江別在住の金工作家、小林繁美さん(1939~2020)の遺作展。
急逝したのが新型コロナウイルスの感染拡大期で、葬儀も関係者だけで営まれ、このたび道展などの有志が追悼展の開催にこぎ着けました。
多くの作品は寄贈先がすでに決まっています。戦後北海道の立体作家で最も重要なひとりだと筆者は考えていますが、その作品をまとめて鑑賞できるほとんど最後の機会であり、ぜひごらんになってほしいと思います。
なお、筆者がうかがったときは、2004年に自費出版した「精霊たちの宴 小林繁美作品集」を無料で配布していました。
冒頭画像の中央は「仮面舞」(制作年不詳)。
この作品など立体が4点、壁掛け作品が26点展示されています。
入ってすぐのところにある、次の画像の大作に、まず目を奪われます。
「大地 風」。
会場パネルには1975年とあったような気がしますが、作品集の巻頭を飾る2003年の同題の作品に酷似しています(中央の鳥の角度が少し異なります)。
これが2003年作品だとすると、筆者はこれをリアルタイムで、つまり同年の札幌時計台ギャラリーでの個展で拝見しています。
半ば抽象的な造形を、安易に具象物に引きつけて鑑賞することにはためらいを覚えますが、岩のつらなりや風を想起させる直線と、中央部分の窓にたたずむ小鳥のやわらかさとが対照的で、鮮烈な印象を見る人に与えます。
筆者は19年前、そこに北国の厳しい風土を見ました。
しかし、小林繁美さんの作品を全体としてみると、北方の風土と同時に、アフリカの太鼓の音のような南方の土俗性のようなものも感じられます。とりわけ、仮面を思わせる小品が、そのような精神性をたたえているようです。
総じて言えば、それは、人間の魂の奥底から響いてくるものなのかもしれません。
いわば、人間精神の古層にひそむ、アニミズム的な信仰心のようなものです。
こちらは1970年代の作。
銅板をたたいて打ち出した大作で、左から「地の祭り・馬」(74年)、「地の祭り・魔王」(76年)、「草獣紋」(75年)。
まだ緑青を用いていないころなので、色合いが他の作品と異なります。
そして、具象的なモチーフが多いです。
作品集の序文で鬼丸吉弘教授(故人)は
と、簡潔明快にまとめています。
左から「転生」(09年)、「或る英雄の肖像」(15年)、「題名不詳」。
フレームのような形状があって、その中は何も無く、壁が透けて見える―というスタイルの壁掛け型作品が多いのも、小林繁美さんの特徴です。
次の作品も、題名・制作年ともに不詳。
会場にいらした坂東宏哉さんによると、小林さんは恐竜の骨が好きで、その話を始めたら止まらなかったそうです。
この作品を見ると、なんだかわかる気がしてきます。
小林さんは1939年(昭和14年)小樽生まれ。
念のため申し添えれば、男性です。
66年に北海道学芸大(現教育大)の特設美術科(特美)を卒業、同年に道展会員に推挙されました。
また、67~77年には光風会展に出品、71、73~77年に日展に入選しています。
大学では、道内の金属工芸の草分けであった畠山三代喜さんが指導教官でした。
畠山さんは甘くさわやかな北の叙情が持ち味で、たとえば「大地 風」の鳥などにその影響を見ることは可能でしょう。
ただし、小林さんのまなざしはもっと根源的なもの、土俗的なものに向かっていたようです。
71年、北海道女子短大教授。
2004年に退職しています。
78年に、道立近代美術館が主催する第1回北海道現代美術展で優秀賞を受賞。
以降、第5回展まで毎年選抜され、引き続き同美術館が開いていた「イメージ―北海道の美術」にも、84年から88年までほぼ毎年選ばれています。
個展は1970年に第1回を開き、72、75、77、80、83年以降は隔年で開催しています。
2017年、茶廊法邑で開いたものが最後になったようです。
つまり1980年代前後の時代に、小林繁美さんは「北海道を代表する作家」の一人として認知されていたのだろうと思います。
