北海道美術ネット別館

美術、書道、写真などの展覧会情報や紹介。毎日更新しています。2013年7月末、北見から札幌に帰還。コメントはお気軽に。

写真特集 ・ TAIRA CREWー Rising Sun Rock Festival in Ezo 2018 (ライジングサン・ロックフェスティバル)その5

2018年08月18日 09時38分36秒 | Rising Sun Rock Fes他
(承前

 TAIRA CREW(タイラクル)は、ライジングサン・ロックフェスティバル(RSR)会場のうち、Forest tent site(フォレスト・テントサイト)近くにある、チルアウトの空間である。


 ロックのコンサートでは、大音量と派手な照明で精神がハイになります。それを鎮静化させる空間が「TAIRA CREW(タイラクル)」なのだと筆者は思っています。

 筆者が存在にはじめて気がついたのは2009年。当時は人影も少なく、ちょっと怪しげな雰囲気が漂っていましたが、この数年は訪れる人も増えてきました。
 ことしは初めて、ときどき行われるアコースティック系ライブの日程も公式に発表されるようになりました。

 暗い森の中でまったりと過ごすひとときは、なにごとにも代えがたいものです(というか、昼間はどうなっているんだろう。来たことがないや…)。

 来場者が増えたのは、筆者が毎年のように写真を撮っている(末尾のリンク参照)ことからもわかるように、インスタ映えというか写真撮影向きのスペースだからかもしれません。


















 私事になりますが、ライジングサン・ロックフェスティバル(RSR)会場のところどころ(レッドスターフィールドなど)に置かれている牧草ロールは、ほとんどの場合、誰かが上に乗っかっているのですが、ことしはたまたまタイラクル内で、無人の牧草ロールを見つけました。
 円筒形の牧草ロールのてっぺんに上がって、クラフトビールを飲みました。上ったのは、この20回で2度目かな。
 いい思い出になりました。


過去のTAIRA CREW(タイラクル)関連記事のリンク
ライジングサン・ロックフェスティバル写真特集(2)
RSR(ライジングサン・ロックフェスティバル)2016 写真特集(2) RAIN TOPE 附近/TAIRA CREW
Candle JUNE/TAIRA CREW◆Rising Sun Rock Festival 2011 in EZO
TAIRA CREW-ライジングサン・ロックフェスティバル写真特集2010
ライジング・サン・ロックフェスティバル 2009 夜のアート(1)


(この項続く) 
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太陽光発電で全電力をまかなっているボヘミアンガーデン・礼賛 ―Rising Sun Rock Festival in Ezo 2018(ライジングサン・ロックフェスティバル)

2018年08月17日 17時29分21秒 | Rising Sun Rock Fes他
(承前)

 たしか2013年ごろからだと思いますが、ライジングサン・ロックフェスティバル(RSR)のステージ「Bohemian Garden(ボヘミアンガーデン)」の電力は、太陽光発電でまかなわれています。



 ことしもボヘミアンガーデンに出演したロックバンド「シアターブルック」のフロント、佐藤タイジが主宰し岐阜県で毎年開いているロックフェス「中津川 THE SOLAR BUDOKAN」のチームが担当しています。

 ステージに向かって左側には太陽光発電パネルが並び、夜間などは蓄電池にためた電力を使います。

 佐藤タイジは「原発反対!」と歌うのではなく(いや、べつに歌っても、ぜんぜんオッケーだと思うけど)、原発に頼らない生き方を、実際にやってみせているわけで、ほんとうにすごいなあと思います。
 まさに、不言実行です。
 2014年、「ええ音でしょう?」とギターを鳴らしていたタイジの笑顔、忘れられません。
 そう言われると、ソーラー電源のギターの方が、澄んだ音に聞こえてきます。



 ボヘミアンガーデンは、いちばん華やかで大きなSUN STAGE(サンステージ)からは遠く離れているけれど、渋いプログラムが多いです。
 アコースティックな音楽も、ここが一番似合います。

 怒髪天の増子兄イが「イカ釣り漁船」と呼んでから、着色した小さな電球がそれにしか見えなくなっているのですが(笑。ただ、まじめに言うと、実物のイカ釣り漁船の照明は、この数十倍明るいです)。

 ステージのてっぺんにはシカとおぼしき頭骨が取り付けられています。

 今年のRSRは雨が多く、SCOOBIE DO(スクービー・ドゥ)の演奏の前には、屋根の上にたまった雨水を取り除くのに、苦労していました。




 ステージのそでに、白いフクロウの親子の置物がありました。


 なんだかんだいって、自分は、いくつもあるRSRのステージのうち、ボヘミアンガーデン滞在時間がいちばん長いような気がします。


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画像追加●なぜこんなに多くの顔ハメ看板がRising Sun Rock Festival in Ezo 2018 (ライジングサン・ロックフェスティバル)に登場したのか

2018年08月16日 09時42分31秒 | Rising Sun Rock Fes他
(承前。末尾近くに画像を追加しました)

 筆者は2010年
Twitterはライジングサンロックフェスティバルの聴き方をどう変えたか
という文章を書いた。
 今年は、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)がロックフェスの「聴き方」ではなく「会場風景」に大きな影響を与えた年として記録されるのではないかと思う。

 そのSNSは、Instagram(インスタグラム)である。

 今年、なぜこんなに多くの顔ハメ看板がライジングサン・ロックフェスティバル(RSR)の会場に登場したのかって?

 そんなの「インスタ映え」狙いのために決まってるだろ!








