。

 今回の作品から直接思い出されるのは、たしか2002年の作品で、宗谷岬の波打ち際で藤木さんが星条旗をうち振っていた写真です。あのときと同様、藤木さんは、国家というものを、明るくわらいとばしているように、筆者には思えます。もちろん、旗が表象するものは、国旗とはかぎらないでしょうが、国家主義的な動きの強まる日本の現状に対して、国家を止揚する壮大な実験を進行中の欧洲から、このような批評的な行為を発信してくるということには、痛快なものを感じます。

 もうひとつつけくわえれば、藤木さんの作品って、ニヤっとわらっちゃうんですよね。非日常的なことを大まじめにやってますから。大笑いじゃないけど、ちょっとおもしろいというのも、藤木作品のすきなところです。

 国家の擬制をわらいとばす藤木さんに対し、上遠野さんの「日月四季山水図」は、「日本的なるもの」を称揚しているように見えます。金箔や、青海波のような模様など、日本の伝統的な表象を引用しているからです。
 しかし、上遠野さんが単純なナショナリストとしてふるまっているようには、とても思えません。ほんとうに日本美術を礼讃したければ、襖や屏風を出品したほうがいいのでしょうが、今回の出品作はプリンタで出力された、ぺらぺらのものです。この薄っぺらさが、上遠野さんの批評性になっていると思います。

 いそいで追記すると、上遠野さんの作品が薄っぺらいと言っているのではありません。「日本的なるもの」をちゃんと追求するのではなく、表層的に再現したり、とりあえず称讃したりするような人たちに疑義を表明しているだけです。「ワビサビは、日本人じゃなければわからないよ」みたいなことを言う人がときどきいますが、筆者はいつも、そういう人って「ワビサビ」がなにかをきちんと説明できるのかなあと思います。ついでに言うと、日本文化はワビサビだけではなく、日光東照宮や安土城もです。日本の文化は、「●●である」と、ひとつの方角から説明できるような、単純なものではありません。
 さらに言うと、もともとアイヌ民族が住み、明治以降に西洋文明を取り入れることによって本格的な開拓が進んだ北海道で、日本文化や日本美術を言い立てても、そのことばは上滑りになってしまうのではないでしょうか。

 いささか話がそれましたが、上遠野さんは、これまで一般的に日本の美術と分類されたものよりも、民衆の文化の古層にあるような土俗的な美の世界に分け入って表現活動を展開してきています。絵巻物や水墨画が日本美術なら、オシラサマや大漁旗だって日本の美術だ! というのが上遠野さんの視点だと思います。

 昨年も、福岡トリエンナーレに出品するなど、幅広く活動している伊藤さんは、映像とインスタレーションをくみあわせたシリーズの最新作「Realisitic Virtuality(Broadcasting)」を出品しています。
 このシリーズは、精巧なミニチュアと、それを小型カメラで撮影して投影した映像の、ふたつの部分からなっており、ミニチュアかカメラのいずれかが規則的な運動をくりかえすので、映像も変化するしくみになっています。
 これまで、ウルトラマンの飛行シーンや、ファストフードの店内、走るタクシーなどがつくられてきましたが、今回は、放送局のニューススタジオです。スポットライトなどの高い質感はいつもながらです。

 ただし、正面でニュースを読み上げるはずのキャスターは不在。スタジオ内に人影はありません。原稿らしき紙が机や床に散乱し、なにかただならぬことが起きたことを予感させます。セットの背景の世界地図が、欧米でふつう見られるタイプのもの(日本が右端にくる)であることも、なにやら意味ありげです。
 小型のCCDカメラは、それらの装置に、近づいたり遠のいたりする単純な動きをくりかえし、それにつれて映像も、キャスターの位置に寄ったり引いたりする無意味な所作を反復します。
 おもしろいのは、向かって左側にあるモニターテレビには、キャスターが不在なのにはおかまいなく、テレビ映像が映りつづけていることです。どうやら、つけっぱなしの小型液晶テレビからNHK総合テレビがながれているだけの装置のようですが、スタジオ内にだれもいないにもかかわらず番組はとどこおりなくつづいているようすに、一瞬とまどわされたのは、筆者だけではないでしょう。モニターの映像が無根拠で、リアルではないもののように、見えてしまうのです。

 伊藤さんはこのシリーズをふくむ多くの作品で一貫して「リアルとバーチャル」というテーマを考察してきましたが、放送やマスメディアという題材ほどこのテーマにふさわしいものはないでしょう。
 わたしたちが日々接している膨大な情報。しかし、いうまでもなく、それらの情報は、圧倒的大部分がメディアを介しているものであり、わたしたちが直接見聞きしたものではありません。報道されていることはほんとうなのか。このミニチュアのスタジオのように、だれもいなくてもニュースは発信されているのではないか。疑おうと思えばいくらでも疑うことはできます。
 そして、テレビニュースの9割がたが、国家の首都からその国の標準語をもちいて放送されるということに、あらためて思いをいたさずにはいられません。マスメディアの成立は、歴史的に、国民国家の形成と軌を一にしています。キャスターの不在は、あるいは、国民国家の擬制を暗示しているのかもしれません。