ただし、畠山さんらと創立に名を連ねた北海道金工作家協会はほどなく脱会してしまいますし、21世紀以降の北海道美術史を彩る「北海道立体表現展」などのグループ展にはまったく参加していません。
さいきんの若い世代にそれほど名前がとどろいていないのは、そういった事情があるのかもしれず、作品の力強さを思えば、残念なことです。
もうちょっと評価されて良い作家だと、思います。
最後の画像は、やはり題名・制作年ともに不詳。
ほかに
闘鶏
水牛
鹿頭骨
(以上立体)
木霊
地の華
躍るシャーマン
聖者の肖像
大地・夜
地の祭り飾
陵
生成
仮面舞
道化
仮面(4点)
(題不明)8点
時計台ギャラリーがあったころは、よく姿をお見かけしたものでした。
あらためて、ご冥福をお祈りします。
2022年11月1日(火)~6日(日)午前10時~午後6時(最終日~4時)
コンチネンタルギャラリー(札幌市中央区南1西11 コンチネンタルビル地下=北洋銀行のあるビル)
過去の関連記事へのリンク
小林繁美「精霊たち「芽甲」」「ミノタウロス」 太陽の丘えんがる公園
小林繁美「精霊たち(木神)」「精霊たち(陽炎)」 太陽の丘えんがる公園
小林繁美展 (2014、画像なし)
■ハンマー会同人展 (2008、画像なし)
道展80周年記念展 (2005、画像なし)
小林繁美個展 (2003)
・地下鉄東西線「西11丁目駅」2番出口から約50メートル、徒歩1分
・市電「中央区役所前」からすぐ
・じょうてつバス、ジェイアール北海道バス「西11丁目駅前」から約50~250メートル、徒歩1~4分
・中央バス、ジェイアール北海道バス「北1条西12丁目」から約490~570メートル、徒歩7分
(手稲方面行きのバス全便が止まります。小樽、岩内行きの都市間高速バスも利用できます)
急逝したのが新型コロナウイルスの感染拡大期で、葬儀も関係者だけで営まれ、このたび道展などの有志が追悼展の開催にこぎ着けました。
多くの作品は寄贈先がすでに決まっています。戦後北海道の立体作家で最も重要なひとりだと筆者は考えていますが、その作品をまとめて鑑賞できるほとんど最後の機会であり、ぜひごらんになってほしいと思います。
なお、筆者がうかがったときは、2004年に自費出版した「精霊たちの宴 小林繁美作品集」を無料で配布していました。
冒頭画像の中央は「仮面舞」(制作年不詳)。
この作品など立体が4点、壁掛け作品が26点展示されています。
入ってすぐのところにある、次の画像の大作に、まず目を奪われます。
「大地 風」。
会場パネルには1975年とあったような気がしますが、作品集の巻頭を飾る2003年の同題の作品に酷似しています(中央の鳥の角度が少し異なります)。
これが2003年作品だとすると、筆者はこれをリアルタイムで、つまり同年の札幌時計台ギャラリーでの個展で拝見しています。
半ば抽象的な造形を、安易に具象物に引きつけて鑑賞することにはためらいを覚えますが、岩のつらなりや風を想起させる直線と、中央部分の窓にたたずむ小鳥のやわらかさとが対照的で、鮮烈な印象を見る人に与えます。
筆者は19年前、そこに北国の厳しい風土を見ました。
しかし、小林繁美さんの作品を全体としてみると、北方の風土と同時に、アフリカの太鼓の音のような南方の土俗性のようなものも感じられます。とりわけ、仮面を思わせる小品が、そのような精神性をたたえているようです。
総じて言えば、それは、人間の魂の奥底から響いてくるものなのかもしれません。
いわば、人間精神の古層にひそむ、アニミズム的な信仰心のようなものです。
こちらは1970年代の作。
銅板をたたいて打ち出した大作で、左から「地の祭り・馬」(74年)、「地の祭り・魔王」(76年)、「草獣紋」(75年)。
まだ緑青を用いていないころなので、色合いが他の作品と異なります。
そして、具象的なモチーフが多いです。
作品集の序文で鬼丸吉弘教授(故人)は