 最初の3枚は、祭太郎コーナーにあったもの。

 祭太郎はそもそもがアーティストだから、絵を描くのはお手のもの。

 次のは、キッズコーナーにあったもの。

 縦長のは、ボヘミアンガーデンの石狩市場に立っていたもの。

 このほかにもあちこちで顔はめ看板を見かけた。



ライジングサン・ロックフェスティバル(RSR)が始まった1999年当時、すでに携帯電話は普及していて、「写メ」という言葉も普通になっていたけれど、写真を撮る人はこんなに多くなかったと思う。

 ただ、写真を撮影することの心理的なハードルが下がり、禁止されているはずの、ミュージシャンにレンズを向ける人の増加につながっているのだとしたら、なんだかなあという思いもわいてくる。
(著作権、肖像権以前に、スマホを高く掲げているので邪魔だし、近くにそういう人がいると気が散るので、ほんとうにやめてほしい)






 最後の画像はおまけで、ボヘミアンガーデン近くの屋台で売っていた「石狩エール」。
 鮮やかな水色のビールで、明らかにインスタばえを意識したものだが、あまりぱっとしない写真になってしまった(笑)。

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2日目に聴いた音楽 ―Rising Sun Rock Festival 2018 in Ezo (ライジングサン・ロックフェスティバル)その3

2018年08月14日 07時57分57秒 | Rising Sun Rock Fes他
(承前。画像は初日午後3時ごろ撮影)

 20周年を迎えたロックの祭典、RSRの会場で初日、雨にやられて、ほうほうの態でいったん自宅に戻った話の続きです。
 長文です。


 体力的にもかなりやられていたので、2日目、8月11日は寝坊しました。

 家を出発したのは午後になってから。
 きのうほどではないにせよ、空模様はあまりよくありません。

 中島公園入口でバスを降り、ギャラリー創で竹本英樹さんの個展(~12日)を見て、近所のドラッグストアへ。雨合羽があるかと思いましたが、ズボンしかなく、いちおう購入。
 地下鉄南北線で麻生へ。
 ローソンでかっぱの上着部分を買い(家に置き忘れてきたので)、中央バスに乗り継ぎ、石狩へ。

 ふたたびFOREST GATE をくぐったのは、午後5時に近くなっていたという「重役出勤」ぶりでした。おなじテントの人間もあきれていたようです。



 この日は、次のとおり。かっこ内はステージ名。

 ハルカトミユキ(ボヘミアンサーカス)
→サニーデイ・サービス(ボヘミアンガーデン)
→山下達郎(サンステージ。2曲目あたりから)
→UVERworld(同)
→CHAI(デフガレージ。3曲目ぐらいまで)
→和楽器バンド(アーステント)
→OKI DUB AINU BAND(ボヘミアンガーデン)
→シアターブルック(同)
→東京スカパラダイスオーケストラ(サンステージ。途中から)

 ボヘミアンサーカスは、昨年もあったかもしれませんが、公式にスケジュールが載るようになったのはことしが初めて。FOREST テントサイトの入り口附近にしつらえられた小さなステージです(先の画像)。

 ハルカトミユキは、ギターボーカルとキーボードの女性2人組で、澄んだ声と切ない歌詞が印象的でした。


 サニーデイは、ライジングサン・ロックフェスの歴史のなかではかなり重要なバンドです。
 初回で大トリ。
 10回目は再結成の直後。
 そして20回目の今回は、メンバーのひとりが世を去った直後のライブ。

 ギターボーカルの曽我部恵一さんは途中でMCを1度挟み、そこで、食道静脈瘤破裂のため47歳で早世したドラマー丸山晴茂さんについて、悼む言葉を口にしていました。
 ちゃんとおぼえていなくて申し訳ないのですが、丸山くんが(病気のため)サニーデイを休んでいるころから、彼だったらどう言うだろうということを考えながら曲作りやステージをやってきた。でも、もうその声は聞こえてこない。そういう意味のことを話していたと思います。

 曽我部さんにしてみれば、まったくふれないわけにはいかないし、かといってあまり湿っぽい雰囲気にはしたくない、という難しいバランスのなかで、ああいうMCになったのだと推察します。
 セットリストは、天気をみて急きょやることにしたという「雨の土曜日」や、往年の代表曲「今日を生きよう」「サマーソルジャー」、一昨年のシングル「セツナ」など。
 筆者が大好きなアルバム「LOVE ALBUM」からは今回も1曲もやらず、配信とレコードでリリースしている最近の曲も演奏しませんでした。



 RSRで最大の会場であるサンステージですが、山下達郎のときは、入りきれないオーディエンスが通路まであふれていました。
 今回、彼はエンターテイナーに徹していた感があり、原則としてフェスでは演奏しない「クリスマス・イブ」や、ジャニーズタレントに提供した「硝子の少年」「ハイティーン・ブギ」などで客席を沸かせました。
 鉄腕アトムへのオマージュとして大ヒットした「アトムの子」の間奏で、ずいぶんギターのカッティングをマメに弾いてるなあと思ったら、達郎さん自身がかき鳴らしており、すげえなあと感服。
 メンバー紹介で「On chorus, 竹内まりや~」とやって、会場騒然でした(笑)。

 シメは、夏フェスらしく「Loveland, Island」。これ、もっと夏らしい天気だったら、最高だったのになあ。

 アンコールにこたえて歌ったのが「さよなら夏の日」。
 う~ん、沁みる。



 個人的には、この手のナンバーでは、井上陽水が2002年のRSRで歌った「少年時代」に匹敵する名演になったといえると思います。


 このあと、この日初めてテントに顔を出しました。
 午後8時台はほとんどのステージが休み、打ち上げ花火が上がってから午後9時に各ステージ再開―というのが、RSRの伝統です。
 8時台に元気なのは、祭太郎ブースですが、数百人が踊りの輪をつくっており、びっくりしました。