 鈴木さんも国外や道外での展覧が多い作家です。
 今回は「childfood」と題された写真シリーズで、シリコン樹脂でつくられた小さくて透明な子供服の模型を中判カメラでとらえたものです。
 昨年春におなじ会場でひらかれた個展でもならんでいたシリーズです。ただし、個展のときは「HOME LIGHT SERIES」のなかのひとつでした。今回は写真だけなので、「家」というテーマは後景にしりぞき、夢や郷愁の残骸とでもいうのか、ちょっと甘酸っぱいなにかが前面に出てきているような気がします。
 あるいは、この作品でも、キャスターもだれもいない伊藤さんの作品とおなじように、子どもや、本物の衣服の不在を、読みとるべきなのかもしれません。
 写真から想起される、幸福な幼少時代。しかし、それはほんとうに幸福だったのか。わたしたちの記憶は、一般に流布している「幸福な家族」のイメージによって、いつのまにか、ここにある樹脂の服の写真のように、美化され、透明になっているのではあるまいか。そんなことも考えさせられます。


1月7日(土)~1月21日(土)、13:00~19:00(日、祭日休廊)、
CAI現代芸術研究所
(中央区北1西28)
 地図D)。

 なお、「北の創造者たち・・その後」展と題して、3人の個展もおこなわれます(ドイツ展には不参加だったが「北の創造者たち」の出品者だった坂巻正美さんの個展はすでに終了)。

1月24日(火)~2月12日(日)「その後・ 上遠野敏」、
2月14日(火)~3月5日(日)「その後・ 鈴木涼子」、
3月7日(火)~3月26日(日)「その後・ 伊藤隆介」、
いずれも9:45~17:00 (月曜休館) 、札幌芸術の森美術館講堂。主催:札幌芸術の森美術館。
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絵画とは-を考えさせる谷口明志展(-2月5日)

2006年01月26日 16時03分51秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 谷口明志(あかし)さんは、形態とおなじかたちの支持体による絵画作品(といえばいいのか)を制作・発表しています。細長かったり、ドーナツ状だったりする絵の、図の部分のみあって、地の部分は会場の壁面だといえば、いいのかもしれません。
 まあ、世の中の絵の99%以上が四角形なのは、たんなる制度ですから(美術と建築が不可分だった時代に由来する)、絵の形が変わっていること自体に目くじらを立てることはないと思います。むしろ、かたちそのものが持つ力のようなものが、ストレートに表出され、独特の空間を形成しています。
 もちろん、それぞれの作品では、筆者の目にはいくらか差異が感じられたのであって、たとえば、会場に入ってすぐの「思考断片I」は、奥行きの乏しい平べったい世界をつくっているように見え、その反対側にある「思考断片II」のほうは、支持体のベニヤ板の木目や、やや丸みをおびてひかれているストロークのためでしょうか、作品それ自体が丸みを帯びて、こちら側にせり出しているかのような感覚を受けました。
 昨年の「絵画の場合」展とことなるのは、会場の壁の色を意識してモノトーンで統一したことと、作品の「部品」と「部品」の間をすこしはなしたことだそうです。そのため、ドーナツ型といっても、亀裂の入ったドーナツになっています。
「思考断片VI」は、二階へとつづく階段の壁に設置され、常設されている亀山良雄さんの絵と張り合っているみたいで、おもしろいです。

1月16日(月)-2月5日(日)9:00-18:00(土、日-16:00、会期中無休)、STV北2条ビル(中央区北2西2、地図A)。

 昨年の「絵画の場合」展のアーティストトークも参考にしてください。
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コニカミノルタがフィルム事業撤退

2006年01月26日 16時02分57秒 | 新聞などのニュースから
 北海道新聞1月20日1面より。

 (以下引用)コニカミノルタホールディングズは19日、3月末でデジタルカメラとフィルムカメラ事業、写真フィルム事業から撤退すると発表した。コニカの前進、小西屋六兵衛店が1873年に創業してから130年余続いたカメラの老舗ブランドが姿を消すことになる。
(中略)
 デジタル一眼と交換レンズの事業は3月末、提携するソニーへ譲渡。既存商品の補修などもソニーへ委託する。(中略)フィルムなどの販売も2007年9月末までに終了する。(引用終わり)

 主見出しは「カメラ事業撤退」。
 たしかにそのとおりなんですが、個人的には、世界にたくさんあるカメラメーカーがなくなることよりも、フィルム会社がひとつ消えることのほうが感慨深いです。
 というのは、カメラよりもフィルムのほうがはるかに高い技術力が必要で、メーカーの数も少ない。世界的な大手といえば、コダック、フジ、アグファ(撤退)、イルフォード(経営再建中)、コニカと、片手で数えられてしまいます(三菱ってまだ作ってんの? ようするに事実上、これでコダックとフジの2社になる)。
 じゃあおまえは何か痛手なのかといわれると、じぶんもいまはデジタルカメラしかつかっていないし、フジ・ネオパンやプレストやベルビアにはむかしつかっていた思い入れがあるけれど、コニカってあまりフィルム自体の記憶ってないのが正直なところ。
「そういえば、むかし『欽どこ』(テレビ番組『欽ちゃんのどこまでやるの』)のスポンサーが『さくらカラー』(コニカの旧称)だったよなあ」
なんて、どうでもいいことを思い出したりします。
 とはいえ、やっぱりさびしいですね。
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札幌へ