はじめのころは銅の赤金色の地を生かし、好んで材を大地の中に取り、そこにうごめく生と死のドラマを板面に打出すことに熱中した。命を終えて土に帰る動物たちの骨、絡みつく植物の根、再生しつつある新たな生命のイメージ、動物の精霊や冥界の魔王など、輪廻転生する生の超現実的幻想を追って、特異な世界を歌い続けてきた。そこには太古の芸術がもつ、始原の声に響き合うものがあった。
と、簡潔明快にまとめています。
左から「転生」(09年)、「或る英雄の肖像」(15年)、「題名不詳」。
フレームのような形状があって、その中は何も無く、壁が透けて見える―というスタイルの壁掛け型作品が多いのも、小林繁美さんの特徴です。
次の作品も、題名・制作年ともに不詳。
会場にいらした坂東宏哉さんによると、小林さんは恐竜の骨が好きで、その話を始めたら止まらなかったそうです。
この作品を見ると、なんだかわかる気がしてきます。
小林さんは1939年(昭和14年)小樽生まれ。
念のため申し添えれば、男性です。
66年に北海道学芸大(現教育大)の特設美術科(特美)を卒業、同年に道展会員に推挙されました。
また、67~77年には光風会展に出品、71、73~77年に日展に入選しています。
大学では、道内の金属工芸の草分けであった畠山三代喜さんが指導教官でした。
畠山さんは甘くさわやかな北の叙情が持ち味で、たとえば「大地 風」の鳥などにその影響を見ることは可能でしょう。
ただし、小林さんのまなざしはもっと根源的なもの、土俗的なものに向かっていたようです。
71年、北海道女子短大教授。
2004年に退職しています。
78年に、道立近代美術館が主催する第1回北海道現代美術展で優秀賞を受賞。
以降、第5回展まで毎年選抜され、引き続き同美術館が開いていた「イメージ―北海道の美術」にも、84年から88年までほぼ毎年選ばれています。
個展は1970年に第1回を開き、72、75、77、80、83年以降は隔年で開催しています。
2017年、茶廊法邑で開いたものが最後になったようです。
つまり1980年代前後の時代に、小林繁美さんは「北海道を代表する作家」の一人として認知されていたのだろうと思います。
ただし、畠山さんらと創立に名を連ねた北海道金工作家協会はほどなく脱会してしまいますし、21世紀以降の北海道美術史を彩る「北海道立体表現展」などのグループ展にはまったく参加していません。
さいきんの若い世代にそれほど名前がとどろいていないのは、そういった事情があるのかもしれず、作品の力強さを思えば、残念なことです。
もうちょっと評価されて良い作家だと、思います。
最後の画像は、やはり題名・制作年ともに不詳。
ほかに
闘鶏
水牛
鹿頭骨
(以上立体)
木霊
地の華
躍るシャーマン
聖者の肖像
大地・夜
地の祭り飾
陵
生成
仮面舞
道化
仮面(4点)
(題不明)8点
時計台ギャラリーがあったころは、よく姿をお見かけしたものでした。
あらためて、ご冥福をお祈りします。
2022年11月1日(火)~6日(日)午前10時~午後6時(最終日~4時)
コンチネンタルギャラリー(札幌市中央区南1西11 コンチネンタルビル地下=北洋銀行のあるビル)
過去の関連記事へのリンク
小林繁美「精霊たち「芽甲」」「ミノタウロス」 太陽の丘えんがる公園
小林繁美「精霊たち(木神)」「精霊たち(陽炎)」 太陽の丘えんがる公園
小林繁美展 (2014、画像なし)
■ハンマー会同人展 (2008、画像なし)
道展80周年記念展 (2005、画像なし)
小林繁美個展 (2003)
・地下鉄東西線「西11丁目駅」2番出口から約50メートル、徒歩1分
・市電「中央区役所前」からすぐ
・じょうてつバス、ジェイアール北海道バス「西11丁目駅前」から約50~250メートル、徒歩1~4分
・中央バス、ジェイアール北海道バス「北1条西12丁目」から約490~570メートル、徒歩7分
(手稲方面行きのバス全便が止まります。小樽、岩内行きの都市間高速バスも利用できます)