 UVERworld は最近人気のバンド。
 しかしMCによると、すでに結成から18年たっているそうです。
 スケールの大きな演奏で、1980年代のプログレハードや、2010年代のEDM、ヒップホップなどさまざまな要素が入り込んでいます。彼らの音楽的ルーツが何なのか、興味のあるところです。

 その点、和楽器バンドは、聴けばすぐわかります。
 基本はハードロックです。
 さまざまに分化した90年代以降のヘヴィメタルよりも「ハードロック」と形容したほうが合っているような気がします。
 その上に、尺八や三味線といった邦楽の楽器がテイストとして乗っかっているのです。
 ボーカルが非常にうまいのも、魅力だと思いました。

 OKI DUB AINU BAND とシアターブルックは、リズム隊が同じ。
 沼澤尚(dr)、中條卓(b)という腕ききが2ステージ連続で演奏するというぜいたくなステージです。
 「オキダブ」を聴き、短いフレーズの繰り返しが多いアイヌ音楽は、トランス効果が大きいということをあらためて感じました。
 これは、酩酊のような感じを与えます。ムックリのびよんびよん、というサウンドもあいまって、気持ちよくなるのです。
 それにしても、北海道ではほとんど絶え、樺太に残っていた民族楽器トンコリを独学でマスターし、それをダンサブルな現代的サウンドに仕立てたOKIの独創性は大いに評価すべきではないでしょうか。

 一方、シアターブルックは、2003年のRSRのサンステージで大トリを務めた古参バンドで、今回は当時のセットリストを再現しました。
 代表曲「ありったけの愛」で、オーディエンスに♪シャララララと歌ってもらうところまで、15年前とおなじでした。

 ギターボーカルの佐藤タイジは、20周年について
「感慨深いなあ」
と繰り返していました。
「いまや日本最高のロックフェスですよ」。

 この感慨、わかるなあ。
 出演者の顔ぶれが当時から貧弱だったわけではないのですが、1999年は第1回はステージがひとつだけ、第2回は二つで、入場者も1万人前後でした。
 シアターブルックの大トリは、筆者はそうとう前のほうで聴いていた記憶があります。
 いま、サンステージはどのミュージシャンが登場しても、差はあってもかなりの混雑で、前のほうに行くのはなかなか難しくなっています。

 タイジは
「俺たち、この20年間なにしてたんやろ」
と自嘲気味にMCしていましたが、20年前からカッコ良かったということでオッケーだと思います。
 最高の演奏でした。



 大トリはスカパラ。

 RSRの歴史で、大トリ2度目というのはこれが初めてになります。
 スカパラ自体はこれまで何度も登場していますが、ことしは曲ごとにボーカルを交代していくというスタイル。モンゴル800のキヨサクやクロマニヨンズのヒロト、The Birthdayのチバユウスケらが次々に歌うという、豪華版でした。
 最後のボーカリストは銀杏BOYZの峯田和伸でしたが、役作りのためにしている坊主頭で登場したため、最初は誰だかわかりませんでした(周囲にも「あれ、だれ?」という人多数)。

 アンコールもふくめると、20曲近く演奏したのではないかと思います。
 ここまで多数のボーカルが参加するステージは、スカパラの長いキャリアでもめったにないことで、谷中敦も感極まっていました。


 未明に雨があがり、晴れ間がのぞいてきました。
 残念ながら、前回の大トリのような見事な日の出は見ることができませんでしたが、天気はすっかり回復しました。


 このあと、テント撤収作業を行い、筆者はせがれとバス停まで30分あるきました。
 家人が車で麻生駅近くの降車停留所まで迎えにやって来て、助かりましたが
「来年は駐車場をしっかり確保しなくちゃな」
と思いました。

「はっ!? もう引退するはずだったのに、次回のことを考えているとは!」


 長文をお読みいただきありがとうございます。
 写真をたくさん撮っているので、RSR関連の記事はまだ続く予定です。

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訂正あり◆聴いた音楽のこと ―Rising Sun Rock Festival 2018 in Ezo (ライジングサン・ロックフェスティバル)

2018年08月13日 08時46分39秒 | Rising Sun Rock Fes他
(承前)

 8月10日から12日早朝にかけて石狩湾新港の特設会場で開かれたRising Sun Rock Festival 2018 in Ezo(ライジングサン・ロックフェスティバル、以下RSR)。
 全体的なことについては前項に書いたので、ここでは、筆者がまわったステージなどについて、ごく個人的な感想をつづっていきます。

 RSRの特色といえば広大な遊休地にテントを張って、好きな音楽を楽しむこと。
 会場は小樽市と石狩市にまたがる「石狩湾新港」という地名で、実際にも日本海の近くですが、実際には、工場や倉庫などの間に広がるだだっ広い土地で、海の近くという印象はあまりありません。

 ことしは、職場などのチームでテントサイトの4区画を確保。
 さまざまな苦労の末におなじ「エゾシカエリア」に一続きの土地をまとめることができましたが、設営までに、テントの搬入などに時間がかかります。
 毎年、2万なんぼのお金を払って、どうしてこんなに苦労しなくてはならないのかという思いが、頭の片隅をチラッとよぎります。
 ホテルからバスで往復するツアーが人気なのもわかるような気がします(余談ですが、ホテルや新千歳空港などと会場を結ぶバスが観光バス仕様なのに対し、地下鉄麻生駅とのシャトルバスは路線バスの車体で混雑しており、麻生から重たい荷物を抱えて立ちっぱなしなのは気の毒だなあと、毎年見ていて感じます)。