2006年01月26日 16時02分25秒 | つれづれ日録
 札幌へ

 某日。
 
 都市間バスの到着時刻まで間があったので、GEOに入った。
 音楽雑誌「ストレンジ・デイズ」を手に取ったが、今号には、好きなキング・クリムゾンもイエスも特集されていなかったので、キンクスのディスクレビューを立ち読みした。
 雑誌のコーナーには札幌で出ている写真誌「faura」の10号もあった。こんな小さな本屋にあるのが意外な気がした。ぱらぱらとめくっていると、ブリューゲルの代表作「雪中の狩人」に登場する鳥について書いた文章が目に留まった。あの絵の中で、大空を飛んでいるのはカササギだそうである。この文章を手元においておきたくなって、買うことにした。
 気がつくとバス到着まで10分をきっていた。ちかくのスーパーマーケットで飲み物などを仕入れるつもりだったのをわすれていた。

 バスはなかなか来なかった。
 氷点下6度くらいか。
 こういうとき、駅舎や待合室がないというのは、意外とこたえる。

 都市間バスはこだて号が八雲に着いたのは23分遅れだった。

 運転手さんは恐縮したのか
「あいてるとこ、どこでも坐っていいですよ」
と言った。
 車内のヴィデオモニタでは、三國連太郎と吉行和子が親しげに話している。音声は各座席に設けられたヘッドフォンで聞くしくみになっているので、なんの映画かはわからない。

 まもなく雪がふりはじめた。
 夜間、雪のふるなかの高速道路の運転は、なかなかきびしい。
 ライトを遠めにすると目がつかれる。かといって、近めにすると遠くが見えない。前を走る車があればそのテールランプを追って走ればよいが、その車との距離が近すぎるとこんどは、その車がたてる雪煙が視界をさえぎる。
 まして、国縫(くんぬい)-室蘭登別間は片側1車線である。
 バスは、車輪のあとがほとんどついていない、真っ暗な雪道を走る。ときおり地吹雪が舞うが、視界はそれほど悪くはない。
 ゴムポールだけで仕切られた反対車線を、5分か10分に1台、長距離バスやトラックがすれちがっていく。
 左側には路肩の位置を示す発光ダイオードの緑の光が葬列のように並んでいる。この列がないと、左側はどこまでが道路なのか、ほとんど見当がつかないのだ。
 豊浦のパーキングエリアで休憩。トイレに行こうとしてバスを下りたら、靴に雪が入りそうなほどの積雪だった。

 事故のため豊浦・虻田洞爺湖インターチェンジ間が不通となっており、国道37号を走る。
 このあたりは北海道の中でも冬は雪が少なく温暖な地方として知られているが、ことしは30センチ以上の積雪がある。
 虻田洞爺湖からふたたび高速へ。
 こんどは、さきほどの発光ダイオードの列がない。前にもまして、あたりは真っ暗で、緊張の運転である。
 
 なによりすごいのは、国縫-札幌間が全線時速50キロ制限だったにもかかわらず、札幌南インターを下りて大谷地バスターミナルに着いた時点で遅れが10分に縮まっていたことだ。
 いったい何キロで走っていたんだろう。

(2月3日追記。写真が違っていたので削除しました)
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小野州一 筆彩のあと。

2006年01月26日 16時01分48秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 道立旭川美術館で回顧展が開催中の小野州一さんの、ドローイングと版画の展覧会。20点余りが並んでいます。
 「裸婦のいる部屋」「ヨット」など、同館に油彩が展示されている作品の、エスキースとも、同時制作品ともとれる、おなじ構図の絵が何点かあるので、同館の展覧会を見た人にはいっそうたのしめると思います。
 それにしても、小野さんの絵とは、あざやかな色彩もさることながら、あの絵を描くことの原点にある手の運動というものの歓びを、いっぱいに表現しているのだなと思われてきます。
 ほかに「鳥と女」「サン・ジェルマン・デュ・プレ」「PARIS Le 15 AV」など。
 絵はがきや缶バッジも販売しています。いずれも100円。缶バッジは、旭川美術館の小野州一展の割引券を兼ねています。

1月17日(火)-29日(日)10:00-18:00
レンガ館ギャラリー梅鳳堂(中央区北2東4、サッポロファクトリーレンガ館2階)
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HUMANS BY MIKE MILLS @ SOSO

2006年01月26日 16時01分06秒 | 展覧会の紹介-CG、design
 チボ・マットやソニック・ユース、バッファロー・ドーターのグラフィックデザインなどを手がける若手デザイナーの個展。スケートボードやTシャツなどもやっているようです。
 会場には、ポスター、壁紙、Tシャツなどのほか、アーティストおすすめのビデオなどもあります。
 作風は一口ではいえない多彩さ。ラフなタッチのイラストが多いですが、そればかりではありません。