 テント設営、ビールで乾杯、Tシャツ買い出し…などをへて、10日は以下のとおり。かっこ内はステージ名。

NakamuraEmi (ボヘミアンガーデン)→
ASIAN KANG-FU GENERATION(途中から。レッドスター・フィールド)→
クラムボン(途中まで。レインボー・シャングリラ)→
勝井祐二(PROVO)→
SCOOBIE DO(ボヘミアンガーデン)

 NakamuraEmi は「YAMABIKO」で注目されたのが3年ぐらい前だったので、MCで36歳というのを聞いて、びっくりした。
 ヒップホップに影響を受けた鋭いリリック。でも上から目線でもなく、説教くさくもなく、大人や男性を拒絶してとり澄ましているのでもなく、もちろんこびているのでもない。それなりの人生経験を通して自分自身から出た言葉が、共感を抱かせるのだと思う。
 筆者は職業柄、「朝刊」「新聞」にぐっときた。これを聞いた若い世代がちょっとでも新聞を読んでくれるようになったらいいな。猫のえさの皿にするのでも、ぜんぜんかまわないから。ちょっと古い一昔前の不便さも、覚えていたいと思うのだ。
(この段落の曲名を訂正しました。すみません)

 アジカンは、正直なところ大好きというほどでもないのだが、一昨年、ゼップサッポロで聞いたときよりは、こちらに来たという感じを抱いた。なぜかはわからないけど。
 最後に、bloodthisty butchers(ブラッドサースティ・ブッチャーズ)の曲を演奏した。
 ブッチャーズは、留萌で結成されたバンドだが、2013年にボーカル・ギターが死去している。

 勝井祐二は札幌出身のロックバイオリニストで、ROVOのメンバーとして何度もライジングに出場しているが、ソロは珍しい。

 PROVOは、もともと札幌市内のクラブで、毎年ライジング会場に移動出店し、周辺に個性的な飲食店や古着屋が並ぶ一角として定着している。
 その中の小さなステージの日程がことし初めて、公式のスケジュールに記載されるようになった(ただし、紙のバージョンのみ。スマートフォンのアプリには未掲載)。
 ことしの小さなステージは、あずまやのようなスタイルで、四方から見られるようになっていて、正面がない。
 勝井君は足元の機材をいじっている時間が長くて、見た目は、あまり「演奏」という感じがしなかった。

 スクービー・ドゥは、ファンクミュージックとロックのおいしいところを融合した4人組。
 2009年のライジングサンで入場制限がかかるほどの人気を呼び、以後ほとんど毎年出場している。呼ばれなくてもやって来て、エントランスで演奏したこともある(2014年)。

 今年は、ほぼおなじ時間帯に、フィッシュマンズ、ブラッドサースティ・ブッチャーズ・トリビュートが重なって、ロックファンから悲鳴が上がっており、スクービーのボーカル、コヤマシュウも
「オレだって見に行きたかったよ」
と冗談めかして言ったほど。
 「ダンスナンバーしかやらない!」
と冒頭で宣言したとおり、今年はバラードなし。踊りまくれるプログラムだった。
 演奏では、ベースのナガイケジョーが間奏でソロをとる場面が以前よりも増えたような気がする。ギターのマツキタイジロウとバトルする場面がもっと増えたらおもしろいのでは。

 ドラムのMOBYが曲と曲の合間に汗をぬぐうタオルが
「水曜どうでしょう」
なのが可笑しい。
 アンコールも1曲やり、最後の最後にMOBYが「レキシのおじさんによろしく」。

 しかし、筆者はレキシどころではなかった。



 夜遅くから雨がひどくなり、かっぱと帽子のおかげでぬれねずみにはなっていなかったとはいえ、ズボンや足元がぐしょぐしょになっていたのである。雨のなかで踊っていたので自業自得ではあるのだが…。
 筆者がスクービーに行く前に、職場の後輩がいったん札幌に引き上げる算段をしていたのだが、スクービーから戻ってきてもまだ手配したタクシーが来ていなかった。あらためて違う会社に配車を依頼していたので、筆者もそれに便乗することにしたのだ。

 ヘブンズゲイトからタクシー乗り場への道も泥だらけ、水たまりだらけだった。
 乗り場には、絶望的な長い列ができていた。
 後輩氏はあらかじめ予約の電話をしていたので、その列とちょっと離れた場所からぶじ、予約車に乗ることができた。

 午前2時ごろ、自宅に戻り、足を洗い、シャワーを浴びた。

 これで筆者は、20回連続で参加しながら、一度も会場で2泊したことがないという、まれな記録を今年も更新してしまったのである。


(長くなったので、この項続く) 
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今回も異例ずくめだった Rising Sun Rock Festival 2018 in Ezo

2018年08月12日 23時33分23秒 | Rising Sun Rock Fes他
 今年もライジングサン・ロックフェスティバルに行ってきました。

 石狩湾新港(行政区域は小樽市と石狩市にまたがる)の遊休地に、いくつものステージが設営され、約100組のバンドが同時並行で2泊3日にわたり演奏を繰り広げる、道内最大級の、国内でも屈指の音楽の祭典です。
 参加者の多くは会場にテントを張り、行きたいステージを自由に回ります。

 昨年に引き続き今年も従来になかったフェスになったといえると思います。

 ひとつは、チケットのこと。
 テントサイトの券は以前から抽選でしたが、テントと関係ない入場券(通し券、各日の券)は、以前は普通に、当日まで販売していました。
 昨年は会期1カ月以上も前に売り切れになり、のんびり構えていた大勢の古参エゾロッカーたちが入手にあせりまくるという事態になりましたが、ことしは何度も抽選を繰り返す方式に変更になりました。
 筆者は最後まで抽選に外れました。
 当日券はありません。
 筆者は幸い、知人が余分の券を持っていたために入手できましたが、ツイッターには
「チケット求む」
の悲痛な書き込みがあふれていました。

 今年は主催者発表によると、それぞれ3万7千人、延べ7万4千人の入場があったとのこと。
 昨年より各千人の増加です。

 筆者は
「テントサイトには敷地の限界があるのはわかるが、入場者数を絞る意味があるのか」
と考えていましたが、今年の会場を見ると、SUN STAGE(サンステージ)もEARTH TENT(アーステント)も、立錐の余地のないほどにお客さんが詰め掛けていた場合が多く、むやみに入場者を増やせないことを実感しました。

 ただ、ツイッターなどを見ると
「駐車券は買えたのに、入場券が手に入らないなんて」
といううらみ節を書いている人も多く、まだ改善の余地はあるかもしれません。



 二つ目は、会場レイアウト変更です。
 これほどの規模は、会場内駐車場を設けた2012年以来のことでしょう。
 いままでは
サンステージやアーステンドなど―RED STARFIELD(レッドスターフィールド)やRAINBOW SHANGRI-LA(レインボーシャングリラ)―BOHEMIANGARDEN(ボヘミアンガーデン)
というふうな順番にならんでおり、サンステからボヘミアンに行くには、かならずレッドスターのわきを通る必要がありました。
 今年、会場全体に回廊性を持たせ、ヘブンズゲートから、レッドスターを通っても、サンステやヘブンズ・テントサイトを通っても、ボヘミアン方面に行けるようになったのです。

 これは画期的な改善といえましょう。
 サンステからボヘミアンまで最大30分かかっていたのが、ことしは20分程度にまで短縮されました。

 また、テントの区画は、計測したわけではないので正確なところはわかりませんが、昨年までにくらべて若干広がったようでした。

 さらに、冒頭画像でわかりますが、その回廊性の中央附近に、風力発電の風車が2基建設され、ことしの新しいランドマーク(目印)になったことを付け加えておきます。



 三つ目は、昨年に続く大雨。

 昨年はライジング史上最悪の雨で「田んぼフェス」「沼フェス」などという言葉が飛び交ったほどの、ひどい地面の状態になりました。
 今年は会期中、強弱はあったものの、冒頭と終わりごろを除けばほぼ全日程にわたって雨が降り続けました。なかでも1日目深夜(10日午後10時ごろから11日未明まで)は雷を伴う強い雨となりました。

 ヘブンズゲートあたりには巨大な沼ができ通行に困難をきたしたほか、アーステント近辺も泥だらけになりました。
 ただ、ボヘミアン方面以外は全滅に近かった昨年にくらべれば、水没したテントサイトも少なく、まだ比較的マシだったことは確かなようです。
 昨年は短靴で悲惨な目にあった筆者も、今年はクロックスタイプのサンダルと長靴とを準備しました。長靴利用者が増えたこともあって、昨年よりはマシだったとはいえそうです。

 来年こそは雨の心配をしなくてもよいフェスになってほしい。
 切実に思います。


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ライジングサン・ロックフェスティバル写真特集(2)

2017年09月16日 13時44分34秒 | Rising Sun Rock Fes他
(承前)

 「Rising Sun Rock Festival in EZO 2017」の写真の続き。

 RAINBOW SHANGRI-LA 附近は、ライブペインティングが行われるなど、いやしとアートの色彩が強い一角。
 筆者はシルクスクリーン作家のMさんにお会いしました。


















 樽川の橋のあたり。
 昨年までは白い手のオブジェがあったところ。






 以下、3枚は、FOREST SITE に続く道のあかり。









 TAIRA CREW のあたり。







 札幌国際芸術祭の「モバイル・アース・オーブン」号がやってきていました。


 以上で、今年のライジングサン・ロックフェスティバルの記事はおわりです。

(この項了) 
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ライジングサン・ロックフェスティバル2017 写真特集(1)

2017年09月15日 15時16分00秒 | Rising Sun Rock Fes他
 
 もう1カ月ほどたっていますし、雨と泥の写真はもうアップしてもしかたないかもしれませんが、まだまだあるのでアップしておきます。



 今回、トイレが原則男女別に分かれました。19回目にして初。










(この項続く) 
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雨と水たまりのライジングサン・ロックフェスティバル会場で

2017年08月31日 19時35分00秒 | Rising Sun Rock Fes他
承前

 RISING SUN ROCK FESTIVAL IN EZO 2017(ライジングサン・ロックフェスティバル)について、前項ではチケットと天候の話しかしていませんので、もう少し書き足しておきます。

 ことしも駐車場の券が確保できなかったため、路線バスで現地へ。
 JR手稲駅の北口から、FOREST GATE に近い停留所まで行く系統が、1日1本だけあり、すわって行けます。あまり有名になって、来年から混雑すると困るので、詳細はひかえますが、笑っちゃうほど近いです。

 しかし、笑っていられたのもバスを降りるときまで。
 セイコーマートで雨がっぱを購入し、受付に向かいます。
 このときは、雨がっぱ程度でしのげると思って会場へ入ったのですが、後の祭り。
 長靴なしでは会場内の移動が大変でした(これについては前項でくどくどと記した通り)。なにせ、FOREST GATE から筆者のグループが拠点を構えているテントサイトまで、徒歩でゆうに30分はかかるのです。
 なぜか受付で、毎年受け取っているポケットサイズのスケジュール表をもらえませんでした(しばらくしてから気づいた)。

 天気が良ければ会場内を散歩したり、オフィシャルグッズを買うために並んだりするのですが、とうていそんな気分にはなれず、ローソンでビールを買って、ターフの中で飲んでいた午前中でした。