 で、ポスターにあったことばが気になります。

 (以下引用)Shy people are secretly egoists.
 (中略) When you feel guilty about being sad,remember Walt Disney was a manic depressive.(引用終わり)

 a manic depressive は、躁鬱病。
 しかし、ウォルト・ディズニーって、躁鬱だったのか。初耳だな。
 つーか、このことばの真意がわからん。けど、ひっかかります。 

1月5日-30日(月)、SOSO CAFE(中央区南1西13 三誠ビル 地図C)
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竹下青蘭・武田律子 書と陶の二重奏(1月29日まで)

2006年01月26日 16時00分31秒 | 展覧会の紹介-複数ジャンル
 前衛書の第一人者竹下さんと、元全道展会員で現在は無所属の武田さんという、めずらしい組み合わせの二人展。
 2001年までひらかれていた「さっぽろ美術展」に、毎年のように出品していたことで出会い、同展の会場で、2人がセットのように陳列されたこともあったそうです。
 竹下さんは前衛書ですから、飛沫や点、墨のにじみは、文字を表現しているわけではありません。もちろん絵でもありません。しかし「The Man」を見ると、どこか立っている人間を思わせますし、「爽」は、3本の横線が文字通り爽快な印象をあたえます。
 「My Way」は、3つにわかれた画面のうち、いちばん下の画面は落款だけで、まったくの白紙。これは思い切ったものだと思います。
 なお、書の実作のほかに、リトグラフも数点あります。
 武田さんは曲線を生かした花器が中心。
 といっても、よくある壺などではなく、バームクーヘンを半分に切って立てたような形をしています。「勾玉をすこし意識したものもあります」と武田さん。
 色は黒をメーンに銀彩をほどこしたものが多いです。ところどころに配したピンクの点は、象嵌ではなく、絵付けの技法ではめこんでいるそうです。
 
 スウェーデン出身、パリ在住のイラストレーターANNIK WESTERによる「Portraits of Girls」展が隣室で開催。

 1月24日(火)-29日(日)10:30-19:00、さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階
地図B)
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足立成亮 -個展-(1月29日まで)

2006年01月26日 15時59分51秒 | 展覧会の紹介-写真
 札幌市内の大学生によるモノクロ写真の個展。
 春の、フラワーギャラリーダンクールのグループ展で見た写真で圧倒されたけど、そのあとの、札幌・琴似や北広島での個展や「ふぉとま」を見てないので、流れ的にはなんともいえない。
 ただ、筆者には、感情のこもった風景というイメージがあったから(そういう写真も会場の出入り口にあったけど)、今回はちょっとびっくりした。
 人物の写真が115点。
 すごいな。オレ、学生のときに、こんなにたくさん知り合い、いなかったぞ。
 「え? どういうふうにしてたらいいの?
 いや てきとうにしてていいよ とるときいうからさ」
というキャプションが最初にあり、ぜんぶ見終わると
「おわったよ どうもありがとう」
と書いてある。
 全体としてぶっきらぼうな感じ。投げやり、というほどではないけれど。壁にピンを刺して、そこからクリップではさんだ写真を下げている。
 でも、写真は良い。すごくいい。笑顔にも、むすっとした顔にも、男でも女でも、ありふれた形容になってしまうけれどその人自身の人柄がにじみ出ている。115人もいるのに、単調にならない。
 たった10人でもおんなじような肖像をならべてしまう人だっているのに。なぜだろう。

 1月24日(火)-29日(日)10:00-19:00(最終日-17:00)
 札幌市写真ライブラリー(中央区北2東4、サッポロファクトリー・レンガ館3階)
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 道彩会会員会友展(1月28日まで)

2006年01月26日 15時59分08秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 八木保次さん(全道展会員)ひきいる?水彩画の公募展。全体的にはフォーブ調の絵が多いです。
 八木さん「あかり」は、黒や紫などを紙にぶつけた熱い抽象。
 中田やよひさん「玄冬」も、灰色の勝った抽象画です。
 青田淑子さん「銀世界の中で」。斜面を滑降するふたりの姿が遠く見えますが、全体は白や灰色の踊る画面。
 宮下房子さん「待春」。早春の海辺。灯台や鳥、草の芽などを要所に配しています。
 合田早苗江さん「初夏の坂道」。函館・ハリストス正教会を望む新緑の坂。あふれる黄緑が心地よい。
 田中裕紀子さん「記憶の街」。原爆ドームとおぼしき建物。過剰な思い入れがないぶん、かえって訴える力があります。
 寺西冴子さん「野の詩」。画面いっぱいの野草。ところどころに花びらが見えていなかったら、装飾と線だけの奔放な画面になっているところ。
 小野礼子さん「花」。葉を矩形の筆致で表現しているのがめずらしい。
 角崎幸子さん「百合と果物」。激しい筆致の静物画。
 少数ですが、ことなる画風の絵もあります。
 ベテラン小堀清純さん「美瑛の丘」はオーソドックスな写実の風景画。
 栗山巽さんは、宇宙的な広がりのある抽象画を描き続けており、「’06-宙」もそのひとつ。
 大橋頼子さん「座樹」。太い木の根元を題材にした絵はよくありますが、クリアで明度の高い画風はユニーク。目にまばゆいほどです。