 午後から七つのステージなどで演奏が始まります。
 SCOOBIE DO(Red Star Field)
→奥居香、じゃなかった岸谷香(def garage)
→back numbaer(Sun Stage)
→久保田利伸(同)
→OLDCODEX(Earth tent)
→CORNELIUS(Red)
→NOT WONK(同)

 このうち、コーネリアスについては、もともと聴く予定がなく、レッドスターフィールドの横を通りがかったら、映像と素晴らしくシンクロしていたシャープな演奏をしているバンドがあり、それがCORNELIUS(コーネリアス)だったというわけ。
 
 岸谷香は、言わずとしれた、日本のガールズバンドの草分けで1980~90年代に絶大な人気を誇った「プリンセスプリンセス」のボーカルでしたが、筆者はべつにプリプリのファンだったわけではありません。
 20代の頃、街かどやラジオからよく流れていて、ベスト盤を買って時々カーステレオで聴く程度でした。

 ただ、この1週間前に、ポンペツ藝術要塞に行ったときのこと。
 車内で、カセットテープに入っていたプリプリの「M」を聴いて、なぜかたいへん感動してしまったのです。
 これは、ライジングサンでも歌ってくれるんじゃないか。そう思って、def garage まで駆け付けたのです。

 ステージの前に集まっているのは、50歳前後の男女ばかり。
 よく見ると、頭髪は薄くなり、顔の皮膚には染みが浮かび、腹が出ている人が多く、会場の中では明らかに雰囲気が違っています。
 自分も他人からはこんなふうに見えているんだな…と思うと、なんだか暗い気分になってきました。

 ステージは最初から最後までひとりで、サポートは一切なし。
 まず、プリプリ時代の大ヒット曲「世界でいちばん熱い夏」のキーボード弾き語りから始まり、途中はギターに切り替えました。
 曲間のMCも
「ことしで50になります」
「えーっ!?」
「あら、うれしい。48くらいに見えるかしら」
と慣れたものです。
 キーボードに戻った後、「M」は、最後の曲でした。筆者は、きっと最後には歌ってくれるだろうという確信がありました。正直なところを言えば、いまの彼女の声を張り上げるような歌い方はあまり好きではなく、プリプリ時代の素直な唱法のほうがずっといいと感じています。とはいえ、歌ってくれたことにいたく満足しました。

 その後で、いったん引き上げた彼女が小走りに戻ってきて
「グッドニュース、もう1曲やる時間があるんだって。何やろうかな」。
 客席からすかさず
「ダイアモンド!」。

 そりゃそうだよな。
 ひいき目なしに見ても「ダイアモンド」と「M」は、日本のシングル史上最強のカップリングのひとつであることは、疑いありません。
 リリース当時は8センチシングルだったんだよなあ。

 しかし、ロックの「今」ではなく、こんな懐古的な文章を書いているということ自体に、自分の老化をひしひしと感じます(苦笑)。


(この項続く)
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異例ずくめだったRising Sun Rock Festival in EZO 2017

2017年08月30日 02時02分02秒 | Rising Sun Rock Fes他
 このブログの古い読者はご存じでしょうが、筆者は、1999年の第1回から毎年、ライジングサン・ロックフェスティバル(Rising Sun Rock Festival in EZO)に出かけています。
 ことしは、これまで19回の歴史の中でも、いくつかの異例なことがありました。

 ひとつは、かなり早い段階でチケットが売り切れてしまったこと。

 テントサイトは区画に限りがあるので、わかるのですが、入場券が完売ってどういうこと? と思いました。
 過去にも一度、入場券が売り切れたことがありますが、そのときはたしか、開催日の直前でした。

「B'zが初出場するからだ」
「転売業者が買い占めたのでは」
など、さまざまなうわさが飛びかいました。
 自分としては、今年から「山の日」が国民の祝日となり、それが会期初日だったことから、休日を取りやすい暦になったためだという説が、いちばん説得力があると感じました。要するに、ライジングサン・ロックフェスティバルがはじめて、3連休と重なったわけです。

 理由はともかく、この事態にあわてたのが、チケット購入を後回しにしていた常連エゾロッカーたちです。
 筆者の周囲にも、ネットで連絡がついた帯広の人から譲渡を受けるため、東京から来る途中わざわざ帯広に寄ってから石狩湾新港にはせ参じた人もいました。
 ただし、実際に会場へ足を運ぶと、テントサイトはところどころ空いていました。
 主催のWESSの公式発表では、11日、12日とも約3万6千人、のべ7万2千人の入場者があったとのことです。



 もうひとつ。
 史上最悪の天候だったこと。

 これまでのライジングサンでは、2008年の初日が雨にたたられましたし、2010年の開幕前に雨が降り、会場が泥だらけになったことがあります。

 しかし、08年は2日目は晴れましたし、10年は、大雨だったのは会期の前で、水を抜く土木工事をした後で、開幕を迎えました。
 今年は1日目は持ちこたえていたようですが、2日未明からずっと雨でした。

 おかげで会場のあちこちに泥のぬかるみや沼のような水たまりが出現しました。
 避けて歩こうにも、避けようがありません。


 たとえば、Def Garageというステージの出入り口や、会場の出入り口附近などは、一面の水たまりで、そこに入り込んでいく覚悟がなければ、通過もできないのです。

 あまりにひどいところについては、砂を投入するとか、板を渡すとか、なにか応急処置をしてもらいたかったという気がしました。

 テントのターフには雨水がたまるし…。
 あまり屋外をうろつく気になれず、史上はじめて、祭太郎コーナーに行きませんでした。
 オフィシャルのパンフレットやタオルを買わなかった(雨と泥の中を長時間並ぶのがつらい)のも、初めてのことです。