1月23日(月)-28日(土)10:00-18:00(最終日 -17:00)、札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図A)。
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春陽会道作家展(絵画部) =1月28日まで

2006年01月26日 15時58分20秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
  毎年1月に時計台ギャラリーの2階全室を借り切り、春の本展に向けた展覧会をひらいている道内の春陽会ですが、ことしは会員5人の作品がそろっている半面、会友の欠席がいつになくめだちます。筆者が気づいただけでも、漁船の巻き胴を描く飯田辰夫さん、サケの西田四郎さん、焼却炉や鉄くずの大塚富雄さん、白っぽい町の白井孝光さん、横浜美術館の内部を描く石畑靖司さん、川辺などの風景の友井勝章さんと、男性会友がだれも出品していません。女性の会友も、楽器の高野弘子さんが不出品のようです。
 正直なところ、ちょっとさびしい気がします。

 会友では新出リエ子さん(札幌)がF130号の「開」「護」をそろえ、がんばっています。これまでどおり種を弾き飛ばすヒマワリが題材ですが、背景を黒くしたぶん、引き締まって見えます。
 豊嶋章子さん(同)「遠くに…」(会場で配布していた紙には「遠くへ・・・」となっていました)「窓から」。右には、窓の前に置いたびんなどの静物を配し、左半分は空いた空間です。この空間を、絵の具のぼかしなどによって埋めており、効果的になっていると思います。
 崎山かづ子さん(同)は「輝(1)」「輝(2)」の2点ありましたが、筆者は(2)のほうが好きです。黒と朱に色をしぼり、その結果、黒い線が生きているように感じます。

 一般では奥山哲三さん(同)「宙の行方」「冬日」が、明快で、こなれています。前者は、デフォルメされた雪だるまのような人物が、腹の上に小さな町を載せているというもので、メルヘンの要素もあります。
 芳賀雪子さん(伊達)「縄文の丘・冬」は、壊れた巨大な土器が雪の上に横たわり、周囲でカラスが遊んでいるという夢幻的な光景を描いています。遠景には竪穴式住居も数軒見えます。透視図法にやや狂いが見られ、カラスの描写もけっしてリアルではないのですが、それがかえって絵に底知れぬ不思議さをあたえているようです。

 会員では、安田完さん(網走管内美幌町)「復活について(2)」が気になります。
 画面の下方にうずくまったり横たわったりしている黒ズボンの男が4人(うち1人は足だけ)いるので、そこはゲッセマネの場面だと思われるのですが、イエスは画面の最上方に、磔刑の後の格好で横たわっています。中央部分は、灰色に平滑に塗られており、思い切った構図といえます。
 いわば、ふたつの場面を描いており、しかもどちらも「復活」の画像とはいえません。安田さんの言いたいところはどこにあるのか。つい考えてしまいます。
 宮西詔路さん(函館)「馬」は、正面をむいた馬6頭を点描で表現。八木伸子さん(札幌)「行く雁」は、雪原の上を行く渡り鳥。谷口一芳さん(同)「道標」はフクロウ2羽を組み合わせた構図。
 折登朱実さん(同)「醸造所」は、灰色の地に茶色の矩形が描かれています。右側の水色と緑の色斑が、効果的です。

 他の出品者はつぎのとおり。
 ▽会友
安達ヒサ(旭川)「風のまゝに」
荒川敬子(札幌)「13月の風」「13月の風」
居島恵美子(苫小牧)「遠い音」
小黒雅子(函館)「景」
片野美佐子(函館)「街カト」
川真田美智子(稚内)「uramado」
佐藤愛子(函館)「犬と女と男と(1)」「犬と女と男と(2)」
佐藤かずえ(札幌)「公園へ」「魚たちと」
山形和子(函館)「市の女」
山本周子(札幌)「春の音」
 ▽一般
奥田順子(渡島管内上磯町)「工場」
落合輝美(札幌)「大地の樹I」「大地の樹II」
小原敦美(渡島管内森町)「冬林I」「冬林II」
加藤卓司(函館)「森のカーニバルA」「森のカーニバルB」
川股正子(函館)「鳥来る日I」「鳥来る日II」
斉藤啓子(十勝管内新得町)「風の音」
佐藤史奈(札幌)「白い海」「白が奏でる」
柴田郁子(根室)「2つの刻I」「2つの刻II」
平間文子(旭川)「風にのる花(アマリリス)」
和嶋和子(函館)「花I」「花II」
 

1月23日(月)-28日(土)10:00-18:00(最終日 -17:00 ">地図A)。04年の展覧会
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 アミューズランドは甘い記憶と家族がテーマ・下(1月29日まで)

2006年01月26日 15時56分19秒 | 展覧会の紹介-現代美術

 佐々木雅子(1970年-、札幌)「臍の緒」「天から降ってきた」「Head of Dinosaur」など12点。いずれも、人形や赤ちゃんの服、離乳食器といった育児にまつわるものを漆で固めたり、漆布で覆ったりした作品。
 筆者は男性ですが、このきもちはなんとなくわかります。子育て中は、じぶんのしたいことが思うようにできません。佐々木さんの家庭はどうなのかはわかりませんが、もし共働きかつダンナが非協力的だったりするとイライラすることでしょう。そういう状況を逆手にとって、育児をアートにしちゃったんですね。
 漆で固められた産着を見ていると、あらためて、赤ちゃんって小さいんだなあ、じぶんもかつてはこうだったんだなあとしみじみ思います。