 テントや荷物を片付け、泥まみれになりながら重い台車を押していると
「なんだって2万数千円払った上でこんなにつらい目にあって音楽を聞かなくちゃいけないんだろう」
という思いがわきあがってくるのでした。


 ああ。Hush Puppies の青いスエードシューズが…orz

(この項続く) 
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RSR(ライジングサン・ロックフェスティバル)2016 写真特集(4)

2016年09月06日 01時01分01秒 | Rising Sun Rock Fes他
承前

 ライジングサン・ロックフェスティバルから1カ月近くがたってしまいましたが、会場で撮った写真で、アップしていないものがいくつかあったので、まとめてあげておきます。





 ボヘミアン・ガーデンのあかり。






 ヘブンズエリアからレッドスターフィールドへ向かう橋のそば。ここは毎年、ディスプレイが少しずつ変化している。


 それでは、また来年。
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RSR(ライジングサン・ロックフェスティバル)2016「よりぬきROOTS 66」に思ったこと

2016年08月25日 09時42分37秒 | Rising Sun Rock Fes他
 Rising Sun Rock Festival in EZO(ライジングサン・ロックフェスティバル)をめぐってはときどき音楽評めいたことを書いている。ことしはあまり数を聴いていないので、気が引けるが、2日目夜に SUN STAGE でおこなわれた「宴会部長増子直純の~よりぬきROOTS 66 in EZO~」について、モヤモヤした感じが残ったので、ちょっとだけ記しておこう。

 このライブは、1966年生まれ、つまりことし50歳を迎えるロッカーたちが、札幌出身のロックバンド「怒髪天」のボーカル増子直純の音頭のもとに集まり、うたうという企画。
 ラインナップは公式サイト(http://rsr.wess.co.jp/2016/artists/lineup/)を参照してほしいが、斉藤和義、大槻ケンヂ、渡辺美里、スガシカオ、田島貴男、中川敬(ソウルフラワーユニオン)…といった豪華な顔ぶれだった。
 タイトルには、もちろん生まれた年と、米国の国道66号(シカゴ―サンタモニカ。現在は廃番)を歌ったスタンダードナンバーに引っかけているのだろう。



 で、この人たちが何をやるかというと、要するに懐メロカラオケ大会である。
 カラオケといっても、バックも1966年生まれによるバンドである。
 渡辺美里が自分の曲である「My Revolution」を歌うのはいい。
 大槻ケンヂらが、井上陽水の「氷の世界」をやるのも理解できる。
 でも、最後に全員が登場して歌うのが「YMCA」「北酒場」というのはどうなんだろう。

 もし英国や米国で似たような企画があったらと考えてみる。
 名うてのベテランミュージシャンが集まって演奏するとしたら、おそらく「ジョニー・B・グッド」や「ロールオーバー・ベートーヴェン」になるのだろう。
 あるいは、もう少し新しく、ビートルズナンバーや、「サティスファクション」「マイ・ジェネレーション」「We Are the World」あたりになるかもしれない。
 しかし、ロック以外の曲をやるとは考えられない。ポール・マッカートニーやミック・ジャガーが、フランク・シナトラやビング・クロスビーを演奏することは決してないだろう。

 だから、この「よりぬき Roots 66」でも、ビートルズやストーンズをやったって、ぜんぜんかまわないだろう。
 いや、むしろ、ここで歌っているミュージシャンや、聴いているオーディエンスが、こんな年になるまで音楽とともに人生を歩むようになったきっかけは、「Get Back」や「Smoke on the Water」であったとしても、「YMCA」や「北酒場」だったということはあまり考えにくいだろう。
 仮にも、ロックンローラーだぜ。

 でも、こんなめんどくさいことを言っていると、増子兄イがやって来て
「まあまあ、でも俺たちって、酔っ払うと演歌とか歌うじゃん。外国の、歌詞の意味がよくわかんない音楽を背伸びして聴いてたこともあったけどさ、やっぱルーツの音楽はテレビから流れてきた歌謡曲ってことでいいだろ」
と酒臭い息を吐きながら、肩をぽんぽんとたたかれそうな気がする。
 かっこつけなくていいべさ、と言われそうなのだ。

 とはいえ「YMCA」「北酒場」は、やっぱり違うと思うんだよなあ。
 ロックフェスじゃないよなあ~。
(そもそも、米国のキリスト教系青年団体の歌を、プロ野球の応援とか、精神病院の病棟とか老人ホームの体操とか、いろんな場所で、振り付きで日本人が歌う習慣が40年近くも続いているというのは、冷静に考えると、相当に奇妙な風習ではないだろうか)

 怒髪天の「夏のお嬢さん」が成立しているのは、今はオバサンキャラになってしまった女性のアイドル歌謡を、増子のだみ声とギンギンのバンドサウンドで再現するという、一種の「しゃれ」であろう。
 でも斉藤和義をはじめとするロッカーたちが「北酒場」を歌い、それを肯定的な文脈でとらえてしまうことには、どうしても違和感をぬぐえない。

 たぶん、この「大衆性」「ルーツ」をめぐる議論は、正解は存在しないと思うので、このへんで。


こういう記事もあります。
チャットモンチーを聴いて思ったこと (2010)
FLOWER TRAVELLIN' BANDをライジング・サン・ロックフェスティバルで聴く (2009)
RISING SUN ROCK FESTIVAL2008 (1) 増子のメッセージに感動
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RSR(ライジングサン・ロックフェスティバル)2016 写真特集(3) 祭太郎

2016年08月24日 01時01分01秒 | Rising Sun Rock Fes他
(承前)