 八子直子(1967年-、札幌)「メタモルフォーゼ」「ドールズ」など。画面に穴をあけたり、木片を打ちつけて浮き立たせたりした、版立体的なパワフルな絵画です。
 6点のうち「蟻プリン」が2003年で、あと5点はすべて昨年というのも、旺盛な活動を物語っています。
 ただし、もう長いこと子どもをモティーフとしてきた八子さんが、「山のあなた」「ソナチネ」「Mt.Book」では、風景のようなものを描いています。アミューズランドで「子離れ」というのも、なんとなくおもしろかったりします。

 高木正勝(1979年-、京都)「light park」は、四つの部分に投影される映像と音楽を、来館者がブランコに乗って鑑賞するという作品。
 映像は、だいたい四つのパートに分かれており、とくに冒頭や末尾はきまっていないようですが
1 遊園地のスカイチェアー(たくさんブランコがついていて、ぐるぐる回る遊具)
2 満天の星空を思わせる光が浮遊する中で響く子らの歓声とシルエット
3 野山をかける女の子たち
4 公園のブランコなどで遊ぶ子ら
みたいな構成になっています。ただし、3はごく短く(5、6小節ほど)、4はいったん映像が消え沈黙が挟まった後で、みじかいコーダみたいな映像が続きます。どれも、登場人物などをシルエットだけにするなどの映像加工を施しており、見る人に、じぶんの子ども時代をふりかえらせるような懐かしさをたたえています。
 ブランコに乗りながらブランコの映像を見ていると、じぶんも子どもに戻ったみたいな気もします。
 でも、2の最後に顔が見える人物って、どうもオバサンに見えるんだよなあ。ふしぎ。

 長くなってきたので、なるべく手短にいきます。
 牧谷光恵(1973年-、千葉)
 子どものころの写真をもとに、スチロール板に、装飾文様とともに自画像を切り出して重ね合わせた作品と、スナップ写真のようなドローイング。

 上原三千代(1966年-、群馬)
 仏像彫刻にもちいられる木心乾漆(もくしんかんしつ)という技法による立体。ナメクジやヤギなどがあるのがユニーク。「TOYOKO -2000,1,12 Age60」は、女性の上半身像だけど、リアルさがすごい。生きているみたいです。

 丸山直文(1964年-、神奈川)
 「Colar Shadow」など絵画。絵の具をにじませて描いた、ぼやーっとした感じの絵。

 樋口佳絵(1975年-、宮城)
 「ドアは開いたのか」など3点は、いずれも少年たちがモティーフ。おなじ顔の反復、遠近法に依らない画面構成、陰影の排除などが、現代っぽい。
 以上3人は「作家蔵」が1点もないのがすごい。
 美術館の皆さん、お疲れさまです。

 このほか、会場入り口に「参加型プロジェクト マイ・スイート・メモリーズ」というのがあって、一般の人から集めた思い出の写真をスライドで映写していました。
 17分間、全篇見ちゃいましたが、意外に、新しい写真と、子どもの写真が多かったです。50、60年代が各1枚ぐらいしかなかった。


 で、全体を通して思ったこと。
 こんなにスイートっていうか、多幸症的でいいんかい。
 
 じぶんで問題提起しといてナンですが、いいと思います。
 美術館の浅川真紀学芸員も、無料でもらえるワークブックの末尾に
「ほんとうのところ、ビターなメモリーの方が多いかもしれません」
って書いてるじゃないですか。
 でも、美術館に来たときぐらい、苦い日常から離れてゆっくり過ごしたいですよね。
 だから、ま、いいんじゃないかと。

 もうひとつは、こんなに目が内向きでいいのかってこと。
 家族や子どもが題材の作品が多く、時代背景や社会情勢を反映した作品は皆無です。
 で、これも結論からいうと、かまわないんじゃないの、と。
 すごくおおざっぱに言っちゃえば、近代の自立した個人が自然や社会に反撥(はんぱつ)したり賛同したりしながら表現する-というシェーマ(図式)のなかで、なにが見落とされてきたかというと、どうやってメシを食うかとか、子育てをどうするかっていう、生活の根っこの部分じゃないかと思うんですよ。男どもは、世界に広く目をむけるのはいいんだけど、その分、生活の根っこの部分を女に押し付けて、すごく大事なハズなのに「見えないもの」にしてすましてきたんじゃないですかね。
 まあ、えらそうに言える立場にないわけですが(笑)。
 
 でもね、たとえば高木さんの作品を見て、スカイチェアーになんらノスタルジーを感じない人っていると思うんですよ。筆者も乗ったことないし。まあ、子どもや孫が乗っているのを見たことならある人は多いでしょうし、高木さんの映像は自然のなかのもあるのでバランスはとれてるんですけど。
 で、なにが言いたいかというと、子どものころを思い出させる一見普遍的な要素なんて、じつは限定的な時代や環境でしか通用しないものではないかと。団地もスカイチェアーもむかしの田舎にはなかったのです。「外部」の存在を知りつつ内向きの作品をつくるぶんにはべつにかまわないけど、「外部」「他の環境、時代、国」があることすら知らず内向きでいるのは、悪しきオタク的態度に堕するのではないかと。
 うまくいえませんが、むしろ見る人の想像力が問われているのではないかと思います。

 12月14日-1月29日
 道立近代美術館(中央区北1西17)
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アミューズランドは甘い記憶と家族がテーマ・上(1月29日まで)

2006年01月26日 15時53分53秒 | 展覧会の紹介-現代美術
子どもから大人まで幅広く美術に親しんでもらおうと毎年冬にひらかれている道立近代美術館の「アミューズランド」展、14回目(前身の「子どもと親の美術展」から通算すると29回目)のことしは「A☆MUSE☆LAND☆2006 スイート・メモリーズ」と題し、記憶や思い出にまつわる作品をあつめました。
 道内ではあまり見る機会のない現代美術にふれる格好の機会でもあります。
 今回は、作家の名前がわりと大きく出ていて、例年よりもそれぞれの作家を尊重している感じでしたし、赤ちゃんから少年へという流れにさりげなくなっていて、展覧会としてうまくまとまっていたと思います。

 個人的に、いちばん印象にのこったのは、新明史子(しんめい・ふみこ、1973年-、札幌)の、8点からなる「風とおくとおく」、かなあ。
 新明さんは一貫して、身近な家族などの人々を題材に、コピーや写真による作品をつくっています。今回は、前回の個展と同様、何枚ものカラー写真を貼りあわせて1枚の情景をうつしています。デイヴィッド・ホックニーにもほとんどおなじ技法の作品があるけれど、新明さんはただ貼りあわせているだけじゃなくて、そのなかに、何十年も前に同じ場所で撮影された写真がまじっているんです。
 今回も、1枚目の「祖父母の家I」は、(おそらく最近撮られた)がらんとした室内の様子をうつした中に1枚だけ、祖父母と孫3人(このうち1人が新明さん本人と思われます)がすわってうつっている写真が入っています。
 つぎは「祖母の納骨I」。(ちなみに、出品番号と陳列順はことなります)墓の前にあつまった親戚たちの写真のなかに、手を合わせるおさない姉妹の写真。古い写真が色あせているのでそれとわかります。
 3枚目が「函館公園 メリーゴーランドI」。キタ━━━°∀°━━━、遊園地業界の生きた化石(笑)、函館公園。子どもがまたがって乗る部分は二十数年のあいだに更新されているようですが、基本はほとんどおなじ。褪色してなけりゃ、どれが古い写真なのか、わかりゃしません。
 ところが、4枚目の「函館公園 空飛ぶサメI」は、どこに古い写真があるのかかろうじてわかるんですが、5枚目以降の「函館公園 メリーゴーランドII」「函館公園 空飛ぶサメII」「祖母の納骨II」では、褪色している写真が見つからない。
 そして、最後にある、「祖父母の家I」から古い写真を除けただけのような「祖父母の家II」を見て、ハッとするんです。棚に赤い布で包んだ箱がある…。
 あわてて「祖父母の家I」を見直すと、やっぱりおなじ位置におなじ箱が置いてあります。
 これって、おそらく骨壺が入っているんでしょう。となると、「祖父母の家I」には、同じ人物が生者と死者としてうつっていることになります。その事実に、おもわず居ずまいをただし、時の流れに思いをはせるのでした。

 会場の最後にある荒木珠奈(1970年-、東京)の「うち」は、大小80個の木の箱からなるインスタレーション。
 荒木さんが小さいころ住んでいた団地がテーマなんだそうです。
 大半はかぎがかかっていて、別のところに掛けてある、部屋ごとにことなる錠をまわさないとあきません。
 それぞれの錠にはみじかいことばを書いた短冊がついていて、102は「おかあさんとかえろう」。ふたを開けると、中は、まばゆい電燈がともされ、母子のシルエットを描いた小さな絵があり、内側全体が蜜蝋でおおわれています。
 筆者は、316「おとうさんのレコード きこう」、405「きみ どこ行くの?」もあけてみましたが、似たような感じで、たしかに、おさないころに団地に住んだ思い出がよみがえるような、心あたたまる作品です。それぞれの箱が孤立しているのも団地らしいといえばいえますし。
(この項つづく)
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異形小空間26人展 11th(1月21日終了)

2006年01月20日 15時02分50秒 | 展覧会の紹介-複数ジャンル
 小さめの作品がぎゅうぎゅうに詰まったグループ展ですが、なかなか見ごたえのある展覧会になりました。ベテランから若手まで顔ぶれも多彩で、ジャンルも、絵画、立体、写真などいろいろです。