 祭太郎とは、口上こうじょうを武器に活動するアーティスト。
(もちろん本名ではありません)

 Rising Sun Rock Festival には、筆者の知る限り2002年あたりから毎年登場し、上半身裸で、頭にはうさぎのシャッポをかぶって、太鼓をたたきながら、ひたすら語り続けています。その独自の語り口が、一種の芸になっているのです。
 もっとも、語りだけではさすがにつらいので、盆踊り大会をやったり、かるた大会を開いたり、朝にはラジオ体操をしたりします。

 ほかにも、地元北海道のプロレスのリングアナウンサーを務めることもあれば、インスタレーションなどの個展を開いたこともあり、かつては映像作品を手がけたこともあります。



 今回、なかなか祭太郎のテントの場所がわからず、夜明け近くなってようやく見つけて、なんだかホッとしました。祭太郎タオルも買いました。

 祭太郎がライジングサン・ロックフェスティバル(RSR)の正式出演アーティストなのかといえば、ちょっとちがうような気がしますが、かといって祭太郎のいないRSRというのも、もはやちょっと想像じがたいです。




 ことしは、けっこうきちんと事前にスケジュールと内容を固めていたようです。


 □祭の妖精 祭太郎でございます。http://ameblo.jp/maturi-taro/

ライジングサン・ロックフェスティバル(2015)
2011年のRising Sun Rock Festival
Mercury Road-ライジングサン・ロックフェスティバル2010写真特集
祭太郎、ことしも声をからしてガンバル-ライジング・サン・ロックフェスティバル2009
祭太郎個展「まつりたろうのお盆だよ! 全員集合」(2008年)
祭太郎! RISING SUN ROCK FESTIVAL 2008
ただ今石狩湾新港その3(2008年)
ART! MEET! MART!(2007年)
ライジングサン・ロックフェスティバル(2007年)
2004年のRSR


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RSR(ライジングサン・ロックフェスティバル)2016 写真特集(2) RAIN TOPE 附近/TAIRA CREW

2016年08月21日 18時30分29秒 | Rising Sun Rock Fes他
(承前)

 Rising Sun Rock Festival 2016 in EZO の公式サイトによると、RAIN TOPE は「札幌市内を中心に活動するアーティスト石川大峰を中心にしたクリエイティブチーム yorma」によるエリアとのことです。

 まき割り体験コーナーがあったのも、この一角です。
 








 メインのやぐらの前では、ライブペインティングと田仲ハルさんの舞踏が同時に行われたりしていました。




 このエリアの向かい側には、RAINBOW SHANGRI-LA というステージがあり、その前におかれていたオブジェ。



 TAIRA CREW は、筆者がはじめて訪れたのが2009年。

 RAINBOW SHANGRI-LA を過ぎて、道を左に折れると、ボヘミアンガーデンへと向かう直線の舗装道路が伸びていますが、そこからちょっと右に入った、森の中の一帯です。







 昔は、訪れる人も少なく、不思議な雰囲気の漂う一角でした。
 2011年あたりから、まったりとすごす人が増えてきたように感じます。

 宮城県山元町で東日本大震災後の復興を手伝うボランティアの活動を紹介する小さなブースがありました。

(この項続く) 
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RSR(ライジングサン・ロックフェスティバル)2016 写真特集(1)

2016年08月21日 11時16分23秒 | Rising Sun Rock Fes他
 Rising Sun Rock Festival 2016 in EZO (ライジングサン・ロックフェスティバル)。
 第1回の1999年からなんだかんだで毎年足を運んでいますが、老化とともに、会場での動きが鈍くなっているのに加え、こういう、フェスを振り返る系の記事をアップするのもどんどん遅くなっていきます。

 こうやって会場の様子をブログに記録することに、以前は意味があっただろうけど、いまは twitter や Instagram が普及しています。
 最近はほんとに、会場のあちこちのモニュメントやオブジェなどに向けてスマートフォンやカメラを向けている人が増えました。

 なので、こういう記事にどういう意義があるのかわからないんだけど、音楽を聴くよりも熱心に? 会場内でスナップしてきたので、いくつかに分けてアップしていきます。




 Red Star Field の後方にあった大きなパネル。

 横の説明には

ライジングサン・ロックフェスティバルの
永遠のテーマである「LOVE & PEACE」は
このRSRに何度も出演してくれた“忌野清志郎”さんが
強く唱えていたフレーズです。この豊かな石狩の大地に
いつまでも平和で美しい太陽が昇り続けるよう、
世界で活躍している札幌のイラストレーター“シンヤチサト”さん
と地元石狩の学生さんが思いを込めて制作しました。


とありました。
 「R」「S」「R」の文字に、ピースマークとハートマークが挟めてあります。




 ことしも開設された、メイクのための「ミワンダフル」のブース。
 そこでライブペインティングを行っていたのは、米澤卓也さんです。
 Alice in Wonderland をテーマにしているみたいですね。







 Red star field の、卓がおかれているテント裏手にいつも置かれているオブジェ。
 ことし、水曜日のカンパネラのステージで、なんとコムアイがここまでやってきて、脚立の上で歌いました。びっくりです。






 以前にも書いたけれど、Red Star Field は、RSR の中ではSun Stage についで2番目に古いステージ。
 屋根の上に翻る旗はおそらく2000年開設の当時から使われているもので、「RSRFES」という略称に歴史がうかがえます。

 なお、1999年の第1回は、Red Starは現在のRed Star Cafeみたいな感じで、「チベタン・フリーダム(チベットに自由を)」のブースが出ていたことを思い出します。


 なお、冒頭は最終日(8月14日)の朝焼けです。

 とても美しかったですが、日の出じたいは、2014年にはかないませんでした。

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