 個人的な好みでいえば、林教司さんの「問う」。黒鉛をすりこんだベニヤ板(?)を壁と床に配し、床の板の上に、いすの鉄製の枠組みを置いただけのシンプルな作品ですが、見る者を粛然とした気持ちにさせる、或る種の厳しさを持っています。虚無の深遠に向かい合う非在の人間-。などとことばにするとありきたりですが、そういう厳粛さを感じます。
 絵画から立体に転じてからの林さんの作品では、一番好きな系列です。
 もう1点の「1頁5000円」は、クロッキー帳。古い裸婦デッサンばかりかと思いきや、山頭火の句を書いたページがあったり、味のある抽象画があったり、制作年もばらばらで、あなどれません。あるページには「本当の話にもハッピーエンドはあるのよ -『サンロレンツォの夜に』-」とありました。「サン・ロレンツォの夜」という、タヴィアーニ兄弟が監督したイタリア映画、筆者は大好きです。

 畑俊明さん「ある女の墓標」。古びた太い角材を床に立て、さびた鉄の輪と、白く着色したささやかな花束を添えた立体。手前にも、小さな金属のオブジェが立っています。角材の中央に打たれた大きなリベットが目を引きました。たしかに墓標を思わせます。

 川村雅之さん「grape duck」。透明アクリル板を支持体にした絵画という点ではこれまでとおなじですが、以前のような、エナメル絵の具によるドローイング的作品ではなく、色面と輪郭線が、微妙なずれをつくりだす、独特な絵画になっています。

 鈴木功一さん「名古屋から愛をこめて」。モノクロ写真33枚。四季の札幌を写しています。半分以上は、市内にある裸婦彫刻。雪を頭にのせたままの裸婦たちは、なぜかなまめかしく見えます。なかには、旧札幌駅舎や拓銀のマークが写りこんだ写真もあり、ちょっと古い写真のようです。

 横山隆さん「彼方へ」。線の細いボーダーシャツを思わせる抽象画2点。白や黒、青、黄色などの実線や破線がびっしり不規則にひかれた、力を感じさせる作品です。

 兵藤いずみさん「まどろみ貝」は、貝の形をしたオブジェ。表面に、金粉をちらし、付けまつげがついているおちゃめな作品。

 松井信也さん「女-大屋根」。木彫の小品。女が体をそらせてブリッジしている(それとも逆?)いる様子を表現。スムーズなカーブが美しい。

 阿部有未さんは、大作の銅版画?を2点。熱い表現は従来とおなじですが、人の手のようなものも見えており、抽象から変わりつつあるのかも。

 おなじく若手の富樫はるかさん「Love Green」は日本画5枚からなる組作品。灯台、湿原の木道、信号機などがモティーフで、シンプルな画面を複数並べるという方法論は変わっていません。「白い花」も出品。

 吉住ヒロユキさん「sex:male/female」。以前から取り組んでいる、白い裸婦のトルソのシリーズ。筋骨隆々で、中性的な感じがします。壁の中央に規則正しく排列された15個が同じ型から取られたように見受けられるのに対し、周辺にちらばった15個はどれも微妙に異なっているのもおもしろいです。
  
 ほかの出品者は次のとおり。題をつけていない人がいます。
渡辺英四郎「竜宮城への道」(写真)
柿崎秀樹(ペットボトルなど廃品によるコラージュ)
藤川広毅(試験管などによる立体造形)
高坂史彦「Fammiu」(カレンダーとポストカード)
棚田裕美「冬のぴよちゃん緑を背負うの巻」
市川義一「鱒」
漆山豊(抽象画)
渋谷美智子「ドリーム4」(絵画)
柳川育子「樹」(絵画)
亀井由利「T氏の考察技法による-残り時間」(コラージュ)
瀬野雅寛「UBIQUITOUS」(水彩)
竹田博「雑事のコンポジション」(絵画、コラージュの組み作品)
吉井見知子「Box Art]
後藤顕「天地晦冥」(絵画)

 12月19日(月)-1月21日(土)11:00-19:00
 ギャラリーたぴお(中央区北2西2、道特会館)
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革の多彩さにびっくり。喜井豊子個展(1月21日終了)

2006年01月20日 15時02分08秒 | 展覧会の紹介-工芸、クラフト
 革工芸の個展ときいて、よくありがちな、財布などの小物をならべている展覧会と思って見に行ったら、色鮮やかな革絵などもあって驚きました。ごく薄い革でできた軽いハンドバッグやベストなどもあり( まるでプラスチックみたいに、透けて見える!)、良い意味で裏切られたという感じです。
 革絵は「galaxy」「あじさい」など。支持体に革を使っているのはもちろんですが、アクリル絵の具で着色をしているため、目を見張る発色の鮮やかさです。
 「ふつうの革の絵だと、どうしても褪色してしまう。それではせっかく買ってくれた人に申し訳ない」
と喜井さん。
 魚がひし形になり、ひし形が鳥になる…という、エッシャーを思わせる連続模様があったり、琴が隠されていたり、画面を読み解く楽しさがあります。葛飾北斎の絵に出てくるモティーフも引用されているそうです。
 喜井さんは、フィレンツェで美術を学んでいたころから、これまであまり注目されていないエッシャーへの日本美術の影響について調べているそうです。主にゴッホ経由で、浮世絵などに似た図像がところどころに見られるそうです。

 1月10日(火)-21日(土)
 ガレリア・リストランテ・ボーノ(豊平区美園3の2、クレイスハイデンス)


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